辿られた匂いの絆
南洋諸国の東の大陸は、他地域と比べると平均的に魔物や魔獣の類が強い。
そして、東の大陸の最果ての地には、強い魔物や魔獣どころか、強大な竜が住むと言われている。
しかしそれは、人煙稀な最果ての地の噂程度の話。
真偽の程はわからない。
「いや、竜は確かにいるぞ!」
東へと向かう歩みを進めながら、熟練冒険者マグスはそう言い切った。
「闘ったことあるの?」
十歳のエイダは、あどけなさの欠片もない冷めた目でマグスを見つめている。
「ない!」
「じゃあなんで断言できるのよ」
「大腿骨を拾ったことがある!」
「骨だけじゃ竜かどうかわからないじゃない」
「竜だ!間違いない!」
「根拠はあるのか?」
十三歳のラシオが、少年らしさのない眼差しで横槍を入れた。
「大きな体を持ちながら空を飛ぶとなると、大きくて軽くて強靭な骨格が必要なはずだ!俺が拾った大腿骨は大きさも軽さも強度も竜の骨として相応しい!」
「現物を見なければ何とも言えないわね」
「現物を見たところで参照するべきものがない。推測は根拠になり得ない」
「お前らは本当に可愛くないクソガキどもだな!」
「最果ての地には、竜だけではなく、凄い奴がいるのだぞ!」
マグスはめげない。
「凄い奴?」
エイダは前を向いて歩きながら、首を傾げた。
「ヒトカタノサトと言う土地にいるらしい!神でも悪魔でもないが、人でもないらしい!」
「らしいって事は、マグスは知り合いじゃないんだ」
「そもそも、俺はヒトカタノサトに行ったことがない!」
「マグスでも行ったことないとこがあるのね」
「探しはしたのだ!何度もな!しかし、何故か見つからん・・・」
マグスは、少しだけ寂しそうな顔をした。
「何が凄いんだ?」
逸れた話を戻そうと、ラシオが口を挟み尋ねた。
「知らん!竜が住んでる土地に住んでるだけでも凄そうだがな!」
「確かに」
ラシオは少年らしい顔になって笑った。
「不思議なのだが、そいつの存在を知った異世界人冒険者達は皆、そいつに会いに行く、会いに行けるのだ。そして、そいつに会った異世界人冒険者達は皆、ヒトカタノサトに移住する」
「そこから元の世界に戻れるのかな」
「それはわからんな。しかし俺が知る限り、連中は移住した後も冒険に出たりしているから、元の世界に戻れたわけではないのだと思うぞ」
「そっか」
「異世界から転生したお前らならヒトカタノサトに行けるかもしれないし、そいつに会えば、お前らが探している答えが見つかるかも知れない。だから取り敢えず行ってみるのだ」
マグスは、エイダとラシオを連れて東に向かう理由を、取り敢えずで説明した。
東の大陸を横断する間は、毎日のように魔獣と遭遇した。
魔獣と遭遇する度に、エイダは大剣を頭上に掲げながら走り出し、一刀のもとに魔獣を叩き切った。
「たまには俺にもやらせろ」
ラシオが魔獣と闘う時、ラシオはまず、走り出そうとするエイダを蹴り飛ばして転倒させた。
ラシオが魔獣と闘うには、そうする必要があった。
そうでもしなければ、常にエイダが先に駆け出して、ラシオの出番を無くしてしまう。
しかし、エイダを蹴り飛ばしただけではラシオは安心出来ない。
少しでも手間取れば、その間にエイダに追い付かれるかも知れない。
魔獣との対峙そのものより、ラシオはエイダの存在にこそ緊迫感を感じていた。
二人の幼く優秀な戦士のお陰で、マグスは随分と楽をしていた。
暇を持て余している分、マグスは頻繁に使い魔を放ち、妻ソエルと小まめに連絡を取り合っていた。
事務的に、惰性で魔獣を狩りながら東の大陸を横断する日々を重ねて一年が過ぎた頃、ソエルから悪い知らせが来た。
氷河の国に悪魔が現れ、氷河の民が苦戦していると。
「またヒトカタノサトに辿り着けなかったな・・・」
使い魔が持って来たソエルからの手紙を読み終わると、マグスは寂しそうに呟き、前を歩いているエイダとラシオの背中に顔を向けた。
「エイダ!ラシオ!冒険は終わりだ!お前らの故郷に悪魔が現れた!急いで戻るぞ!」
エイダとラシオは、マグスが言ったことをよく飲み込めないまま、顔を見合わせた。
エイダとラシオは悪魔を見たことがない。
とにかく強いと聞いたことはあるが、見たことがないから脅威を感じない。
「父上がいるんだから大丈夫なんじゃないの?」
「そうだな。非常識なまでに強いことだけが取り柄の首長だからな」
「お前らは何も知らないからそう言っていられるのだ。確かに首長は強いが、最悪の事態を想定すべきだ。悪魔と闘うということは、そういうことなのだ」
そう言うなりマグスは踵を返し、西に向かって歩き始めた。
エイダとラシオは、さすがに二人だけで冒険を続ける気にはなれず、不承不承マグスの後を追った。
三人は東の大陸を抜け南洋諸国に至り、ソルディの港から舟に乗った。
ヒョランドが見える距離まで近付いた時、ヒョランドはすっかり吹雪に包まれていた。
それが珍しい訳ではないが、エイダは嫌な予感しか持てなくなっていた。
ヒョランドに戻る道中、マグスが延々と悪魔の恐ろしさを説き続けたからである。
「全滅・・・なんてことはないですよね?マグス様」
ヒョランド出身の海運業者が、恐る恐るマグスに声を掛けた。
「その可能性が無いわけではない」
マグスは余計な優しさなど見せず、本心だけを言葉にした。
「エイダ・・・」
「舟さん、今はとにかく行ってみるしかない。余計なことを考えちゃダメ」
ヒョランドに戻る道中で十一歳になったエイダが、自身の本心を押さえ付け、暖かい声で舟主を諭した。
「舟おやじも臨戦態勢をとっておけ」
同じく戻る道中で十四歳になったラシオが、落ち着き払って舟主に覚悟を促した。
「舵を取ってる最中にそんなこと出来るかよ」
そう言いながらも、舟主は足下に置いた大剣に触れ、位置を確認した。
何度も波間に呑み込まれそうになりながら、頼りなく高波を乗り越えながら、小舟は入江に入った。
入江に入ると、まるで吸い込まれるかのように、入江の奥の浜に辿り着いた。
浜はヒョランドの中心地と言える場所であるだけに、常ならば誰かしら人がいるものだが、人影が全く見当たらない。
吹雪の中で耳を澄ませても、聞こえるのは風の音だけ。
人の声も、何かしらの作業音も、一切聞こえてこない。
「全滅かな・・・」
エイダは低い声で呟いた。
「どうすればいいの」
エイダは明らかに動揺していた。
見渡す限りの、家という家が破壊されている。
エイダの家も破壊されている。
「悪魔を・・・探せばいいの?」
エイダは、目に涙を溜めながら、縋るようにラシオに聞いた。
「闇雲に悪魔を探すのは危険だ。優先すべきは状況の把握だ。まずは各集落を回る。被害状況の把握、生存者数の把握、残存戦力の把握」
「すぐ行こ、ラシオ」
言うや否や、エイダは吹雪の中を走り始めた。
「マグスと舟おやじは吹雪を凌げる家を探して待機していてくれ。俺とエイダの二人で各集落を回る」
「うむ!」
マグスと舟主に指示を出し、ラシオは吹雪の中に消えたエイダを追いかけた。
浜近くだけでなく、丘の上の集落にも崖の上の集落にも、住民はいなかった。
「ねぇラシオ、家は残ってるのに誰もいないよ」
今のエイダは、ただの不安に打ち負けた少女でしかない。
ラシオがそばに居なければ、ただただ戸惑い立ち尽くすことしか出来なかったであろう。
「エイダ、森を見に行こう。避難している者がいるかも知れない」
エイダを支えなければならないという使命感なのか、それとも単にそういう性格なのか、ラシオは今の状況でも冷静さを失わない。
エイダとラシオは、森に向かって走り出した。
「ラシオ、誰も生き残っていなかったらどうしよう」
弱々しいエイダに、ラシオはうんざりしてため息をついた。
「お母さん!しっかりしてくれ!転生前のお母さんはもっと強かったぞ!」
家族を守り、支えた日々。
夫の顔、娘の顔、息子の顔、飼い犬の顔。
突然、前世の記憶が蘇り、エイダの頭の中で渦を巻く。
ラシオの叱咤をきっかけに、エイダの目に生気が蘇った。
「飼い主に向かって生意気」
エイダはようやく、少しだけ強がれた。
エイダとラシオが森に向かって走っていると、南の方角から、ヒョランドの住民が数人走り寄って来た。
「エイダ!ラシオ!」
住民のうちの一人が大声で二人の名を呼んだ。
「エイダ」
その住民は、エイダ達のそばまで来ると再びエイダの名を呼び、一呼吸おいてから、再び口を開いた。
「すまない。首長は悪魔に殺された」
エイダは、その言葉を聞いた途端に、膝から崩れ落ちて座り込んだ。
覚悟はしていた。
しかし、覚悟していたところで、その衝撃は緩和されない。
「首長のお陰で半年以上、防御に徹して持ち堪えていたのだ。しかし、南洋諸国からの援軍もなく、このままではジリ貧だと言って、住民総出で一か八かの反撃に出て」
「死に際は?」
エイダは、その住民の話を遮り、尋ねた。
「先陣を切って突撃して、悪魔に喰い殺された」
「そう・・・父上らしい死に方ね」
そう言うと、エイダはしばらくの間、黙って白い地面を見つめ続けた。
「母上は?」
ふと気付き、エイダは母の安否を確認した。
「森の中に避難している。憔悴し切っている。ヒョランドの女として、ヒョランドの習慣に従うと言っている」
「私を待っているのかな。とにかく顔を見せに行かなきゃ」
そう言いながらも、エイダはまだ立ち上がれずにいる。
「エイダ、無理はするな。ゆっくり心を落ち着けろ」
住民達は、吹雪からエイダを守るため、エイダを囲むように並んで立った。
「何をしに南に行っていたのだ?」
エイダを囲みながら、ラシオが住民達に尋ねた。
「悪魔の住処を探すために、南の谷に行っていた。首長の仇を討つために奇襲をかけようと、皆で決めたのだ」
答えたのは、崖の上のポノだった。
「悪魔は南の谷に住んでいるのか?」
「わからない。けど、悪魔はいつも、襲撃の後は南に戻っているから」
「わからないって事は、住処は見付けられなかったんだな」
「まず、谷の奥まで行けなかった。ここより激しい吹雪と、雪と氷に阻まれた」
「そうだろうな」
少なくとも、事態を好転させられるような情報は無いと、ラシオは知った。
「ポノ、浜のどこかの家にマグスと舟おやじがいるから呼んできてくれ。森の中で集合しよう」
ラシオがポノに指示した。
「・・・わかった」
エイダの落ち込みようが気掛かりで、ポノはその場を離れることを躊躇した。
しかし、エイダに掛けるべき言葉がわからない事に気付き、浜に向かって走り出した。
ラシオ達は、いつ立ち上がるかわからないエイダを気長に待ち続けていた。
しばらくすると、酷寒の中でも感じられるほどの、重苦しい悪寒が漂って来た。
ラシオ達は、悪寒が漂って来る方に視線を向けた。
視線の先には、悪魔がいた。
「うわぁ!悪魔だ!」
「いつの間に!」
「・・・・・」
驚き、怯え、怒り。
優れた戦士が揃う氷河の民と言えど、不測の事態に対する感情は様々である。
複雑に絡み合う様々な感情を吸い込むかのように、エイダは深呼吸し、立ち上がった。
立ち上がったエイダの瞳に映ったのは、人間の顔が付いた、大きな四足獣の姿であった。
「大きな男と同じ匂いがしたから来てみたのだが、そうか、お前はあの男の娘なのだな」
四足獣の悪魔は、余裕を口の端に漂わせながら、エイダに声を掛けた。
大声を出しているようには聞こえないが、吹雪の中でもよく響く声だ。
「お前の父親はな、大きな体の割に脂身が少なかったのだが、強い旨味と程良い弾力のある赤身が美味だったぞ」
四足獣の悪魔は、エイダの父の食レポをした。
エイダの目に、怒りが満ちた。
「強い目をしている。お前の父親も同じ目をして私に向かって来た。しかし私に喰われる瞬間はな、随分怯えた目をしていたぞ」
四足獣の悪魔は、いやらしい笑顔になった。
「人面犬風情がよく喋るわね」
エイダは大剣を頭上に掲げ、四足獣の悪魔の方に向かって走り始めた。
「勇敢な娘だ。いいだろう、父親同様喰ってやる」
エイダは目にも止まらぬ速さで四足獣の悪魔に走り寄った。
予想だにしなかったその速さに、四足獣の悪魔は反応出来ず、エイダに都合の良い間合いを取らせてしまった。
しかし、四足獣の悪魔は大きい。
エイダの大剣は四足獣の悪魔の顎にすら届きそうにない。
かと言って、大剣を持ったまま飛び跳ねるほどの筋力は、十一歳のエイダには備わっていない。
「父上と同じ匂いとか、あり得ないから!」
叫びながら、エイダは四足獣の悪魔の左前足に大剣を振り下ろした。
エイダの大剣を受けて、四足獣の悪魔の左前足は真っ二つに裂けた。
真っ二つに裂けた自身の左前足を見て、四足獣の悪魔は目を見開いた。
「見くびっていたようだ。出直そう」
予想外の事態に面くらい動揺した四足獣の悪魔は、突然後ろ足二本で立ち上がり、南に向かって駆け出した。
「二足歩行できるんだ・・・」
エイダはその事に驚き、呆然としながら、四足獣の悪魔の後ろ姿を見送った。
「ラシオ、私の体臭、父上と同じ匂いなの?あんなに臭いの?」
「臭くない。多分、悪魔が言ったのはそういう意味ではない」
「良かった・・・でも、臭かったけど、落ち着く匂いだった。私は父上に抱っこされるの、好きだった」
「首長に抱っこされた後のエイダは少し臭かった」
「もうあの匂い、嗅げないんだね」
ラシオは、どう言葉を繋げばいいのかわからず、黙った。




