55.真の英雄
「あの日、アメイサは何時ものように教会の仕事を終えたらこの屋敷に来る筈だった。
俺はこの部屋の、この椅子に座って、玄関扉のノッカーが鳴らされるのを待っていた。
大間抜けにも、これから何が起こるかも知らずに」
ロイスは苛立たし気に指先でコツコツと執務机を叩く。
カサンドラはロイスの一挙手一投足を気にしながら、彼の話に静かに耳を傾けた。
「玄関ホールから大きな物音がしたかと思うと、屋敷中にがなり声が響いた。
自分の剣を持って玄関ホールに行くと、大柄で人相の悪い男が、両腕をきつく縛られて猿轡を噛まされたアメイサの白い首にナイフを突き付けていた。
その男がアメイサの無事を望むなら武器を置けと言うから、俺は丸腰にならざるを得なかった。
それでも構わないと思った。アメイサが助かるのなら、俺の命なんて安いもんだ。
けれど一瞬だけ男に隙が出来た。
いつの間にか屋敷の上空に垂れ込めていた厚い雲から、雷が落ちて爆発のような轟音が響き渡ったからだ。
そんな僅かな隙に希望なんて抱くべきじゃなかったが、俺は彼女との未来に希望を持ってしまった。
床に落とした剣を拾い上げ、ナイフを持っている男の手を切り落そうとしたけれど、そいつが咄嗟にアメイサを盾にした。
そうされたら、俺はもう一度剣を床に落とすしか無い。
そして思わぬ反撃に逆上した男は床に彼女を放り投げ、アメイサめがけてナイフを振り下ろした」
ロイスはそこで一呼吸間を置き、自分の心臓辺りに手をやった。
「彼女を守る事に必死で、何も考えられなかった。
アメイサに覆い被さり、俺の体で彼女の体までナイフの刃が届かない事を祈るしか無かった。
俺はアンドルーの思惑通りに心臓を突き刺されて無様に死に、俺の体の下に居たアメイサは奇跡的に救出された。
俺はゴーストになって100年もの間此処に縛り付けられ、アメイサに会う事も叶わない。
アメイサがこの屋敷に足を運ぶ事は二度と無かったから、彼女がどうしていたかも俺に知る術は無い」
ロイスが自分で手を当てている心臓はもう動かない。
彼にはもう、何も触れる事も出来ない。
私以外、彼を認識出来る人はいない。
心から愛し合い、命を捧げたアメイサにさえ、もう彼の存在は認識されない。
ゴーストだから当然だ。
けれどカサンドラは酷く悲しくて、両手で顔を覆いながら泣き出した。
もう嗚咽を漏らすのが恥ずかしいなんて言っていられない。
どうして神はロイスにこんな酷い仕打ちをしたのだろう?
あんまりだ。
そして更に恐ろしい事に、彼と此処で一緒に過ごしていた女は、彼の暗殺を依頼したアンドルー・ウィリアムズその人の血を受け継いでいるのだ。
彼の事が見える女は、憎い男の曾孫なのだ。
「これで俺の昔話は終わりだ。
………そんなに泣くなよ、マイ・ディア。
綺麗な瞳が真っ赤じゃないか」
「ロイス、ごめんなさい…。ほんと、に、ごめんなさい。
貴方を苦しめのが、うぃ、ウィリアムズで。
私が貴方の世界に、か、干渉してしまって。
私が、貴方の前に現れて……ご、ごめんなさい…っ」
自分ですら何を言っているのか聞き取れないのに、ロイスは聞き取れたようだ。
涙に濡れたカサンドラの瞳を見つめる彼の表情は、今まで見た中で二番目に穏やかだった。
一番は当然アメイサへの愛を語っていた時。
「お前が初めて此処へ来た時、俺はすぐにウィリアムズ家の人間だと気付いた。
特徴的な濃いブルーの瞳をしてたし、淡いブロンドの髪はアンドルーとそっくり同じだったから」
カサンドラは髪を切り落としてしまいたいと思った。
そう考えた私の表情を見て取り、ロイスはニヤリと笑う。
「けどな、マイ・ディア。俺は誰彼構わず恨むような狭量な人間じゃ無いんだ。
お前のブロンドの髪を見て、俺は初めて淡いブロンドも美しいと知ったよ。
それにお前は、放っておけばすぐにでも凍えて死にそうだったからな。何せ暖炉の火すら起こせなくてピーピー言ってたぐらいだ」
その言葉に勇気を貰ったカサンドラは必死で涙を拭い、声が震えてしまわないように懸命に自分を鼓舞しながら口を開いた。
「アメイサは貴方を忘れたりしなかったのよ」
ロイスは何も言わない。じっと真っ直ぐ、ブルーの瞳をカサンドラへ向けていた。
「アメイサは貴方を牧師館の側の日当たりの良い、美しい湖が見える場所に埋葬した。
そして彼女は家族に日課と認識される程、長い間ロイスの墓石に寄り添って泣いていたのよ。
彼女の息子と一緒に」
その言葉を口にした時、ロイスの瞳が驚愕に見開かれた。
カサンドラは一語一句違わないように気を付け言葉を紡いだ。
「アメイサの息子の名前は『ロイス』、亡き父親から貰った名前。
肖像画を見せて貰ったのだけれど、貴方と同じ濃いブルーの瞳を持っていたわ。
これがどういう意味か、貴方には分かるでしょう?」
ロイスは私の言葉を理解しようとしているのか、額に掛かる美しい炎のような真っ赤な髪を掻き上げた。
そしてそのまま頭を抱えるように、片手を額に押し当てた。
「‥‥あぁ」
なんとか聞き取れる程の覇気のない声で理解を示され、カサンドラはさらに真実を述べる。
「アメイサが愛した男性は生涯で一人だけだった。彼女の心は永遠に、亡くしてしまった恋人だけのもの。
だから死が訪れるまで、ずっと一人で大切な息子を育て上げたのよ。
何故なら彼女のたった一人の息子は、心から愛し合い、死を覚悟してまで自分を守ってくれた恋人との子供だから」
「……あぁ、アメイサ…。マイ・ラブ……」
ロイスは愛しげに彼女の名前を呟くと素早く椅子から立ち上がり、窓辺へ行って教会の方を見つめた。
カサンドラには背を向けているので、彼がどんな表情をしているのか分からない。
暫くどちらも言葉を発する事は無く、書斎に静寂が訪れる。
カサンドラは自分が知る最後の事柄を言うべきか悩んだ。
言ったら彼は消えてしまうかもしれない。
この屋敷から解き放たれて、あの美しい教会へと行ってしまうかも。
カサンドラは彼が消えてしまうのが悲しかった。
それでも、ロイスの為に言わなくちゃ。
100年もの間苦しんだ彼に、安らぎを与えないと。
カサンドラは意を決して口を開いた。
ロイスの為に。自分の為に。
「アメイサが此処へ足を運ばない理由は貴方を忘れ去ったからではなく、彼女が生まれ育った教会の墓地へ、心から愛する貴方を連れ帰ったから。
一番身近に感じられる場所に、愛しいロイスが居ると信じていたから。
貴方のお墓の傍には、寄り添うように一つだけ墓石があったわ。
ずっと何故なのか分からなかった。
けれど今日、帰り際に貴方のお墓を見て分かったの。
貴方のお墓に寄り添うように作られたお墓は、アメイサのものだったのよ。
アメイサはロイスの事をずっと待ってる。
貴方と結ばれる時を。
あとはロイスが恐れずにヒース・コートの外へ出るだけ。
変わってしまった外の世界は恐ろしいかもしれないけれど、今度はきっとアメイサが貴方を導いてくれるわ」
彼の心を動かそうと必死で訴え、カサンドラは深く息を吐く。
これで全部言い切ったわ。
あとはロイスに想いが届いている事を祈るしかない。
ロイスは暫く黙ったまま窓の外を見つめていた。
きっと今聞いた話を噛み砕き、彼の中に巣食っている後悔や悲しみを昇華しているに違いない。
だからカサンドラは待った。
彼がヒース・コートから消え、アメイサの元へ旅立ってしまうだろうと覚悟しながら。
窓辺に差し込む月光に照らされたロイスは、すぐにでも消えてしまいそうに思えた。
けれど彼の姿は何時まで待っても薄れず、代わりに此方へと振り返ったロイスはカサンドラに眉を潜めて見せた。
「何時までぼけっとそこにいるつもりだ? また風邪を引いて倒れるぞ。
さっさと階下に言って暖炉の火を大きくするんだ」
何事も無かったかのように小言を言われ、カサンドラはぱちくりと瞬きをした。
「ロイス、消えてしまうんじゃないの?
アメイサが貴方を待っているのよ。早く彼女と会って結ばれなくちゃ!」
戸惑って思わずむきになるカサンドラに、ロイスは小さく、けれど力強く頷くだけだった。
「分かっている。俺もアメイサに会いたくて堪らない。100年間俺はそれだけを願っていたんだからな。
けれど彼女にはもう少し待っていてもらう」
「どうして……」
大きなブルーの瞳を揺らめかせながら呆然とロイスを見つめていると、彼は窓辺から離れてカサンドラの傍に来た。
そしてソファーに座ったままのカサンドラを上から見下ろす。
その瞳は深海のように穏やかな色を湛えている。
「お前に危険が迫っているのを知ったからには見捨てる訳にはいかないんだよ、マイ・ディア。
アメイサは責任感の強い女だ。
此処で君を置き去りにした事が彼女に知れたら、きっとかんかんになって怒るだろう。
アメイサとの再会はお預けだ。
お前の子守りから解放されるのもな」
「ロイス………」
カサンドラは瞳に涙が溜まっていくのを感じ、慌てて顔を両手で覆った。
「私、貴方に世話を掛けた事は無いわ」
「本気で言ってるのか?」
「凄く良い子にしてるじゃないの……」
「お前が聞き分けの良い娘なら、世の中の大半の人間は菩薩だろうな」
私は顔を覆っていた手を離し、努めて不愉快な表情を作った。
本当は彼の優しさが嬉しくて頬が緩んでしまいそうなくせに。
でもこれでいい。
期限つきだけれど、彼とは再び良きパートナーに戻れた。
あともう少しだけ。
カサンドラはその時初めて、ロイスの墓石に刻まれた『英雄』の意味を理解した。
彼を讃える『英雄』という文字は、国を守ったという意味ではない。
たった一人、彼が心から愛する女性を、命を賭してまで守りきったという意味の『英雄』だったのだ。
アメイサが、ロイスが、どれ程お互いを愛しているかが伝わってきた




