66.未来を夢見て
何とかフレデリックを説き伏せ、ロバートと二人で話しをする事になった。
それも雪のちらつく屋敷の庭園で、離れた場所にいるフレデリックに見張られながら。
馬鹿馬鹿しい。
罪人でもないのに、どうして彼に監視されなくちゃならないの?
それにさっきフレデリック卿は、私に体を冷やすなと言っていなかったかしら?
腹立たしい気分ではあるが仕方がない。何故ならフレデリックの言っている事も一理あるのだ。
ロイスというお目付け役が居るのでロバートともフレデリックとも散々屋敷で二人きりになってしまったが、よく考えるとレディとして致命的な行為だった。
男性と二人きりになった事が社交界で知れ渡ればひどいゴシップとなってしまうし、その醜聞を防ぐ為にはゴシップになった者同士が結婚しなければならない。
カサンドラは危うくどちらかと結婚するはめになりかけたのだ。
というか、今もその危機に晒されているかもしれない。
私……明日フランシスをお茶に招待してしまったけれど大丈夫かしら……。
親戚だからゴシップの対象にはならないとか?
あぁ……こんな時に侍女が居てくれたら…。
溜め息を吐きたい気持ちを何とか抑え、傍に立つロバートの方へと顔を向けてみると、彼は沈んだ表情でフレデリックの方を見ていた。
「ロビー?」
「彼は君の婚約者かい?」
ようやく彼が此方へ向けた眼差しは、とても傷付いたように揺れていた。
思いもよらぬ問い掛けを受けたカサンドラは驚愕に瞳を丸める。
「何ですって? 冗談でしょう!
誰がそんな事を言ったの?」
「昨晩、君は彼を連れて獅子亭へ行っただろう?
それを見た人達は、口を揃えて君達が将来を誓い合った仲に決まっていると話しているんだ」
小さな町は噂が広まるのが早いと聞いていたけれど、こんなにも早く、そして間違って伝わってしまうとは。
カサンドラは腹立たしい気持ちで唇を噛み締め、首を横に振る。
「私とフレデリックが婚約者だという事実は全く無いわ。
そんな噂が広まっている事に驚いているくらいよ」
「ならどうして彼は此処に?
それに彼は、見るからに君に夢中じゃないか」
ロバートは悲しげに揺らめくグリーンの瞳を真っ直ぐカサンドラの瞳に向けながら、絞り出すように話を続ける。
「その……僕と同じように」
ロバートの気落ちした様子を見ていられなくなったカサンドラは思わず手を伸ばし、だらりと力なく脇に垂れていた彼の左手に触れさせた。
「色々と事情が込み合っているのだけれど……、ちょっとした話があって彼は此処へ来ただけなの。
その……」
カサンドラはその事を言うか言うまいか悩んだ。
今も思い出すだけで冷や汗が背中を伝うというのに、言葉にする勇気なんて私にあるだろうか?
この話をすればロビーに嫌われると分かっていて話す度胸が私にあるかしら?
ない。今はまだ、人を信じる事が怖い。
だからカサンドラは曖昧に微笑み、慎重に言葉を選びながら答えた。
「フレデリック卿は、私の姉の元婚約者なの」
「君のお姉さんの?」
「えぇ、そうよ。
お姉様はもう……その、亡くなってしまったけれど……。
さ、三ヶ月前に」
言葉が震えてしまわないように気丈に話そうとしたけれど、最後の最後で声が上擦ってしまった。
それに気付きながらもロバートは暫く何も言わず、ぼんやりと私を見つめたまま考えを巡らせていた。
そして漸くカサンドラと真っ直ぐ視線を交えて口を開いた。
「君が此処へ来たのは、君のお姉さんが理由?」
カサンドラは少し躊躇った後、よく観察していなければ見落としてしまいそうな程、ごく僅かに頷いた。
けれどロバートはしっかりと彼女の心中を察し、今度はロバートが勇気づけるようにカサンドラの手の握る。
その瞬間、離れた場所にいるフレデリックが体を強張らせたものの、礼節を重んじる彼は約束を破って割り込んだりはしなかった。
「出会った頃の君が怯えた猫のように全てを拒絶している理由が今、分かった気がするよ」
彼は私の表情を慎重に伺いながら、気遣うような優しい声色で言葉を紡いだ。
「僕は君のお姉さんの事を知らないし、君が話したく無いのに無理に過去を聞き出したりはしたくない。
だから僕は、君の苦しみに無責任に口出しは出来ない。
でも一つだけ僕に言える事がある。
カサンドラ、君は一ヶ月前よりも大分変わったよ。
もう自分を解放してやっても良いんじゃないかな?」
変わった? 私が?
自分を解放する? ずっと前から私は私よ。
けれどロバートの目にも明らかな程に私は自分を憎み、私の未来はもう真っ暗かのように全てを諦めて見えたのだろう。
それに、きっとそれが真実なのだ。
引き金を引いたあの時から、もう自分の未来なんて潰えたと思っていたのだから。
「ありがとう、ロビー。貴方の言葉で勇気を貰ったわ。
今だけではなく、今までずっと」
でもシャーロットの死による罪悪感を盾にして、私はなんて可哀想なんだと嘆いて悲劇の主人公ぶるのは、もう止めよう。
未来を夢みたい。私も、もう一度。
「それで、もうケアリーから聞いていると思うけれど」
どうしてだかカサンドラは、ロバートにこの事を改めて告げなくてはならない事を酷く残念に思った。
「うん」
「私、明後日にウィリアムズに帰ろうと思うの」
暫くの沈黙の後、先に口を開いたのはロバートだった。
「つまり、君の故郷の?」
「そうよ」
「………彼が迎えに来たから?」
カサンドラは慌ててかぶりを振って否定した。 どうして彼はそんな事を言うのだろう?
「いいえ、それは違うわ。絶対に。
単にもう潮時だと思ったのよ。
私の両親が心配の余り此処へ駆け付ける前に帰って、私の元気な姿を見せないと。
その……貴方の言うように、悲劇のヒロイン・カサンドラはもう終わり」
嘘つき。本当はグレスティンに、ヒース・コートに残りたいくせに。
あぁ‥‥命さえ狙われていなかったら。
ロバートは暫くじっとカサンドラを見つめた後、悩ましげに眉を寄せながら喉の奥から声を絞り出した。
「僕が行かないでくれと縋っても、君は僕の前から居なくなってしまうんだろうね」
彼のグリーンの瞳には、激しい熱情と苦しみが燻っている。
悲しい。ロバートにこんな酷い仕打ちをしている事が、カサンドラにはとても辛かった。
それでも、出来もしない約束をして相手の心を打ち砕く訳にはいかない。
とりわけ、優しいロバートには。
だからカサンドラは何も言わず、焦げ付きそうな程のロバートの眼差しを正面から受けとめながら頷いて見せた。
私の答えを理解した彼は赤茶色の巻き毛を両手で掻き上げ、大きく溜め息をついた。
そして掠れた声でぽつぽつと静かに語り出す。
「君が伯爵令嬢である事は知っていたんだ。僕の家はこの屋敷を長年管理してきたから。
でも僕は、君を望む事を諦めきれなかった。愚かにも、僕はカサンドラとの未来を夢見てしまった。
君はグレスティンに残って、僕の花嫁になる。
僕が仕事から帰ると暖炉の前に君が居て、『お帰りなさいロビー』と言ってキスをする。
子供達一人一人を抱き締めて、夕食の後に君とチェスで『何でも一つだけ言う事を聞いて貰える権利』を賭けて勝負するんだ。
君の傍で過ごす時間が多くなるほど、君と過ごす未来に希望を抱いていた」
夢見るように瞳を煌めかせながら未来を語っていたロバートはそこで一度話を区切り、再び表情を曇らせた。
「でもいい加減、現実を見る時が来たようだね」
ロバートの語る未来が余りにも素晴らしくて、カサンドラとしても潰えてしまう事がとても悲しかった。
いっそ彼に縋りつけることが出来たら良いのに。
今まで気付かなかったが、どうやらいつの間にか私の瞳からは大粒の涙が溢れ出していたらしい。
ロバートが指先で優しく目元の涙を拭ってくれた事で気が付いた。
ロバートがカサンドラを見つめる瞳には、慈しみと、尊敬と、品位に満たされていた。
「ロバート・シダルが君を愛していた事は、どうか忘れないで欲しい」
「ロバート……私を愛してくれてありがとう。
ロビーの事を忘れたりしないわ、絶対に。
貴方のような温かくて眩しい男性は生まれて初めてなの。まるで太陽のようだわ」
ロバートは穏やかに微笑み、一度だけ包み込むようにカサンドラを腕の中へ抱き締めた。
「これでお別れだよ、カサンドラ。僕は君を笑顔で送り出せない。
哀れな僕の見送りは諦めて欲しいんだ」
そう言って私を抱き締めていた腕を解かれ、もうこれでロバートと会って温もりを感じる事は無いのだと思うと、カサンドラは無性に寂しくなった。
こんな事は初めてだ。
どうしてかしら?
どうしてこんなに悲しいのかしら?
私に群がる周囲の人間の事で悲しく思った事なんて、今まで一度も無いのに‥‥。
「ロビー、貴方に出会えて良かった。ずっとお元気でいてね。
貴方に神のご加護がありますように」
彼の最後の願いにカサンドラは、手で涙を拭ってにっこりと微笑み、別れの挨拶をするしかなかった。
嵐のように乱れた今の私の心では、分かったとも、やっぱり離れたくないとも、どれが自分の正しい答えなのか分からない。
だから別れの挨拶以外、何も言えない。
ヒース・コートの門へ向かうロバートの背中を見送る事しか出来なかった




