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76.もしも、物語が少し変わっていたならば




フレデリックは玄関扉から顔を出したカサンドラの姿を見るなり表情を穏やかなものに変え、安堵したように息を一つ吐き出した。


「カサンドラ、良かった。

君が倒れているのでは無いかと心配していたところだ。だいぶ無茶をさせてしまったから」


「まぁ、フレデリック。貴方、動き回って大丈夫なの?」


私はサッと素早く彼の腕を見遣り、その後顔やら体やらに視線をさまよわせた。

彼は怪我を負って出血していたし、疲労困憊だったせいで医者に暫く安静にしていろと言われていた筈だ。

けれどフレデリックは首を横に振る。


「僕は昔から頑丈なんだ。それに昼に判事が僕の泊まっている宿へ来た。

君にも伝えてなくてはならない」


それは確かに聞いておきたい。


カサンドラは玄関扉を大きく開き、彼に入るよう促した。

フレデリックを応接間へと通して椅子に座っているよう勧め、温かい紅茶を二人分準備してから彼の向かい側の席へ座る。

まだティーカップに紅茶を注いでいるというのに、待ちきれずに質問してしまった。


「それで、判事はなんて仰ったの?」


「四人ともブランシェルの監獄へと送られる事になった」


随分と早い判決が下ったものだ。いったいどういう事だろう?

カサンドラは彼の前のテーブルにティーカップを置き、改めて姿勢を正して聞く体制を作ってから手をひらりと動かして先を促す。


「もとより長きに渡って僕はアーサーを訴え続けていたから、警官も判事も従兄に目を光らせていたらしい。

何しろアーサーには僕を殺したい動機がある。僕が死んで一番利益を得るのは彼だからだ。


けれどアーサーは狡猾な男で、今まで捜査の目を掻い潜っていたんだ。

彼は侯爵家の親戚だし、警官も迂闊に手を出せなかった」


フレデリックは事実を変に脚色したりせず、必要な事柄を分かりやすく説明してくれた。

カサンドラは彼の簡潔な物言いが非常に好ましいと思った。


「君が捕縛してくれた三人の男達はアーサーから金を受け取り、命令に従った事を認めた」


「あの濃いブロンドの髪の男性は? 彼は何と言ったの?」


フレデリックは言い難そうに口を噤み、カサンドラの顔色を伺う。どうやら私を気遣ってくれているらしい。

カサンドラは真っ直ぐフレデリックの目を見つめ、大丈夫だというようにゆっくりと頷いて見せた。

私に促された彼は渋い表情のまま重い口を開く。


「セオドア・テローは未だに口を割ろうとしないらしい。黙り込んだまま、何も証言しないんだ」


「仲間を売りたくないということかしら?」


「一つだけ僕にも分かる事は、アーサーのような男にも、心から案じてくれる人が居たという事だ」


そう言えばセオドアはグレデナンド湾に私を拐った時も、アーサーが破滅の道を回避出来るよう必死な様子だった。

カサンドラは、もしもアーサーが爵位よりも大切なものに気付いていればと思わずには居られなかった。


フレデリックは紅茶を飲んで口を湿らせた後、私の方を見つめて力強く言った。


「僕と君は正当防衛が認められた」


「そう」


信じ難い事だが、カサンドラはセオドアを銃で撃った事を後悔していない。

今度は暴発では無く私の意志で、私の正義の為に引き金を引いたのだから。

むしろあの時撃つのを躊躇していたらフレデリックが死んでいたと考える方がゾッとする。


セオドアを撃ち抜いた事で再び私が罪悪感でおかしくなると心配でもしていたのか、清々しい様子の私を見たフレデリックの体から緊張が解けた。


そして彼は手を伸ばし、ティーカップを取ろうとしていたカサンドラの右手を取って優しく握った。



「カサンドラ、一緒に王都へ帰ろう」


「………随分と唐突ね」


「いいや、分かっていた筈だ、マイ・ラブ。僕はその為に此処へ来た。

僕と結婚して欲しい。僕には君しか居ない」


フレデリックの美しい銀色の瞳は、真摯で愛情深く煌めいている。

彼はきっと言葉通りに私を愛してくれるだろう。素晴らしい夫となり、子供達にも深い愛情を注ぐ良き父親となる筈だ。

それに彼は次の誕生日には侯爵になる。伯爵令嬢の私にはこれ以上無い程の相手だ。


でもーーー


カサンドラは包むように優しく握られていた手をするりと彼の手の中から抜いた。

彼の傷付いたような表情を見るのが凄く辛い。

けれど彼は真っ直ぐ私に愛を伝えてくれたのだから、私も誠実な対応をしなければならない。

誠実なフレデリックにはその権利がある。


「私……三ヵ月前の事故の後、貴方に責められる事が凄く恐ろしかったの。

けれど何故震える程恐ろしいのか……無知な私はずっと分からなかった。


今なら分かる。私は貴方が好きだったのよ。

私の社交界デビューの夜会で貴方に挨拶をする、ずっと前から」


カサンドラは口の中がカラカラになったような気がして、一度唇を舐めて湿らせる。

きちんと正しい言葉で伝えなければ。


「シャーロットお姉様が、幸せそうに笑ってフレデリックの話をしているのを聞いている時からずっと。

何故なら私はお姉様を愛しているから、お姉様が愛した人も好きになった。

お姉様を素晴らしい笑顔にしてくれる、私の義兄となる人が大好きになった」


必死で言葉を紡ぐカサンドラの話を、フレデリックは静かに聞いていた。


「貴方に初めて挨拶をした時、私はお姉様とフレデリックが並んだ様子を想像して幸せな気持ちになったの。

思わず微笑んでしまうくらい」


そう。フレデリックが私に一目惚れしたという笑顔は、他でもない彼と姉の二人の愛を願っての笑顔だった。


フレデリックは私の言わんとしている事を理解したらしく、カサンドラの手をもう一度取ろうと伸ばしかけていた自分の手をゆっくりと引っ込めた。


「私は、お姉様の良き夫となる、義兄となって新しい家族の一員となる貴方が好きだったの。

これ以上、私はシャーロットお姉様の願いを奪う事は出来無い。


フレデリック………貴方とは結婚出来ません」


長い沈黙が訪れた。どちらも何も言わず、動かない。


フレデリックは暖炉の炎を見つめながら考え事をしているようだ。私はフレデリックを見つめながら、彼が心を整理するのを待った。



暫くするとフレデリックが大きく溜め息を吐いた。

そしてその後、炎を見つめながらポツリと話しだす。


「今もまだ僕は『義兄として好き』か?

こうして共に過ごしていても変わらず」


「そうね、貴方は『友人としたら大好き』かしら。けれど好きか大好きかは関係ないの。

一つだけ伝えたいのは、『貴方に問題がある訳では無い』ということ。

寧ろ貴方の誠実さや率直さはとても好ましい。ロマンチックな所も素晴らしくて好きよ。


だけど貴方はお姉様の元婚約者で、私はお姉様を愛してる。

だから貴方とは結婚できない。ただそれだけ」


フレデリックは暖炉から私へと視線を移し、銀色の炎が揺らいでいるような眼差しを此方へ真っ直ぐ向ける。


「君と僕が出会った時、もし僕が婚約していなければ、君は僕を愛してくれただろうか?」


カサンドラは肩を竦めてみせた。


「どうかしら。分からないわ。私は昔から選り好みが激しいから」


「選り好み?」


「えぇ、そうなの。チェスやカードゲームで私から勝利を奪える人が良いわ。

フレデリック、貴方勝てる? 私に」


「………いいや、僕には無理だ。

カサンドラ、君には勝てそうもない」


フレデリックはそう言って苦笑いした。

カサンドラを負かしてしまって、彼女の悲しむ顔は見たくない。

勝利を手にした時の彼女の蕩けるような極上の笑顔が見たい。


その笑顔を見る誘惑に耐え切って、己が勝利を勝ち取れる男は居ないだろう。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




獅子亭へ帰るフレデリックを見送りに玄関ポーチまで出ると、明日になったら侯爵家の馬車で王都へ帰ると聞かされた。

リュクス・ガーデンまで私を送り届けてくれるという彼の申し出を、カサンドラは丁重に断った。


「この場所が好きなの」


「あれ程恐ろしい思いをした場所なのにか?」


「それでも、此処で心を救われた事実もあるのよ。

もし帰るとして、雪が解けたこの屋敷の庭の美しい春の景色を見てから帰るわ」


カサンドラはそう言うと、玄関ポーチに立つフレデリックを正面から抱き締めた。


「フレデリック、私を愛していると言ってくれてどうもありがとう。

そして貴方の想いに応えられなくてごめんなさい……」


「カサンドラ、気にしないでくれ。君に出会えて良かった」


フレデリックもカサンドラを腕の中へ抱き寄せ、彼女の最後の温もりと甘い香りを噛み締める。


「私もよ、フレデリック。

貴方はもう命の危険を考えなくても良いのだから、素敵な女性と出会ってね」


「………あぁ」


カサンドラの言葉に身を固くし、離れ難そうに強く彼女を抱き締めた後、錆び付いたように動かし辛い腕をゆっくりと緩めてカサンドラを離した。

カサンドラも彼の背中に回していた腕を解き、穏やかに微笑んだ。


「フレデリック、お元気で。貴方に神の祝福があらんことを」


「さよなら、カサンドラ。僕の愛しい人」



フレデリックはそう言うと被っていたシルクハットに触れて少しずらしながら挨拶をした後、カサンドラへ背を向けて歩き出した。


ヒース・コートから彼の姿が見えなくなってしまうまで、私は彼の背中をじっと見つめていた





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