63.押し切られてしまわないように
予想外のフレデリックの言葉に驚いて思わずよろめきそうになってしまった私は、慌てて窓枠に寄り掛かって体を支えた。
私の動揺など気付いた様子も無いフレデリックは満足そうな様子で私の手を取るなり、上へ持ち上げて手の甲へキスを落とした。
「元より今日中に君をこの地から連れ出して、今夜はグランドリーチの宿に滞在する予定だったんだ。泊まる宿も既に手配していた。
だが三日間延期となったならいちいちグランドリーチに戻るより、僕がこの屋敷に滞在する方が効率が良い」
「でも……そんな簡単にはいかないわ。
私達が同じ屋根の下で過ごした事が知れ渡れば、私も貴方も冗談では済まなくなるのよ?
周囲の人に非難の目で見られるでしょうし、私の名誉はどうなるの?」
カサンドラの困惑をようやく悟ったらしいフレデリックは、銀色の瞳に熱情の炎を宿しながら彼女を真っ直ぐに見つめた。
「君の名誉が傷付けられる事はない。
僕は責任を持って君を妻にすると誓う。
君さえ許してくれるなら、王都に戻ってすぐにでも結婚したいと思っている」
カサンドラは暴走しているフレデリックに曖昧に微笑むと、スッと手を上げて窓の外を手で指し示した。
「フレデリック卿、グレスティンの町はご存じ?
屋敷から続く道を行った先にあるのだけれど」
「あぁ、知っている。
馬車で此処へ来る途中に側を通って来た」
「ならぜひ行ってみると良いわ。とても素敵な町なの」
「そうなのか。 なら君にぜひ案内して欲しい」
「えぇ、それも良いかもしれないわ」
フレデリックが期待に満ちた表情で言うので、彼に応えるように私もにっこり微笑んだ。
「それでね、町には宿が有るのよ。『獅子亭』というの。
とても威厳があると思わない?」
「そうだな。確かに勇ましい響きだ」
そしてカサンドラは、フレデリックに容赦のない提案を突き付ける。
「貴方、そこの宿に泊まったら?」
「………この屋敷ではなく?」
「えぇ、そうね」
「君はどこに?」
「もちろん私はここに」
フレデリックの美しい銀色の瞳が驚愕に見開かれる。
彼の悲壮な表情を見ていると、さすがのカサンドラも少しばかり罪悪感に駆られた。
でも私にも譲れないものがある。
「君を一人で屋敷へ残すなど出来ない。危険だと言った筈だ!
君はそれに同意してくれたと思っていたが」
「えぇ、同意したわ。
でもそれは三日後の事でしょう」
「僕を屋敷から追い払おうという魂胆だな? そうはいかない」
「今まで一ヶ月間此処で一人で過ごしていたのよ?
残りの三日で何が変わると言うの?」
「君には僕が必要な筈だ」
「でも、」
「僕はここに滞在して、君を守る義務がある。
君がなんと言おうと僕の気は変わらない。
カサンドラ、君を助けたいんだ」
カサンドラもフレデリックも睨み合って一歩も譲らない。
暖炉の前を陣取るロイスはこの状況を面白がっているらしく、ニヤリと片方の口角を吊り上げながら二人の様子を眺めている。
本当に腹立たしい。
何か助言をしてくれてもいいじゃないの!
悩んだ末にカサンドラは小説の中の悪女の真似事をする事にした。
男を破滅させるファム・ファタールの。
フレデリックの分厚くて広い胸板にそっと両方の手を置き、その後ぴったりと体をくっ付ける。
硬い胸に頬をすり寄せ、彼がハッと息を吸うのを合図に、穏やかな声で彼に語りかけた。
「貴方が傍に居てくれたら、それはとても頼もしいでしょうね。
でもお願いよ、フレデリック……。
残りの日は自由に過ごしたいの。
素晴らしい貴方なら私の気持ちを分かってくれる。
そうでしょう?」
それだけ言うと顔を上げて背伸びをし、彼の顎へと唇を寄せてキスをする。
それで議論は終わった。
もちろん勝者はお察しの通り
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カサンドラは厨房でレシピとにらめっこしながら、夕食のシェパーズパイを作ろうと奮闘している。
同じく厨房に居るロイスの方は努めて見ないようにした。
見なくても彼の鋭い眼差しをひしひしと感じるけれど。
カサンドラがフレデリックを何とか言い負かしてから、ロイスはずっとカサンドラを非難している。
マッシュポテトを作っていると、再び小言が飛んできた。
「男を弄ぶのは止めろと何度も言っているだろ!どうして俺の言う事が聞けない?」
「あの場合は仕方が無かったのよ。何度も言ってるでしょう?
彼は本気で屋敷に滞在するつもりだったのよ」
「だとしても、他にもやりようはあった筈だ」
その言葉にムッとしたカサンドラは思わず顔を上げ、ロイスに向かって眉を潜めて不機嫌さを露わにした。
「例えば?」
「それは………」
「さあ、どうぞ。
愚かな私に教えてくださいな、ロイス叔父様」
「きちんと話をして説得すべきだった」
ロイスはそう言いながらも、自分でもその方法が有効ではないと分かっている様子だった。
きちんと話をしたじゃない!あれ以上何を話せと言うの?
フレデリックは一歩も引かない様子だったし、私にも譲れない状況だったわ。
カサンドラは溜め息を一つ吐いた後、再び手を動かし始めた。
来客があったせいで昼食を食べそこね、お腹がぺこぺこだった。一刻も早くも夕食にありつきたい。
「あのままでは押し切られてしまった筈よ。
彼を屋敷に泊めたりしたら、私は彼と結婚しなくてはならなくなる」
「貴族ってのは未だに厄介なんだな」
「そうよ。彼とベッドを共にしたか否かなんて、きっとどうでも良いの。
一つ屋根の下で二人きり……なんて知られたら、とんでもないゴシップになっちゃう」
「ならあいつと一緒にウィリアムズへ帰れば良いんじゃないか?」
カサンドラは再び手を止めてロイスを睨み付けた。
「貴方までそんな事を言わないで。
私が此処で過ごす事を望んで何が悪いの?」
「何も悪く無いさ。
ただし、命を狙われてる状況じゃなけりゃあな」
「………どうして私が怯えて逃げ出さないとならないのかしら」
「たいそう不運な奴だな」
もしかして………アーサーを捕まえて治安判事に突きだす事さえ出来れば、もう暫くヒース・コートで過ごせるのかもしれない……。
カサンドラはそう考えて少しだけ気持ちが沈んでしまう。
何故ならアーサーの魔の手が無くなって私の安全が保証されたら、ロイスは消えてしまうだろうから。
悔しいけれど、私はロイスの事が好きだった。
彼の身に降り掛かる悲しみや後悔はもう沢山。
早くロイスを、彼の愛するアメイサの元へと帰してあげたい。
カサンドラは、この三日の内にアーサーの問題が解決出来れば良いのにと思わずには居られなかった。
最後にロイスに、彼の姪として相応しいと思って貰える程の私の勇志を見てもらえたら良いのに、とも。
あとは焼くだけとなったシェパーズパイを窯へと入れようと奮闘していると、ロイスの居る方からククと喉を鳴らして笑う声が聞こえた。
「ところであの間抜けが今、何処にいるか知ってるか?」
「グレスティンの『獅子亭』じゃないかしら」
「いいや、今もヒース・コートに居る」
ロイスは厨房の窓を手で指し示してから、驚いて瞳をぱちくりさせているカサンドラにニヤリと意地悪な笑みを向けた。
「次期侯爵様は、ヒース・コートの納屋に泊まろうとしているらしい」
「なんですって? 嘘でしょう…!!」
カサンドラは焼き上がった料理が冷めてしまうのを残念に思いながらも、厨房を飛び出して納屋へ向かって駆け出した。
ロイスの言う通り納屋で夜を明かそうとしていたフレデリックを、何とか引っ張って『獅子亭』まで送り届け、戻って来た時には当然ながら料理は冷めていた。
とっても美味しかったけれど




