74.引き金を引くとき
一番始めに衝撃から抜け出したのはロイスだった。
彼は私の前に立ち、倒れて動かなくなったアーサーに釘付けになっている私の視界を、彼の透けた逞しい体で遮った。
「大丈夫か、カサンドラ」
カサンドラはロイスの気遣わしげな視線を受けて顔を上げると、お互いの濃いブルーの瞳を見合わせる。
ひとつゆっくりと瞬きして、しっかりと正気を保っている事をロイスに示した。
心配なのは、私よりもむしろ………
カサンドラは少しだけ体を傾けてロイスの横からフレデリックの方を伺い、倒れた従兄を呆然と見つめている彼を見て胸を痛めた。
何故ならカサンドラには、フレデリックの気持ちが痛い程分かるから。
フレデリックは今、三ヵ月前の舞踏会の晩のカサンドラだった。
視線を横へ滑らせると、事切れたアーサーによろめきながら近付くセオドアが姿が見える。
彼はアーサーの傍らで膝から崩れ落ち、静かに涙を流していた。
同情するつもりは無いが、痛ましい光景だ。
もう一度顔を上げ、心配そうにこちらを見つめるロイスに力強くゆっくりと頷いた後、魂を抜かれたように呆然とするフレデリックへと駆け寄った。
「フレデリック、腕を見せて。怪我をしているわ」
彼の肘の辺りは服に染みが出来る程出血しており、目を凝らしてよく見ると、腕には窓ガラスの破片がいくつも突き刺さっている。
これでは私みたいな素人がやみくもに手当出来ない……。
カサンドラは顔を上げ、暗く陰るフレデリックの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「フレデリック、お医者様に見てもらいましょう。 止血をしないといけないのに、今は出来ないのよ」
「…………。」
「私の声が聞こえる?」
フレデリックの銀色の瞳はビー玉みたいに何も映っていない。 彼の従兄を亡き者にした時、フレデリックの心にも闇が巣食ったのだ。
カサンドラにはフレデリックの気持ちが痛い程よく理解出来た。
もう一度繰り返される。でも……私なら彼の運命を変えられる
「フレデリック、こっちを見て」
カサンドラは両手でフレデリックの頬を優しく挟み、血の気の失せた彼の冷たい両頬を温める。
悲劇のせいで闇に陰った彼の瞳と真っ直ぐに目を合わせ、力強く言い放つ。
「フレデリック、私を助けてくれてありがとう」
「…………。」
「貴方がいなければ、私は今頃は既に死んでいたでしょうね」
「…………。」
フレデリックは何も言わない。
けれど彼の冬景色のような銀色の瞳は、確かにカサンドラの方へ向けられた。
彼の心に巣食う闇を解かないと、ヒース・コートの悲劇は繰り返される。舞踏会での悲劇も。
アーサーのせいでフレデリックが心を壊すなんて絶対にダメ!
私はフレデリックの頭を自分の左胸に凭せ掛け、彼が守ってくれた私の鼓動を聞かせる。
彼のおかげで今動いている心臓がある事を伝える。
「貴方はまるでヒース・コートの英雄のようだわ。
フレデリック・エヴァンズ、私を魔の手から命懸けで救ってくれてありがとう」
「……あぁ、カサンドラ……」
フレデリックの冬景色のような銀色の瞳にようやく光が灯り、私の背中に腕を回してしがみついた。
「フレデリック。貴方が無事で本当に良かった」
「あぁ……」
「生きていてくれて嬉しいわ」
「あぁ」
「貴方はすぐにお医者様に診て貰わないと。『怪我は勲章』と思っている間抜けな人間もいるけれど、治るに越した事はないのだから」
「カサンドラ、君に怪我は?
酷い目に遭わされていないだろうか」
フレデリックが体を起こし、気遣わしげな表情で私の顔を見つめる。
彼が私の表情に苦痛の色が無いかと観察している事は分かっているので、私はにっこりと微笑んでみせた。
「言ったでしょう? 貴方が守ってくれたおかげで私は無事なのよ」
「カサンドラ、君が無事で良かった」
フレデリックは私の頬に手を添え、そっと優しく頬を撫でる。
彼には心の支えになるものが必要なのだ。
だから彼の銀色の瞳にじっと見つめられ、頬や唇を指先でなぞられてくすぐったくても彼のしたいようにさせていた。
フレデリックが救った人間が確かに存在する証を伝えたかったから。
光が戻った銀色の瞳や表情からフレデリックが絶望から立ち直ろうとしている努力を感じ取り、カサンドラはホッと安堵した。
絶望するのはもう沢山。 私達は前へ進む必要がある。
それにもうすぐ、ロビーが呼んだ助けが来る筈だから。
フレデリックは酷い怪我を負っているので、応接間で医者を待っていてもらおうと考えて立ち上がった、その時―――
アーサーの側で床に膝をついて悲嘆に暮れていたセオドアが動いた。
彼はよろめきながら立ち上がり、私たちの方へと駆け出す。
怒りと憎しみによってめらめら燃える彼の瞳は真っ直ぐフレデリックの方へと向けられ、その手にはアーサーが取り落としたエヴァンズ家のナイフが握られていた。
カサンドラはセオドアの意図を察し、考える間もなく持っていた拳銃の銃口をセオドアへ向ける。
安全装置を外し、躊躇せずに引き金を引いた。
轟音と共に銃が火を吹き、弾はセオドアの右肩を撃ち抜く。
セオドアは悲鳴をあげる間もなく反動で後ろへと飛ばされ、マホガニー製の執務机に体を打ち付けて動かなくなった。
玄関扉が開けられる音がし、屋敷の階下で幾人もの声が聞こえてくる。
書斎の窓からは昇り始めた太陽の光が差し込んできて、色濃かった闇を明るく照らし始めた
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
屋敷に助けが駆け付けた時、アーサー・エヴァンズは既に事切れていた。
死因となった短剣は、限りなく心臓に近い場所に突き刺さっていたという。
セオドア・テローは右肩に銃弾を受けており出血が酷かったが、幸い急所ではないので一命を取り留めた。
彼の意識が回復したら、既に縛られていた他のならず者と共に治安判事に引き渡される事になった。
フレデリック・エヴァンズは至る所を怪我していたものの、その殆どが浅い切り傷と打ち身で軽傷だった。
片方の腕は窓ガラスに突っ込んだせいで大分出血していたが命に別状はない。
すぐにグレスティンの医者に突き刺さったガラスを抜いてもらい、止血が施された。
カサンドラ・ウィリアムズは打ち身で痣になっている場所はあるものの、命に関わる大きな怪我は無かった。
混乱する屋敷の中で冷静に指示を飛ばし、救助や捕縛の手助けをしていたという。
こうして、恐ろしい夜は終わりを告げたのだった




