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アオエボと、ニグル

「なんだあれは!」

「ん?」


 屯田兵の若者が指差す方向にアオエボが目を向けると、人を乗せた赤色のものが、土煙を上げながらけたたましい騒音と共に疾走している姿が見えた。


 アオエボには見覚えがあるような気がする。

 そう、その騒々しい赤色は、ニグルとエルを乗せた単気筒の赤いオフロードバイクだ。




 緑、黄緑、濃い緑、薄い緑、鮮やかな緑。

 陽の角度によって変化する様々な緑。

 よく見ると赤や黄色、紫も。


 農業とは、自然と人の共同作業による大地の色付け作業と思えば、そう思えなくもない。

 冬の農地の彩りの寂しさ、土色の単調な押し出しの強さは、人が春に焦がれるためにそうしているのではないかと思えるほど味気ない。


 味気ない土色も、鮮やかに彩られた緑色の大地の中で爪で削り取った跡のような線になれば、鮮やかさの中で差し色になる。


 その差し色の上を動き回るのは馬車や荷車、馬、牛、人。

 差し色を邪魔することはない。


 ニグルの赤い愛車が茶色い差し色の中を走り抜けると、大地の彩りはどうなるのか。

 真紅ではなく橙色に近い、タヒチアンレッドと称されるその赤色は、自然と人の共同作業の成果を邪魔しない、程よく調和して重なる差し色になる。

 これは、ニグルの主観である。


 元いた世界で妄想した理想の道は、この世界の至る所に伸びている。

 元々ツーリングが好きな男ではあるが、この世界に転移してから、ニグルはますますツーリングが好きになった。

 

 今日もニグルはバイクの振動に身を任せ、幸せに包まれている。



 ニグルは農地に人影を見つけ、その人影がある方向に進路を変えた。


「エルー!あそこに人がいるから果樹園の場所を聞こう!」


 道に迷ったら、いや迷わなくても、地元民を見つけたらとにかく声を掛けてコミュニケーションを図る。

 この世界に転移する前から継続している、田舎ツーリングにおけるニグルの流儀である。




 聞いたこともない咆哮を上げながら、見たこともない速さで何かが近付いてくる。

 屯田兵の若者は、恐怖にすくみ上がった。


「なんだあの音と速さは!あ、あれは悪魔か!?悪魔に違いない!アオエボさん!助けてくれ!」


 屯田兵の若者はアオエボに救いを求めた。



 ニグルは時速何キロ出しているのか。


 走っているのは土色の未舗装路である。

 ましてニグルの愛車のリアサスペンションは、高性能なモノショックではなく、前時代的なツインショックである。

 更に言うなら、転移前のニグルはダートを苦手としていた。


 アスファルト舗装された道路が存在しないこの世界で、随分とダート走行に慣れたのであろう。

 ニグルはいつの間にか、中級林道アタッカー程度の運転技術を身に付けていた。


 そんなニグルに操作されたバイクが、荒れた農道を力強く爆走している。

 屯田兵の若者がすくみ上がり、我を忘れて情けない声でアオエボに救いを求めたって、それは仕方がないのでは無いだろうか。


「いや、違うな。あれは俺が嵌めてやった冒険者だ」


 改めて見る速さ、改めて聞く爆音に内心で恐怖を感じながら、アオエボは努めて冷静に答えた。



「アオエボさん!なんだあれは!悪魔か!」


 離れた場所で作物の出来を確認していた商人一行が、ニグルのバイクの音に気付いて驚き、アオエボの許へ駆けて来た。


「あれは冒険者だ。例の、俺が陥れてやった奴さ。報復でもしに来たのかな」


 アオエボは再び、努力して気の抜けた声を出した。




「いい天気ですねー。天気がいいと畑の緑も映えますね。いい色してるわ」


 ニグルは、アオエボと屯田兵の若者と少し距離をとってバイクを停車させ、エンジンを止めた。

 

「この畑の人ですか?」


 ニグルは顔を上げて、そこにいる二人の顔を見た。


「てめぇっ!アイウエボ!」


 アオエボがそこにいることに気付き、ニグルの頭が瞬間沸騰した。


「アオエボだよ」


 アオエボは、普段通りの表情を心がけながら、腰から吊り下げた剣をいつでも手に取れるよう、腹部に力を入れながら少しだけ腰を落とした。


「アオエボか!お前、何で俺らを不審者扱いしたんだ!」

「お前は異世界人だろ。不審者じゃないか」

「それはそうだ」


 ニグルは妙に納得してしまった。


「だったら最初からそういう態度で来いよ。ちょっと親切にしやがってよ」


 ニグルは何とか食い下がろうとしたのだが、それはお粗末な知能を露呈しただけであった。


「傷付いたか」

「おうよ」


 しかし、プライドが邪魔をしがちな年齢になってもこの素直さは、それはそれで美徳なのだろうか。

 少なくとも、アオエボには美徳と感じられたかも知れない。


「お前は、異世界人冒険者らしくないのだな」

「異世界人冒険者らしいってどんなだよ」

「異世界人冒険者は、独善的で、自尊心が強くて、高圧的で、好戦的で、自己陶酔している」

「みんながみんなそうじゃないだろ」

「いや、みんながみんなそうだった。お前以外はな」


 幼少期にその手の異世界人冒険者の姿を目と心に焼き付けてしまったアオエボにとっては、それが標準的な異世界人冒険者なのでろう。


「そうか!そんな連中と一緒にしないでくれてありがとう!」


 感謝の意を口にしたものの、ニグルはアオエボの過去など知らないだけに、アオエボの胡散臭さに鼻がもげそうな思いであった。

 

「しかし、異世界人冒険者は異世界人冒険者だ。俺にとっては、仇の一味でしかない」


 アオエボの表情が一変した。

 ついさっきまで、柔和な表情でニグルと会話していた。

 しかし今は、冷徹そのものの、どこを見ているのかわからないような、そのくせ殺意に満ちた目をしている。


 一変したのは表情だけではない。

 ニグルの間抜けぶりに、よくいる異世界人冒険者のような、素っ頓狂なスキルを持った強者とは違う者だと踏んで、心に余裕が生まれていた。


 心に余裕が出ると、その余裕に自信が伴った。

 久し振りの異世界人冒険者狩りは、命を張った争闘ではない。

 今の立場と天秤にかけるほどのものではない、何かを失う心配はない、ただただ愉快な狩りになりそうだ。

 アオエボはそう思っていた。


 そうは言っても油断はしない。

 油断は信じられない失敗を呼び込む。

 アオエボは熟練冒険者として、そう心得ていた。


 ニグルに戦闘意欲が湧いていないように見受けられる今がチャンスとばかりに、アオエボは腰から吊るした剣を鞘から抜き取り、心持ち腰を下げた。


「なんだ?何で俺は今、剣を向けられている?」


 ニグルは戸惑った。


「お前、多重人格なのか?」


 相手は人間、出来れば殺したくはない。

 しかもどうやら、物理攻撃を得意とするタイプだ。相性が悪いであろう。


「他の異世界人冒険者とは違うって認めていながら扱いは他の異世界人冒険者と同じとか納得いかねぇな!」


 何とか戦闘を回避しようと、ニグルは無駄に言葉を繋いだ。


「口数が多い奴だな。それとも恐怖心に縛られて落ち着きを失ったのか」


 アオエボは自信を深めながら、口角を少しだけ上げた。

 

「どっちも正解だ!」


 ニグルが素直に認めたのは、これが精一杯の、今出来る強がりだからだ。


「本当に素直だな。お前はいい奴なのかも知れない」

「そう思うなら剣を交わすより握手を交わそうぜ」


 ニグルは尚も、戦闘回避を諦めてはいない。


 しかしアオエボは、ニグルが憎くて闘いを挑んでいるわけではない。


 大した理由はない。ただ、久し振りに感じた宿命として、異世界人冒険者を殺害しようとしているだけなのである。

 あくまでも、相手はニグルではなく、異世界人冒険者である。

 ニグルがどう努力しても、アオエボの決意は変わらない。



 ニグルが、アオエボと対峙しているように見えて実は怯懦している間、エルはすっかり気配を消していたが、それは意図してそうしているわけではなかった。


 ニグルはアオエボの脅威に負けないよう踏みとどまるのに必死になって周りが見えなくなっていた。

 アオエボはニグルに対する恐怖と嘲りの振れ幅に踊らされて周りが見えなくなっていた。

 屯田兵の若者も商人もまだそこにいるが、固唾を飲みながらニグルとアオエボの対峙を眺めることに集中していた。


 つまり、エルが気配を消しているのではなく、誰もがその存在を忘れているだけであった。



 その場にいる全員から存在を忘れられている間、エルはただニグルとアオエボのやりとりを傍観していたわけではない。

 いつでも状況に合わせて魔法を発動させられるよう、静かに魔力を集中させていた。


 柏手を打つように掌を合わせるのは、言わば急速魔力集中の手段であり、密かに、じわじわと魔力を集中させるのであれば、それを行う必要はない。

 いつ視線を向けられるか警戒しながらも、エルは今を機に、微量な魔力を集中させ続けた。


 


「言葉はもう要らない。私は既に、目の前の異世界人冒険者を殺すと決めている。それだけのことだ。それは私の宿願であり、それはこの世界の民を守るために必要なことだ」

「言葉は要らないと言いながらよく喋る」

「ニグル、声が掠れているぞ。緊張しているな」

「まだ喋るのか」

「ふ」


 ニグルの緊張を見て取って、アオエボは勝利を確信した。


 口の中が乾くほど緊張している者と、相手の緊張ぶりを観察する余裕がある者。

 命の奪り合いをするという時に、どちらが有利か。

 考えるまでもない。


 アオエボは、腰を低くして地面を蹴り、一気にニグルとの間合いを詰めた。


 ごく標準的な長さの剣を得物にするアオエボは、ごく標準的な剣士である。

 しかし標準的な剣士の中では、相当な手練れである。

 

 対するニグルは、特にどういった種類の戦闘者でもなく、その手の素養もなく、極めてゲテモノである。

 しかも相性だけで悪魔を倒してきたような男である。

 実績に見合った実力は無い。

 

 それでもニグルには気の集中スキルがある。

 アオエボの威圧感に怯懦しているニグルの眉間は、ちゃんとピリピリしている。


 しかし、それに気付かないほど怯えているため、全く心の準備が出来ていない。



 素早くニグルとの間合いを詰めたアオエボは、上段から剣を振り下ろした。

 腰に下げた田中の太刀を抜いてもいないニグルには、なす術もない。

 と、ニグル本人も思っていたが、意外なことにアオエボの剣を躱した。

 誰も気付かないうちにエルが重力魔法を発動させ、アオエボの動きを鈍化させていたのだ。


 それをニグルに明かせば、ニグルは油断して気の集中を発動させられないかも知れない。

 エルは、ただ黙ったまま、ニグルを見守ろうとしていた。


「私も緊張しているのかな。いつもより体が重い」


 エルが重力魔法を発動させたとは気付かず、アオエボは不思議がっている。

 アオエボが首を傾げている隙をついて、ニグルは少しだけ冷静さを取り戻し、背後にいるエルの方に振り返った。


「エル!魔法!」


 ニグルは臆面もなく、エルに救いを求めた。

 ニグルを立てようと、エルは気を遣って攻撃魔法ではなく重量魔法を発動させたのだが、ニグルはそれどころではないほどに怯えている。

 しかし、微量ながら重力魔法を発動させているだけに、現状ではエルは他の魔法を使えない。

 重力魔法を解除すれば、アオエボならその途端に今より躍動し始めるのは想像に難くない。


「それどころじゃないから自分で何とかしてよ!」


 ニグルは、エルに怒られた。


 不甲斐ないニグルに思わず怒鳴ってしまったエルは、大きな声を出した拍子に力み、意図せず重力魔法を発動させる魔力量を急増させた。

 

「ぐあっ」


 目に見えない力に押さえつけられ、アオエボは立っていられなくなり、地面に両手両膝をついた。

 魔法無効化スキルを身にまとうニグルは、四つん這いになったアオエボを見下ろしながら、田中の太刀を鞘から抜き取った。


「無様だなぁおい」


 形成逆転。

 ニグルは口角を上げながら、田中の太刀を上段に振り上げた。

 ニグルはなかなか下衆である。



 ニヤニヤしながら、ニグルは辺りを見渡した。

 少し離れた場所では、商人が重力に耐えかねて気絶している。

 そのそばで、屯田兵の若者は辛うじて意識を保っているらしく唸ってはいるものの、微動だに出来ずにいる。

 

 やはり今がチャンスだと、ニグルは確信した。

 確信した今、取るべき行動は一つだけ。

 アオエボの首を斬ろうと、ニグルは田中の太刀を振り下ろした。


 無抵抗なアオエボの首を斬るだけ。

 それだけの単純作業だと、ニグルは思っていた。

 それだけに、ニグルは次の展開に、驚くより混乱した。


 エルが発動しているらしい重力魔法で、誰も動けないはずだった。それはアオエボの同様のはずだった。

 しかしアオエボは剣でしっかりと、ニグルが振り下ろした田中の太刀を受け止めていた。

 

「ん?」


 何秒経っても、ニグルは状況を全く理解出来ない。

 

「ん?」


 何度も瞬きをし、瞬きしている間に本当の今が視界に映ることを期待した。

 しかし、何度瞬きをしても、アオエボが田中の太刀を受けている今が本当だ。


「お前は自分より強い相手と闘ったことがあるか?」


 アオエボは、剣で田中の太刀を受けたまま、絞り出すように声を出した。


 ニグルは悪魔を何体も討伐している。

 キャリアからすれば、実績は申し分ない。

 実力差という点で見れば、格上の相手ばかりであったのかも知れない。

 しかし相性という点で見れば、ニグルは、勝てる相手に妥当に勝ってきただけとも言える。


 つまりニグルは、自分より強い相手と闘った経験が無かった。



 その点、アオエボは違う。

 下の毛が生え揃わない頃から、大人と一緒に魔物と闘ってきた。

 下の毛が生え揃ったばかりの頃から、大人である冒険者と闘ってきた。

 しっかり下の毛が生え揃った頃には、出鱈目な能力を持つ異世界人冒険者を襲撃していた。


 くぐった修羅場の数が、ニグルとは雲泥の差なのである。

 アオエボはそれを察していた。


「俺はずっと、俺より強い奴と闘ってきた。お前のような甘っちょろい奴が、俺に勝てると思うなよ」


 そうは言っても、アオエボはエルの重力魔法で立ち上がれないままでいる。

 ニグル有利は変わらない。そのはずだ。


 しかし、それでもニグルは、完全にアオエボに呑まれていた。

 蛇に睨まれた蛙のよう、とは今のニグルの状態であろう。

 

 ニグルは呆然とし、黙ってアオエボを見下ろすことしか出来ずにいた。

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