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マグスとソエル、夫婦で氷河の国を再訪する

 本人に気難しい顔をしているつもりはない。

 しかしラシオの顔は、端正な顔立ちではあるものの、眉間の皺と遠くを見詰める瞳に、常に憂いの翳が見て取れる。


 この世界の不思議、転生前の飼い主達と異世界で再会した謎、この世界を共に生きる元飼い主エイダを支えなければならないという義務感と責任感。

 ラシオが常に考えていることは、それを考える者にとってはどれも重い。



「ラシオ!」


 考え事をしているラシオの背後に忍び寄ったニグルが、ラシオを驚かせようと突然大きな声を出した。

 前の世界で、ヒロシがラッキーにやっていたように。


「誰だ!ってヒロシかよー」


 ニグルに相手をされるだけでラシオは嬉しくなり、キャラが崩れる。


 眉間と瞳に憂いの翳を落とし込んだ端正な顔立ちの若者が、凶悪な顔面の中年に、他の者には見せない笑顔を見せて喜びを爆発させる。

 第三者から見れば、見る者によっては、意味深であろう。


「俺と遊びたいのか?ヒロシ」

「ラッキーが俺と遊びたがってるんじゃないかなと来てやったんだよ」

「言ってろ!」


 ラシオは笑顔でニグルの肩を掴んだ。


「なんで肩を掴むのか」

「友愛の証だ。犬だった頃も同じことしてたつもりだったんだぞ」

「同じこと?」

「よくヒロシの膝に前足タッチしてただろ」

「膝じゃん」

「身長差があったから膝になってしまっただけだ」

「そういうことか」


 いつも無表情な中年が、いつもより長い時間笑顔になっている。

 いつも眉間に皺を寄せている若者が見たことがないような笑顔になっている。


 それぞれに常日頃から接している面々は、不思議そうにそれぞれの笑顔を眺めていた。



「すまないヒロシ、俺は今から女王の供をして浜に行かなければならない」


 ラシオは名残惜しそうな顔をした。


「漁にでも出るのか?」


 三ヶ月ほど滞在している。

 ニグルは何の権力も持たない庶民的な女王の生活ぶりを把握している。


「来客だ。権力は無くとも女王がヒョランドの代表者であることに違いはない。重要な客が来る時には女王が出迎えることになっているのだ」

「そして箔付けのためにラッキーが横に立つわけか」

「まあそうだ。旧知の仲なのだがな、今回の客は」

「暇だし俺も行っていいか?」

「女王からは、ニグル達に放牧を覚えさせるように言われている。崖の上のポノの家を訪ねろ」


 崖の上の集落に住むポノは、普段は放牧に携わっている。

 ニグルはパーティーメンバーを引き連れて、崖の上の集落を目指し歩いた。

 



 ニグル一行が氷河の国に滞在すること三ヶ月、ついに待人が来た。


「女王!久し振りだな!元気そうで何よりだ!」


 大きなチャーター船から降りて来たヒョロガリは、遠方からでもその大きな声でマグスだとわかる。


「マグスこそ相変わらず元気そうね。元気過ぎね」


 ニグルにはすぐに感情的になるエイダだが、浜に出てマグスを出迎えるエイダは、氷河の女王としての風格を漂わせている。


「女王様、ちゃんと毎日私のこと思い出してくれてる?」


 マグスに続いて船を降りたソエルは、エイダに目で意味深さを訴えかけてくる。


「毎日は、していない・・・」


 思い出したかどうかという問いに対する回答が、「思い出していない」ではなく「していない」というのは何を意味するのか。

 何はともあれ、エイダは顔を赤くし、まんまと氷河の女王としての矜持を奪われ、ただの恥じらう少女になって腰をくねらせた。


「女王・・・はぁ」


 エイダと共にマグス夫妻を出迎えに来ていたラシオは、氷河の女王の崩壊ぶりに呆れ、溜め息をついた。


 ニグルとソエル。

 エイダの女王としての立場を台無しにするのはいつだってこの二人だと、ラシオは思った。



 

「エルはどうしている!ソエルはエルと会うのが久し振りだから随分楽しみにしているのだぞ!」


 マグスは大声で自分と関係の無いことを言った。


「それをあなたが言う必要は無いのよ」


 ソエルは仄かに微笑みながら指摘した。


 マグスはいつでも元気。

 ソエルはいつでも余裕のある態度。



「相変わらず仲良いのね」


 エイダはこの夫妻を気に入っている。


 冒険に行った時の守り役であったマグス。

 魔法戦士として覚醒させてくれたソエル。

 二人には恩がある。


 だから、ではない。


 面倒見は良いが恐ろしく癖が強いこの二人が、仲の良い夫婦であり続けていることをエイダは気に入っている。



「エルちゃんはパーティーの仲間達と一緒に羊を追いかけてるんじゃないかな。ね、ラシオ」


 そのはずである。

 エイダはそうさせるようラシオに指示を出した。


「おう。今頃ポノの指導を受けているはずだ」

「ポノか!あいつは真面目だが押しが弱い!ニグルを従わせられるか・・・心配だな!」

「無理だと思うわー」


 マグスとソエルは氷河の民との交流が深く、そして、ニグル一行のこともよく把握している。


「きっとあいつら今頃、羊を眺めながら休憩しているぞ!ポノが一人で羊を追っているに違いない!」


 マグスは、ニグル一行をそういう連中だと見ている。



「この過酷な土地で我々と一緒に生活をしているのだ。きっと意識が変わっているはずだ。多分」

「ラシオは甘いな!」

「ラシオはヒロくんに甘過ぎるのよ」

「ヒロくんとは誰のことだ!ニグルか!」

「そ、私の息子のヒロくん」

「つまり、女王の予想通りだった訳だな!」

「そういうこと。マグス、ありがとうね。マグスが変な奴がいるって教えてくれたから再会出来た。マグスのお陰」

「女王は俺の弟子だからな!それくらいのことはしてやって当然だと俺は思っているぞ!」


 マグスは頬を赤らめた。


「あなた、照れてるの?可愛い」


 ソエルがマグスの顔を覗き込んだ。

 ソエルの目には、頬を赤く染めるヒョロガリ中年が可愛く映るようだ。


「とりあえず会いに行こうか。ヒョランドで鍛えられたヒロくん達の姿を見せてあげたいし」


 エイダに連れられて、マグスとソエルは丘を登った。




「ポノ、醤油って知ってる?」

「しょーゆ、知らない言葉だ」

「美味いソースだ」

「ソース。ヒョランドではソースは使わない。塩しか使わない」

「これが醤油だ。クタの寿司屋で分けてもらったんだ。これかけて焼こう。美味いぞ」

「すしやって何だ」

「食い物屋」

「そういう店名か」

「そうそう」

「どんな食い物を出す」

「色々」


 エイダとマグスとソエルとラシオが目にしたのは、羊肉の串焼きを作るニグルとポノの後ろ姿であった。


「何をしているの?」


 顔を引き攣らせながら、エイダがニグルとポノに声をかけた。


「羊肉の醤油焼きを作ってんの。醤油、懐かしいでしょ?」


 悪びれもせず、ニグルが答える。


「俺の思った通りだ!ニグルが真面目に羊を追うものか!」


 得意気に、マグスが言う。


「違うぞマグス。ポノも一緒になって肉を焼いている。マグスの予想をも超えた。さすがヒロシだ」


 マグスの鼻をへし折るかのように、ラシオが指摘する。


「ニグルさんお久し振り。エルちゃんは?田中は?」


 話の流れに斟酌せずに、ソエルがニグルに尋ねる。


「ソエルさんお久し振り。エルはキノコ採集に行ってるよ。ソエルさんの好物のキノコじゃないよ。食べれる方のキノコ」

「パクッと咥えるキノコじゃない方ね。一人で?」

「ルルと一緒」

「田中は?」

「羊追ってる」

「田中だけが真面目にやってるのね」

「モリの事も聞いてあげてよ」

「興味無いけど、どこかにいるの?」

「いるよ。田中と一緒に羊追ってる」

「へー」



「パクッと咥えるキノコの話なんてどうでも良いのよ。ポノから放牧を学ぶように、ラシオから言われなかった?」


 剣呑。

 ニグルに向けられているエイダの顔は、剣呑そのものだ。


「パクッと咥えるキノコの話もどうでも良いけど、エイダにとっては羊肉の醤油焼きの話こそどうでも良いはずだ」


 ニグルは、醤油の焦げた匂いを漂わせる羊肉から目を逸らさずに言った。


「わかっているならいいわ。よくないわ。ねぇヒロくん、なんでちゃんとやらないのよ」

「やかましいぞ小娘。運動不足の中年がいきなり羊追っかけたりなんかしたら怪我すんだろうが」

「母親に向かってそんな言い方はないでしょ!だいたい、普段からちゃんと身体鍛えていれば済む話じゃない!冒険者なんでしょ?体張って生活の糧を得る職業でしょ?もっとちゃんとしなさいよ!」

「うるせぇなぁ。肉食い終わったらやるよ」

「後でやるとか今からやるとこだったとか、そんなことばっか言ってるから高校も大学も第一志望校に入れなかったんでしょ!」

「うるせぇぞババア!肉食い終わるまで待ってろって言ってんだろうがよ!」

「ババアじゃないわよ!今はあんたより若いわよ!」

「なるほどな!確かに親子のようだな!よくあるくだらない親子喧嘩を見せ付けられている!」


 得心したマグスが口を挟んだ。

 母親として気恥ずかしさを感じ、十七歳のエイダは思わず口を噤んだ。

 またしても、ついエイダを母親の生まれ変わりとして認めてしまったことに気付かされ、四十歳のニグルは次に出るはずだった言葉を呑み込んだ。


「母親が息子に向かって『今はあんたより若いわよ』って言うの、普通じゃないわよ」


 ソエルは流されない。




「あ、パパ、ママ」


 一本の大きなキノコを両手で持ちながら、エルが戻ってきた。


「エルちゃん元気にしてた?そのキノコ、凄く立派ね。よく似合っているわ。さすが私の娘って感じ。でもそのキノコ、毒キノコよ」


 エルフは自然と共に生きる種族である。

 冒険者になり外界で生きてきたハーフエルフのソエルだが、冒険者になる前はエルフの里で暮らしていただけに、自然の中で自生する食材に詳しい。


「うわっ」


 エルは両手で持っていたキノコを投げ捨てた。



「収穫無しかよー。肉好きだけど、おっさんは肉だけじゃなく野菜も欲しいんだよー」


 ニグルがぼやいた。


「他にもいっぱい採ってきたんだよー」


 ルルが両腕いっぱいに大量のキノコを抱えながら近付いてきた。


「ルルさんお久し振り。スブル遠征の見送り以来ね。でもね、ルルさんが持っているキノコ、全部毒キノコよ」

「うえっ」


 ルルは両手に抱えていたキノコを投げ捨てた。


「ルルもかよー。昼飯肉だけかよー。つかお前らキノコの知識無しかよー。どうやって選んできたんだよ」


 ニグルは再びぼやいた。


「大きいから一本で済んで効率いいと思って」

「形がニグルさんのに似てたから居ても立っても居られなくなって」

「お前ら・・・うちのパーティーは本当に残念なパーティーだな・・・」


 エルとルルの返事を聞いて、ニグルは改めてぼやいた。



「ヒロくん。何でそんなに平然と自分のことを棚に上げられるの。私の育て方が悪かったのかな・・・」


 落ち込んだエイダの肩を背後から、マグスが掴んだ。


「女王、きっとそうだぞ!お前が甘やかし過ぎたのだろう!」


 マグスは楽しそうに、エイダに告げた。


「・・・マグス、ヒロくんは冒険者やめさせるべきだと思う。ヒョランドで私の管理下で暮らすべきだと思う」

「いや!ニグルは冒険者が合っている!俺はニグルの才能を認めている!絶対に冒険させる!」

「わかった・・・」


 師匠であるマグスには、エイダでも逆らい難い。


「じゃあ・・・私も冒険行く!」


 エイダの、それが答えだ。


「女王!貴様!ニグルと一緒にいたいだけだろう!」

「親子だもの!」

「親子だからって一緒にいなければならないことはない。そもそも俺とエイダは親子ではない。元親子だ」


 何はともあれ、近々冒険が再開されることが既定路線となった。

 

「今回は俺も行くぞ!ヒトカタノサトを探しに行こう!俺の疑問もお前らの疑問も、きっとヒトカタノサトに答えがあるはずだ!」

「奇遇ね。私も冒険行くならヒトカタノサトだと思ってた。あの時、途中で引き返す羽目になったしね」


 マグスはいつでも独善的だ。

 しかし今回は、当初のエイダの考えと一致した。



「遠そうだな・・・それに人数多いから自分のペースでバイク走らせられない・・・」


 ニグルは冒険を好んでいるわけではない。

 ツーリングがてらだと思えばこそ、冒険に行く気になれる。

 つまり、ニグルは今回の冒険に乗り気ではない。

 

 しかし、いずれ義父になるはずのマグスに、ニグルは強く反対出来ない。

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