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45.見つけた居場所





ヒース・コートの門を走り抜けた時、突然横から唸るような低い声が聞こえてきた。


「いったい今まで何処で遊び回っていた?」


ピタリと足を止めて恐る恐る声のした方を振り返ってみると、ロイスが門に寄り掛かるような体制で立っていた。

当然ながら眉間の皺を深くして眉を吊り上げ、憤怒の表情で此方を睨み付けていた。

お腹を空かせる肉食獣を前にした草食動物はこんな気持ちだろうか?

カサンドラの背中にツーっと冷や汗が伝う。


やっぱりすごく怒ってるじゃないの!

私なにも悪い事していないのに!

アーサー、あの男………絶対に許さない!


カサンドラは引き攣りそうになる口元を何とか緩めて微笑んだ。

カサンドラの微笑みを前にした人は大抵が彼女の思い通りになる。何故ならカサンドラの喜ぶ顔が見たいから。

ロイスは誤魔化されてくれるだろうか?


「あら、ロイス。そこで何をしているの?」


「数日、帰らずに、何処へ、行っていたと聞いてるんだ」


ロイスは誤魔化されてはくれない。

寧ろ更に激怒させたらしく、ギリギリと食い縛った歯の隙間から絞り出すように言った。

それも一語一語強調するように。


こういう場合は何て答えたら良いの?

『次期侯爵の地位に執着した頭のイカれた男が、その地位にいる男を傷付けたいとかいう訳の分からない理由で私を誘拐した』……とか?

私の頭こそがイカれたと思われるだけよ。

ロイスに不憫な目で見られるのはゴメンだわ…!!


だからカサンドラは平静を装って肩を竦めて見せた。


「友達の家へ行ってたわ」


「お前に友人は居ないだろ」


「失礼な事言わないで。居るわよ。当然でしょう」


「それで、何処へ行ってたんだ?」


「ロイス、お願いだから屋敷に入らない?

此処はとても寒いし、沢山歩いてへとへとに疲れているのよ」


「‥‥…屋敷に入ったら洗いざらい聞かせて貰うからな」



カサンドラは屋敷に入ってまず応接間へ向かい、急いで暖炉に火を起こして部屋を暖めた。

そうしていると応接間にパッとロイスが現れ、相変わらず鋭い輝きを宿すブルーの瞳で私を見下ろす。

私と目が合うと、彼は形の良い眉を片方だけ吊り上げた。

彼の『全て偽りなく話せ』という合図だ。


「それで?」


「ただいま、ロイス」


「そうじゃない。何処をほっつき歩いてたと聞いてるんだよ」


「グレデナンド湾近くかしら」


「グレデナンドだと? そんな所へ何しに行った?」


「マーメイドが居ないかと思って」


「気でも狂ったか?」


私の話を聞いたロイスは嫌そうに顔を顰めた。

彼に不憫な目で見られる事は無かったけれど、頭がどうかしたとは思われたかもしれない。


そもそも、あながち伝説の人魚も居る可能性があるのでは?

なんと言ったってゴーストが目の前に居るのだから。


そう考えながら借りた外套を脱いでコートスタンドへ掛けていると、突然ロイスが側に現れ、きつく眉間に皺を寄せながらカサンドラのうなじを見つめた。

カサンドラが不可解に思っていると、彼は地鳴りの如き低い声で言う。


「これはどうした?」


「何が?」


「いったい何があった?」


「なんの話?」


「痣があるじゃないか」


そう言われてカサンドラは慌てて首の後ろに手をやって痣を隠す。

連れ去られる時にステッキのような物で殴られた時に出来た痣だ。 もう押さなければ痛みは無いので完全に忘れていた。


痣が見えないようにドレスの襟を引っ張り上げようとしたものの、さらりとした生地は肌を滑り落ちて元の位置に戻る。

カサンドラはため息をつきたいのを必死で堪えた。


ロイスはカサンドラの頭から足先まで即座に視線を彷徨わせて観察する。


「他にも有るんじゃないのか?」


「いいえ、これだけ」


嘘つき。あちこち痣だらけじゃないの。

でもそれを言ってどうなるというの?

痣が消える訳でもないのに。


「前に、雪の中を凍えそうになりながら帰って来た事と関係があるのか?」


「それは‥‥…」


つい口ごもってしまったせいでロイスは確信したようだ。

そして気遣わしげにカサンドラの表情を伺いながら慎重に言葉を紡ぐ。


「此処に一人で来た理由もか?」


「それは違うわ。絶対に」


ヒース・コートに来た理由にアーサーは関係無い。

それは私の問題だし、それをあの男と一緒にされたくない。

私の断固とした返答を聞いたロイスはゆっくりと頷いて理解を示した。


「殴られて気絶した所を連れ去られたのか?」


「‥‥…‥。」


「良く逃げ出して来れたな」


「‥‥…‥。」


「偉いじゃないか」


「‥‥‥…。」


「頑張ったな、カサンドラ」


カサンドラは何も言わなかった。

言えなかった。


ポロポロと頬に熱い涙が伝い落ちて止まらない。

唇をきつく噛み締めておかないと情けなく嗚咽を漏らしてしまいそうだ。



どうしてこんなにも泣きたくなるの‥?

此処へ来る時、一人で頑張ると決めた筈でしょう?


自問自答してみた所で、理由なら既に分かっている。


自分に向けられた、とてつもない程大きな悪意が恐ろしかった。

戦う事に必死で、虚勢を張っていないと押し潰されてしまいそうだった。


必死で頑張ったけれど、報われなくて、踏みつけられるようで。


でも今、頑張りをロイスに認められた気がした。



カサンドラは両手で顔を覆い、もう嗚咽が漏れるのも構わなかった。

泣き出したかった。


「‥‥‥そうよ。私、凄く頑張ったのよ」


「あぁ、そうだな」


「首は強く打たれるし、背中は木にぶつけるし」


「あぁ」


「おまけに拐われたのよ」


「‥‥…あぁ。でもそいつは、お前を捕まえておく事は出来なかった」


「逃げ出すのは、とても大変だったんだから」


「良く頑張ったな」


「何度も死んじゃうと思ったわ」


「でも諦めなかったんだろ?」


「負けたくなかったもの」


「凄いな。 お前はそいつに勝ったんだ」


「‥‥…そうよ。私はとっても凄いのよ」


「あぁ、それでこそカサンドラだ」


「だからもう怒らないでよ」


「今回は怒らずにいてやるよ」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




漸くカサンドラの涙も嗚咽も落ち着き、ぼんやりと暖炉の炎を見つめていた。

ロイスは暖炉の近くのソファーで優雅に長い脚を組んで座っている。


カサンドラは言わずにはおられなかった。


「ロイス」


「なんだ」


「ありがとう、慰めてくれて」


「あぁ」


「それと、心配して門の所で私を待っていてくれて」


「‥‥‥あぁ」


カサンドラは再び暖炉の炎へ顔を戻した。


ヒース・コート。 私は、私の居場所に戻って来た


もう怖くない。 そうでしょう?





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