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経験値

 腰を落とし、右肩に太刀を担いでキュアクと対峙し、田中はゆっくりと息を吐き、腰をもう一段低くした。



 田中のスキルに、カウンター攻撃がある。

 ニグルに頼んで「後の先」というスキル名を付けてもらった。

 ニグルが名付けたと言っても、田中が知らないだけで、これは剣術用語の転用である。


「後なのに先って、最初は後は後だろって思ったけど、なんか、なんとなくカッコいいですよね。捻くれてるのに妙にカッコいい感じ、いかにもニグルさんって感じですよね」


 何も知らない田中は、ニグルが考えたと思い込んでいる、ニグルのセンスが溢れていると思い込んでいるこのスキル名を大変気に入り、名付けてもらった時は随分と嬉しそうにしていたものである。



 後の先で一刀両断にする。

 氷河の国で魔獣相手に、このスキルを磨き続けた。

 田中には自信がある。


 決して自分からは仕掛けない。

 集中力を切らさず、いつまでも相手の動きに注意を払い続けなければならない。

 それは何分であろうと、何時間であろうとそうだ。

 耐久力を問われるスキルである。



「返し技狙いか」


 田中の構えから、キュアクは察した。


「返し技じゃない。後の先だ」


 よくわからないから、田中は譲らない。


「後の先?後は後だろう。先ということはないぞ」

「わかってるよ。でもカッコいいからいいんだよ」

「異世界人のセンスは理解し切れないな」

「お前にセンスが無いだけだよ」


 言葉を交わしながら、お互いの様子を見る。



 キュアクにも自信がある。

 その自信には、田中のそれとは違い裏付けがある。

 キュアクは、戦闘民族と呼ぶにふさわしい強さを誇るポルジンの民であり、ポルジンの民の中でも際立った戦闘能力を持ち、豊富な戦闘経験を誇っている。


 実際に、強いのだ。



 過去に何度も突飛なスキルを持つ異世界人冒険者と闘い、全戦全勝というわけではないが、その殆どで勝利している。


 キュアクの見立てでは、田中は強い。

 しかし、圧倒的な強さとは程遠い。

 だからと言って油断はしない。

 油断からは何も生まれない。

 キュアクはそれを知っている。

 どんな相手にも警戒心を強く持つ。

 だから数多の勝利を得る事が出来た。


 キュアクは、頭の中で返し技に対する備えを確認し、両刃の斧を勢いよく頭上に振り上げた。



 まだだ。

 まだ仕掛けられてはいない。

 田中は呼吸を乱すことなく、両刃の斧を振り上げたキュアクの動向に注視し続けている。


 身じろぎ一つしない田中の頭上に、キュアクが両刃の斧を振り下ろそうとしたその瞬間に、田中は地面を蹴って飛び跳ね、キュアクとの間合いを詰めた。


 自分の間合いになったところで、田中の右腕が自身の頭上まで太刀を運ぶ。

 頭上に来た太刀の柄の頭を左手で掴み、右手を軽く添え、太刀を力強く振り下ろす。


 田中の動きに応じて、キュアクは素早く両刃の斧を手放し、腰の両側に差してあった二本の短刀を抜いた。

 田中の太刀は、交差した二本の短刀で受けきられた。


「凄まじい斬撃だ。私でなければ受けきれずに両断されていただろう」


 自信に満ちた言葉のようで、決してそうではない。

 キュアクは必死な表情を隠そうとしなかった。

 田中の斬撃は、キュアクの想像以上だった。


 そして、キュアクの対応もまた、田中の想像以上であった。



 後の先スキルに全てを賭けていた田中は、次の手を用意していなかった。

 いや、斧の柄で受けられる分には用意もあった。


 キュアクの両刃の斧は大きく、いかにも重そうである。

 田中の斬撃を受けた直後では、次の動きまで間が空くだろうと考えていた。


 しかし、キュアクの対応は田中の読み、と言うより期待を裏切った。

 期待を裏切られた時、考えるより先に体を動かすには、田中の経験値は低過ぎた。



 田中が期待した隙は、キュアクではなく田中に生まれた。

 キュアクはその隙を見逃さず、二本の短刀を的確に、田中の両腕の根元に突き刺して関節を破壊した。

 抗う術を見失った上に両腕の自由を失った田中は、その場にただ立っていることしか出来ない。

 逃げることも、自殺行為のような突撃も、何もせずに。


 キュアクは、田中の両腕から抜き取った二本の短刀を太ももの根元に突き刺し、両手首を切断し、首の両根元に正面から突き刺し、鳩尾の辺りに突き立てた。



 二本の短刀を鞘に戻したキュアクは、悠々と両刃の斧を拾い上げた。


「貴様は私よりも弱かった。しかし斬撃の威力から察するに、剣士としての素質はあったようだ。すぐに死なすのは忍びない」


 右手に持った両刃の斧を地に突き立て、キュアクは仁王立ちになった。

 田中は至る場所から脈打つように血を噴出させている。


 やがて田中は、膝から崩れ落ちた。


「田中の仲間達よ、早く田中を手当てしてやれ。治癒魔法でどうにかなるものではないとは思うが、別れを惜しむ時間程度なら作れるであろう」


 

 最悪の事態を想定する習慣を持たない初心者冒険者達は、最悪の事態に遭遇し我を失っていた。

 キュアクの呼びかけでようやく我に返り、倒れている田中のもとに駆け付けた。


「田中さん!」

「たなかさん!」

「タナカさん!」

「田中くん!」


 仲間達が、口々に田中の名を呼ぶ。

 しかしその中に、ニグルの声は混ざっていない。

 田中とは元いた世界の頃から親しかった、にも関わらず。



 キュアクの短刀に何かしら出血を促す作用が付与されているのか、出血の勢いが尋常ではない。


 田中はきっと、助からないだろう。

 ニグルは、感情的になってはいけないと思った。

 冷徹に受け止めなければ、心を処理出来ないと思った。

 


 元いた世界では、田中は同じ会社の親しい後輩であった。

 この世界で再会してからは、大切なパーティーメンバーになった。

 今の状況を感情抜きで受け入れるというのは、ニグルにこそ難しい。


 しかし、圧倒的に不利な葛藤をしつつも、田中の命も、田中に殺されたポルジン兵の命も、ポルジン兵に殺されたソルディ兵の命も、みな等しく誰かにとって大切な命だったのは確かろうと、ニグルは考えた。

 きっと、魔獣の命すらそうなのだろうと。

 


 既に何個もの命を奪っておいて、仲間の命を奪われたら憤慨するなんて勝手過ぎるのではないかと、ニグルは常日頃から考えていた。


 感情を抑える事さえ出来れば、常日頃から用意しておいた答えで頭の中を支配出来るかも知れない。


 そうなれば、田中がこのまま死んだとしても、きっと死ぬのだろうが、それに伴う悲しみと怒りに精神が塗り潰されるような事態を回避できるのではないか。


 そう期待したいから、ニグルは感情を自分から切り離そうと努力した。

 息をするのも忘れて、こめかみの血管を浮かせ顔を赤くしながら、ニグルは必死に感情と闘った。



 しかし、ニグルの意思とは裏腹に、眉間は既にピリピリしている。

 それはもう盛大にピリピリしてしまっている。


 冷静になろうと深呼吸をした時に、ニグルは自我を取り戻した。

 その時にニグルは、眉間のピリピリに気付いた。

 感情をコントロール出来なかった事を知った。



 ニグルは無言のままでゆっくり歩き始めた。


「俺が相手する。もう、俺だよ」


 田中と仲間達がいる場所に至り、ニグルは低い声で呟いた。

 呟きつつもニグルはそこで立ち止まらずに、そのままゆっくり歩き続けた。


 ニグルは、キュアクの前まで来て立ち止まった。


「エル、田中まだ生きてる?」


 ニグルは後ろを振り返り、確認した。


「生きてる!生きてるけど、多分もう血が足りてない・・・」

「田中!こいつ殺すまで待ってろよ!」


 ニグルは低く太い声で怒鳴った。

 

 エルの治癒魔法で意識を取り戻した田中は、ニグルの怒鳴り声を懐かしいと思った。


「加藤さん、本気で怒ってる。僕がいた部署に乗り込んで来て、僕の上司に文句言った時と同じ怒鳴り声だ」

「この状況で、何でニグルさんは田中さんに怒鳴るのでしょうか!」

「違うよモリくん。もう怒っちゃってるから、僕を励まそうにも声のコントロールが出来ないんだよ。もう止まれないよ、加藤さん」


 田中は弱々しく笑った。



「キュアク。来いよ」


 先程とは打って変わって、ニグルは低く短く呟いた。

 戦闘に臨んで、グッと冷静になった。


「貴様は私を楽しませてくれるのかな」


 田中に勝利したキュアクは、余裕を取り戻していた。


「楽しむ暇なんてねぇよ」


 ニグルは、細い目をさらに細くして、キュアクの目を刺すように見た。

 


「会話を楽しむ暇も惜しまなければな」


 キュアクは両刃の斧を高く掲げ、凄まじい勢いで振り下ろした。

 ニグルはそれを片手で受けようとした、そのようにキュアクには見えた。


「貴様!正気か!」


 キュアクは目を見開き、口角を上げた。

 偉そうにしているが、ニグルは田中より弱いだろうと思った。


 

 ニグルは左手を挙げて、振り下ろされるキュアクの両刃の斧に向かって翳した。


 いよいよ両刃の斧がニグルの左手を叩き斬るであろうと思った瞬間に、キュアクにとって予想外の事が起きた。


 両刃の斧がニグルの手に触れた瞬間にその箇所が消滅し、それは斧が振り下ろされているあいだ続いた。


「何が起きている!」


 初めて見る光景に、キュアクは驚愕した。



 しかしその時、ニグルにとっても想定外の事態が発生していた。


 ポルジン兵達が所持する両刃の斧は、刃が銀杏の葉のように大きく開いている。

 その大きな刃は、ニグルの手より遥かに大きい。


 ニグルの気の集中は、素手であればその手が触れた箇所しか消滅させられない。

 振り下ろされたキュアクの両刃の斧は、ニグルが触れた刃の中央部が端から端まで消滅し、上部はニグルの頭上を飛び越え飛んでいった。

 下部は、運良く刃が当たらなかったものの、ニグルの膝に衝突しそこを破壊した。



「あはぁっ」


 戦闘に集中し、無自覚に痛覚鈍化スキルを発動していたニグルは、膝が破壊されている事に気付かずキュアクに近付こうとして転倒した。


 両刃の斧を破壊され面食らっていたキュアクだが、そこは戦闘民族ポルジンの戦士である。

 ニグルが転倒した隙を逃さず、腰の左に帯びている方の短刀を鞘から抜き取り、ニグルに向かって飛び掛かった。


 キュアクは、うつ伏せに倒れるニグルの首に左腕を巻き付け、動きを制して短刀を首に突き付けた。

 この行為は、ニグルをよく知る者からすれば迂闊としか言いようがない。

 しかし初見のキュアクは、ニグルのスキルを理解していない。

 キュアクは、勝利を確信した。


 

「斧を破壊されたのには驚いたが、楽しむ暇は確かに無かったな。さっきまでの威勢は何処へやら、だ」


 勝利を確信したキュアクは、威厳の欠片もないニヤけ顔でニグルの横顔を見た。


 首を絞められ苦しみながらも、ニグルの表情は動かない。

 キュアクの目には、焦燥も恐怖も憤怒も殺意も映らない。

 

「もっと素直に恐れてもいいのだぞ。戦場では誰しも、感情が剥き出しになるものだ。怒りも恐れも憎しみも、全開になってしまうものだ。それが普通なのだ。恥じることではない」

「・・・・・」


 返事をしようにも、顎を圧迫されているニグルは口をきけない。

 返事の代わりに、ゆっくりとキュアクの両手首を掴んだ。


 キュアクの両手首がこの世から消え、手首から先がポロリと落下した。


 それでもキュアクは、ニグルの首に巻き付けた腕の力を緩めない。

 ニグルは、もがきながらキュアクの左腕を掴んだ。

 キュアクの左腕は、肘から先を失った。



「参ったな。もう武器を取れないのだから私の負けだ」


 右の手首から先を失った。

 左の肘から先を失った。

 戦士としてのプライドも失なった。

 キュアクには、闘う術と気力が残されていない。

 キュアクは、爽やかに笑いながらその場に座り込んだ。



「じっくり楽しんで頂けたのかな?・・・あはぁっ」


 キュアクの腕と短刀の恐怖から解放されたニグルは、ゆっくりと立ち上がろうとして、再び転倒した。


「膝に力が入らん!エル!ヒール!」


 転がりながら、ニグルが叫んだ。



「エル、俺が田中に治癒魔法をかけてやる。お前はニグルを治癒してやれ」


 いつの間に来ていたのか、マグスは優しい眼差しで田中を見下ろし、田中の首元に手を翳した。


 座り込むキュアクの横を小走りで抜けて、エルはニグルに駆け寄った。

 駆け寄るなりニグルのズオンを下ろし褌を脱がせ、左中指を唾液で濡らし、ニグルの尻にある魔法注入口に突き刺した。


「あ」

「ヒール」


 エルは、魔法注入口から魔力を流し込んだ。


「ニグルさん、魔力が足りない。ニグルさんの魔力をもらうね」


 左腕を目一杯伸ばしながら、エルはニグルの唇を吸った。

 エルがやりやすいようにと、ニグルはゆっくり仰向けになり背中を曲げて、首を伸ばして唇を突き出した。


「貴様ら、何をしている。ここは戦場、神聖な場所だぞ・・・しかも仲間が死にかけているのだぞ・・・」


 戦闘民族ポルジンの戦士であるキュアクからすれば、ニグルとエルの行為は、神聖な戦場と命懸けで闘った仲間への冒涜にしか見えない。


「うるさいな。お前は俺に負けたんだろ?敗者が勝者に向かって偉そうにケチつけんなよ。膝治してもらってんだからよ。膝治さなきゃ田中のとこに行けないだろうが。田中のとこに行けなきゃ、別れを惜しむことも出来ないんだよ」


 仰向けになって開脚しながら、ニグルは虚な目をした。

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