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内輪揉め

「ヤベェって。ヤベェって」


 ラズヴェルから夜通し移動を続け、疲労困憊になっているはずのニグルが、随分大声で騒いでいる。

 

「砂漠じゃん!タイヤ埋まるじゃん!馬じゃん!ラクダ連れてきてないじゃん!」


 砂漠ではない。

 乾燥してはいるが、土だ。


「ニグル。砂漠ではない。乾燥してはいるが土だ」


 マグスの言う通りなのだ。


「ニグルさん、ひょっとして鳥取砂丘行ったことないの?」


 ルルが不思議そうに言う。


「無いよ。何だよ、その、日本人なら誰でも鳥取砂丘行ったことあるはずでしょみたいな言い方」

「いやいや、行ったことあるはずでしょ」

「んなわけねぇ」

「モリは?」


 ニグルの眉がピクリと動いた。

 いつの間に、ルルはモリを呼び捨てにするようになったのだろう。


「行ったことないですルル様!」


 様。

 

「様?」


 ニグルは、気になって仕方ない。



「エイダさんは?前世で行ったことあるの?」

「あるわよ。お父さんと付き合う前の彼と別れた後、傷心旅行で行ったわ」

「お父さんと付き合う・・・?」


 ニグルに体を縛り付けて寝ていたエルが、いつの間にか目を覚まし、おぞましいものを見るような顔で言った。


「ああ、違う違う。ヒロくんのお父さん。前世の私の夫。元いた世界ではね、子供が生まれると夫のことをお父さんって呼ぶ人が多いのよ」

「へー。じゃあ私もいつか、ニグルさんのことをお父さんって言わなきゃだね」


 エルはニグルの背中から顔を出し、バックミラー越しにニグルの顔を見た。


 乾燥した土、ラズヴェルの辺りより浮砂が多くなっている。

 ニグルはバイクの操作に必死になっている。

 鏡に映るエルの可愛らしい顔に気付く余裕が無い。


「そうだねー!」


 エルが何か言ったことはわかっている。

 しかし、何を言ったかまではわからない。

 ニグルは目を三角にして、目先の路面を睨み続けている。


 しかしニグルの愛車の速度は、一行が騎乗する馬の速度に合わせ、たかだか徐行程度である。

 そこまで必死になる状況とは言い難い。



 

 疲労困憊のはずなのだが、ニグル一行の会話が増えている。

 夜が明けて、明るくなった大地の先に、茶色ではないものが見えているからだ。


 乾いた茶色、白く煤けた茶色の中にぽつりと浮かぶ水色と緑色と乳白色。

 鏡のように輝く水色の周りをびっしりと緑色が囲み、その北側に乳白色の建物が密集している。


 オアシスの宿場町クロウラの遠景は瑞々しく美しく、乾燥地帯を旅する者の目に潤いを与える。

 クロウラに辿り着けば、ふんだんに湧く地下水が訪れた者の喉に潤いを与える。


 オアシスが無ければ、大部分が乾燥地帯である東の大陸を横断することなどままならないだろう。

 


「あれがクロウラ?綺麗」


 エルが目を輝かせた。


「意外と早く着きましたね!」


 モリも目を輝かせた。


「障害物がないから見えているだけだ。まだまだ遠いぞ。昼までに着くかどうか」


 無機質に、マグスが呟いた。

 エルとモリの目から輝きが消えた。


「そろそろ大休止が必要だ。馬たちの体力が保たない」


 馬の玄人と言えるキュアクがそう言えば、その通りにならざるを得ない。

 キュアク以外は全員、馬のど素人なのだから。


「そうか。エル、水を出してやれ」

「え。パパがやってよ」

「俺は疲れている。エルはニグルの背中にへばりついて寝ていたから疲れていないだろう」

「ちっ」


 絶世の美少女と謳われるこの三十路のクオーターエルフは、顔に似合わずよく舌打ちをする。


「水」


 不貞腐れながら、エルがソエルの杖を振り翳すと、杖の先から水が溢れ出した。

 取り留めもなく溢れ出した水が、乾いた茶色い大地に吸い込まれていく。


「誰か早く桶持ってきてー。私の魔力が無駄になるー」


 エルは憎たらしい無表情で言った。


「エルちゃんって性格悪くない?」


 エイダがルルに耳打ちした。


「子供みたいなところはあるけど、そこが可愛い」


 ルルは嫌らしい笑顔を浮かべた。


「ねぇヒロくん。エルちゃん性格悪いって」


 ルルに同意を求めるのは諦めて、エイダはニグルに訴えかけた。


「子供みたいな奔放さも、エルの魅力だよね。可愛い」


 ニグルもダメだ。

 エイダはため息をついた。



「この桶に入れるといい」


 他人が自分に悪意を向けることなど想定しない育ち方をしたキュアクが、エルの八つ当たりに気付くことなく、馬車から降ろした桶をエルの目の前に置いた。


 エルは何も言わず、杖の先を桶に向けた。ソエルのシミが付いた杖の先から、水がジョボジョボと注がれる。水の存在に気付いた馬達が、ゆっくりと桶を囲む。

 平和なひと時だ。


「我々も休もう!」


 マグスが休憩を指示した。


「いやもう休んでるし、言われるまでもなく休むしかないだろ。馬が休んでるんだから」


 ニグルが表情の無い顔で言った。

 ツッコミではなく、ただの反射でしかない。


 間抜けになったマグスも、無の状態で反射するニグルも、すっかり疲れ果てているのだ。




 疲れ果てている。休憩したい。

 そう思ったからと言って、休憩できるとは限らない。

 こういう時こそ、休憩できないものなのだ。

 

 それは必然だ。

 知能を持つ魔物に捕捉され、監視されていた。


 魔物は知っている。

 この土地を移動し続ける旅人が、クロウラがようやく見えるこの辺りで力尽きることを。


 魔物は知らない。

 ニグル一行が夜通し移動し続けていたことを。

 馬を移動手段にしているからたまたま、日中に徒歩で移動する旅人と似た地点で力尽きただけだということを。


 ニグル一行は気付くわけがない。

 日中のみ移動し、夜は岩陰にでも入って野営していればリスクを減らすことができていたことを。



「餌もやりたいから、いっそこの辺りで野営してはどうか」


 キュアクが提案した。

 実際のところ、このまま移動を続けることに耐えられそうな者はいない。


 異世界人達は生身での移動に慣れておらず、自分達では何も判断できず指示待ちになっている。

 強靭な肉体と精神を持つエイダは野営が必要とまでは思っていない。

 初めて乗る馬による移動で判断を誤ったマグスは、自身の過ちにより思考がまるで働いていない。


 今、一行には休息が必要だと判断し提案できるのは、一行の中で最も常識的な自分だけなのだと実感し、キュアクは自身に満足していた。


「仕方がない。軟弱者ばかりなのだから仕方がない。野営しよう」


 そうは言うが、最も疲労が濃いのはマグスである。

 元々マグスの体は頑強ではない上に、喋りすぎだ。


「モリ!野営の準備をしてくれ!」


 マグスはモリの保護者だが、だからと言ってモリを奴隷扱いしている訳ではない。

 元いた世界ではニートのアニヲタだったモリだが、意外と雑務に長けている。

 そんなモリのことをマグスは評価しており、何かと頼ってしまう。


「疲れているから嫌です!」


 そう言う割には、モリの声には張りがある。

 

「モリ、私は早く横になりたい」


 ルルが呟いた。


「かしこまりましたルル様!」


 モリがいそいそと野営の準備を始めた。


「みんなの分のテントも張るのよ。終わったらモリの股間に張ったテント慰めてあげるから」


 ニグルが気になっていたことの答えが出た。

 そしてそれは、自分やエルがルルの情欲の対象にならずに済むことを意味していると思った。

 ニグルはそれを、安心するべきか寂しいと思うべきか、少し迷った。


「テントは三つよ。マグスさんとキュアクさんとモリのテント。エイダさんのテント。私とエルちゃんとニグルさんのテント」


 ニグルは、迷いなど必要ではなかったことを思い知った。



「おい。ニグル。魔物だぞ」


 茶色い地面の上で仰向けになりながら、マグスがニグルに声をかけた。


 同じく茶色い地面の上で仰向けになっていたニグルが、顔をもたげてマグスの声がする方を見たが、マグス以外になにもいない。


「とうとう錯乱し始めたか」

「違う。お前の頭の方にいる」


 ニグルは、頭頂部を地面に擦り付けながら、首をのけ反らせた。

 そこには確かに、魔物が居た。

 小柄な体、大きな目、細い手足、大いに繁る体毛。

 猿にも見えるが、肌は鳥類に似ている。

 

「暑苦しいな」


 ニグルは、マグスに負けないくらいに疲れている。

 その精神はいつも以上に怠惰に染まっている。


「エル、やっちゃって」

「やだ。水出して疲れてる」

「俺の後でずっと寝てたろ。この中ではエルが一番疲れてないの。やっちゃって」

「ちっ」


 舌打ちをすると、エルはソエルの杖を投げ捨て、柏手を打つ様に両掌を合わせて魔力を集中させた。


「ホムラ!」


 エルは両掌を宙空に向けると、ラシオに付けてもらった魔法名を省略し、両掌の上に炎を発現させた。

 そしてその炎を、ニグルのいる方に向けて放った。

 いや、ニグルの方に放ったと言うより、魔物諸共ニグルを炎で包んだ。


 炎が蒸発するように消えた跡には、魔物の死骸すらなく、仰向けになったまま不満気に睨み付けるニグルだけがいた。


「おい、今の悪意込めてたろ」

「ヒロくん魔法効かないから問題無いでしょ。それに魔物が近付いてたからああするのが一番確実だったんですー」


 ニグルとエルのやり取りを聞き止めて、エイダが反応した。


「ヒロくん、エルちゃんにヒロくんって呼ばせてるの?それ、お母さんの特権じゃない?」


 大刀を茶色い地面に突き刺して杖代わりにし、直立不動で体を休めていたエイダの表情は、剣呑そのものである。


「親戚も歴代彼女もみんなヒロくんだよ」

「親戚はいいけど歴代彼女もみんなヒロくんだったの?知らなかった!気に食わない!」

「疲れてんだからギャーギャー騒ぐなクソババア!」


 四十代の中年から、十代の少女に放たれたクソババア。


「相変わらずの違和感だな。しかしニグル。母親と認識していながらその言い様は良くない。今のお前がいるのは前世のエイダのお陰なのだろう?ならば常に感謝の気持ちを持」

「うるせー。脳筋の道徳的な説教なんか聞きたくないんだよ」


 ニグルは脳筋の説教を断ち切った。


 ニグル一行は険悪になっている。

 誰もが疲労によっていつもの自分を見失っている。


 この状況を打開できるのは、一人で野営の準備を進めているモリだけである。


「モリ、内輪揉めが始まる前に準備済ませて」

「はい!ルル様!でも昼間に野営したら魔物に襲われるのではないですかね?」

「あ・・・」


 ルルが固まった。


「エル、結界張ってよ」

「私の結界は魔物相手だと効果が薄い」

「じゃあマグス」

「俺は結界魔法は使えない!お前が見張をやれニグル」

「無理」

「私がやるから安心しろ」


 ニグルとエルとマグスのやり取りを見かねて、キュアクが見張り役を買って出た。

 こんな時、職業軍人は有用なんだなと、ニグルは思った。

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