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氷河の女王

「囮部隊はそろそろ退却、適当な距離で左右に散れ」

「おう!」


 魔獣の群れと闘っていた数十人の屈強な男達が、伝令を受けるや否や、一目散に退却を始めた。

 そして、ある地点まで退くと、左右に散った。


 人流のあとに残ったのは、大剣を振りかざす若い女とその従者。


「今日は多いな」


 若い女がぶっきらぼうに呟いた。


「久し振りに天気が良いからな」


 従者もまた、ぶっきらぼうに答えた。


「空気乾燥してるし、燃やそうかな」


 若い女が言うや否や、大剣が炎に包まれた。

 若い女は炎に包まれた大剣を振りかざしたまま、屈強な男達を追いかけて来た魔獣の群れに向かって、一人で駆け出した。


 魔獣の群れに揉まれる程に近接し、大剣を豪快に振り回して周囲の魔獣を薙いで燃やし、無駄の無い足捌きで間合いを取り直し、また豪快に大剣を振り回して魔獣の群れを薙いで燃やす。


 屈強な戦士達は全て囮部隊。

 頭のてっぺんから爪先まで凛とした美しさをたたえた若い女が、一人で魔獣の群れを蹂躙した。


「お見事。さすがは氷河の女王」


 その熱い闘いぶりとは裏腹に従者から氷河の女王と呼ばれた女は、満足げな笑顔で無言のまま頷いた。




 セノベ国の港町クタから南洋を越えて南の果てに至ると、ヒョランドという土地がある。

 通称は氷河の国。


 南の果てと言っても、そこが本当に南の果てであると確認した者はこの世界に存在しない。

 この世界の人々がそこを南の果ての地と思っている。ただそれだけのことである。


 どれほどの広さなのか。そもそも大陸なのか、島なのか。

 それさえも誰にもわからない。


 ヒョランドの中でも人が足を踏み入れる事が出来るのは北辺の海辺のみ。

 南にしばらく下ると、高く聳える山脈が陸地を横断している。


 山脈の向こうを見ようにも、それを試みた人々が山脈に辿り着く前に、麓の深い谷と、急激に下がる気温と、深く積もった雪に行手を阻まれる。


 海から確認しようにも、入江がある辺りより南の海は、波が高く、風が強く、天候が安定しない。

 南の海に流されて戻って来られた船は、今のところ存在しないとされている。



 居住地とて、深く陸地にえぐり込んだ入江に張り付くように形成されているのみ。

 深い入江の周りでは、平地であれ崖の上であれ、家を建てることが出来そうな場所があれば人々はそこに住み着いている。


 ヒョランドの住民の多くは、漁業か牧畜に従事している。

 住民達は過酷な環境の中で協力し合って生活しており、法や権力に縛られるまでもなく、平和なコミュニティを形成している。


 ヒョランドには魔獣や魔物の類が多く生息している。

 家畜や海産物に引き寄せられるのか、魔獣や魔物の類が住民の居住地に侵入することも多い。

 ヒョランドに軍隊は無いが、住民は皆、必然的に戦闘に慣れている。


 貧しい土地である上に戦闘慣れしている者が多いため、南洋諸国で戦争があると、傭兵として出稼ぎに出る者が多い。

 屈強なヒョランド傭兵の需要は、極めて高い。



 氷河の国ヒョランドには、氷河の女王と呼ばれる若く美しい女が君臨している。

 わざわざ好き好んで訪れる者がほとんどいない国の女王である。

 他国には、氷河の女王の実態を知る者が殆どいない。


 権力者が搾取する程の余裕が無い貧しい土地の平和なコミュニティである。

 そもそも統治者など必要ではない。


 故に、氷河の女王は統治者として君臨している訳ではない。

 最強の戦士として、稀に発生する住民同士の諍いの調停者として、その美しさと血統の古さから、この地の象徴として住民から慕われているだけの存在である。


 数少ない特権は、仮に働かなくても住民が進んで貢いだ食糧で最低限の生活が出来ることと、魔物や魔獣と戦う際の戦闘指揮権を持っていることくらいである。


 ただし、恐ろしく敬愛されている。

 これといった権力を持たないからこそなのであろう。


 王と言うより、長老のような存在と思えばいい。

 世襲の長老の当代が、たまたま若く美しく一人の戦闘者として圧倒的に強く、皆から愛されている女であるが故に、仰々しく女王と呼ばれているだけの事なのである。


 氷河の女王は誰よりも働き者である。

 先頭に立って魔獣や魔物と闘い、率先して漁に出て、犬に混ざって羊を追う。



「女王!犬の仕事を奪うな!」


 牧羊犬に混ざって走り回っていた氷河の女王を見つけ、従者が怒鳴った。


「犬が手抜きを覚えてしまうだろうが」

「いいじゃない。私が羊を追い続ければ良いんだから」


 氷河の女王は、眩い笑顔で答えた。

 従者は、氷河の女王の笑顔を見る度に、必要とあらばいつでも女王のために命を捨てようと覚悟を新たにしてしまう。


「それはともかく、マグスさんの使い魔が来たぞ!」

「手紙持って来たの?ちょうだい」

「おう」


 額を汗で輝かせる氷河の女王に、従者が手紙を手渡した。

 従者から手渡された手紙を読み、氷河の女王が喜色を浮かべた。


「面白い冒険者がいるって。転移したばかりの異世界人冒険者だってさ」

「へぇ」

「凶悪な顔でありながら親しみに溢れ、怠惰にして前向き、不遜にして慈愛に満ちている。ですって」

「いちいち矛盾しているな」

「あとね、バイクっていう変な乗り物に乗っているって」

「バイク・・・」

「なんか、懐かしさを感じるな。似た者を知っているかも。あなたもね」

「ふむ・・・女王の夢に出てきたという、彼である可能性があると」

「そ」

「呼び寄せてみよう。彼であるなら俺も会いたい」

「でしょ?」

「ではキゼトのギルドに依頼を出すとしよう。相手は冒険者だから、その方が筋が通るだろうし断りにくいだろう」

「私に会いに来るだけの依頼なんだから、報酬は小魚の塩漬けくらいでいいよね」


 氷河の女王は、悪戯っぽく笑った。

 いかにも楽しそうな可憐な笑顔からは、最強の戦士らしさを微塵も感じられない。





 寿司を食べ、食後に散策をし、空を這う不思議な蛇と大きな結界を目の当たりにし、悪魔らしき者を目撃し、ニグルがどこかで有名になっていることを知り、宿泊先であるフグリの工房に戻ると、キゼト在住のマグスが玄関に立ちはだかっており、相変わらずの大声を発している。


 この状況が何を意味するのか。

 ニグル一行は皆、それぞれに考えを巡らせたが答えが出ない。


「愛する娘を父親が出迎えに来て何が悪いのか!」


 察しの良いマグスが、皆の顔を見渡しながら大声で答えた。


「それだけの為にわざわざ馬を飛ばしてきたのか?」


 ニグルは呆れた。


 クタからキゼトまでは、馬を飛ばして半日の距離である。

 ニグル一行が到着してすぐにフグリが使者を出したとして、知らせを受けてすぐにキゼトを出なければ、今この場にマグスはいないはずである。


「そんなに急いで来なくても、どうせいずれキゼトに帰るってのに」


 ニグルは探るように言った。


 わざわざ大急ぎで出迎えに来ている。

 ニグルでなくとも、誰でも嫌な予感がするであろう。



「キゼトに戻る必要はないぞ!」


 そんな気がしていた。

 ニグル一行は、マグスの宣告にため息をついた。


 そもそも、今回のスブル行きは、遠征と言いながらずいぶん早く戻ってしまった。

 マグスから示されていたルートの内の最短ルートを辿っただけなのだが、それにしても短かったとは、本人達も思っている。


「南洋を越えて氷河の国に行け!そして氷河の女王に会うのだ!そういう依頼がキゼトのギルドに来ている!」

「は?」

「ニグル、氷河の女王がお前をご指名なのだ!」

「は?」


 遠征に対するダメ出しではなかったものの、ニグルは全く腑に落ちない。

 それはそうであろう。中年ながら、まだ駆け出しの冒険者なのである。

 悪魔討伐の実績があるとは言えど、遠方の地まで轟くほどの名前は持っていない。


 他にいくらでも実績豊富な上級冒険者がいるではないか。

 何故ニグル指名なのであろうか。


「俺が使い魔を送ってお前のことを知らせておいたのだ!面白い冒険者がいたら教えてくれと頼まれていたのでな!」

「は?」

「今回の遠征で何も得るものが無かったのであれば、女王への返事は保留してすぐにでも遠征を継続させるつもりだったのだがな!しかしお前は悪魔を従えた!俺の目に狂いは無かった!だから今すぐ氷河の国に向かえ!そして氷河の女王と会うのだ!」

「行かない」


 ニグルは不機嫌になった。


「依頼を受けるかどうかは俺が決める。そして決めた。行かない」

「行け。行けばわかる。行っても後悔しないはずだ。行かなければ後悔するかも知れない」

「報酬は?」

「それを聞いたら後悔するだろうから言わない!」


 不毛な堂々巡りを経て、ニグル一行は氷河の国に向かうことにした。


「タナカも連れて行け!準備は入念にしろ!必要な金は用意してやる!」



 バイクでひとっ走りしてキゼトのギルドでカモ討伐の報酬を受け取り、マグスに言われるままに氷河の国に向かう準備をし、マグスが用意した路銀を受け取り、マグスの手配で貨物船に便乗することになり、ニグル一行は船上の人となった。


 ニグル一行に新たにタナカが加わり総員で五人となったが、元悪魔のカモの杖は残ることになった。


「棚田のことはカモに任せればいい!俺も可能な限り協力する!」


 準備期間中に酢飯の寿司を食べたマグスは、すっかり米の虜になっていた。

 バンゴ村に棚田を築く計画をニグルから聞き、すっかり乗り気になり、カモをその事業の中心に据えて自分はサポートに回ることにした。


「戻ってくる頃には美しい棚田が完成していることだろう!完成するまで戻ってくるな!」


 ニグル一行は甲板に立ち、愉快そうに笑いながら見送るマグスを無言で睨み続けた。

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