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40.冷たい波に揉まれて




もはやカサンドラは何も考えられなかった。


何度も波に押し戻され、距離が分からなくなって絶望していた頃が数時間前のように思える。

実際の時間ではまだ海に入ってから十五分程しか経過していないというのに。


今はただ前方に向けて壊れたぜんまい仕掛けのように両腕と両足を動かした。


一度端へよって壁に手をつき、必死で沈んでしまわないようにしながら一度休息をとった。


本当に死んでしまいそう‥…‥。


休息をとった所で冷えきった体の体力は戻らず、弱気な事しか思い浮かべる事が出来ない。

結局こうして休憩している事も意味が無いと判断し、再び前方へ泳ぎだす。


どうか‥‥…早く外へ‥…。

私の体力が尽きる前に……。


その時、運命はカサンドラに味方した。


暗い洞窟の前方に光が差し込んで明るくなっていたのだ。

それを目にした事で勇気づけられ、砕けそうな心を持ち直して力強く手を動かして泳いだ。



やがて光の差す外へと飛び出したカサンドラは、先程までよりも荒くなった波に流されまいとしながら後ろを振り返って、今まで泳いで来た場所を見た。


崖の岩陰にはポッカリと穴が開いていて、少し先も見えない程に暗い。

こんな闇の中を通ってきたのかと思うとゾッとする。


次いで洞窟から視線を上げると、切り立つ崖の上には厳めしい灰色の石で作られた建造物が建っていた。


あの建物の地下牢獄から逃げてきたという事かしら?


カサンドラはじっと崖の上を見つめた後、余りの恐ろしさに顔を背ける。

そして必死で気持ちを切り替え、何処か陸に上がれそうな場所を探す事にした。

暗い洞窟からは出られたが、この辺りには崖と岩ばかりで冷たい海水から逃れる術が無い。



海へ出てからも容易なものではなかった。

絶えず迫り来る波だけでなく、崖にぶつかって跳ね返ってきた波にも揉まれて何度も沈んでしまいそうになりながら必死で崖沿いに泳ぐ。


漸く入り江に辿り着き、大きな岩によじ登った時には既に息も絶え絶えだった。


「げほっ‥‥げほっ‥…」


飲み込んだ海水に噎せて咳き込んだ後、カサンドラは岩の上に体を横たえた。

高くにある太陽の強い日差しを浴びて寒さにガタガタ震える体を少しでも温められると良いのに。


恐ろしい程血の気が引いて真っ白になった自分の右手をグッと数回握り込んでみる。

その手を呆然と見つめていると途端に目頭が熱くなり、ポロポロと頬に熱い涙が伝った。


生きてる‥‥ 生きてるわ‥…!

私、死ななかった‥…!!

死ななかったのよ!

あぁ‥‥神様。本当にどうもありがとう‥!!



けれど命の危険はまだ完全には過ぎ去っていなかった。

どんなに太陽の日差しが暖かくても、氷のように冷えきった体を温める事は難しい。

それに何時までも此処に居れば、いずれあの男が探しに来るかもしれない。

もっと遠くに逃げ出したいのに、体力が底を突いた体は意思に反して動いてくれなかった。


そんな……お願いよ…。

ここまで来たのに、こんな風に諦めてどうするの……?

あの男を治安判事に突き出さないと……!

でも……


必死で自分を鼓舞するものの、何時しか目の前も暗くなる。

眠たい訳ではないのに瞼が落ちてくる。


やがてカサンドラの決死の努力も虚しく、あの悪魔に捕まった時のように意識が闇へ沈んでいった



せめてもの救いは、あの男の手で殺されなかった事かしら……?






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