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発情期の犬、峠を越える

 峠の悪魔の甲高い声がニグルの鼓膜を震わせている頃、ニグルによって消滅させられた結界があった場所のすぐそばでは、キュアクの顔から血の気がすっかり引いていた。


「本当に、あっという間に結界が消えた・・・」


 歴戦の戦士であるキュアクと言えど、すぐそばで起きた意外な出来事を受け入れられないでいた。


 どうやらこの世界における結界の存在というのは稀であり圧倒的で、それを消し去ることは困難なことらしく、大魔法使いマグスと共に冒険した経験を持つエイダでさえ、結界の出現に驚き慌てふためいた。


 その結界が、出現し完全に形成されるや否や消滅した。

 自身もかつて経験し、脇目も振らずに逃亡させられた大いなる恐怖が、あっさりと消滅した。



「多分ですけど、ニグルさんは軽く触れただけだと思いますよ!」

「触れただけで結界が消えるなんてことがあり得るのか・・・」


 モリの言葉に、キュアクは更に戸惑わざるを得ない。


「ありとあらゆる魔法が、ニグルさんの体に触れた瞬間に無かったことになりますから!すごいでしょ!」


 仲間として、このスキルを持ったニグルのことが、モリは誇らしい。


 この世界がどこまで広がっているのかはいざ知らず、こんな無茶苦茶なスキルを持った者は他にはいないであろう。


「凄いな・・・マグス様でも歯が立たないということなのだからな・・・」


 キュアクにとっては真っ当に闘える相手ではあるが、魔法使いとしてのみ偉大な大魔法使いのマグスでは成す術がないということだ。


「そうだ!だからエルとの仲を認めている!俺に歯向かうことがないようにな!」


 マグスは冒険者としてのニグルのポテンシャルを認め、評価している。

 しかし、贔屓にする理由は一つではないということである。

 マグスはややこしく、思慮深く、生々しい。


「こんなスキル、世界広しと言えど、他に持ってる人いないのではないですかね!」


 モリはすっかりいい気分になっている。


「そうでもないぞ!」


 そうでもないらしい。

 マグスに水を差され、モリの脳内におけるニグルの値打ちが少し下がった。


「噂の勇者ですか?マグス様」


 キュアクが目を輝かせた。

 冒険者も魔獣も寄り付かなかった南洋で生まれ育ったキュアクは、勇者のことをよく知らない。

 噂程度に、世界で一番強いと聞いたことがあるだけだ。

 だからこそ憧れが強い。


「勇者はそんなスキル持っていなかった!むしろ、勇者自身の魔法耐性は低かったな!」


 マグスは意外なことを言った。


「そんなんで、勇者?」


 今まで会話に参加していなかった、するつもりもなかったルルが、つい食いついてしまった。


「本人の魔法耐性は低かったが、魔法耐性に優れた鎧を装備していたのだ!」

「いかにも勇者らしいですね!ひょっとして、歩くたびに体力か魔力が回復する効果が付与されていたりとか!?」


 オタク青年モリが興奮し始めた。


「そんな都合の良いものではなかったな!何かを得るには何かを犠牲にしなければならないのは、世の常という事だな!」

「そうですかー。勇者は何を犠牲にしていたのですか?」


 理不尽な都合の良さこそファンタジーであろう。

 モリの中では、少しだけ、勇者の鎧がファンタジーから離れた。


「性欲だ!」


 マグスは目を見開いて、一喝するかのような声を出した。


「代償が大き過ぎる!」


 ルルが思わず大きな声をあげ、顔を赤くしながら俯いた。


「そうだ!代償が大き過ぎるのだ!しかしそれが普通なのだ!にも関わらず、勇者が健全な男子にとって最も大切なものを犠牲にしてようやく手に入れた力を、ニグルは何の苦労もなく、いい歳して発情期の犬のように盛ったままで、何の代償も支払わずに持っているのだ!」


 モリとルルとキュアクには、マグスの声に怒気が含まれているように感じられた。




 峠の悪魔。

 仮に人間として見るならば、随分と小柄と言える背格好をしている。

 フードの付いたマントを羽織り、マントに付いたフードを目深にかぶっている。

 フードに隠れているから、どんな顔をしているのかは、ニグル達にはわからない。

 小柄なシルエットと甲高い声からすると女性か子供と思われるが、同じ人類でも種族が違う場合、それぞれの種族の常識からは推量れないことも多い。


「お前、なんて名前なの?」


 ニグルは悪魔に名を尋ねた。


 悪魔と遭遇した経験を持たないエイダだが、人伝に聞いた悪魔に関する逸話の中で、悪魔と会話をした者の話を聞いたことが無い。

 そもそも、悪魔とは人類に仇なす存在というのがこの世界の常識であり、悪魔は登場すると同時に人間を殺戮し始めるのが定石だと聞いている。

 そんな恐ろしい存在と暢気に会話をする人類など、そりゃいないだろうという話だ。


 しかし元息子のニグルはいつも通りの調子で、確かに悪魔と会話をしている。


 前世でも息子のことを変わり者だと思っていた。

 親戚からも、この子は他にはいないタイプだと言われたことがある。


 大それた才能は無かったが、こういうところがそういうことなのだろうと、エイダは思った



「チョロ!」


 峠の悪魔は峠の悪魔でこれまた暢気に、ニグルの質問に対して素直に答えた。


「生まれた時から悪魔?お前が探してるお母さんって悪魔なの?悪魔から生まれた悪魔なの?」

「違う!」

「悪魔になる前は人族?」

「獣人族だ!耳ついてるだろ!」

「フードかぶってるから見えねぇよ」

「あ」


 峠の悪魔はフードに手をかけて、一旦はフードを脱ごうとしたものの、その手を止めた。


「結界を破られたら何も出来ない!棲家を変えなきゃ!」


 峠の悪魔は、結界魔法しか能がないらしい。


 通常であれば、結界魔法だけ使えれば無双出来る。結界魔法とはそれくらいに強力な魔法である。

 キュアクほどの強者が恐れていたことを考えれば、それは間違いなさそうである。

 しかし、ニグルが相手では相性が悪い。


 峠の悪魔は、勢いよく飛び去った。


「どうせ、また会うんだろう・・・」


 既に、今回で三回目の遭遇である。

 何故かニグルが行く先々に現れる印象すらある。


 しかしそれは、嫌な予感ではない。

 ニグルにとっては相性が悪い相手ではない。その上、悪魔のくせに愛嬌がある。


 その個性をニグルは気に入った。

 また会いたいとすら思っていた。




「ニグル!悪魔はどこに行った!」


 峠の悪魔が飛び去ってすぐに、マグス達が追い付いた。


「どこかに飛んで行った」


(発情期の犬)

(発情期の犬)

(発情期の犬)


 ニグルの顔を見た瞬間に、モリとルルとキュアクは、先ほどマグスが口にした例えを思い出し、口の端をひくつかせた。


「逃がしたのか!」


 モリとルルとキュアクは笑いを噛み殺しているが、発情期の犬と言った本人はいつも通りの気難しい顔をしている。


「飛ぶ奴なんて追いかけらんないよ」

「それもそうだ!悪魔は厄介だな!」


 ニグルとマグスが言葉を交わす間もなお、モリとルルとキュアクは迂闊に口を開けられない。



「何はともあれ、峠の悪魔を追い散らしたのは事実だ!これで峠の安全は確保された!討伐した訳ではないから報酬は無いだろうが、ギルドに報告しよう!」

「どこのギルドに?」

「この先にラズヴェルという都市がある!南洋半島から見れば東の大陸の玄関口だ!」


 ラズヴェルは東の大陸の西南に位置する。

 大きな都市であり、国家そのものである。つまり都市国家である。

 

 南洋は常に不安定ながら、鉱物資源に恵まれた土地である。南洋で産出された鉱物は、ラズヴェルを経由して東の大陸に流れていく。逆に東の大陸の交易品は、ラズヴェルを経由して南洋に流れていく。


 ラズヴェルの経済は、中継貿易のお陰で随分と潤っていた。


「ラズヴェルは大都市だ!賑やかだぞ!」

「キゼトより?」


 ニグルにとって、この世界の都会とはキゼトとクタとスブルである。

 その中でも特に、キゼトが一番栄えている。

 

「キゼトより賑やかだ!」

「東の大陸って強い魔獣が多いんだろ?僻地かと思ってた」

「東の大陸の魔獣は強い!竜もいる!悪魔も多い!だからこそ、対抗する術を得ようと努力した結果、人類も強くなった!人類が強くなると言うことはつまり、広い意味での文明の発展だ!」


 なるほど、とニグルは思った。


「じゃあセノベやスブルより、強い武器やら防具やらが売られているわけだな」

「そういうことだ!そして冒険者は冒険者として洗練されていて、住民は住民として洗練されている!」


 ニグルは少し胸が躍った。それは田舎者としての血が騒いだと言い換えてもいい。

 

「よし!じゃあラズヴェルに向けて出発だ!」


 ニグルはバイクのスロットルを捻った。

 早速、馬移動組から離れて先行した。


「あの子はまた・・・」


 エイダが溜め息をついた。




「エル!ちゃんと道が整備されてるから走りやすいな!」


 ニグルは、後に首を捻りながら、背後のエルに話しかけた。 


「でも振動がががが」


 確かに街道は整備されている。整然と石が並ぶ石畳の道路である。

 走りやすいは走りやすいが、石畳に時として大きな段差がある。

 決して振動がないわけではない。


「舌噛むなよ!エル!」

「そう思うなら話しかけないでよよよよ」


 エルはニグルに聞こえない程度の声の大きさで、文句を言った。



 石畳の道路を、舌を噛まないように気を付けながら、ニグルが慎重にバイクを走らせる。

 単気筒の力強い排気音が、人気の無い街道に響く。


 峠を越えてからは、街道の両側からすっかり建物もその痕跡も消えた。

 元々、宿場町のような町もなく、旅人を守るための砦もなく、人の出入りを把握し管理するための関所もないのだろう。



 峠の南側は魔獣の巣窟とまで言われる東の大陸である。しかし経済活動は活発であるという。

 旅人や、経済を支える隊商はどうやって旅をしていたのか。

 どうやって魔獣や魔物の襲撃から身を守っていたのか。


 ニグルは舌を噛まないように気を付けつつ、そのことばかり考えていた。

 そんなニグルの疑問に対する答えは、ニグルの行手にあった。

 


「ヒロくん」


 ニグルの右肩の背後から、エルが声を掛けた。


 人前ではこの世界の名前であるニグルと呼び、二人だけの時にはニグルの本来の名前で呼ぶ。

 これはニグルとエルの秘め事である。


「なーに?」


 亀の甲羅を頭に乗せた凶悪な顔の中年が、鼻の下を伸ばしながらバックミラー越しにエルの顔を見ようとした。

 しかし小柄なエルはニグルの体にすっぽりと隠れてしまい、頭に乗せた亀の甲羅しか見えない。


「魔獣の気配を感じる」


 偉大な冒険者を両親に持つ、この世界に生まれたエルとは言えど、気配だけで魔獣の存在を感じたことはない。

 エルは魔獣捜索スキルを持っているわけではないのだから、それが普通である。

 それを自覚しているだけに、エルは、魔獣の気配と共に恐怖を感じた。


「道の両側が森林なだけに、警戒しなきゃだな」


 ニグルは、グッと顔を引き締めた。

 いつになく真剣な顔になっているはずだと思いながら、道の両側に目を配った。


 しかし、緊張しながらバイクを走らせ続けたが、一行に魔獣に襲われない。

 そろそろ緊張することに飽きた頃になってようやく、遥か前方に数えきれないほどの異形の影の群れを見た。


 必死に目を細めても影は影のまま。

 ニグルの目は、所詮は現代日本人の目である。


 ニグルの目に比べれば、スマホもテレビも無い世界に生まれ育ったエルの目は視力がいい。

 エルの目には、魔獣ではなく魔物、この世界でゴブリンと呼ばれている魔物の大群が見えていた。


「ヒロくん!凄い数のゴブリンの塊がある!」

「ゴブリンの塊?合体してデカくなるパターンか?」

「多分、大群で何かを襲ってるんだと思う」

「マジか。つかゴブリンって異世界人が命名したのかな。いや、逆にこの世界から俺がいた世界に転移してその言葉を持ち込んだ可能性もあるよな」

「何を暢気に!・・・近付かない方がいいよ。あんな大群に襲われたら勝てない気がする」

「そうか?いつも通りバイクで走り回りながらエルの魔法を食らわせれば勝てるんじゃないか?」

「あの塊の中心に旅人がいたら、一緒に殺しちゃう・・・」

「確かに・・・一旦眠らせたら?」

「導眠魔法は確実性に乏しい」

「んー」


 ニグルが次の言葉に窮していると、ゴブリンの塊が崩壊した。


「お、なんか、強い奴が塊の中心にいるっぽいな」


 エルが止めるのを無視して、ニグルはバイクを走らせ続けている。

 ゴブリンの塊が徐々に近付いてくる。


 崩壊したゴブリンの塊の中心で、ゴブリンの群れを蹴散らす人影が見える。

 それは一つではなく、複数の人影である。


「冒険者かな」


 エルの推測は常識的であろう。


「マグスが言ってたラズヴェルの住民じゃない?」


 ニグルは、さっき知ったばかりの新しい知識を基に推測した。



 バイクを走らせる内に、ゴブリンの群れを蹴散らした者達の姿がよく見えるようになった。

 姿が見えたところで、それが何者であるかまでわかる訳がない。


 ただ、ゴブリンを蹴散らした者達が、驚いたように目を見開き、ニグルとエルを見ている事だけはわかった。

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