65.そらみた事か
この日もまたフレデリックは、屋敷にカサンドラを一人残す事は出来無いと言い張た。
今日こそはカサンドラに追い出されまいと堅く決意しているらしきフレデリックを、グレスティンの獅子亭へ送り出すのは大変な労力がかかった。
昨日の私の所業を見ていたロイスが目を鋭く光らせているので悪女の真似事は出来無い。
なのでチェスで今夜のフレデリックの宿泊先を賭けてひと勝負し、見事私が彼に勝利した。
先にも述べた通り、私は昔からボードゲームやカードゲームで負け知らずなのだ。
この私から勝利を勝ち取ったのはシャーロットとロイスだけ。
非常に頭の良い姉は別として、ロイスに負けた時はとんでもなく悔しかった。
とにかくカサンドラはフレデリックに勝利し、渋りはしたものの紳士の彼は潔く従わざるを得ない。
日が暮れてきたので、チェスの駒を片付けながらフレデリックに宿へ戻るよう促していると、屋敷の玄関ホールから来客を知らせる音が聞こえてくる。
アーサーではない事を願いつつ玄関扉を開けると、玄関ポーチには深刻そうな表情のロバートが立っていた。
「やぁ、カサンドラ。元気かい」
「こんばんは、ロビー。もちろん私は元気よ。
貴方は……余り顔色が良くないみたい」
ロバートの柔らかな赤茶色の巻き毛はもつれてしまっており、優しげなタレ目の目元には薄っすらと隈が出来ていた。
気遣わしげなカサンドラの表情を目にしたロバートは、彼女に心配させない為にか無理して微笑み、自分の巻き毛に手を差し込んで髪を梳いた。
「心配しなくても、大丈夫だよ。具合が悪い訳じゃないんだ」
「大丈夫そうには見えないわ。家でゆっくり休んでいたら?」
「本当に大丈夫だよ。少し寝不足なだけなんだ。
それに君と話さないと、きっと僕は今日も眠れない。
カサンドラ、ケアリーから聞いたんだけどーーー」
「カサンドラ、君は体を冷やさないよう暖炉の前に居るべきだ。
来客なら僕が対応しよう」
先程まで応接間から動こうとしなかったフレデリックの声が、どうしてかすぐ背後から聞こえてきた。
カサンドラが後ろを振り返るより先に両方の肩に手を置かれ、フレデリックによって応接間の方へと促されそうになるものの、両方の足に力を込めて立つ事で押し戻されるのを防ぐ。
途中で遮られてしまったが彼の言葉を聞くに、どうやらケアリーから既に私の事について聞き及んでいるらしい。
姿勢を正し、真っ直ぐロバートを見つめながら口を開いた。
「本当は私が直接言うべきだったのでしょうけど、貴方が見当たらなくて言いそびれてしまったの。許して欲しいわ……。
今、改めて直接……」
大事な報告が人伝になってしまった事が申し訳くて必死に彼の感情を宥めようとしたのだが、ロバートはカサンドラの話を全く聞いていないようだった。
それどころかカサンドラの方を見向きもせず、背後にいるフレデリックをじっと見つめている。
どうして二人して見つめ合っているの?
私がせっかく大事な話をしようとしているのに!!
カサンドラは肩に添えられているフレデリックの手から抜け出すと、彼の背後に回って自分より大分背の高いフレデリックの背中をグイグイ押して玄関ポーチへ追い出した。
そして次にロバートに微笑み掛け、屋敷の中を手で指し示した。
「改めて直接貴方に話そうと思うの。
どうぞ入って、ロビー」
「ありがとう、カサンドラ。
屋敷に入れて貰えると知っていたら、手土産を持って来たんだけど」
傷付いたような表情だったロバートは私の言葉で何時ものように穏やかな笑みを取り戻し、促されるままに屋敷に入ろうとする。
けれどロバートが屋敷に足を踏み入れる前に、フレデリックが玄関扉の前へ立ちはだかる。
そして動こうとしないまま、カサンドラへと顔を向けて説教をし始めた。
「カサンドラ。君はれっきとしたレディなんだから、一つ屋根の下で男と二人きりになるのがどれほど愚かな行為か分かっている筈だ」
貴方がそれを言うの?
昨日も今日も、一つ屋根の下で過ごすと言い張って聞かなかったのはフレデリック卿じゃないの。
フレデリックの行動と言動がちぐはぐな説教に呆気に取られていると、ロバートのグリーンの瞳が妖しく煌めいた。
ロバートはわざとらしく肩を竦め、優しげなタレ目を普段より吊り上げながらフレデリックを見据える。
「へぇ、そんなマナーがあるなんて知らなかった。
でも既に僕とカサンドラは、同じ屋根の下で数日過間ごしたんだ。
僕はとんでもないマナー違反をしてしまったらしい」
もしかして……私が倒れてからの数日間、シダル家で泊めて貰った時の事を言っているの?
あれは二人きりでは無かったでしょう。
「な……っ!? カサンドラ、それは本当なのか?」
驚愕に目を見開かせたフレデリックは再び私の両肩を掴み、少し屈むと真っ直ぐ私の瞳を見つめながら鋭く問い掛ける。
カサンドラを見つめるフレデリックの銀色の瞳は、怒りの炎のような煌めきを宿していた。
激しい感情を向けられたカサンドラは慌てて首を横に振り、猛獣に狙われた草食動物のような気分で必死で声を絞り出す。
「ち、違うわ。お願い、落ち着いて。
熱を出して倒れてしまった私を、親切にも看病してくれたのよ」
「困っている君を助けない男など居ない。
僕が聞きたいのは、そこの彼が君の体に触れる事を許したのかという事だ!」
「フレデリック卿!!」
私の悲鳴混じりの声を聞いた事でフレデリックは少しだけ正気を取り戻したらしく、きつく掴んでいた私の肩を解放した。
けれどフレデリックの銀色の瞳は、説明を求めるように未だカサンドラを見つめている。
「本当に、親切に看病してもらったただけよ。
それにロビーの家族も一緒で、二人きりだった訳ではないわ」
「それでも部屋で二人きりにはなったよ。
それにカサンドラ、君は気付いていないだろうけど……。
君がまだ眠りから覚めていなかった時、余りにもおとぎ話のお姫様のようだったから、僕は君へキスをしたんだよ。
目を覚ましてくれないかと思って」
そんなの聞いてないわ……!何てことをしてくれるのよ!!
「何だと?……カサンドラ、君は彼にキスを許したのか?」
ほらぁ! 火にあぶらを注いでいるじゃないの!
私なんにも悪い事していないのに…!!
唸るような低い声でフレデリックに問い掛けられ、カサンドラは蒼白になって首を横に振る事しか出来なかった。
そんな私の様子を見兼ねたロバートが、私とフレデリックの間に割って入ってくれる。
「彼女を怖がらせる必要は無いだろ!
どうして彼女を大切に扱えないんだい?」
「ずっと大切にするさ。まるで僕の妻のようにな」
「でも卿の妻じゃない。そうだろ?」
なにこれ? いったいどうしたって言うの?
エメラルドのようなグリーンの瞳と、冬景色のような銀色の瞳で睨み合っている二人を見ているカサンドラは落ち着かない気分になり、思わず一歩後退った。
とんでもない事態でカラカラに乾いた喉を潤そうとゴクリと唾を飲み、無意識の内に助けを求めて周囲を見渡すと、玄関ホールにある階段の手摺に座っているロイスと目があった。
ロイスは片方の口角を吊り上げてニヤリと笑う。
あの表情、『そらみた事か』という時の表情だ。
「だからあれほど言っただろ。男を弄ぶのは止めろと。
どっちもお前の恋人気取りじゃないか」
弄んでなんかいないわよ! 失礼な事言わないで!
ロイスにそう反論してやりたいのに、急に声を荒らげたりなんかしたら私の頭が正気じゃないと思われる。
だからカサンドラは怒りをグッと飲み込み、その勢いを糧にして、カサンドラの名誉を傷付けながら喧嘩している二人の男を止める事にした。




