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最前線に配置された、意識の低い人達

 ソルディ国の国土は、狭い。

 南洋諸国と一括りにされる諸国家もそれぞれ、狭い。


 この世界の人々が「南洋」と口にする場合、その呼称は東の大陸から南西に突き出した半島を指す。

 今でこそ小国が乱立し南洋諸国と総称されているが、この半島には元々、統一された国家があった。


 いや、統一された国家があったと言うよりも、数多の部族による部族連合体があった、と言う方が正確なのかも知れない。



 現状と似ているが、部族連合体が出来上がる前のこの半島では、数多の諸部族が大した理由も無く、何百年もの間、終わりの見えない殺し合いを延々と続けていた。


 殺し合って土地を取ったり取られたり、そもそも土地の取り合いという目的すら無しにただ殺し合ったり。

 そんな土地に未来などあるはずもなく、権力を持たない側の人々は、ただただ疲弊し切っていた。


 氷河の国に人が住み着くようになったのには、この辺りの事情も関係しているのかも知れない。



 終わりの見えない部族単位での殺し合いに人々が疲弊し、誰もが未来から目を逸らすようになった頃、絶望に抗う男が南洋に現れた。


 どの部族出身なのかは伝わっていない。

 いずれの地で活動を始めたのかも伝わっていない。

 初期に活動を共にした者達も、その男の過去を何も知らなかった。


 出自不明でありながら諸部族をまとめ上げ半島に平和をもたらした。

 どれほど有能で、どれほど人を魅了する男だったのだろうか。


 その事績は詳細に伝わっている。

 それは決して神話として濁されることなく、史実として受け継がれていた。

 

 男は自らが神格化されることを避け、偶像として後世に存続することを拒絶した。

 結果として事績のみが伝わり、どのような人物であったのか、その輪郭は欠片ほども伝わっていない。



「私はね、そんな人物は存在していなかったと思うんですよ。実際には」


 ゾルディ軍の参謀総長は、紹介状を書きながら、ニグル一行に南洋諸国の歴史のあらましを話した。

 話に夢中になり、短い文章を綴るだけにも関わらず、随分と時間がかかっている。


 こんな人物が参謀総長を務める軍隊が強い訳がないと、ニグルは思った。


「きっとね、統一を目指していた人々による印象操作だったのだと思うんですよ。はい、紹介状」


 参謀総長はようやく紹介状を書き上げ、ニグルに手渡した。


「興味深い話と安直な分析と時間が掛かった割に短い紹介状、ありがとう」

「ニグルさん、性格悪いって言われません?」

「言われない。良い性格してるって言われる」

「いかにも皮肉めいた言われ方ですね。さあもう行って下さい。私は忙しいのです」


 参謀総長の執務室から退出しながら、ニグル一行の誰もが、忙しそうには見えないと思った。


「いいですか、前線の指揮官に渡すのですよ。ムガリという男です。あなた達のことは彼に任せます」


 参謀総長は、ニグル一行の背に向けて、全く深みの無い声をかけた。


 

「前線って、どこに行けばいいんだ?」


 ニグルがマグスに尋ねた。


「わからないのなら、なんで総長に聞いておかなかったのだ!」

「わかる訳ないし、マグスならわかるだろうと思って」

「なんでも俺に頼ろうとしやがって!」


 そう言いながら、マグスは歩き始めた。

 ニグル達にはマグスがどこに向かっているのかわかるはずもないが、ごく自然に、マグスの後に続いた。


 裏も無ければ意地悪さも無い。口が悪くて声が大きいだけ。

 大魔法使いとして人々から崇敬されている割には、マグスは至って単純なわかりやすい人柄をしている。


 ニグル達は、マグスは前線に向かっているものとごく自然に信じ、そしてそれは至極当然のこととして正解である。




 マグスに連れられ辿り着いた司令本部は、静かな密林の中にあった。


 前線と言っても、常に戦闘状態にあるわけではない。

 司令本部の周囲には、枝葉が擦れる音や、人以外の生物達が様々に発する音しか漂っていない。


「前線って言うからバチバチにやり合ってるのかと思ったら、そうでもないんですね」


 田中がゆっくりと周囲を見回しながら、呑気な声を出した。


「そりゃあ、ずっと闘ってたら疲れちゃうだろうよ」


 田中に負けない呑気な声で、ニグルが答えた。


「この世界の戦闘は肉弾戦ですもんね」

「体力も身体能力も違うよねーきっと」

「スキルを持たない異世界人が無用扱いされるのも、仕方のないことなのかも知れないですね」

「そうだね・・・生身で闘ったら、きっと異世界人はこの世界の連中に勝てない・・・」


 便利ではないスキルでも、スキルを得て転移してきた事を幸運だと思った。

 それ以上に、世界中から尊敬されてる大魔法使いの知己を得て、後援を得た事こそ幸運だろう。


「モリ、ありがとうね」


 全てはモリとの出会いがあったからこそだと、ニグルは思った。


「はぁ・・・苦しゅうない!」


 よくわからないが、いつも上から物を言う怖い顔をした中年が自分に感謝している。

 モリは不気味に思いながらも、悪い気はしなかった。




「クシム!俺だ!」

「おやマグス様。また冒険ですか?」

「助けに来てやったのだ!感謝しろ!」

「マグス様にご助力頂けるとは心強いですね」


 クシムと呼ばれた男は、筋骨隆々の大きな体躯を持つ獣人である。

 耳が頭の上にある。


「ケモ耳!」


 モリがクシムの耳に反応した。


「なんですか?この太った男は」


 クシムは怪訝な表情になった。


「傭兵だ!使え!」

「戦闘に耐え得る者には見えませんが」

「スキル持ちの異世界人だ!耐性向上スキルだ!対象は本人だけだろうがな!」


 マグスは、モリ本人すら知らなかったことを言った。

 サノとの戦闘中にルルの腹部の汗を舐め興奮状態になった時に顕現したスキルであるが、モリに自覚はない。


「耐性向上。いずれにせよ、どう使えば良いのやら」


 クシムの表情は、怪訝から曇に変化した。


「こいつらみんな傭兵だ!氷河の女王もいるぞ!」


 マグスは、クシムを何とか喜ばせたいと思った。


「私は闘わない。この子達を守るだけ。それ以外は何もしない」


 そんなマグスの思いを、エイダはあっさり踏み躙った。


「肩透かしにも程がある・・・まあ、マグス様がいらっしゃればことは済みますけどね」

「俺は傭兵ではない!」


 マグスは自ら、先程までの自分の思いを踏み躙った。


「何しに来たんですか」


 クシムの疑問はもっともである。


「監視役だ!そこにいるのは氷河の女王以外、全員スキル持ちの異世界人だ!」

「また使えないスキルじゃないでしょうね?」

「太った男以外は攻撃スキルを持っている!強大な魔力を持つ魔法使いもいるぞ!」


 マグスは再び、クシムを喜ばせにかかった。


「それ、私のこと?私は異世界人じゃない。パパ、私の顔を忘れたの?」


 エルは呆れるより悲しい気持ちになった。


「そうだったこいつは俺の娘のエルだ!」


 マグスは、人間であれば家族の顔を忘れる人もいる年齢ではある。


「おお、あの幼き天才の」


 南洋の一軍人でも、幼年時のエルの盛名を知っている。

 

「そうだ!そして残りの三人が攻撃スキル持ちの異世界人だ!」

「七人来て使える戦力は四人。歩留まりわるっ!」


 クシムは本音を包み隠そうとしなかった。

 マグスとは親しい仲なのであろう。


「そこの人相の悪い中年とエルは微妙だ!計算出来るのは二人だけだと思え!」

「・・・」


 マグスはまたしても、過去の自分を踏み躙った。

 ついでにクシムも、期待以下の期待感を踏み躙られた。



「どうも、微妙な中年のニグルです。これ、参謀総長の紹介状」

「閣下は相変わらず適当だな・・・なんでも現場に丸投げだ・・・」


 小声で愚痴りながら、クシムは紹介状に目を通した。


「参謀総長閣下からは、君達を最前線に出せという命令が来ている。・・・何かあっても俺を恨むなよ」


 紹介状に目を通したクシムは、申し訳なさそうに言った。


「しかし今は戦闘中ではない。取り敢えず最前線に行って、地形や敵状を説明しようか」


 クシムは司令本部のテントから出て、歩き始めた。

 ニグル一行は、よくわからないままクシムについて行き、それだけで正式に最前線に配置された。

 



「なんで私達だけがこんなとこ歩かされてんのよ」


 最前線に配属された翌日、ルルと田中とモリは、腰まで水に浸かり、密林の中を流れる濁った小川を歩いていた。


「傭兵になった以上、命令には従わざるを得ませんね!」


 モリは何故か嬉しそうな顔をしている。


「今頃ニグルさんとエルさんとエイダさんが司令本部でダラダラしてるのかと思うと、腹が立つ!」


 田中はルルに同調した。


「あのー、皆さん、今は奇襲のための隠密行動中なので、静かにしてもらえませんか?」


 モリとルルと田中は、クシムの命令により、敵本陣を目指す奇襲部隊に混ざっていた。

 不満で頭に血がのぼって大声で愚痴をこぼしていたルルと田中は、たしなめる世話役の兵士によって、ようやくその事を思い出した。


 モリに限っては、空気が読めず声を抑えようとしていないだけだが。




 ソルディ軍の作戦はこうだ。

 

 後方に回り込んだ部隊が敵本陣に奇襲をかける。

 奇襲により混乱した敵陣の中をニグルがバイクで駆け巡る。

 その間、後部座席のエルが魔法を発動させて混乱する敵兵をまとめて討ち取る。


 立案者はニグルである。

 ソルディ軍の兵士達は、いかにも素人が考える安直な作戦だと思った。

 しかし責任者であるクシムは、初めて見るバイクのスピードに面食らい、ニグルの案を採用する気になった。


 危険な目に遭うのが、主に異世界人傭兵達であるというのも、クシムにとっては都合が良かった。


 

「ねぇエル。エルは人を殺すの平気?」


 待機中の暇を持て余したニグルが、気になっていた事をエルに問いただした。


「平気ではないけど、傭兵になって前線に出る以上、そのために最善を尽くすのは義務だと思う」


 エルは、ニグルが元いた世界の元いた国ほど平和ではないこの世界の住人である。

 自身は引き篭もって人との軋轢を知らずに成長したとは言えど、状況次第では人同士で命を奪い合うのは、自然なことだと思っている。

 倫理観の差ではなく、倫理観の違いである。


「俺は割り切れないよ」

「ニグルさんは転ばないように一生懸命バイクの運転してくれればいいよ。敵を倒すのは私がやるから」

「エル、ごめんね。嫌な役回りを押し付けちゃって」

「いいよ。気にしないで。嫌なことを無理にする必要なんて、無いよ」

「ありがとう」


 凶悪な人相の中年の目から、涙がこぼれた。


「泣かなくてもいいのに」

「だって」


 エルはニグルの涙を、小さな舌を長く伸ばして舐め上げた。


「もう、なんでそんなに可愛くなるの?」


 エルはニグルの頭を抱き寄せ、額にキスをした。


「それ多分、嘘泣きだよー。ヒロくんは平然と嘘泣きするよー。多分今いい気持ちになってるんだと思うよー」


 二人のそばに無表情のまま立ち続けていたエイダが、表情筋を一切動かさずに言った。


「なんでそんなこと言うんですか?」


 ニグルの頭を抱く腕に力を込めながら、エルはエイダを睨みつけた。

 エルの胸に抱かれたまま、ニグルも般若のような顔でエイダを睨みつけた。


(こいつ・・・)


 エイダはニグルにのみ睨み返した。


 何も考えていないようで、ニグルは常に、エルに可愛いと言われる機会を狙っている。

 美男子に産まれられなかった男の、これが処世術だと、ニグルは確信している。




「今頃あの二人、暇を持て余しておっ始めちゃってないかしら」


 ニグルが呑気にエルに可愛がられているその頃、密林の小川を進むルルが田中に耳打ちした。


「マグスさんもエイダさんもいるんだし、さすがにそれはないでしょ」


 小声で答える田中は、冷静を装いながら、耳のすぐそばから響くルルの声に興奮を覚えた。


 修行の一環として覚醒するため、ソエルと枕を共にしてから数ヶ月経った。

 それは意図せぬ禁欲生活に入ってから過ぎた時間と同じ期間である。


 田中は、溜まっていた。

 田中は、エルの耳打ちだけで海綿体を充血させた。


 下半身が水の中で良かったと、田中は思った。



 好みの違いはあれど、田中は一般的に男前とされる顔を持っている。

 ニグルと比べれば、欲求を満たすのに苦労しない人生を送ってきた。


 これほどの期間を禁欲して過ごした事は、「男」になってからは経験がない。

 今の田中にとって、ルルは存在そのものが媚薬であり毒薬である。



 田中がルルを何とかしたいと思っていても、ルルは、ニグルとエルのみを情欲の対象としている。

 

 エルについてはともかく、顔も性格もニグルには負けていないはず。

 では何故、今現在、こんな事でこんなに苦労しているのか。

 黙々と川の中を歩きながら、田中はそんなことばかり考えていた。


 今から奇襲を仕掛ける。

 今から殺し合いの場に臨む。

 そんな時に田中の意識は、意識を向けるべき方向とは全くの反対側に向いていた。

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