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強敵

 地面に両手両膝をつき、エルの重力魔法に抵抗するアオエボの必死の形相は、アオエボが顔を上げられないでいるために、アオエボを見下ろすニグルからは見えない。


 見えなくて良かったと言うべきだろう。

 

 ニグルに足りない、対抗心、闘争心といった心を持ち、強い欲望を持った男の必死の形相である。

 それは相当に、恐ろしい。


「おいニグル。何をしている。お前が俺に勝てるとしたら、今を置いて他にないぞ」


 もちろんアオエボには、ニグルに首を差し出す気は無い。

 圧倒的不利。そんな状況でも、アオエボの闘争心に翳りは無い。



 自尊心を母の胎内に置き忘れたような生き方をしているニグルにも、たまには意地を張りたい時があるのだろうか。

 それとも、本来あるべき状態に戻って、一旦冷静になりたいと思っているのだろうか。


「エル、重力魔法を解いてくれ」


 例え不利な状況になってもそれでも尚、思考を取り戻すべく縋りたい時には、そういう思考になるのだろうか。

 ニグルはエルの目をしっかりと見ながら言った。


 しかしその視線には、完全に解かずに動きが鈍くなる程度に残せよと、そういう意図が込められていた。



「ヒロくん・・・」


 エルは、女が惚れた男にだけ見せる笑顔になった。

 それは、男の下心に気付かない女の笑顔とも言える。


「わかった!私、もう邪魔しない!」


 ニグルは、溌剌と答えるエルに困惑しつつ、自信に満ちた男を演じながら大きくゆっくりと頷いた。

 エルが喜んでいる。それは何よりも大切なことのように思えた。



 エルの魔法の重圧から解放され、アオエボが立ち上がった。


「ニグル、何の裏付けもない薄っぺらい自信は、身を滅ぼす元になるぞ」


 ニグルは明らかに自分より弱い。

 圧倒的有利を捨てるのは愚の骨頂だろう。

 アオエボは馬鹿にするでもなく、今にも泣きそうな顔をして、心からニグルを憐れんだ。


「うるせぇよ。俺は悪魔を三体討伐している。お前如き相手にハンデはいらねぇんだよ」

「声が震えているぞ」


 事実、ニグルの声は震えていた。

 もちろん、恐怖で震えている。

 決して武者震いではない。


 何を見ているのか、何を考えているのか、何を伝えようとしているのかわからない、本当の意味での対話が出来ない悪魔より、何を見ていて、何を考えていて、何を伝えようとしていのかが分かりながら、とことん力の差を感じさせる人間相手の方が、恐怖感に実体が伴われている。

 いや、相手が人間だから、自分のスキルで殺してしまうことに恐怖を感じてしまうのかも知れないとも思える。しかしそれは、あまりにも自己評価が高過ぎるのだろうか。


 歯が鳴りそうになるのを必死に抑えながら、ニグルはそんなことを考えていた。

 そんなことを考えている間に、ニグルはようやく、自身の眉間がピリピリしていることに気付いた。


「やっぱり、俺はアオエボに怯えているんだな」


 結論に至ったニグルが呟いた。

 穏やかな農園の中で発したその小さな声は、周りの静けさに乗せられて、エルとアオエボの耳に運ばれた。


「本当に、無駄に素直な奴だな」


 アオエボは殊更に嘲笑した。



 アオエボがニグルを嘲笑するのとは裏腹に、エルはニグルの勝利を確信した。

 恐怖感から発動するスキルというのは、情けないようでありながら、今まで常に勝利を引き寄せてきたのも確かである。


 どんな恐怖にも屈しないことを、無意識のうちに証明してきた男が目の前にいる。

 しかもその男は、自身が初めて愛した男であり、初めて自身に愛を示した男である。

 エルは、ニグルが恋人であることと、自身がニグルの恋人であることを誇らしく思い、感情が爆発した。


「調子に乗ってんじゃないわよ!あんたなんか、ニグルさんなら余裕で勝てるんだから!ニグルさんは強い!とても強い!」


 こんなに大きな声を出したことはないだろう。

 そう思うほどの大声を出した。


 エルは、随分と爽やかな気分になった。



 エルが爽やかな気分になったのとは裏腹に、ニグルは鬱屈していた。


 単純に、スキルが発動しているとは言えど、アオエボが恐い。

 規格外の性能を持つ気の集中スキルと言えど、相手に触れなければ存在しないに等しい。

 アオエボほどの能力を持つ戦闘者であれば、自分のような動きの鈍い者が触れるのは難しいのではないか。


 そもそも、仮に勝てたとしても、その勝利を引き寄せるのは本能が自身を弱者であると認めた証と言えなくもない発動条件のスキルである。

 何がどう転がっても、自分に自信を持つことなど出来ない。


 こんな時、ニグルはあるスキルを発動する。


 ニグルが生まれ持ったスキル。

 転移した時に得たのではない、転移する前から持っていたスキル。


「まあ、気にしてもしょうがないな。プライドじゃ飯は食えねぇ」


 鮮やかな開き直り。


 確かなメンタルコントロール。

 落ち着きを取り戻しつつ、眉間のピリピリは失わない。


「いつでもいい。かかって来い」


 ニグルは無表情で、いつも以上に穏やかな声を腹の底から出した。


 低く、重く、鼓膜をいつも以上に振るわせる。

 エルは、その声をいつも以上にいい声だと思った。



「かかって来い?そいうのは強者が弱者を嬲るために用意された言葉だ。お前が口にしていい言葉ではない」


 ニグルの様子の変化に、アオエボは気付いている。

 警戒しつつ、しかし動揺は見せない。

 

「そういうつもりではない。俺は闘い方をあまりよく知らない。お前みたいな経験値高い奴を相手にした時の間合いの詰め方なんて、全くわからない」


 謙虚ではない。

 ただの事実だ。

 ニグルは、ただの事実を述べた。



「そうだな。俺は経験値が高い。だから、今みたいな空気の時には、自分からは仕掛けないんだ」


 形勢が悪くなったのかも知れない。

 数え切れないほど多くの死線をくぐり、不利な戦闘を幾度も制してきた熟練の戦闘者であるアオエボには、全身で状況の変化を捉えることが出来る。


「不慣れで仕掛けられない奴と慣れすぎて仕掛けられない奴の対戦か。それじゃ終わらない」


 ニグルはゆっくりと、アオエボに近付き始めた。


 アオエボには、身の危険が近寄って来ているとしか感じられない。

 アオエボは、右足を半歩下げた。

 

 当然の事として、アオエボは変則的であろうニグルの仕掛けに警戒している。

 しかし、ニグルにはどんな仕掛けの用意も無い。


 そうとは知らず、アオエボは警戒することに集中し過ぎて、少しだけ意識が途切れた。

 その間に、ニグルはアオエボの目の前に立っていた。


「さて、どうしようかね」


 目の前でぼやくニグルを、アオエボは不思議な生き物を見るような思いで見詰めた。


「取り敢えず、肩かな」


 ニグルはゆっくりと、アオエボの左肩に手を伸ばした。

 ニグルなりに、アオエボに警戒されないようにと考えて、意識してゆっくりと。


「・・・・・・」


 アオエボは、ニグルのその手を静かに躱した。

 ニグルの静けさが、アオエボにはとにかく不気味だった。


・・・・・・・・・・・」


 ニグルは再びゆっくりと、アオエボに手を伸ばした。

 アオエボは再び、その手を静かに躱した。


 ニグルは更に、アオエボに手を伸ばした。

 アオエボは更に、その手を躱した。


 そんな事を何度も繰り返した。

 何度繰り返しても、ニグルはアオエボの体に触れられない。

 ニグルはなりふり構わずに、必死にアオエボの体を追った。

 アオエボはその手を容易く、躱し続けた。


 さすがにアオエボは、ニグルのその手が危険極まりないものである事を察した。

 しかし、いつまでも躱すばかりでは埒が明かない。

 素手と剣、リーチの差を活かそうと思い、アオエボは後に跳ねた。


 

 距離をとり剣を構え直すアオエボを見て、間合いに変化が必要だと気付いたニグルは、何か武器を持ちたいと思った。


 腰の左側には田中の太刀を吊るしている。

 それを手に取るべきか。

 いや、剣技で劣る。

 危険だ。


 ニグルは、腰の右側に紐で吊るしてあった竜の大腿骨を手に取り構えた。


「・・・骨?」

「骨」

「なんで?」

「なんでだろう・・・」


 緊迫感に包まれたニグルとアオエボの間で、魔の抜けた質疑応答が交わされた。


 我ながら滑稽だと、ニグルは思った。

 一方アオエボは、やはりニグルは変則的な闘い方をするつもりなのだろうと思った。


 

 両者共、仕掛ける切っ掛けを見つけられず、ただただ睨み合っている。

 精神疲労、気を集中させてスキルを発動させているニグルの方が、この状況では不利だろう。

 

「はあ」


 ニグルは、和解の糸口が作れるかも知れないと思い、ため息を吐きながら構えを解いた。

 もう疲れたし休戦しようや、とでも言いたかったのだろう。


 しかし残念ながら、アオエボには何となく和解するという習慣がない。

 アオエボは、ニグルは隙を見せて誘っているのかも知れないと思った。

 仮にそれが演技だとしても、今しか好機がないのではないかとも思った。


 アオエボは力強く地面を蹴った。一気に、ニグルとの間合いを詰めた。


 変則的な闘い方をしそうだが、ニグルからは濃い素人臭が漂ってくる。

 やたらと迷いなく手を振り回していたところを見ると、あの手に何かあるはずだ。

 じゃあ、あの手を躱せばいいだけではないか。しかも今は、骨を握っている。恐れる必要がない。

 

 正攻法で勝てる。

 念の為、動きがわかりやすい斬撃はやめておこう。

 素人相手でこの間合いなら、刺突がいいであろう。

 この間合いからの刺突なら、素人には見切れないであろう。


 アオエボはニグルの鼻に向けて、鋭く剣先を繰り出した。


 

 しっかりと体重をかけた刺突は、最速で相手に届き致命傷を与えられる。

 避けられてしまえば、大きな隙が出来て無防備になる。

 しかしそんな心配は、同等の腕前を持つ者を相手にした時にすればいい。

 ニグル相手には無用の心配であろう。

 ニグルにこの刺突が避けられるわけがない。

 

 アオエボのその予想は正しい。

 ニグルは剣技に関しては全くの素人であり、格闘経験のない運動不足の中年でしかないのだから。


「!」


 実際、目の前に迫った剣先に、ニグルは身動きも出来ず声すら出せずに戸惑っている。

 素人のニグルはようやく、無意識に、アオエボが繰り出す剣先を遮ろうと掌を突き出した。


 これがただの素人なら、必死に突き出した掌に虚しく剣が突き刺さるだけであろう。

 しかし恐怖に支配されたニグルの場合、そうではない。


 アオエボが繰り出した剣先は、ニグルが強いストレスを感じた時に発動するスキル・気の集中の餌食になり、ニグルの掌に触れることもなく消滅した。

 それがアオエボには、ニグルの掌に剣先が吸い込まれたように見えた。


「やたらと俺の体に触りたがる訳だ」


 アオエボは一応、ニグルの掌の能力を理解した。

 

「何でも吸い込む手、それがお前の異世界人らしい馬鹿げた能力なのだな」

「・・・・・」

「図星か。沈黙は肯定だぞ」


 迫り来る剣先の恐怖に動揺したままのニグルは、アオエボを無視したと言うより、アオエボの声が耳に届いていなかった。

 

「わかってしまえば怖くない。とことん避ければいいのだ。俺にはそれが出来る。お前のような素人相手なら確実にな」


 毛が生えそろう前から命を奪い合う場に身を投じてきたアオエボと比べれば、元異世界人の悪魔達など素人や間抜けばかりであった。

 大きな魔獣達も、キュアクにしたって、やはりただの間抜けでしかなかった。


 熟練の戦闘者であるアオエボを相手に、ニグルは未だかつて無いほどの危機に直面している。ニグルはそれを実感している。

 相手の武器に損傷を与えても尚、ニグルの恐怖は全く目減りしない。


「手っ取り早く確実に避けるならこうだな」


 アオエボはそう言うなり、エルの背後に素早く駆け寄って、モリ謹製のセーラー服風冒険服の後ろ襟を左手で掴んだ。


「最強の盾だ」


 アオエボは誇らしげに言い放った。


「見た目は最高の盾だな。こんな可愛い盾は見たこと無い」


 ニグルは必死に強がった。


「どうする?お前が俺に触れようとしたら、可愛い盾がお前の手に吸い込まれるぞ」


 勘違いしたまま、アオエボはニグルに圧をかけた。



 アオエボに後ろ襟を掴まれ、かぼちゃパンツを露わにしているエルは、決して無抵抗のままでいるわけではない。

 お気に入りの服を敵対する男に触られ、不快に思い、その手を振り払おうともがいていた。

 しかしエルは非力である。何度アオエボの腕に手が当たっても、アオエボの腕は微動だにしない。


 仕方なく、エルは魔法を使うことにし、柏手を打つように掌を合わせ、その掌に魔力を集中させ始めた。

 異変に気付いたアオエボは、エルの後ろ襟を掴む手を激しく揺さぶった。


「やめろ!やめろ!」


 やめろと言われてやめる訳もないのだが、それでも人は誰しも、自分にとって都合が悪い時にはそう言ってしまう。



 アオエボの意識がエルに向かったと見るや、ニグルは必死に駆けて、アオエボの右手首を掴んだ。

 アオエボの右手首は消滅し、アオエボの右手は剣先が無くなった剣を掴んだままポトリと落ちた。


「吸い込むのではなく消滅させるのか」


 アオエボは、ようやく正解に辿り着いた。

 だからと言って、何も解決しない。

 

 アオエボの右手首を消滅させたところで、アオエボの左手はエルの後ろ襟を掴んだまま。

 ニグルにとっても、今のところ現状の打開には至りそうもない。

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