53.蝕まれた心を癒やす方法
カサンドラは屋敷に戻るとローブも脱がず、玄関ホールの階段を駆け上がる。
思っていた通り、ロイスは書斎の窓辺に立っていた。
私は静かに書斎へ入り、振り向きもしないロイスの背中に話し掛けた。
「三ヶ月前、私は姉に銃口を向けられたわ」
ロイスは此方を振り返らないので、彼がどんな表情をしているのか分からない。
「きっかけは、姉の婚約者が私に心変わりしてしまった事だった。
希望を打ち砕かれた姉は怒りに駆られるまま、舞踏会の最中に私を撃ち殺そうとしたの。私は姉を止めようと必死になって揉み合った。
そして」
ドクドクと嫌な音を立てる心臓を落ち着けようと深呼吸を一つした後、カサンドラは勇気を振り絞って悲劇の行き着く先を話した。
「私はシャーロットお姉様を撃ち殺してしまった」
気丈に振る舞おうとしたけれど、声が震えてしまった。情けなくて舌を噛み切りたくなる。
「殺そうと思った訳ではないけれど……拳銃を暴発させてしまった原因は、私の指が引き金に触れたせいだった。お姉様は私が殺したのよ。
でも本当に恐ろしいのはそれだけじゃない。
姉が死んだ瞬間、私は、私が死ぬ運命では無かった事に安堵してしまった。
……血溜まりに倒れたのが私ではなく、お姉様の方だった事に一瞬だけほっとしてしまったの……」
三ヶ月前の悲劇の記憶がありありと呼び覚まされ、カサンドラを罰する。
シャーロットの悲痛な叫びが聞こえてくるようで、思わず手で両耳を塞いだ。
「私は……とんだ怪物だったのよ」
呼吸が浅く、早くなる。膝が震えて立っているのがやっとだ。
もはやロイスの方も見れなくて、視線は大理石の床へと落ちる。
「お姉様は死ぬ直前、『カサンドラの影は嫌だ』と。『カサンドラが居ると幸せになれない』と言っていたわ。
今まで私は、どうしてお姉様がそんな酷い事を言うのか理解出来なかった。
私の事をずっと嫌っていたとお姉様に言われた時、こんな扱いを受ける謂れは無いと思ってた」
カサンドラは目をぎゅっと閉じ、何度もシャーロットの言葉を反芻する。
「ロイス、貴方は昨日言ったわね。
輝く私の裏側には、報われない思いに心を焦がして苦しんだ者が居ると」
彼は何も言わない。
足元の床を見つめるカサンドラには、彼が部屋に居るのかすら分からなかった。
「それはきっと、シャーロットお姉様だったのね」
それでも悲痛の叫びは続く。
三ヶ月間、ずっと自分を苛み続けた思いを吐き出す。
「私はお姉様が好きだったし、お父様もお母様もそう。お姉様を愛してた。
姉は幸せそうに見えていたし、昔からシャーロットは一人で何でも出来たから、悩みを抱えているように思えなかった。
決して弱音を吐く事は無い、とても強い人だったから」
そう。シャーロットはカサンドラにとって、頼れるしっかり者のお姉さんだった。
でも‥‥‥
「今になって良く考えてみると、お姉様はずっと無理をしていたのかもしれない。
きっとお姉様は一人きりで強くなるしか無かったんだわ。
お姉様から奪ったのは……多分、婚約者だけじゃなかったのよ。
手の掛かる私に付きっきりだった両親の関心や、周囲の注目とか……色々」
あぁ、なんて可哀想なシャーロットお姉様。
「貴方の言う事はもっともだった。
私の存在が、シャーロットお姉様に拳銃を持たせたんだわ」
なんて罪深いカサンドラ。
カサンドラは自分を罰するように拳をきつく握り締め、爪を掌に食い込ませた。
ここで挫けてはダメ、もう少し吐露すべき感情がある。
「私の存在がお姉様を追い詰め、私の手でお姉様を撃ち殺した。
それなのに誰も私を責め立てない。
きっと裏では私の事を嘲笑っているくせに、私の心配ばかりする。
お父様も、お母様も、友人達も。
きっと私を罰したくてうずうずしているくせに」
殺人者に優しくしてくれる人間が何処に居るの? 殺人鬼を大切にしてくれる人が何処に居る?
「私が悪いと非難される事も怖い。自分が一番罪を知っているのに、それを罰されずにいるのも怖い。
ならどうすれば良いの?
私はこんなにも大きな罪を一人で抱え込んで、どうやって生きて行けば良い?
罰を与える人が居ないから、毎晩悪夢の中で血塗れのシャーロットお姉様が私を糾弾するのに。
おかしくなってしまいそうなのに」
堰を切ったように溢れる感情のままに話す言葉は、もはや支離滅裂だった。
自分でも何を言うべきなのか分からない。
それでも三ヶ月抱え込んだ苦しみを一生懸命吐き出した。
「リュクス・ガーデンでこの屋敷の地図と鍵を見つけた時、神が定めた運命だと確信したの。
北の過酷な土地で一人孤独に、毎日死ぬ思いをしながら生きる。
それが私の罪を償う方法に思えたから。
誰も罰してくれないなら、自分自身で罰しようと思ったの。
でも、この地に居る人達は皆優しくて。
どうしたら良いのか分からなくなったわ。
……人殺しの私なんて、誰かの優しさにすがって良い筈は無いのに。
本当はこんな怪物、生きている事が罪なのに」
これで全部。
結局、最後まで自分が何を言いたかったのか分からなくなった。 教会から屋敷へ歩きながら沢山悩んだにも関わらず。
順序もバラバラだし、何度も同じ訴えをしてしまった。
そもそもロイスが聞いていたのかすら分からない。 私が黙り込むと部屋は静まり返り、自分の心臓の音だけが不気味に耳に響く。
暫く間を置いた後、よく聞き慣れた、低く落ち着いた声が聞こえてきた。
「マイ・ディア。罪というものは、それに気付いて真剣に受け止め、心を入れ替えようとした時から少しずつ洗い流されていくものだ。
お前は既に姉君との確執を理解し、自分の過ちが何なのかはっきり分かっている。
己の罪を認めているからこそ、ずっと自分を責め続ける。
でもそれは、罪を洗い流してる証拠でもある」
この悲劇に関しての涙は既に涸れ果てている筈。
それなのにロイスの穏やかな声に誘われ、ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝って止まらない。
視線を上げるといつの間にかロイスが傍に立っており、ブルーの瞳を私へ真っ直ぐ向けていた。
「今のお前は疑心暗鬼になって人を信じられなくなっているようだが、本当に皆がお前を嘲笑っていると思っているのか?
父君と母君が君を罰したくてうずうずしていると、お前は本気で言ってるのか?
きっと本気だろうな。お前は元々、誰の事も信じてなんか居ないんだ。
信頼していないから不安になる。周囲が向けてくれる心配を撥ね付ける。
そういう所が周囲にお前を放っておけない気分にさせるんだろうが、どうやらお前はただ慰められたい訳じゃないようだから、俺は本当の事を言おう。
自分のしでかした事の大きさに恐れを抱き、自分が世界中の誰よりも不幸なふりをして嘆いてる暇があるなら、もう少し君の周りの人間に目を向けろ。
今の君に必要なのは罪を償う方法ではなく、人を信頼して弱音を吐く事だ」
カサンドラは頭をガツンと殴られたような気がした。彼の言葉はいつも的を射ているから。
ショックを受けた様子のカサンドラに、ロイスは普段より瞳の鋭さを和らげながら気遣わしげに言う。
「姉君に関してはね、マイ・ディア。お前だけの責任じゃない。
色々な人間が少しずつ彼女を苦しめ、ぎりぎりまでピンと張り詰めていた糸を偶然お前が切ってしまったんだ。
反省はしても、そこまで自分を深く追い詰めるべきではない。
そうじゃないと罪の意識が膨らみすぎて耐えきれなくなり、罪悪感はいつか君の中で姉君に対する深い恨みになる。
それに本来なら君は、三ヶ月前から心のケアをされるべき立場だった。
君は悲劇の被害者でもあるんだから」
そしてロイスはカサンドラに近付き、彼女に腕を回して抱き締める真似事をした。彼がカサンドラに触れる事はない。
でもカサンドラは、彼の温もりを感じたような気がした。
「今まで良く頑張ったな、カサンドラ。
此処へ来たのは確かに神が導いた定めだ。決して間違いじゃない。
何故なら、君の手に負えない、やっかいな性質に惑わされずに意見出来る俺が居るからだ」
彼の言葉一つ一つがカサンドラの心に染み込んでいく。
私の罪が消える事はない。 自分の生き方を見直さなければならない所も沢山ある。
でも今、カサンドラは悪夢のような三ヶ月間で初めて救われた気がした。
決して優しい訳では無いけれど、カサンドラの欲しい言葉を的確に言ってくれるロイスによって。
彼の側で止まらない嗚咽を漏らしながら、カサンドラは早く涙が止まれば良いのにと思った。
何故なら今度は、カサンドラがロイスの苦しみを癒す番なのだから




