64.別れと再会の誓を
翌日は努めて早起きをして、少し遠いけれどグレデナンド湾近くまで出掛けた。
理由は借りていた外套をアラベラへと返す為だ。
ここ数日、悪夢を見る事が少なくなっていた。
おかげでぐっすり眠れるようになったけれど、シャーロットへの罪が薄れてしまっているように思えて、カサンドラは素直に喜べなかった。
それでもグレデナンド湾に朝日が煌めく景色はとても美しくて、気持ちが慰められる気がする。
まだ早い時間だったがアラベラは既に羊たちにご飯をあげていた。
ミスター・クインとアラベラは羊飼いなのだ。
「それでは、故郷へ帰ってしまうんですか?」
「えぇ、多分そうなるわね」
カサンドラはアラベラから少し羊の餌を貰い、群がってくる可愛らしい羊たちにご飯をあげた。
とても可愛くてふわふわの羊を撫でずには居られない。
「せっかくこの土地が好きになったのに、残念だわ」
「とても寒いですけれど」
「でも、とっても美しい場所よ。
素敵な人とも沢山出会えたわ。アラベラという素晴らしいお友達も出来たし」
私がそう言ってアラベラを見遣ると、アラベラはほのかに頬を赤らめながら微笑み返してくれた。
アラベラは本当に可愛い。
彼女を妻として迎える事が出来るラルフはとても幸運な男だ。
いくつもの林檎が入ったバスケットを、泊めて看病して貰ったお礼だと言ってアラベラに渡す。
先日アラベラは林檎を使ったお菓子が好きなのだと話してくれていたから、昨夜フレデリックを獅子亭へ連れて行った帰りに購入しておいたのだ。
「カサンドラ、お元気で」
「アラベラ、貴女もね。きっとまた会いに来るわ」
カサンドラもアラベラも名残惜しい気持ちだったが、お互いをハグしをして再会を誓いながらも今は一時の別れを告げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カサンドラは帰り際、遠回りをして湖の畔の教会へと足を運んだ。
フランシスをヒース・コートに招く為に。
余計なお世話かと思ったのだが、ロイスに彼の生きた証と意味を伝えたかったのだ。
彼の最期の勇姿は、私の曽祖父に踏み付けにされる為だけのものでは無かったと知って欲しかった。
私の心を救ってくれたお礼が出来たら良いと思っていた。
「ミスター・フランシス・ルベルは今出掛けて居るんですよ。
戻るのは夜になると思いますが……」
だから教会のシスターにフランシスが留守だと告げられた時、カサンドラは非常にショックを受けた。
「そうですか……。それではミスター・ルベルに言伝をお願い出来ますか?」
「はい、マイ・レディ。彼が帰ったら伝えます」
「ありがとう御座います、シスター。
『ぜひ先日のお礼をさせてください。
明日、宜しければヒース・コートでお茶をしませんか? 』とお伝えください」
「分かりました、ミスター・フランシスが戻ったら必ず伝えます」
カサンドラは改めてシスターへとお礼を告げ、帰り際にロイスとアメイサのお墓に可愛らしい野の花を供えてから教会を後にした。
まだ行くべき所はある。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
グレスティンの町へ入るなり真っ直ぐマーフィーのパン屋へと足を向けた。
店内に入った途端に焼き立てのパンの良い香りがし、ケアリーの明るい声が聞こえてきた。
「あら、いらっしゃい! カサンドラ」
「こんにちは、ケアリー」
「貴女ってつくづく運がいいのね! 貴女の好きなパンがちょうど今焼き立てよ」
「ならそれをちょうだい。あとは……アップルクランブルと、レモンドリズルケーキも一緒に」
「分かったわ。今包むから待っててね」
手際よくパンとケーキを包みながら、カサンドラに人のいい笑みを向けて話し掛ける。
「貴方が来たと知ったらロビーは凄く残念がるでしょうね」
カサンドラは内心の動揺を悟られないように曖昧に微笑みながら口を開いた。
「ロビーは今日お休み?」
「いいえ、そうじゃないの。
今ちょうど配達に行っているところ」
配達?
彼は先日、ケアリーがお休みの日に自分が配達していると言っていなかった?
どうやらあからさまに眉を潜めてしまっていたらしく、ケアリーは気遣わしげにカサンドラを見ながら言った。
「今日のロビーは何だかここ数日以上にぼんやりしてて危ないから、パパが厨房から追い出したの。
それで今日の彼は配達をしてるってわけ。でも仕方無いわ、怪我したら危ないから」
「そうね、確かに危ないわ」
私はケアリーの言葉に同意するように頷く。
彼がぼんやりしている理由は自分だろうかと考えながら。
ケアリーが包んでくれたパンを受け取ってお代を支払った後、然りげ無い口調を心掛けながら言った。
「ケアリー、私……故郷に戻らなくてはならないみたい」
「えっ?」
ケアリーが瞳を丸め、カサンドラを呆然と見つめる。
「せっかく貴女と仲良くなれたのに、凄く残念だけれど」
「本当なの? 冗談じゃなくて?」
「えぇ、多分本当よ」
カサンドラは小さく頷いた後、右手を伸ばしてケアリーの右手に触れ、ぼんやりするケアリーと握手を交わした。
「貴女に出会えて良かったわ。
貴女と、ブランシェルシアで一番美味しいパンやケーキに」
「あぁ、カサンドラ。ありがとう。私もおんなじ気持ちよ」
私へ温かい眼差しを向けていたケアリーの瞳が、ふと心配そうに曇った。
「貴女が居なくなってしまう事……ロビーは知ってるの?」
「いいえ、まだ話していないわ。何しろ突然決まった事だから」
「そう……。もちろん彼には話すつもりなんでしょう?」
「えぇ、そうね。ロビーと会ったら話さなくては」
ケアリーが気遣わしげにカサンドラをじっと見つめた後、にっこりと愛らしく微笑んだ。
「元気でね、カサンドラ。 また何時でもパンを買いにきて」
「ありがとう、ケアリー。貴女もお元気で」
カサンドラはマーフィーのパン屋を後にし、丘の上のヒース・コートへと向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
途中でシダルの家へ立ち寄り、ミセス・シダルとエミリーに挨拶をしてからヒース・コートの門を潜ると、何時かの時のように門の横から声が聞こえてきた。
けれど今度は猛獣のような低い唸り声ではなく、意地悪を言う時のような楽しげな声だった。
「お前に夢中な哀れな男が玄関で待ちぼうけを食らってるぞ」
「何ですって?」
カサンドラが振り返ってロイスを見遣ると、彼はブルーの瞳を愉快げに煌めかせながら離れた方にある玄関ポーチを指し示した。
訝しげに眉を潜めつつ彼の示す方へ視線を向けると、玄関ポーチには黒い服を身に纏ったフレデリックが姿勢正しく立っていた。
フレデリックの事をすっかり忘れてた。
どうして今日も意地悪された子犬みたいに突っ立っているの?
まるで私が底意地が悪い小娘で、彼を締め出しているみたいじゃないの!
「フレデリック卿は何時からここに来ていたの?」
「お前が出掛けてから一時間後くらいだな」
私は次期侯爵を数時間外へ放り出していたということ?
そう思い当たった途端に背中に冷や汗が伝うのが分かる。
一刻も早く彼を屋敷の暖炉の前へ導き、温かい紅茶を出すべきかもしれない




