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現実に対する覚醒

「ニグルさん、膝枕してあげようか」


 人類との命の奪い合いを前に、ニグルはナイーヴになっている。

 そう思い込んでいるエルは、ニグルを元気付けたいと思った。


 ニグルの返事を待たずにその場に座り込み、パンパンと、エルは小気味良く太ももを叩いた。

 ニグルは、般若の形相をエルに見られないようにと顔をエイダに向けたまま、勢い良くエルの太ももに頭を乗せた。


「やっぱエルの膝枕は落ち着くなー」


 ニグルは仰向けになり、だらしない笑顔を浮かべながらエルの顔を見上げた。

 これがナイーヴな男の顔なのだろうか、という疑問をエルは持たない。



「私もよく膝枕してあげてたよね。耳掻きしてあげる時に」


 エイダがエルに対抗心を示した。

 しかし、ニグルもエルも全く反応しない。

 結果、会話時と同等の声量で、エイダは独り言を口にしただけだった。


 自身の思わぬ独り言に、エイダは舌打ちをし、ニグル達から視線を逸らした。



 ニグルに膝枕をしてやる時、エルはニグルの顔をベタベタと触るのが常である。

 額から鼻柱をなぞり、瞼に触れ、鼻を摘み、鼻の穴に指を入れる。

 こういう時のエルは、無防備な笑顔になる。


「ヒロくん」


 エルは、この世界の通り名ではなく、元いた世界でニグルが親から付けられたという本当の名前で呼んでみた。

 

 この時エルは、今まで以上の親近感をニグルに感じ、ニグルは、心の奥底までエルの存在が入り込んだ事を知り、今まで心の奥底までは入り込んでいなかった事を知った。


「これからはそう呼んでくれ。二人の時だけな」

「なんで?みんなといる時はダメなの?」

「照れるからな」


 上と下から微笑み合う絶世の外見美少女と凶悪な顔の中年。

 それを離れた場所から睨む凛とした美少女。


 戦場らしからぬ光景と心理。

 ソルディ軍の兵士達は当然、苦々しく思っていた。




 ニグル一行が傭兵として雇われているソルディ軍が対峙しているのは、ポルジンという小さな国の軍隊である。


 ポルジンには湿地が多く、土地は貧しく、人口が少ない。

 しかし、人口は少ないながらも、強靭な軍隊を持っている。


 人口の少なさを補う、生優しさの欠片も無い国民皆兵。

 男も女も、十代の半ばに達すれば戦士として戦う。


 ポルジン人は他部族よりも平均的に大柄である。

 大きな体躯を駆使し、馬をよく乗りこなし、両刃の斧と短剣を巧みに扱う。


 体が動く成人した男女は皆、持って生まれた体躯と戦闘意欲と民族の誇りに依って、両刃の斧や短剣を振り回し徹底的に闘い尽くす。

 

 人口が少ないながらもポルジンが独立を守っていられるのは、その軍隊が強靭である事だけが理由ではない。

 単に、他国にとって支配地域に組み込むメリットが無いほど貧しい国土だからであるということの方が、理由としては大きい。

 

 にも関わらず、紛争には頻繁に巻き込まれている。

 むしろ、紛争の中心にはこの国があるのかも知れない。


 貧しい土地であるだけに、食うに困る年も多く、そんな時は隣国に出かけては略奪に勤しむ。

 一人一人が精強な兵士であるだけに略奪の成功率は非常に高い。

 略奪ついでに虐殺を楽しんでから帰ることも多々ある。


 虐殺を楽しんでいると決めつけるのは早計かも知れない。


 彼らは人の皮や骨を衣類や装飾品として利用する。

 他の人類の目に虐殺として映るその行為は、彼らにとっては略奪の一環とも考えられる。


「そんな奴ら相手に闘うとか無理だろ」


 エルの膝の上で、ニグルはすっかり戦意を失っていた。

 ポルジン人に関する話を聞けば聞くほど、恐怖感しか湧かない。


「死んだらもう膝枕してもらえないし。エルと愛を確認し合うことも出来なくなるし」


 ニグルはそう言いながら、エルの尻に手を伸ばした。

 エルはその手をピシャリと叩いた。


「もうモリさんもお姉ちゃんも田中さんも奇襲するために移動しているんだよ。後には引けないの。三人を死なせないためにも、勝たなきゃ」


 ニグルと比べれば、エルの方が遥かに冒険者らしい思考を持っている。

 

「知らぬが仏だよ。殺し合う相手が好戦的な殺戮者集団だって知ってりゃ、あいつらだって戦意喪失するよ」


 エルの優しい物言いでは、ニグルの戦意喪失を上回るものは生まれない。



「ヒロくんは相変わらずグズだねー」


 ニグルを煽るという作業において自分の右に出る者はいないと、エイダは確信している。

 元親子だから遠慮がない。


「子供の頃と一緒。全然成長してない。情けない。私の息子なのに物足りない」

「あ?」


 ニグルは再び、般若の形相になった。



 その凶悪な顔の持ち主に睨まれると、大抵の者は思わず怯える。

 それほどに、ニグルの人相は悪い。


 しかしエイダは、今のニグルがどんなに凶悪な顔をしていようと、子供の頃は泣き虫だったことを知っている。

 生まれてから数年は、贔屓目に見ずとも他の子供より可愛かったと確信している。

 その天使のような可愛らしさに、同じ頃に母親になった友人達も脱帽していた。


 いつの間にこんな顔になってしまったのだろう。


 こんな顔になっても、それでも母親似だと言われていた。

 確かに、目つきの悪さ以外は生まれ変わる前の自分に似ていたと思う。


 どんなに凶悪な顔になろうと、困ったことがある度に頼ってきた。

 情けないと思い、その都度突き放していた。


 それでも、頼られる度に愛おしく思い、最後には甘くなってしまっていた。

 その結果が今の体たらくなのだとしたら、世間様に申し訳ない。

 今が、母親としての踏ん張りどころだろう。


「やるしかないの。わかる?もう作戦は始まってるの。あなたが立てた作戦が。既に大勢の人が命を懸けた行動に移っているの。あなたが立てた作戦に則って。奇襲部隊は既に何人か死んでいるかも知れない。今更引けるわけないわよね?そんな無責任な男じゃないわよね?」


 エイダが一気に捲し立てた。


「そうだな。俺が立てた作戦で、俺が重要な役割を担ってるのに、途中で抜けらんないよな」


 さっきまでの般若の形相は何処へやら。

 現実を受け入れ、ニグルはすんなり考えを改めた。


「ヒロくん・・・少しは成長したわね」


 エイダは、笑顔を浮かべた。


 エルは、エイダの見事な煽りに感心しつつ、自分にはこういうやり方を真似することは出来ないなと思った。




 エイダがニグルのやる気スイッチを押した頃、密林の小川を進む奇襲部隊は、ポルジン軍の背後に回り込むことに成功した。


「これ、本陣だな」


 夥しい数のテントを見て、奇襲部隊の隊長が呟いた。

 

 テントの数を数え切れない。

 兵士の数はよくわからないが、とんでもない人数差なのだろうと思い、奇襲部隊の誰もが恐怖した。


「隊長さん、私達、何人で来たんでしたっけ」


 ルルが隊長に尋ねた。


「五十人」


 顔を青ざめさせながら、隊長が答えた。



「魔法部隊はもっと奥まで進め。物音を立てずに敵陣の対岸に登れそうな場所を発見したらそこから登れ。その後身を隠せそうな場所を確保してから魔法を発動。テントを燃やせ。突撃部隊はその火の手を合図に突撃する」


 圧倒的な不利を認識しながらも、隊長は作戦を遂行するための指示を出した。

 

「わかった!」


 隊長の指示に大声で答えたのは、実戦参加しないはずのマグスであった。


「マグス様、参戦して良いのですか?あと、声が大きいです」

「バレなければいいのだ。そんなものだ」


 マグスは素直に小声になり答えた。


「そもそもだ、魔法部隊と言っても五人しかいないではないか。こんなことではボヤ騒ぎしか起こせないぞ。俺が豪快にテントを燃やし陽動してやる。何かあったら五人の命も守ってやる」

「マグス様・・・心強い!ありがとうございます」


 隊長は目を潤ませながら、マグスに謝辞を述べた。


「感謝は戦いに勝ってからだ!」


 既に小川を奥に進み始めていたマグスは、背中を向けたまま、大声で答えた。




「いよいよ、人間同士の戦闘なんだよね」

「人間同士の殺し合いよ」

「僕は後ろで控えておきますね。お二人がピンチになったら飛び出して防御しますから」


 田中とルルとモリは、戦闘開始前の緊張感に潰されそうになりながら、声を掛け合った。


「以前ニグルさんが、損害0で立案される作戦など存在しないと言っていました」

「じゃあニグルさんも、今回の作戦をそういうつもりで考えたのかしら」

「俺もそれ聞かされたことあるよ。参謀が作戦を考える時、都度何人くらい稼働人数が減るのかを計算しながら計画していくもんなんだって」

「実戦部隊以外の人達にとっては、数字の問題でしかないんでしょうね」

「数字でしか見られないって切ない。私には受け入れられないわ」

「今回はバイクに乗りたかっただけだと思おう。ニグルさんがそんなに深く考えてるとは思えない。思いたい」


 モリとルルと田中は、不安感を誤魔化そうと会話を続け、結果、不安感が増した。



 三人が暗い視線を小川の水面に落としていると、敵陣が赤く明るくなった。


「総員突撃!無理はするな!生存第一!ニグルさん達の攻撃のお膳立てだということを忘れるな!」


 隊長の長い号令の下、突撃部隊が小川から飛び出した。

 モリとルルと田中も、無意識の内に釣られて飛び出した。



 魔獣を殺すのは正義とされる。

 魔獣は本能的に人類に敵意を持っていて、人類も本能的に魔獣に敵意を持っているからである。

 だから平和ボケした異世界人達でも、躊躇せず魔獣を殺すことが出来る。


 平和ボケした異世界人と言えど、冒険者ともなれば、必要に迫られれば人類相手に殺し合うことは出来る。

 冒険者として生き残るためにそれが必要だからである。


 では他人の意思によって人類相手に殺し合うとなるとどうだろうか。

 そういう訓練を受けず、覚悟も持っていない者には、やはり難しいだろう。


 少なくとも、モリとルルと田中には難しかった。

 三人は、敵本陣に躍り込んだものの、何をするべきか判断出来ずに立ち尽くした。



 目の当たりにしたポルジン兵の威圧的な体躯と武器もまた、三人を戸惑わせた。

 見るからに強そうで、見るからに残忍そうだ。


「勝てそうにない気がする」


 田中が弱音を吐いた。


「私はそうは思わない。私には悪魔と互角に渡り合った実績がある。普通に考えれば、悪魔は人類より強い」


 ルルの戦闘意欲は回復しつつあった。


 女戦士としての実績に裏打ちされた自信を取り戻した、と本人は思っているが、実際には戦闘経験をある程度積んだだけで、自信を持つには実績が薄い。

 ルルに戦闘意欲を与えているのは、エルとの交わりによって覚醒した、女戦士としての本能そのものである。



 ルルは、モリと田中に見せつけるかのように剥き出しの臀部を突き出し、クラウチングスタートの構えを取り、大臀筋と大腿筋と腓腹筋をパンプアップさせた。


「あなた達の視線は弱い!ニグルさんの舐めるような視線には及ばない!」


 そう叫ぶと、戸惑う田中と今のところ出番の無いモリを置き去りにして、ルルはソルディ兵に混ざりポルジン兵に向かって走り出した。


 

 女戦士ルルの脚は早い。

 前を走っていたソルディ兵達を追い越し、先陣を切る形になった。

 

 勢い良く駆けてくるルルに気付き、マグスの魔法によって燃え盛るテントの消火に必死になっていたポルジン兵の一人が、腰の短剣を抜いて迎え撃とうとした。


 しかしルルの脚は、そのポルジン兵が考えているよりも速かった。

 ポルジン兵が短剣を抜いて構えようとした時には既に眼前にルルが肉薄しており、構え終わる前に、ルルの短槍によって胴体を刺し貫かれていた。


「うおおおぉぉ!」


 美しい顔立ちからは想像がつかないほど太く力強い声で、ルルが雄叫びを上げた。


「うおぉぉぉぉっ!」


 ルルに続くソルディ兵達は、ルルの見事な刺突に興奮し、ルルの雄叫びに続いて雄叫びを上げながら、各々ポルジン兵に襲い掛かった。



 しかしポルジン兵は精強であり多勢である。

 小勢のソルディ兵達は容易く蹴散らされてしまった。


 覚醒した女戦士と言えど、両刃の斧を手にし体勢を整えたポルジン兵に包囲されては、流石にルルも苦戦する。

 ポルジン兵達の攻撃をかわすのに手いっぱいで、反撃する余裕が無い。


 ルルの危機を目の当たりにしても、田中は未だに動けない。

 戦場に渦巻く敵意、悪意、殺意など目に見えるはずも無いのだが、田中の目には、戦場と田中の間に負の感情が凝り固まった壁が見えてた。



「田中さん!ルルさんの応援に行きますよ!」


 壁に戸惑う田中の横をモリが駆け抜けた。


 戦闘への参加を厭う姿ばかりが印象に残っているモリが、壁の向こうの戦場を目指して駆けて行く。

 モリにそんな気概があったのか、あいつと比べて自分はどうなんだ、今の自分はどういう存在なんだ。

 田中は目まぐるしく自問自答し自己嫌悪した。

 

 田中が呆然と眺める先で、ルルを囲むポルジン兵の群れにモリが突進した。



 モリは、屈強な兵士に有効な攻撃手段を持たない。

 ただ包囲網に割って入り、ルルの壁になるだけなのだろう。

 いくら特別なスキルを持つ冒険者と言えど、モリとルルが殺されるのは時間の問題なのだろう。


 それは、この世界で頼ることが出来る数少ない仲間が減ってしまうということだ。

 それは、心細いことだと思った。


 現状に抵抗する心が、田中に芽生えた。

 

「うおおおおおおぉぉぉぉぉ!」


 随分な時間差でルルに追随するように、田中は雄叫びを上げた。

 雄叫びを上げた田中は、太刀を右肩に乗せ、土を蹴って、視界を埋め尽くす現実に向かって一目散に駆け出した。

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