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羊肉スープ

「良い兵士とは、戦闘技術が高い兵士のことを言うのではない。命令に対して忠実な者、責任感が強い者、自己犠牲の精神を持つ者を良い兵士と言う」


 見張り役のキュアクは、岩の上に立って周囲を見渡しながら、満足そうな顔で言った。


「自分のことを自己犠牲の精神を持っている良い兵士だと言いたいんだな?うぅ」


 キュアクの自己陶酔に付き合いながら、ニグルはモリの足踏みマッサージを受けている。


「そうは言わないが、そうありたいとは思っている」


 キュアクは身分の割に謙虚だが、承認欲求は強い。

 特に、目下の者に認められ慕われたいという思いが強い。


「お前、王子だろ?兵士じゃなくて、兵士を統率する側だろ?何が、そうありたいとは思っている、だ」

「前にも言ったはずだ。ポルジン軍に統率者などいない。私はただのポルジン兵だ」

「はいはい。ここにはお前を慕うポルジン人はいないんだよ。無理しなくってもいいんだよ」


 ニグルは面倒臭くなっている。

 

「無理はするさ。強くあろうとするならば、無理をしなくてはならない」


 自分に悪意を向ける者などこの世に存在しないことを前提とする生き方をしてきた。

 キュアクにはニグルの嫌味が通じない。

 だから会話は噛み合わない。


「そうじゃな・・・うぅおぉぉぉぉ。モリ、マッサージ上手いな」

「体重かけて踏んでるだけですけど!」

「それがいいんだよ。しかし、なんか腰の辺が湿ってきた気がする」

「足汗大量にかいてます!」

「マジかよー」


 ニグルは肘をついて上半身を持ち上げ、首を後ろに捻ってモリの足を見ようとした。

 その途端、ニグルの鼻腔に、えも言われぬ悪臭が突き刺さった。


「うわっくさっ!」

「僕はニグルさんに言われた通りにやっているだけですからね!クレームは受け付けませんよ!」

「エル!水!洗って!」


 ニグルはエルに救いを求めた。


「魔法の水、無効化するじゃん」


 エルの言う通りである。


「じゃあもうこの服捨てるー」


 この服とは、ニグルが転生前から愛用している、フランスはバスク地方で生まれたシャツである。

 シンプルでありながら一枚でオシャレイズムを成立させる。それでいて恐ろしく丈夫。

 十代の頃からずっと、ニグルのお気に入りである。



 ニグルの目に、涙が溜まった。いや、ニグルは目に涙を溜めた。そして、口を尖らせた。

 ニグルは、エルにしか通用しないギャップスキル、中年のぶりっ子を発動した。


「もう・・・その服脱いで。洗ってあげる。脱げば魔法効くでしょ」

「エル・・・ありがとう。大好き」


 ニグルのぶりっ子は止まらない。


「もー。早く脱ぎなよ。脱がせてあげた方がいい?」


 エルは満面の笑顔を浮かべながら、ニグルのそばまで来た。


「手をあげましょうねー」

「うん」


 ニグルが素直に両手を挙げると、エルはニグルのシャツの裾を掴み、腕を目一杯伸ばして捲し上げた。


「んふふ」


 エルは、バスクのシャツを満足気に持ち、魔力を注入して浄化した。



「情けない・・・なんでこんなおじさんになっちゃったんだろう・・・」


 ニグルの痴態を目の当たりにし、エイダは顔を歪ませた。


「泣いちゃいそう・・・息子が阿呆すぎて・・・」

「確かに阿呆すぎですね!」


 モリが嬉しそうに口を挟んだ。


「うるさい豚!」


 元息子を貶されたことに対する怒りなのか。それともただの八つ当たりなのか。

 エイダはモリに罵声を浴びせた。


「・・・」


 美少女に罵声を浴びせられ、モリは恍惚の表情を浮かべた。



「一応な、私は見張りをしている。お前達と同じく夜通し移動した上で、一人で見張りをしている。お前達より遥かに馬に慣れているとは言えど、夜通し馬に乗り続けるのはやはり疲れる。私は今、とても疲れている。それでも見張りをしている。一人でだ。少しは気を使って早く野営の準備をして体を休めて少しでも早く見張りを代わろうと言う考えにならないものかな!」


 疲労と、ニグル達のくだらないやり取りで、キュアクは苛立っていた。


「そうだ!モリ!早く食事の用意をしないか!」


 ただただ疲れているマグスが、キュアクに便乗した。


「その前に少し休ませて下さい!」


 モリがマグスに抵抗した。


「休む暇があったら早く野営の準備終わらせて食事を作りなさいよ。お腹空いてんのよ」


 ルルが口を挟んだ。


「かしこまりました!」


 モリはルルには抵抗しない。

 モリは、野営の準備を再開し、手早くテントを張り、火を起こした。


「ところで、食材が無いのですが!」


 予定を変更し、ラズヴェルを慌てて飛び出した。

 世界有数の規模の市場を持つラズヴェルで、買い出し出来なかった。

 訪れた町々で食糧を確保するのは、冒険者としての基本作業と言えるであろう。

 それが出来なかったというのは、計画通りに旅を進めることが出来ていないということになる。


 討伐した魔獣の肉を食糧にする。それも冒険者の嗜みと言える。

 しかし先ほど襲い掛かってきた魔物達は、エルが燃やし尽くしてしまった。


 ニグル一行は、高名な冒険者であるマグスが加わった程度では何も好転しない、出鱈目なパーティーである。

 

「俺がいてもこの有様とはな!お前らは落ちこぼれ冒険者だ!腐った蜜柑だ!」


 マグスは、疲労と空腹で気が立っている。

 

「マグス、お前、模範的な冒険者としての所作を見せたこと、まだ一度も無いからな」


 ニグルが言うことも尤もである。


「まあいい。とりあえず白湯でも飲もう」


 思い当たる節があったのか、マグスは誤魔化すように魔法で創出した水を携行用の小さな甕に入れた。


「水出す余力あるんだ。へー」


 馬に飲ませる水を出すようマグスに強要されたエルが、剣呑とした顔になった。


「雰囲気悪いな。腹が減ってるからだ。馬でも食うか。平和のために」


 ニグルは、馬刺しの味を思い出しながら呟いた。

 見張をしているキュアクがいる方向から、まるで冷気のような殺気を感じた。


「俺にも白湯ちょうだい」


 冷気を躱すように、ニグルは白湯を所望した。




 オアシスの宿場町クロウラ。

 名物は羊肉たっぷりのスープ。


「上手く臭み消してるねぇ。食べやすいのに旨味が強い。コクがあるよねコクが」

「コクって何ですかニグルさん!」

「コクってのはな、説明できるものではないんだよ。感覚なんだよ。自分で掴み取れ」


 ニグルはよくいる食通ぶった中年である。

 言葉の意味もよく知らず、尤もらしい言葉を弄してそれっぽいことを言う。


 ニグル一行は、白湯で空腹を誤魔化しながら野営地で一泊し、白湯で空腹を誤魔化しながらクロウラに辿り着いた。

 白湯で空腹を誤魔化し続けた後だからなのか、羊肉のスープがこの世のものとは思われないほどに美味に感じられたのは事実である。



 クロウラは東西を繋ぐルート上の宿場町だけに、店舗が多く並んでいる。

 しかしその規模は小さく、各店舗もまた小規模である。

 

 ニグル一行が羊肉入りスープを食べている店ももちろん、個人経営の小さな食堂である。

 店内は清潔に保たれており、客を不快にさせず、何よりも味が良い。

 クロウラで営業している食堂の中でも特に人気があり、クロウラを訪れる冒険者達にとっては、クロウラに立ち寄る大きな理由になっている。


「さすがは熟練冒険者のマグスだ。いい店を知ってるね」


 ニグルは素直な気持ちで、マグスを褒めた。


「食べ録という本があるのだ!その本の中でクロウラの羊肉入りスープランキング一位の店なのだ!入ったのは今日が初めてだ!」


 割とどうでもいい内容だが、とにかくニグルは意表をつかれた。


「そうなのね・・・つか、何だそのいかにも異世界人が絡んでそうなその本は」

「よくわかったな!異世界人が作った本だ!食べ歩きの記録本なのだが、ニグル達の世界にもあったのか?」

「本ではないし食べ歩きの記録でもないけど、似た名前の似たような用途のものはあるよ・・・」


 クロウラは、東の大陸を横断する冒険者達が必ずと言っていいほど訪れる宿場町である。

 冒険者には異世界人が多い。つまり、クロウラには異世界人冒険者も多く訪れるということだ。


 その異世界人冒険者の中に、グルメ気取りの者がいるのであろう。

 そいつがこの世界の各所を冒険しながら、各所の美味いものを食べ歩いて、食べ録を書いているのであろう。

 ニグルはそう察した。


「食べ録を書いた異世界人はこの町に住んでいるのよ」


 食堂の女将が、ニグルとマグスの会話に割って入った。

 またしても、ニグルは意表をつかれた。


「へー。じゃあ食べ録ってクロウラの情報しかないの?」

「そうさ!」


 都会ではなく、小さな宿場町限定のグルメ情報。

 タイトルの割に、そのスケールの小ささ。


 女将の元気な返事で残念な現実を知り、ニグルは興醒めした。

 

「あんたも異世界人なんだろ?服見りゃわかるよ。食べ録書いた人に会ってみるかい?」


 これは、親切な女将の、親切心から出た提案である。


 異世界人はある日突然、元いた世界からこの世界に、一人きりで転移してくる。

 きっと心細いだろうし、言わば同胞とも言える異世界人同士で繋がることで、心細さが少しでも解消されるだろうと、女将は思っている。


「いや、いいよ。興味無いです」


 ニグルは察しのいい男である。

 他人から与えられる親切には、ちゃんと気付ける男である。

 そしてそれ以上に、自己中心的かつ怠惰なのである。


「・・・」


 親切心を不意にされた女将は、不機嫌になりながら黙った。


「まあ、食べ録のお陰でこんなに美味いもの食えてんだから、そこは感謝だけどね」


 ニグルは察しのいい男である。

 女将が不機嫌になったこと、それにより場の空気が悪くなり食事が不味くなること、今後この店を再訪したいと思った時に尻込みするかも知れないことを予想し、さりげなくゴマスリした。


「そうだろ?あんたいい食べっぷりだね。そんな美味しそうに食べてもらえるなら、作った甲斐があったってもんだよ」


 ニグルは、女将にゴマスリが通用したと確信した。


「食べ録書いた人みたいに文才があれば、もっと世間様のお役に立てるんだろうけどね。食べっぷりがいいだけじゃ、大して役に立ちゃしないわね」


 ニグルの確信。ただの勘違い。


 女将は食べ録の作者のことをよほど気に入っているのだろう。

 女将の料理を褒めた程度では、状況は好転しなかった。


「異世界人って鼻つまみ者扱いされがちってイメージだけど、食べ録の作者は受け入れられてんだな」

「この町では異世界人だからって差別したりしないよ。他所の土地で評判の悪い冒険者でも、この町では大人しくなっちまうのさ」

「恐い人でもいるの?」

「違うよ」


 ニグルの質問に、女将は笑顔で答えた。


「美味いもん食って腹が満たされたら大人しくなっちまうのさ。人間だもの」


 人間だもの。

 聞いたことがあるセンテンス。


 ニグルことカトウヒロシはこの世界を気に入っている。

 自然と人類の程よい距離感は、元いた世界とは比べ物にならないほど程よい。


 そんなニグルは、元いた世界の匂いを感じる度に、少しストレスを感じてしまう。

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