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母との別れ 覚醒

 誰よりも猛々しく、誰よりも強い戦士であると信じて疑わなかった夫が、悪魔に喰われた。

 真っ先に、一口で。


 攻撃を受け続け弱っていたわけでもなく、不意を突かれたわけでもなく、先頭に立って突進し、喰われた。


 エイダの母にとってそれは、余りにも衝撃的で、余りにも残酷で、余りにも惨めで、余りにも悲しい出来事であった。



 首長の妻として感情を押し殺し、平静を装いながら報告を受け入れた。

 その日の夜には、自力で立てないほどに憔悴し切った。


「ヒョランドの女として、勇敢な戦士の妻として、私は習慣に従いたい。エイダにも、習慣に従ってもらいたい」


 エイダの母は、毎日そればかり繰り返し呟き、娘の帰りを待った。




「エイダ、早く奥方に会いに行け。お前が来るのをずっと待っていた」


 ヒョランドの住民達が、父との匂いの思い出に浸るエイダを急かした。


「そうなんだろうね。でも、会ってしまったら・・・」


 エイダは、母との再会の先に待ち受ける、ヒョランドの習慣によって定められた運命を恐れていた。


「このまま会わなくても同じことだ」

「でも」

「お前に会えず、別れも言えずに亡くなるかもしれないのだぞ」

「だって」


 住民達に急かされながらも、運命を恐れ愚図る今のエイダは、余りにもひ弱な少女でしかない。

 前世も含め、誰よりもエイダのことを理解しているつもりのラシオには、それが耐えられない。


「しっかりしろって!悪魔だってまたいつ来るかわからないのだぞ!いずれにせよ、迷っている暇なんて無いのだ・・・」


 叱咤しながらも、エイダの気持ちはよくわかる。

 相反する感情を頭の中でもつれさせるラシオは、眉間に皺を寄せ俯いた。


 一方、ラシオの叱咤に辛うじて背中を押されたエイダは、小さな歩幅で、ゆっくりと森の中に入り、炭焼き小屋に向かった。



「母上・・・」


 エイダが炭焼き小屋に入ると、小さな部屋の片隅に盛られた藁の上に、母親が弱々しく横たわっていた。


「エイダ。帰って来てくれたのね」


 常に凛とした佇まいだった母が、儚げな視線をエイダに向ける。


「ただいま。仇は、私がちゃんと取るからね」


 少しだけでも元気づけられればと、エイダは習慣に則り、不確かな約束をした。


「ありがとう。その言葉を聞いて安心した」


 憔悴しきったエイダの母が、優しく微笑んだ。



「母上、やっぱり・・・」

「ヒョランドの女ですもの。ヒョランドの習慣に従うわ」

「そうだよね」

「ラシオに見送ってもらうわ。呼んできて」

「わかった。じゃあ、母上、さようなら」

「さようなら、エイダ。清く、慎ましく、逞しく、力強く」

「うん」



 エイダが炭焼き小屋を出ると、ラシオをはじめ、ヒョランドの住民達が少し離れた場所に集まっていた。


「ラシオ。母上をよろしく」


 エイダは俯きながら歩き、ラシオの横を通り抜けながら呟いた。


「わかった」


 ラシオは小さく呟き返し、炭焼き小屋に向かって歩き出した。



 ラシオは何歩か歩いて思い返し、振り返った。


「エイダ、もういいんだな」


 ラシオは、エイダに母への未練があるのなら、少し時間を与えようと思った。


「言葉は貰った」

「わかった。道から離れていろよ」

「うん」


 エイダは、道を逸れて森の奥に向かって黙って歩き始めた。

 その姿を見送るラシオには、エイダの肩が震えているのがよくわかった。




 ポノに連れられて、マグスと舟主は森に向かって歩いていた。

 吹雪に慣れないマグスは、まともに前を向けず、先導するポノの踵ばかり見ていた。


「ラシオ!どこに行く!」


 ポノが吹雪の中で突然叫んだ。

 マグスが目を細めながら顔を上げると、大きな皮袋を担いだラシオの姿が見えた。


「奥方を見送ってくる」


 ラシオは努めて表情を消しながら答えた。

 ラシオの短い回答は、ヒョランドの住民であれば察するに十分なものだった。


「奥方・・・そうか」


 ポノは沈鬱な表情になった。


「どうしたのだ!」


 ヒョランドの住民ではないマグスには何も察せられない。


「舟おやじ、舟をもらうぞ」


 マグスを相手にせず、ラシオは舟主に舟を無心した。


「奥方の見送りに使ってもらえるなら本望だ」


 元ヒョランドの住民であり、その使用目的がわかっている舟主は、泣いているのか笑っているのかわからない顔になった。


「だから、どうしたのだ!」


 誰も答えないことに焦れたマグスは、再び尋ねた。


「悪魔はエイダが必ず倒す。悪魔を倒した後で、今より立派な船を作るから」


 ラシオは尚もマグスを相手にせず、舟主に、新しい船を贈る約束をした。




 浜に着いたラシオは、ヒョランドに戻るために乗ってきた舟に大きな皮袋を乗せると、柏手を打つように手を合わせ、掌を宙空に向けて開いた。


「ホムラタテ」


 ラシオが呟くと、ラシオの掌の上に小さく強い炎が立った。


「マグスに教えてもらった。手向けの炎の代わりだ。吹雪の中でも消えない炎なのだぞ」


 ラシオは呟きながら、掌に立った炎を皮袋に向けて放った。


「俺はちゃんと成長している。エイダは俺より成長している。安心してくれ」


 皮袋を燃やす炎に、ラシオは語り続けた。


「エイダならヒョランドの首長の役割をしっかり果たせるだろう。俺は前世でエイダの家族だったからよく知っている。エイダは強く、賢く、優しく、明るく、公正だ」


 ラシオは、沖に向かって舟を蹴った。


「奥方、さようなら。首長はとんでもなく強いだけのクズだったから、奥方がいないと何も出来ないだろう。しっかり面倒を見てやってくれ」


 吹雪のせいか、舟は滑るように、沖に向かって流れていった。




 ポノに先導されながら吹雪の中を歩くマグスは、苛立つあまり吹雪に晒されている事を忘れ、目を見開いてポノの背中を睨み付けていた。


「だーかーら!どうしたと言うのだ!」


 苛立つマグスは、大声で再度質問した。


「奥方が亡くなった。ラシオが見送る」


 ポノが抑揚のない声で答えた。


「ふむ、なんか申し訳ないな」


 自分に過失があったとは思えないが、意外と空気を察するマグスは、ポノに対して申し訳ない気持ちになった。


「しかし、なぜエイダは見送らないのだ!」


 申し訳ない気持ちと、疑問を先送りにしたくない感情とは、同一線上には並ばない。


「別れを済ませたからだ。見送りは血族以外の一人だけと決まっている」

「なんだそれは!じゃあ俺も見送れないのか!」


 腑に落ちないマグスは、ポノの回答に苛立ちを募らせた。



「マグス様、これはヒョランドの習慣なのです。戦闘で夫を失った女は死を選ぶのです。自死は許されないから、血族以外で最も関係の深かった者がその死を手伝います。血族はその前に別れを済ませ、死を手伝った者が一人で見送るのです。そして、遺族は必ず仇討ちをする」


 ぶっきらぼうなポノと疑問を先送りにしたくないマグス。

 放っておくと、いつまでも耳障りな会話が続きそうだと思い、舟主が口を挟んだ。


「出来なかったらどうするのだ!」

「出来るまで、命を賭す。仇を打つか、力の差があるのなら相打ちするか、それも出来なければ潔く玉砕するか。それがヒョランドの習慣なのです」

「変な習慣だ!」

「勇者への敬意を表し、未亡人を慰め、二人の愛を賞賛し、遺族に覚悟を促すための習慣です。力無き者を淘汰する、真意はそこでしょうけどね」


 舟主の顔に、複雑な翳が浮かんだ。


「さすが氷河の民、蛮勇の戦士達だな!」


 マグスは素直に感心した。


「逃げると言う選択肢もあるのですよ。未亡人も遺族も。逃亡者は淘汰されたのと同じことですからね。わざわざ追求してまで縛り付けない。それもヒョランドの習慣です。ちなみに俺は逃亡者です。ヒョランドには住めませんけど、ヒョランドとの関係は深いままです」

「思ったより融通がきくのだな・・・」


 マグスは、なんとなく、残念に思った。




「エイダ!心強い援軍が来るぞ!俺の妻ソエルがもうすぐ着く!」


 森の中に入りエイダと合流したマグスは、ポジティヴな情報を与えたつもりでいた。


「仇を打つのは私の義務。ヒョランドの地で、勇敢な戦士と愛情深き女の間に生まれた以上、これは果たさなければならない義務。手を出さないで」


 エイダは、不機嫌な顔になった。


「そうか。すまん。ならば俺もソエルも助太刀はしない!しかし!」


 マグスは、少し凹みながら続けた。


「お前は既に強いが、もっと強くなれる!その手助けをソエルがする!」

「特訓でもするの?」


 エイダは、呆れた顔をした。


「違う!お前の秘めた力を覚醒させるのだ!」

「だから、特訓?今更?」

「一晩、ソエルと枕を共にしろ!ソエルの手ほどき通り、ただ身を任せればいい!そして快感に惑溺しろ!それだけでいい!」


 その場にいる誰もが、不思議なものを見る目でマグスを見た。


「はい?何言ってんのこのガリガリおっさん。きっも」


 エイダは、顔中を不快感で埋め尽くした。


「まあいい。その辺はソエルに任せる。俺は氷河の民の警護に徹しよう。他人のことなど気にせず、仇討ちに専念するがいい!」

「ありがとう。それは助かる。何が起こるかわからないし」




 マグスが合流してしばらくして、ラシオがソエルを連れて森に戻って来た。


「奥方と入れ違うように、マグスの妻だと名乗る女が舟に乗ってやって来た。マグス、間違いないか?」

「間違いない!」


 マグスの顔に喜色が浮かんだ。


「ソエル!早かったな!」

「急げって書いて寄越したのあなたじゃない。仕方ないから、漕ぎ手全員の能力を覚醒させたわよ」


 能力を覚醒させたということは、性を交わしたということである。


「さすが我が妻!豪儀だな!」


 マグスは、素直に感心した。



「あなたがエイダ?とても美しいわね」


 ソエルは、凝視しながらエイダの顔を撫で、表情の変化を見逃すまいと目を合わせたまま、毛皮のマントを脱がせ、顔から首、首から肩、肩から腕、腕から脇腹、脇腹から腰を撫で回した。


「精神の美しさ、意志の強さ、しなやかな体躯。それらは全て、戦士としての美しさを裏付ける」


 エイダは、目を逸らしたら負けだと思い、黙ったままソエルの瞳を見返し続けた。


「気が強いのね」


 ソエルは微笑みながら、エイダの腰から顎に手を移し、顎を上げさせた。


「あなたをもっと美しい戦士にしてあげる」


 鼻が当たりそうな距離で囁くソエルの妖艶さに、エイダはすっかり引き込まれた。



「どこかに小屋、ないかしら?」


 ソエルはマグスに顔を向けながら尋ねた。


「森の奥に炭焼き小屋があるぞ!つい先ほど、奥方が亡くなった小屋だ!」


 マグスは沈鬱な空気に気付かないふりをして、大声で答えた。


「そう。入江で燃える舟とすれ違ったけど、奥方だったのね。もう一度会いたかった」


 ソエルはマグスにしっかりと相槌を打ち、ソエルに向き直った。


「奥方のお力も頂きましょうね。エイダ、あなたはもっと美しくなって、この戦士の地に君臨する女王になるのよ」


 まるで蛇に睨まれたカエルのように抵抗も出来ず、ソエルに手を引かれ森を歩き、エイダは炭焼き小屋に入った。




「マグス様、ソエル様はエイダに何をしているのだ」


 エイダがソエルに連れて行かれ、何も知らないヒョランドの住民達は少しだけ騒然とした。


「知らない方がいいことも、この世の中にはあるものだ!」


 マグスは、難しげな顔をして住民達を制した。


「エイダの身に危害を加えようと言うのなら、我々全員を相手に戦う覚悟を決めろ」

「危害など加えん!小屋から出てきた時、エイダは今までよりも遥かに強くなっているだろうよ!」


 不思議なことを言うのが、高名な冒険者である大魔法使いであるだけに、住民達はなんとなく黙った。


「・・・今は信じるしかないな」


 ラシオが住民達に向かって言った。


「物事の順序がよくわかっている。ラシオは賢い子だな!」


 マグスはラシオを褒めた。


「子供扱いするな。成長が早い獣人の世界では、俺はすでに成人だ」

「そうだったな。エイダも来年には成人か」

「そうだ」




 炭焼き小屋から出て来たエイダは、恥ずかしそうに俯きながらソエルに手を引かれ、住民達が集まっている場所まで歩いて来た。


「エイダ!大丈夫か!何をされたのだ!」


 エイダの様子の変化に、住民達は再び騒々しくなった。


「別に・・・何もされていない・・・」

「私の身体に流れる血で、覚醒させたのよ。美しき戦士として、ね」


 ソエルは自信に満ちた堂々とした表情で、住民達に告げた。



「エイダ、わかるでしょ?今までの自分との違い」


 ソエルがエイダの顔を覗き込んだ。


「うん」


 照れ臭そうに、エイダは紅潮した顔を上げてソエルの顔を見た。


 マグス以外の、その場にいた全員が、腑に落ちない顔をした。



「エイダ、他にも誰か覚醒させる?」


 エイダは顔を真っ赤にさせながら、大きく左右に振った。


「ダメ」

「なんで?みんな強くなった方がいいのではないかしら?」

「そうだけど、ダメ」

「エイダが私としたこと、みんなには知られたくないから?」


 エイダは、黙って頷いた。


「わかった。その代わり、エイダがみんなのこと、ちゃんと護るのよ」


 ソエルは、子を持つ女だけが作れる、優しく諭す顔をして言った。


「うん」


 強い意志を顔面にみなぎらせ、エイダは力強く頷いた。

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