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73.一瞬の隙が運の尽き




ガラスの割れる不穏な音のせいで二人共ピタリと動きを止め、お互い眉を潜めて目を見合わせる。

カサンドラは屋敷の方を振り返り、大きな音のした方を見遣った。


「書斎の方からだわ……」


自分の口から出た声は思いのほか掠れていて、カサンドラは思わず頬を染める。

これでは彼とのキスを待ちわびていた事がバレてしまうではないか。


ちらりとロビーの方へ視線を向けてみると彼のグリーンの瞳と目が合う。彼の口元が僅かに緩んでいる事に気付いたカサンドラは、自分の舌を噛み千切りたくなった。

何とかして弁明したいが、今はそれどころではない。

そもそも真実なのだから弁明のしようがないのだが。


私は改めてロビーと向き直り、彼の頭から足先まで素早く視線を走らせながら問い掛ける。


「歩けそうかしら?」


「あぁ、大丈夫。本当に背中を打っただけなんだ」


彼の返答にカサンドラは頷き、名残惜しく思いながらもロビーから体を離して立ち上がった。


「良かった。それならロビーは町へ行って、助けを呼んで来て」


「君は?」


ロビーは眉を潜めて私顔を見つめる。

彼は私が何を言い出すのか薄々感づいているらしく、引き留めようと立ち上がるなり彼女の両肩に手を置いて自分の方を向かせた。


そしてカサンドラは彼の想像通りの言葉を告げる。


「フレデリック卿の手助けをしないと。彼はまだ屋敷の中に居るの」


「それなら僕が行くよ。君が助けを呼びに行ってきて」


「………。」


「頼むよ、カサンドラ」


「ロビー、お願い……分かって欲しいの。

フレデリックもまた、私の命を救ってくれた人なのよ。今度は私が彼の助けにならないと」


「どうしても君が行かなくちゃダメなのかい?」


「ロビー。貴方を巻き込みたくないの」


お互い一歩も引かずに無言の攻防が続いた。

何としても私を守ろうとするロビーの優しさと勇気はとても嬉しいが、私にも譲れないものがある。

フレデリックとロイスの事が心から心配だし、ロビーに危険な目に遭って欲しくない。



数秒間睨み合った後、今回も先に折れたのはロビーだった。

彼は深く溜め息を吐き出し、肩を強く掴んでいた手を緩めて自分の方へ引き寄せ、カサンドラを逞しい胸に抱き寄せた。

カサンドラもまた彼の背中に腕を回して彼の温もりに勇気を貰う。


「約束してくれ。絶対に君の命を投げ出したりしないと」


カサンドラは頷き、そして彼の硬い胸に手を置いたまま背伸びをすると、ロビーの唇へと触れるだけのキスをした。


すぐに顔を離したものの、驚いたように瞳を丸めながら此方をじっと見つめるロビーの熱い視線を感じて恥ずかしくなり、パッと彼から体も離した。

このままでは本格的に彼の腕から抜け出し難くなってしまう。



「貴方を愛している事に気付けて良かった。

……行ってくるわ。 幸運を祈ってて」


「カサンドラ、きっと無事で僕のもとに戻って来るんだよ」


カサンドラはもう一度力強く頷き、再び屋敷の中へと駆け出した




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




カサンドラが書斎へ駆け付けた時、見るからにフレデリックが劣勢だった。


フレデリックは床に倒れてアーサーに馬乗りになられており、喉に向けて振り下ろされたエヴァンズのナイフを、サファイアの付いた短剣の刃で何とかくい止めている状態だ。

窓ガラスに突っ込んで怪我をしたのか、フレデリックの腕には血が滴り落ちている。


他にも書斎は酷い有り様で、激しく取っ組み合いをした事が一目で伺える。きっと斬るか斬られるかの熾烈な争いだったのだろう。

その証拠に刃を交える二人はカサンドラが書斎に戻って来た事にも気付かない。


フレデリックは何とか持ち堪えているけれど、このままではナイフが喉に到達するのも時間の問題だ。

そうなればフレデリックはーーー


そんなのダメよ! 絶対にアーサーの思い通りにはさせない。

何としてでも止めてみせる……!!


私は腰のベルトに差して隠していた拳銃を掴み、アーサーへ向ける。


怖い……。

もしまた暴発して、フレデリックに当たってしまったらどうする……?


一瞬脳裏に過ぎった恐ろしい想像がカサンドラの腕を震わせる。


血塗れになるのがフレデリックだったら?

また過ちを繰り返すの?

でもやらないと、彼を助けないと。


カサンドラは一瞬だけギュッときつく目を閉じ、嫌な音を立てる心臓を必死で落ち着ける。

そしてアーサーの肩に銃口を合わせて拳銃を構えた。


殺さない。

アーサーの隙をついて、フレデリックの勝利の手助けをするだけよ……!!


安全装置を外そうとした時、廊下の先からロイスの大声が聞こえてきた。


「カサンドラ、横だ! 気を付けろ!!」


ロイスの声で反射的に振り返ったものの、血相を変えて廊下を駆けてきたセオドアに腕を掴まれ、勢い余って二人して床へ倒れ込む。


「銃を下ろせ! 酷い目に遭いたいのか!」


「離して…! 離しなさい……!!」


何としても私から拳銃を奪い取ろうとするセオドアと取っ組み合いになる。

疲労困憊な上に乱暴な扱いを受けて激怒したカサンドラは、めちゃくちゃになった書斎の棚から落ちた本を手にし、それでセオドアの横っ面を引っ叩いた。



セオドアが怯んでいる隙に彼の拘束から素早く抜け出し、床に手をついて必死に立ち上がる。

改めてアーサーの方へと銃口を向けると、セオドアが悲鳴を上げながらアーサーの前に飛び出した。


「止めてくれ! アーサーを撃つな!!」


「セオドア?」


それは一瞬の出来事だった。


セオドアの悲鳴によって私達二人が書斎に戻って来ていた事に気付いたアーサーは、セオドアの方へと意識を向けてしまう。

それによって無意識の内にナイフを持つ手の力が緩んでしまった。


それが彼の、アーサーの運の尽きだった。


突き合わせていた刃の一方の力が急に弱まったとしても、もう片方もピッタリ同じタイミングで力を弱める事は出来無い。



フレデリックも咄嗟に腕を引っ込めようとしたが、彼の持つ短剣はアーサーの左胸辺りに突き刺さった。



アーサーはその事実に目を見開いたまま暫しフレデリックを見つめ、次に短剣の刺さった自分の左胸を見る。

口の端から血が滴り、悔しげに奥歯を食い縛った。



「ちくしょう……! ちくしょう……俺の負けだ…」



憎々しげにそれだけ呟くと、グラリと傾いた体は床に倒れ込み、そのままピクリとも動かなくなった。



カサンドラも、フレデリックも、ロイスも、セオドアも、誰一人として暫く衝撃から抜け出せなかった







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