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39.賭けをしよう。神はどちらに微笑むか




カサンドラの耳が此方へ近付いてくる足音を聞き取った。

心臓がドクドクと嫌な音を立てるのを無視して耳を澄ませ、それが一人分の足音である事に僅かながら安堵した。

一人だけなら、あるいは。



そしてその時はやってくる。

鉄格子がギィ……と嫌な音を立てて開き、横たわっている私の近くに人の気配が忍び寄る。

しゃがみ込んで私の髪を一房手にした時___




カサンドラは瞬時に体を起こして捻り、燭台を持った右手を思い切り振り上げた。


「ぐ…っ…!」


不意打ちを受けた男は、身構える間もなく燭台で頭を殴りつけられて地面へ転がった。

倒れ付した男は細身で濃いブロンドの髪をした青年だった。きっと黒髪の悪魔と言い合いをしていた男に違いない。


カサンドラは素早く昏倒している男の首に手をやって生きている事を確認した後、男の懐を探って牢屋の鍵を奪う。

そしてカサンドラは錆びついた鉄格子の扉を抜けると、今度はその扉を締めて鍵を掛けた。


__やった! 男を閉じ込める事に成功したわ!


歓喜に声を上げそうになるのを必死で堪え、極力足音を立てないように暗闇の中を走り出す。

その手には片方に燭台を、もう片方に牢屋の鍵を持っていた。




けれど簡単に脱出する事は叶わなかった。どうやら此処は地下牢のようだ。それも迷宮のようになっていて、何処へ行けば外へ出られるのか皆目見当もつかない。

カサンドラは既に数十分迷宮を彷徨っていた。既に自分が居た牢獄がどっちだったかさえも分からない。

このままでは此処で一人死に絶えてしまいそうだ。


なんて恐ろしい場所なの。あのまま鉄格子の奥に居たほうが良かったかしら……。


そう考えたものの、首を横に振ってその考えを否定する。そんな筈は絶対に無いのだから。

暗闇を彷徨っている内に弱気になってしまったが、上手く牢を抜け出したのはどう考えても正解だった。

あの場所に留まって居れば、あの黒髪の男に何をされるか分かったものではないのだから。



もう暫く迷路のような暗闇を彷徨っていると、何処からか水の音が聞こえてきた。

ハッと弾かれたように顔を上げ、壁に手をついて走り出すと漸く開けた場所に出た。


けれどそれは出口という訳では無かった。

洞窟のように薄暗い空間の正面には段差があり、その段差の先にはさざ波が立つ水が満ちている。水の音だと思っていたのは、どうやら波の音だったらしい。



きっとこの地下迷宮はずっと昔に使われていた牢獄だ。

そしてこの空間は牢獄の番人が、海を通って外から物資を運び込む為の船の係留所だろう。

けれど見渡す限り船が係留されている様子は無い。

カサンドラは呆然と、薄暗いせいで闇のような色をした水面を見つめた。



此処に飛び込む勇気が私にあるかしら?外へ繋がっているという保証も無いのに。

それに冬の海を泳ぐなんて正気じゃないわ。

冷たい水に浸かった途端に心臓が止まってしまう……。


カサンドラは後ろを振り返ってみた。今は何も聞こえない。遠くの足音すら耳に届かない。

けれど此処で呑気に突っ立っているだけでは見つかるのも時間の問題だ。



カサンドラは暫くの葛藤の末、まず始めに着ていたグリーンのローブと履いていたブーツを脱いで、持っていた燭台と共にその場に静かに置いた。

ローブはお気に入りなので悔しいけれど、水を吸ったら重くなって私共々沈んでしまう。


そして次にドレスの紐を一本解き、髪を纏めてキツく結いあげる。


最後に石造りの段差の部分に腰を下ろし、裸足の右足を水の中に沈めてみた。

とても冷たくて凍りつきそうだ。



どうせ捕まれば、あの男に酷い目に遭わされる。それならこちらに賭けてみるしかないわ……。

私が出口を見つけられずに暗い海に沈むか、あいつが治安判事に捕まるか、どちらが勝つか勝負しましょう。




カサンドラは意を決して水に体を沈めると、その凄まじい冷たさに、ハッと一つ息をついたきり暫く息が出来なくなる。

一瞬で体が冷えきり感覚が鈍くなるのが分かる。


みるみる内に決意が揺らいでしまいそうになり、弱気になって再び陸に上がってしまう前に両手と両足を動かした。



此処から逃げ出して、治安判事の屋敷に駆け込んでやるわ! あいつを捕えてもらうの。

だから頑張るのよ、サンディー。貴女には勇気があるでしょう!


そう何度も自分に言い聞かせて、今にも止まってしまいそうな腕で水を掻いた。

冷たさのせいで感覚の無くなっていく足を必死にバタつかせた。

ドレスは水を吸って重くなり、冷たい布が張りついた肌はどんどん冷えていく。

ドレスまで脱がなかったのは失敗だったかもしれない。いっその事シュミーズになってしまえば良かった。



それでもカサンドラは気にせず………と言うより気にする余裕も無く、必死で洞窟の先まで泳いだ。



いつか闇の中に光が差す事を心から願って





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