田中、帰る
かけ離れた経験値の差が、カウンターを返された田中と、カウンターを返したキュアクの差である。
長引きもしなかった。
ぶつかり合った次の瞬間に田中は瀕死となり、キュアクは返り血を浴びただけ。
ただ、それだけのことである。
マグスの魔力を注入されて、田中は辛うじて生きている。
マグスが治癒魔法を止めたら、田中は即座に死ぬという。
マグスの魔法が生命維持装置の代わりになっていると、ニグルはそう理解している。
エルの治癒魔法で、キュアクに切られた田中の血管は全て癒着している。
だから出血は止まっている。
しかし、足りなくなった血は、どこからも補充されない。
注入される魔力はあくまでも魔力であり、血ではない。
田中の命は、治癒魔法で誤魔化されている、かりそめの命と言える。
元いた世界であれば、輸血すればいいのかも知れない。
きっと点滴も必要なのだろう。
しかしこの世界は、事ある毎に魔法に依存する世界。
医療は無いに等しい。
元いた世界の医療は、この世界の荒唐無稽な魔法の数々よりも優れているのではないか。
ニグルはそう思った。
「田中、聞こえるか」
エルの治癒魔法によって膝が回復したニグルは、膝の具合を確かめながらゆっくりと歩き、仰向けになっている田中の横に座った。
「聞こえますよ。マグスさんの魔法のお陰で、意識が混濁するとか意識を失うとか、そういうことはないですね」
「そうか。田中、治せよ」
「治るとして、治すのは僕ではなくてマグスさんやエルさんですよ」
「違うぞ田中。治癒魔法は外科手術じゃない。代わりのものを持ってきて機能を代行させるとかって選択肢はない。元からあるものを治すだけだ。だからお前が気を強くして細胞を活性化させないと、治るものも治らないんだぞ。知らんけど」
「相変わらず適当ですね。でも、少しですけど元気が出ました。加藤さんがあっちの世界にいた頃と変わってないのがわかって」
「うるせぇぞ田中」
ニグルは優しく微笑んだ。
「ニグルさん、僕、助からないですよね」
田中は清々しい表情で、弱々しい声を出した。
「思ってもいないこと言って誤魔化すの嫌だからはっきり言うな。田中、お前はもう助からないと思う」
お前はもう、死んでいる。
そう言いたい思いもあったが、そんな悪ふざけを理解して笑ってくれそうな唯一の存在が、弱々しい声しか出せなくなっている。
「ですよね。これって死ぬってことなんですかね。元の世界に戻るってことなんですかね」
「そうだなぁ・・・元の世界に戻るってことなんじゃないかなと、俺は思う」
田中は覚悟を決めきれていないのではないかと思い、ニグルはつい、思ってもいないことを言って誤魔化してしまった。
「目が覚めたら、きっといつも通りの朝だよ。糞して、顔洗って、歯を磨いて、出勤するんだ」
「朝食が抜けてますよ」
「俺、向こうでは朝飯食わなかったもん」
「そうでしたね。・・・さて、じゃあ、先に元の世界に戻ってますね」
「俺も戻ったら、久しぶりに鰻屋連れてってやるよ」
「いいですね。楽しみにしてます」
「おう、おやすみ、田中」
返事がない。ただの屍のようだ。
最後に「おやすみなさい」と返してくれるものだと思っていた。
しかし田中の声は、二度と鼓膜を振動させない、記憶の中にしか存在しないものになっていた。
今というのは一瞬で、その一瞬は終わったそばから過去になる。
ついさっきまで言葉を交わしていた田中は既に過去の存在になり、田中との別れも既に過去の出来事になった。
割り切って思いのままに平静になることが出来れば、人生は随分と楽なのだろう。
簡単に割り切れないから、人生は時として辛い。
マグスが田中に翳していた手を引いた。
「すまんな。魔法は万能ではない。ニグルが察している通り、無を有には換えられない」
マグスの言葉が聞こえているのかいないのか、ルルとモリは顔を上げようともせずに俯き泣いている。
「まだ戦闘が終わったわけじゃないのに、仕方のない奴らだな」
ルルとモリに比べれて歳を重ねているニグルは、悲喜交々を多く経験している。
割り切れているわけではないが、自分を誤魔化すための優先順位の選定くらいなら出来る。
ニグルには、パーティーのリーダーとしての責任感がある。
田中を死なせてしまったが、エルとルルとモリを死なせるわけにはいかない。
その責任感が、ニグルを辛うじて立たせている。
「ニグル、いいのだ。何かあれば俺とエイダで対処する。俺たちはそのために同行している」
「そうね。ヒロくん、ヒロくん自身も無理しちゃ駄目だし、二人にも無理はさせないであげて。旅はまだ長いんだから」
マグスとエイダの優しさに、四十歳の中年が泣かされそうになった。
「氷河の女王だけでなくマグス様もいたのか。これでは勝ち目がない。停戦だ」
ニグル一行のさめざめとした空気などお構いなしに、キュアクが張りのある声で一方的に宣言した。
ニグルの目からこぼれそうになっていた涙を、別次元の感性を持つ戦闘民族が止めてくれた。
「ただの兵卒のくせに何を偉そうに勝手に決めてんだ。お前、何様のつもりだ」
ニグルは、救われた思いと苛立ちを併せながらキュアクを詰った。
「確かに、戦時において王以外のポルジン人は全員ただの兵卒だ。しかし、それでも私はポルジン国の王子なのだぞ。外交に関しての発言権くらい持っている」
「・・・それ先に言っとけよ王子様」
ニグルはただただ驚いた。
「おい!キュアク様がやられているぞ!助けに行こう!」
ようやく体勢を整えた生き残りのポルジン兵たちが、ニグル一行の近くに集まり騒ぎ始めた。
「俺とエイダでやる。ニグルは休んでいろ」
集まってきたポルジン兵たちの前に、マグスとエイダが立ち塞がった。
「おい!マグス様だ!やめておくか!」
「いや待て。マグス様と闘える機会なんてそうは無いぞ。やろう!」
ポルジン兵たちは更に騒いだ。
「マグス、一人も殺さずに済ませてくれ」
ニグルは考える前にマグスに頼んだ。
「何故だ」
マグスはニグルの真意を図りかねた。
ニグルの真意など図れるわけがない。考える前に口が動いたのだから。
「このままじゃキリがない。人を殺しすぎてしまう。マグスなら出来るだろ。まさか出来ないの?」
ニグルは自分の発言を正当化させようとしつつ、マグスを煽った。
「ふんっ。煽っているつもりなのだろうがそれは無用だ。お前の頼みなのだからやってやろう」
「ありがと」
「思うところがあるのだろう?恩を売りたいのか?」
「俺たちはソルディ人じゃない。ポルジン人に恨みはない。傭兵なのにやり過ぎた。エル!キュアクに治癒魔法を頼む」
後付けの理由。そこから派生した善意。
そんないい加減な動機とは思いもせず、ニグルの意に沿おうと、エルは黙ってキュアクのそばに座り、キュアクの両腕の断面に両手を翳した。
「何を考えているのか言え」
マグスがニグルに問い質した。
しかしそれは、ただの好奇心でしかない。
「ポルジン軍を圧倒した。多くのポルジン兵を殺した。一騎討ちでポルジンの王子に勝った。ポルジンの王子は敗北を認めた上で停戦を臨んでいる。圧倒的な勝者である俺たちは主導権を持っている。勝者が敗者に敬意を払い要望を受け入れたら恩を売れるだろ」
後付けが加速する。
「そもそも、加勢に来るはずのソルディ軍は来ないし、そうなると俺たちは人数が少な過ぎる。すぐに限界が来るだろう。圧倒的な数には勝てない。これ以上の被害を出さないためにも、優位な立場で停戦に合意するのは妥当だ」
そんな話を、キュアクの前でした。
「いちいち小賢しいことを考えるものだな。勝者だというのに」
キュアクは正々堂々と闘って負けた相手に敬意を払い、正々堂々と闘って負けた自分を誇りに思っている。
「貴様らの弱みにつけ込むようなことはしない。勝者から受ける温情には素直に縋ろう」
そう言うとキュアクは大きく息を吸い、群がっている同胞に向かって口を開いた。
「停戦だ!話はついた!」
キュアクの声を聞き、ポルジン兵たちの動きが止まった。
こうして、ニグル一行にとっての初めての戦争が終わった。
「ヒロくん、逞しくなったね」
十七歳のエイダが、四十歳のニグルに向けて、母親特有としか言いようのない優しく深い笑顔を見せた。
「だから俺、もうおっさんなんだって。喜怒哀楽を散々経験してんのよ」
「でも、向こうの世界で私が死んだ時、ヒロくん泣いてたじゃない。湯灌の時」
「え、知ってたの?」
「どこから見てたのかわからないけど、見えてたよ。私の手を持った瞬間に動きが止まって、顔真っ赤にして声出るの必死に堪えて。葬儀場の職員さんみんな、ヒロくんの姿見て貰い泣きしてたわよ」
ニグルは気恥ずかしさを誤魔化すために、そっぽを向いてエイダを無視した。
「貴様、その左手で私に触れるなよ」
キュアクは、自分の腕を治癒しているエルを牽制した。
エルの左手中指は、ついさっきまでニグルの尻にある魔法注入口に挿入されていた。
キュアクは当然、それを見ていた。
「・・・・・」
エルはキュアクに一切答えない。
泣いてはいないが、エルはエルで田中の死を悲しんでいるし、田中を殺したキュアクに恨みを持っている。
その様子が、キュアクには不思議で仕方ない。
「闘えばどちらかが死ぬ。当然のことではないか。今回は田中が負けて田中が死んだ。それだけのことだ。なぜそんなに暗い顔をしているのだ」
キュアク達ポルジン人の感覚からすれば、正面切って闘った上で同胞が殺されたところで、悲しむ理由がない。
「まあいい」
ポルジンの民の崇高な考えなど、他の国の民には理解出来ないことを知ってはいる。
あえて説得しようとも思わない。
キュアクは気持ちを切り替えた。
「才能に恵まれた勇敢な剣士を弔いたい」
キュアクはニグルとマグスに向かって毅然とした態度で望みを口にした。
瞬殺したとはいえ、圧倒的な力量の差を見せつけたとはいえ、キュアクは田中の才能を認めていた。
自分が認めた剣士に対しては敬意を払いたい。
正々堂々と、力と力をぶつけ合い、命を奪い合うことを最も崇高な行為と考えるポルジンの民を代表する男として、それがキュアクのけじめであった。
「わかった。こちらからも頼む。その敬意に感謝する」
路傍の死体として雑に扱われないのは良い事だと、ニグルは思った。
ニグルの背後では、仲間の死を悲しんでいないように見えるニグルを、モリとルルが睨み付けていた。




