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旅立ちの前 時間の浪費

「モリと田中が帰って来た」


 ポノが呟き、立ち上がった。

 ニグルは、ポノが視線をやった方向に目を向けた。


 遥か遠方で何かが動いている。

 ニグルの目にはその程度にしか見えていない。


 テレビもパソコンもスマホも無いこの世界。

 この世界の中でも、際立って自然と共に生きている氷河の民。

 やはり目がいいらしい。目が悪くなる要素が無さそうなのだから当然か。

 ニグルは一人納得した。


「ポノ、よくモリと田中ってわかったな。さすが氷河の民だ。俺には、何かが動いているのかなって程度にしかわからないよ」


 思ったことは、特に、相手の長所に気付いた時に思ったことはすぐに言葉にしたくなる。

 それがニグルだ。


 しかし、


「俺もだ」


 ポノの返事は、勝手に納得し感心したニグルを嘲笑うかの様なものであった。



「今放牧に出ているのはあの二人だけだ。それだけのことだ」

「魔獣の群れの可能性もあるな。な?」

「魔獣は昨日来たばかりだ。今まで二日連続で来たことはない。だから魔獣ではないだろう」

「だろうダメ。絶対。かも知れないでいこうぜ。危険予知の基本だ」

「そうか。今まで二日連続で来たことはないから、魔獣ではないかも知れない」

「そうじゃない・・・」

「羊の群れを小屋に入れてくる」


 ポノは何かが動いている方向に駆け出した。




 その日の夜、ニグル一行、エイダ、ラシオ、マグス夫妻がエイダの館に集まった。

 冒険に出るにあたっての打ち合わせを行うためだ。


「私はヒロくん達と冒険に出る。それだけ」


 エイダが口火を切った。


「誰がヒョランドを守るのだ?」


 ラシオが尋ねた。


「ラシオが守ればいいじゃない」

「正直に言って、自信がない。女王と俺とでは求心力が違い過ぎる」

「そおうね。だから、マグスかソエルお姉様に滞在してもらって、ラシオを補助してもらいたいの。二人ならみんな納得でしょ」

「女王より尊敬されているからな」

「・・・」


 エイダはラシオを睨み付けた。



「今回は俺も冒険に行くぞ!ヒトカタノサトに行きたい!」

「マグスが来てくれるなら楽出来るな」


 吠えるマグスを見て、ニグルはほくそ笑んだ。


「ニグル!考えが甘い!俺は闘わないぞ!後見人に徹する!」


 マグスはあくまでも、将来の娘婿であるニグルに冒険者としての経験を積ませたい。


「ヒロくん、これ本当よ。私とラシオの時もマグスは本当に何もしなかった」


 教育者としてのマグスは徹底している。

 まだ年少だったエイダとラシオを連れて冒険に出た時も、一切の戦闘を任せていた。


 ニグルはスブル遠征事にそれに気付くべきだった。


「今回は私も後見人として行くつもりだけど」


 エイダは元息子であるニグルに対して、マグスの真似をしようとしている。


「じゃあ来なくていいよ」

「行くわよ」


 自分の役に立たない自称元母親の口うるさい小娘と共に冒険をすることに、何のメリットがあるのか。

 ニグルの眉間がピリピリし始めた。


 


「ヒョランドには私が残るわ。だからマグスも女王様も行っちゃっていいわよ」


 微笑みながらやりとりを聞いていたソエルが口を開いた。


「ついでにラシオを覚醒させてあげる。いいわね?女王様」

「それが条件なのね・・・わかった・・・」


 エイダは顔を赤くしながら歪めた。


「ラシオが覚醒するのが嫌なの?」


 ニグルはエイダの変化に気付いた。


「嫌なんじゃなくて、私がどうやって覚醒したかをヒョランドの者に知られるのが嫌なの・・・」


 ソエルの覚醒作業の内容を知るニグル一行は、恥ずかしそうにするエイダを見て、ただただ可愛いと思った。


「エイダが母親を自称しなければなぁ・・・」

「おい」


 エルは、思わず見惚れるニグルを見逃さない。




「俺が冒険に出る!ソエルがヒョランドに残る!エイダはニグルのそばにいられる!ラシオはソエルが覚醒させる!ついでに何人か氷河の民を覚醒させる!俺とソエルは使い魔でこまめに連絡を取り合って有事の際に備える!完璧だな!」


 マグスが強引に話をまとめ始めた。


「女王の館は、しばらくの間は淫婦の館に改名ね」


 ソエルは、エイダの留守宅を覚醒会場にするつもりらしい。


「なんか、うん、凄く嫌だ」


 自分の館に何人もの体液が染み込むことを想像し、エイダは当然嫌がった。


「そういう店ありそうだな」


 ニグルの発言にモリが頷いた。


「ヒロくんそういう店行ったことあるの?」

「俺おっさんだぜ。人並みに健康なおっさん。そりゃ行ったことあるよ」

「前の世界でも?」

「前の世界でこそ」

「ちなみに、私とニグルさんはこの世界のそういう店で知り合いました」

「ルルは黙ってなさい」

「前の世界でもこの世界でも・・・お父さんはイヤらしい本にもビデオにも興味が無いような真面目な人だったのに・・・」


 エイダは、夫と比べて爛れた大人になった息子に呆れた。


 しかしニグルは知っている。父がむっつりスケベだったことを。父が廉価版のセルビデオを愛用していたことを。

 ニグルが隠し持っていた洋物ビデオが、いつの間にか見たこともない日本人単体女優のセルビデオと入れ替わっていた衝撃的な事件を通して。




 マグスが大声で話し散らかして、どうやら話し合いは終わった。

 延々とマグスの大声を聞かされて耳が疲れたニグルは、ラシオを誘って夜風に当たるために外に出た。

 

「俺も本当は行きたいのだが、女王が行くと言うのなら、俺は残らざるを得ないな」


 人に穢されていないこの世界の夜空は、天気さえ良ければ騒がしく思える程に星の数が多い。

 ラシオは、密度の高い夜空を見上げながらぼやいた。


「俺としては、どうやら元お袋らしいエイダより、元ラッキーらしいラシオと行きたいんだけどな」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。まあ、俺は留守番に慣れているからな、気にせず行ってくれ」

「お前は番犬として優秀だったよな。初見の相手にも尻尾振って甘えて」

「言うな」


 ラシオは苦笑いをした。


「ヒトカタノサトにはこの世界の謎を知る手掛かりがあると言われている。この世界の謎を解き明かしてくれ」


 ラシオは気を取り直して、ニグルにハッパをかけた。


「本当にそういう感じの冒険なのか。そんなに興味無いんだけど」


 ニグルにとっては、冒険とは旅行である。

 元いた世界では感じられなかった刺激が、この世界の旅行にはある。


「そもそも、本当にマグスとエイダと一緒に行くのかな。話し合いの最後の方は取り留めなく進んでたけど」

「マグスが自分の口で行くと言ったのだから行くのだろう。マグスは一度口にしたことを変えたりしない。マグスはそういう男だ」


 ラシオのマグスに対する印象は、そういうものであるらしい。



「ラシオ、前の世界と違って、この世界は人類に穢されていないな」

「そうだな」

「元いた世界では体験できなかった驚きと発見に恵まれた旅行をしながら食い扶持を得る。最高だ。だからリスク背負って冒険している。俺はそれだけなんだよ」

「ヒロシ、異世界人が持ち込んだ技術によって、穢されつつある地域があるという噂を聞いたことがあるぞ」

「マジか!それは許し難いな。せっかく人類と自然が程良い距離で共存している世界だってのに・・・」

「冒険の目的が出来たか?」

「いや、許し難いとは言ったものの、規模が大きかったら手を出せないだろからな。あらかじめ諦めよう」

「それを調べる冒険にすればいい。現状把握のための冒険だ」

「そうだな・・・そうしようかな」


 ニグルとラシオ。ヒロシとラッキー。飼い主と犬。仲の良い兄弟のような存在。

 元いた世界では言葉で語り合えなかった二人にとって、今共有している時間は尊い。

 



「面倒だから南洋諸国を飛ばして直接東の大陸に行くぞ!」


 出立にあたって、マグスは一行にそう告げた。

 マグスは、少しでも多くの経験を積むことより、少しでも早くヒトカタノサトに近付くことを優先していた。


「暇な船旅の時間が増えるのか・・・バイクで移動したい・・・」


 ヒョランドではバイクを走らせられるような道が無く、ニグルは欲求不満になっていた。


「コメタ・ロハ号で行けばすぐよ」


 実はニグルの理解者であるソエルは、船に乗る時間がそれほど多くないことをニグルに伝えたいと思った。


「何それ」

「私の御用達チャーター船。真っ赤な綺麗な船なの。通常の三倍のスピードで航行するわ」


 世代的に、ニグルにとっては聞き覚えのある言葉だ。


「船員全員ソエルが覚醒させたからな!」


 エースパイロットが操舵するからとかではなく、理由はそんな者である。


「人生初の船の覚醒も試したから、ひょっとしたらその効果もあるかも知れないわね」


 ソエルが意外なことを言った。


「どういうこと?」

「船の舳先で」

「それ以上言わなくていいよ・・・」


 四十歳になっても性欲が盛んなニグルだが、ソエルにはいつも辟易させられる。

 元いた世界でニグルの日常をよく知る田中は、ニグルのそんな様を新鮮な気持ちで見ていた。




「ヒロシ、女王を頼むぞ」

「ポンコツ冒険者のヒロくんに私の何を頼むのよ」


 ラシオが自分よりニグルのことを上に見ているような気がして、エイダは不満を感じた。


「女王が行く先々の町や村で人として恥ずかしくない行動をとれるようにな」

「ヒロくんの方が危険よ。私は良識派」

「自分で言う奴は碌でもない奴。これはこの世界でも常識なんだぞ、ヒロシ」

「わかった。なるべく距離を取って仲間と思われないようにするよ」

「こっちこそ!」


 今のところ、エイダとニグル、元親子の関係が良好とは言えない。

 ニグル一行の面々とっては、先行きが心配で仕方ない。


 旅立ちの日だというのに、ニグル一行の表情は、決して明るいものではなかった。

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