夜間移動
東の大陸有数の大都市であるラズヴェルの外周を一周し、ニグルとエルは、日が傾き始めた頃にラズヴェルの西門に辿り着いた。
エルの魔力を注入した魔石を動力源とし、エンジン内部に注入したエルの魔力をエンジンオイルに代わる摩擦箇所のコーティングとするニグルの愛車は、ガス欠することもなく、オーバーヒートすることもなく、凶悪な顔をした中年の腰が悲鳴を上げるまで、いつまでも、延々と走り続けることができる。
エルを後ろに乗せている時、しがみつくエルがちょっとした支えになり、ニグルの腰は調子がいい。
この分なら何時間でも走り続けられると、エルとタンデムをする度にニグルは思う。
しかしいつも、思った通りにならない。ニグルは常に、二時間毎に休憩する。
尻が痛くなるからだ。
日が傾き始めていると言うのに、西門の門前には人だかり。
ラズヴェルの食を支える郊外の農地で大火事が発生しているのだから、そうなるだろうなと、ニグルは思った。
しかし、ニグルは違和感も感じている。
西門の門前に集まる人々からは、危機感やら悲壮感やらを感じられない。
危機感やら悲壮感やらを感じられないどころか、少し楽しそうですらある。
ニグルの視界に入る限りの全員が、笑顔なのである。
「エル。なんでこいつらは笑顔なんだろう」
農作物の流通量が減って価格が高騰するかも知れないとは思わないのだろうか。
ニグルにはそれが不思議なのである。
「火事が起きているからだと思う」
「ラズヴェルの連中は野次馬だらけなか?」
バイクを停車させて跨ったまま、ニグルは首を捻り、この不思議な状況を理解しようと努力した。
しかしそれは無駄だった。ニグルには全く理解できない。
「ニグル!どこに行っていたのだ!」
人だかりの中から、マグスの大きな地声が聞こえて来る。
「ラズヴェルの周りを一周してきたんだよ」
マグスの姿はまだ見つけられないが、ニグルは取り敢えずで答えた。
ニグルが大きな声の棒読みをし終わる頃、マグスの姿が人だかりの中から排出された。
「さすが変な荷車だな!半日とかからずラズヴェルを一周するとは!」
マグスは能天気に感心した。
ニグルは、また違和感を感じた。
「なぁマグス。今、農地で大火事が起きている」
「ニグル!お前の変な荷車の音は北から聞こえてきたぞ!にも関わらず!何故お前が南の農地の大火事のことを知っているのだ!」
「来る途中で噂を聞いたんだよ」
ニグルは再び棒読みになった。
「そうか!」
マグスは素直に、ニグルの言を信じた。
「で、だ。」
ニグルは気を取り直して仕切り直した。
「農地で大火事が起きていると言うのに、何故ここにいる連中はみんな嬉しそうなんだ?」
「お前ら異世界人は知らないだろうがな、火事と喧嘩はラズヴェルの華という言葉があるのだ!」
聞いたことがある言葉だと、ニグルは思った。
大都会はどこでも火事と喧嘩が好きなのかと、田舎者のニグルは思った。
「江戸っ子、じゃなくてラズヴェルっ子なんて言い方したりすんの?生粋のラズヴェル人のこと」
パリジャン、江戸っ子、その他諸々。
そういうことなのかなと、ニグルは思った。
「生粋のラズヴェル人のことは、生粋のラズヴェル人と呼ぶ」
マグスは、なんでそんな当たり前のことを言わせるのだとばかりに、怪訝な顔をした。
「そっか」
「とにかくだ!火事も争い事も、ラズヴェルでは珍しいことではない上に、ラズヴェル人にとっては娯楽の一つなのだ!」
「他に娯楽無いのか?」
「ラズヴェルの周囲は常に不穏だ!魔物も多いし冒険者も多いし屯田兵がいる!奴らが市街地の連中に娯楽の提供を怠らない!怠らないから暇潰しに見学する!そんなところだろう!」
「魔物はともかく、冒険者や屯田兵のことも下に見てんだろうな、市街地の連中は」
「何故そうなる!」
「人が死ぬんだろ?火事や魔物との闘いで。人の命が散るような出来事を娯楽として見るなんて、その命を軽んじているってことだろ」
ニグルが珍しく真面目だ。
数時間前に人を殺し、エルに火事を起こすよう強要しておいて。
「この世界は、前の世界よりよっぽど血生臭いのよ。ヒロくんだってわかってるでしょ?」
いつの間にか、エイダがそばにいた。
「それはそうだけど、人の命を娯楽の対象にするのはまた違うだろ」
「前の世界と違って平和じゃないの。事故や天災以外で死ぬことが多い世界なの。どこに住んでいようと、どんな仕事をしていようと、前の世界より命の危険が身近なの」
「全然わからん。この話はきっと平行線を辿りっぱなしになる。もうやめだ」
ニグルは真面目な話に飽きた。
「ニグルさん、良識派ぶってますけど、スブルの郊外で怒りに任せて異世界人冒険者殺してますよね!」
エイダと同じくいつの間にかそばに来ていたモリが、シリアスニグルに水を差した。
「さっきラズヴェルの冒険者殺した。農地燃やして商人や屯田兵殺すよう強要された」
良識派ぶるニグルのことが気に食わなかったのか、エルがボソリと暴露した。
「ニグル!お前も随分とこの世界に染まったな!」
マグスは嬉しそうに言った。
ニグルは、聞こえないふりをした。
「市民は火事と喧嘩が好きだが、役人はそうもいかん!犯罪者はしっかり捕まる!いつまでもここにいない方がいい!出発だ!」
夜だというのに、マグスは出発を宣言した。
結局、ラズヴェルでは一泊もしていない。
峠の悪魔と対峙し、ラズヴェルに入り、アオエボに嵌められ、ダイリオンを倒し、アオエボを殺した。
とんでもなく騒々しい一日だったというのに、寝る間もなく移動する羽目になった。
ニグルはとても疲れている。
ニグルは嫌だと思った。
「疲れてんだけど」
ニグルより先に、いつの間にかそこにいたルルが不満を口にした。
「そうだそうだ」
ニグルがルルに同調した。
「誰のせいだと思っているのか!」
マグスが地声で一喝した。
「みんな!恨むならニグルを恨めよ!」
マグスの言う通りである。
そう思ったエイダとルルとモリが、恨めしそうな目でニグルを見た。
「この程度で疲れているようでは、まだまだだな!」
一行の馬を引き連れて、キュアクが登場した。
「戦場ではいつ敵の襲撃を受けるかわからない。休みたい時に休めるなどと、思わないことだ!」
貴種の出ながら、キュアクの圧迫感には品性が無い。
「ここは戦場じゃないし、俺たちは兵士じゃないんだよ」
ニグルが嫌悪感を隠さずに呟いた。
「黙れ放火犯!」
何度も言うが、マグスの地声は大きい。
マグスが口走った「放火犯」という言葉に、周囲にいたラズヴェル市民達が反応した。
ニグルは、まずいと思った。
「わかった。行こう。いつまでもここに居たって仕方ないしな」
ニグルはキックペダルを踏み抜き、愛車のエンジンを始動させた。
「どっちに行く?」
ニグルは周囲を視界に入れないようにしながら、マグスに尋ねた。
「南だ!お前が起こした大火事を見物しながら行こう!」
嫌がらせのつもりなのか。いや、ただのいつも通りなのか。
マグスは、周囲によく響く大声で言った。
少しでも早くこの場を去りたい。反論よりとにかく移動だ。
そう思い、ニグルはスロットルを捻り、愛車を発進させた。
「キゼトの辺りと違って、夜は意外と平和だな」
何事もなく大火事現場を過ぎ、ニグル一行はラズヴェルから東に向かっている。
月明かりは元いた世界より強く、夜の闇は決して漆黒ではない。
かと言って薄暗いと言うほど明るくもない空間に、蠢く影を見掛けない。
「西の魔物や魔獣は夜行性が多いが、東の魔物や野獣は昼行性が多い!」
「なんでだろ」
「餌が少ない時間帯に活動していては、徒労になる確率が高いからだろうな!」
「餌?」
「人類だ!」
「なるほどね。でもそれは西も東も同じことだろ」
「強弱の差が関係しているのだろうな!西でも強いやつは昼行性が多い!東は平均的に魔物や魔獣が強い!だから昼行性が多い!」
ただの弱肉強食。
それだけのことなのだろう。
「じゃあ東の大陸では夜旅が多くなるな」
「何を言うかニグル!それでは修行にならん!明日からは日中に移動だ!今日はお前のせいで急遽ラズヴェルから夜逃げしているだけのことだ!」
マグスに言われ、ニグルは不機嫌になり口を噤んだ。
月夜が直接差した時に浮かぶニグルの顔は、凶悪極まりない顔であった。
しかし、一行全員同じ方向を見て進んでいるが故に、誰もがその凶悪極まりない顔を見ずに済んだ。
「まさか徹夜で移動するとは思わなかったです・・・!」
皆無口になり移動を続け、夜が明けてしばらくしてからようやく、モリが口を開いた。
「仕方がないではないか。途中で寝ると昼夜逆転してしまうだろう。すべてニグルが悪いのだ」
マグスの声も、一般人の地声程度に小さくなっている。
「治癒魔法で疲労回復出来ないの?」
魂が抜けたような声で、ルルが呟いた。
「治癒魔法は怪我と病気にしか効用が無い」
マグスが面倒くさそうに答えた。
「疲労回復は義務感と責任感で行うものだ!」
数多の戦場を駆け抜けてきたキュアクは、所謂脳筋である。
「あとは気合よ、気合」
数多の魔獣との闘争を積み重ねてきたエイダも、割と脳筋だ。
この間、ニグルとエルは黙ったきりである。
ニグルは、喋る労力すら惜しいと思っている。
エルは、ニグルの胴体に紐で自分の体を縛り付けて寝ている。
「次の都市に辿り着く前に、宿場町がある。そこまで頑張れ」
モリとルルを元気付けようと、元気のない声でマグスが目標を示した。
しかし、誰一人反応しなかった。
脳筋二人も、実は疲れているのかも知れない。
東の大陸は、乾いた土地である。
河川が無い訳ではないが、日差しの問題なのか地質の問題なのか、水辺の周囲以外はおしなべて茶色である。
河川は人類の都合に合わせて流れている訳ではない。
水を見かけることなく数日が過ぎる事もある。
しかし不思議なもので、川もないのに茶色い大地の中にポツンと、緑に囲まれた泉が現れることがある。
この不思議は、ニグルが元いた世界にも存在していた。
所謂オアシスである。
マグスが示した直近の目的地である宿場町は、オアシスを囲むように形成されている。
「クロウラという宿場町だ。羊肉たっぷりのスープが美味いのだ」
マグスはもはや、譫言のように喋り続けている。
「羊肉がたっぷりと入っていてな、羊の旨みがスープの中にしっかり溶け込んでいる。そのスープに硬いパンを浸して食べるのだ。あれは本当に美味い。臭み消しの香辛料がまた素晴らしくてな。臭みを消すだけでなく肉の旨みを引き出している。香辛料は南洋半島から輸入されているのだ。南洋半島からラズヴェル。ラズヴェルからその先々へと運ばれる途中にあるのだ今から行く宿場町は。だから規模は小さいが何でも揃う商業が発達した町なのだ。誰か返事しろ!」
最後だけ、マグスらしい声が出た。
「マグス。もうすぐ夜が明ける。魔物のお時間が始まる。体力温存しとけよ。もう喋るなよ」
ニグルが見かねて声を出した。
「魔物が現れたらお前が相手すればいい。お前のせいでこんな目に遭っているのだから」
マグスはまた、元気の無い声になった。
「ねぇ、途中で休むという選択肢は無かったの?」
ルルが口を挟んだ。
「馬での移動なら疲れないと思ったのだ。意外と疲れるのだな」
マグスは今まで、海路以外では徒歩の移動しか経験した事がない。
思いの外、この大魔法使いは考えが浅い。
豊富な経験、それだけがマグスの偉大さの根源なのかも知れない。
「そんな浅はかな奴がよく今まで生き残ったな」
ニグルが憎まれ口を叩いた。
「勇者のお陰だろうな。子供の頃の俺は、勇者の庇護の元で多くを学ばせて貰った。だから俺は、この世の誰よりも偉大な大魔法使いになれたのだ」
謙虚なのか謙虚ではないのか。
マグスはよくわからない男だと、ニグルは思った。




