結界
「寿司美味かったなー」
ちゃんと米を用いて作られた酢飯の寿司で腹を満たし、ニグルとモリとルルとカモは、自分達が冒険者であることを忘れた。
咀嚼した数だけ、自分達が日本人であることを実感していた。
自分が日本人であることを実感したのは三人と一本だけではない。
寿司屋の先代も同じことである。
「米・・・これは米ではありませんか・・・この世界にもあったのか・・・」
ニグルが米を見せた時、寿司屋の先代は米を両手ですくいながら、小刻みに震えた。
震えた数だけ、自分が日本人であることを思い出した。
「僅かながら、スブルで栽培されています。そこで手に入れました。三表あります。全部差し上げます。その代わりと言っては何ですが、美味い寿司を食べさせて下さい」
炊飯器が無いこの世界で米を炊くのは面倒だと、ニグルもモリもルルも思っていた。
米櫃先生が居ないこの世界で米をどう保存すればいいのか、それもわからなかった。
だから、全ての米を寿司屋に進呈することに、なんの躊躇いも無かった。
酢飯は酢でびちゃびちゃになったクレープより美味であることを知った、炊飯器が存在しない世界の料理好きな女であるエルだけが、ニグルの独善を憎んだ。
「いやいや、あんたら正気か?ここのクレープ寿司が美味いわけないじゃないか」
「あんたらこの世界の人達だろ。本当の寿司を知らないんだな。クレープの上に魚が乗ってるあれは寿司じゃないよ」
ひどくご満悦な顔をして、ありえないことを言いながら寿司屋から出て来たニグル一行に目を止め、二人組の男達が声をかけてきた。
「あめーよ兄さん方。今ならこの寿司屋で、酢飯の寿司が・・・食える・・・!」
眠そうな重い瞼を精一杯上げ、細い目を精一杯開き、ニグルは異世界人と思われる男達に精一杯の熱い視線を送った。
「本当か!?」
「ああ、俺が米を持ってきた」
「そう言えば、スブルに米を作っている異世界人の村があるって聞いたことあるな・・・」
「そうだ!その村から持ってきた!」
「あそこは行く途中の街道沿いにとんでもなく強い悪魔がいて、誰彼構わず殺し尽くすから辿り着けないって聞いたぞ?」
「お、おう」
「そうだ、何人もの異世界人冒険者が殺されたと・・・」
「カモさん、誰彼構わず?」
ニグルは小声でカモに尋ねた。
「いや、丸腰で歩いている者は見逃した」
カモは小声で答えた。
「異世界人冒険者も殺してたの?ナバタ村に害をなす奴を殺してたって言ってなかった?」
「武器を携えた冒険者と、害をなすこの世界の者の見分けなど、つくわけがなかろう」
カモはより小さな声で、そんな事もわからないのかこの馬鹿は、と呟いた。
ニグルはとても耳がいい。カモの小さな悪口を聞き逃さない。
眉間をピリピリさせながら、カモの右耳の耳たぶを摘み、消滅させた。
「パワハラだ」
カモは呟いた。
「痛い痛い痛い!誰か助けて!」
カモが突然大声を出した。
「不気味な杖が喋った!」
異世界人達が驚いた。
「百聞は一見に如かずだ。とりあえず寿司食ってきなよ」
ニグルは精一杯の作り笑顔で、何事もなかったかのように促した。
凶悪な顔の作り笑顔で、異世界人達は何かを察した。
「うん、そうだな。行ってみます」
二人組の異世界人が寿司屋に入店したのを見届け、ニグル一行はフグリの工房へ足を向けた。
クタの活気のある瀟洒な街並みは散策に向いている。
特に予定の無いニグル一行は、遠回りして散策することにした。
「ところでカモさん、食った寿司どこ行った?」
ニグルが右手に持つ杖に話しかけた。
「確かに飲み込んだのだが、どこかに存在しているという実感が湧かない」
杖の先端が実直に答えた。
ニグルはカモの生首を掴み、杖から外した。
「首の穴にも杖にも寿司らしき付着物無し。これはもう本当に異次元に行ったとしか思えないな」
「なにあれ」
ニグルとカモのやり取りに一切の興味を示さず空を眺めながら歩いていたルルが、何かを見つけ立ち止まった。
皆がルルの視線の先を見上げると、蛇が空を這い進んでいた。
「どういうこと?」
三人の異世界人と一本の元異世界人は同じ感想を持った。
この世界の住民であるエルだけが、顔に緊張感をみなぎらせた。
四人と一本が空を這い進む蛇を見守る内に、クタの中心部が黒い帷に覆われた。
「人を閉じ込める結界だ」
エルが険しい表情で言った。
「何目的だろ」
「それはわからない」
「だよね。とりあえず行ってみよう」
ニグル一行は走った。
ニグル一行は結界の端に辿り着いた。
ニグルだけが立ち止まらずそのまま走り続けた。
ニグルが持つ杖の先端のカモが結界に触れた瞬間に、カモの生首が弾き飛ばされた。
「グロい!拾ってきます!」
モリが宙を舞うカモの生首を追いかけた。
カモの生首のことなど気にも留めず、ニグルは進んだ。
ニグルの体が結界に触れた瞬間に、結界が消滅した。
「えー!」
どこかから驚く声が響き渡ったが、どこから聞こえたのかはわからない。
「術者はそんな遠くない場所にいるはず。探しましょ」
エルは真面目だ。
「遠くないって言ってもこんな街中で探すのは無理だろー」
食後のニグルは怠惰だ。
エルの提案にニグルが難色を示していると、人ほどの大きさの影が、帷があった辺りの中心から空に向かって飛翔した。
「誰だ!誰が結界を破った!噂の変な荷車に乗っているっていう結界破りの異世界人か!」
性別不詳の甲高い声が辺りに響いた。
「俺、噂なの?」
ニグルは、驚きながら尋ねた。
「前、言わなかったっけ?」
エルが緊迫感の残る顔で答えた。
「それはセノベでの話だろ?」
「噂が広まるのは早いから」
「空飛んでるってことはあいつ悪魔っぽいよな。悪魔界に存在知られてるとか危険じゃないか?」
「悪魔は種族でもなければコミュニティを形成している訳でもない。あいつが単独で知っているだけだろうから大した話ではないだろう。元悪魔の私がいうのだから間違いない」
モリに抱えられながら戻ってきたカモの生首が口を挟んだ。
「カモさんが相手にされてなかっただけかも知れないじゃん」
「ニグル、貴様は私に対して遠慮がなさ過ぎるのではなかろうか」
「荷車に乗る変な異世界人よ!聞いているか!俺はお前を許さない!弟の仇は必ず取らせてもらう!」
空に浮かぶ人影が叫んだ。
「弟・・・悪魔にも家族がいるってことか。じゃあコミュニティ形成してんじゃないか?」
「そんなはずは・・・」
「やっぱカモさん、相手にされていなかったんだよ」
「少しで良いから遠慮してくれ」
「変な荷車よ!」
空に浮かぶ人影が再び叫んだ。
「ニグルだよ!」
ニグルが叫び返した。
「ニグルかよ!ニグルよ!聞いているなら聞け!近日中に必ずお前を殺す!いつか俺がお前を殺すまで、お前は生き続けることになる!」
悪魔らしき空に浮かぶ人影は、取り留め無く告げた。
「ニグルはここにいないぞー」
ニグルは試しに言ってみた。
「いないのかよ!ちっ。出直す!」
悪魔らしき人影はニグルの戯言を鵜呑みにし、飛び去った。
「良かった。頭悪いぞ。勝てそうな気がする」
ニグルは何かしらの確信を持った。
「俺が結界を破れることを知ってるのって、キゼトの連中だけだよね?」
「だと思う。私の結界を破った時に話題になってたらしい」
ニグルの問いかけに、落ち着きを取り戻したエルが答えた。
「じゃあ、あいつはキゼトに住んでるのかな?」
「悪魔が人の住まう場所に居続けることはないはずだ。殺戮目的以外ではな」
ニグルの問いかけに、カモが答えた。
「何故」
「悪魔は人間嫌いだからだ」
「いや、何故孤独な悪魔だったカモさんが悪魔代表を気取るのか」
「頼むから遠慮してくれ。私だって傷付くことがある」
「ニグルさんを付け狙っていたということであれば、情報収集のためにキゼトに侵入しててもおかしくないですよね!」
モリが突然割って入った。
ニグルは、思わず納得した。
「モリはたまに賢いな」
「ニグルさんに褒められると嬉しいですね!」
「お前が思っているほど、褒めてないよ」
ニグルは暖かい笑顔をモリに向けた。
「今あれこれ考えても仕方ないし、取り敢えずフグリさんの工房に戻ろうか」
無計画で飽き性。
それがニグルの人となり。
ニグル一行がフグリの工房に戻ると、マグスが仁王立ちで玄関に立ち塞がっていた。
「げ、マグス」
「ニグル!随分と早い戻りだな!」
相変わらずの大音声で、マグスが出迎えた。
「こんなに早く戻ってくるとは思わなかったぞ!ちゃんと成長したんだろうな!」
予想よりも早過ぎたニグル一行の帰還が、マグスには不満であった。
「成長はしていな気がするな!しかし悪魔は討伐したし米を食ってきたぞ!」
「成長していないのに倒せる悪魔。倒しても成長に繋がらない悪魔。碌なものではないな!」
マグスの怒りの矛先が、ニグルではなくなった。
「なんだこの無駄に偉そうな痩せた中年は。ただの痩せた中年が何故こんなに偉そうにしているのだ」
カモは、常人であれば誰もが持つであろう疑問を持った。
マグスにはオーラが無い。
「あの大魔法使いのマグスだぞ、元痩せた中年悪魔」
「このお方があのマグス様だと!?」
「そんなに?」
カモの驚きように、ニグルが驚いた。
「私のパパ」
エルが口を挟んだ。
「なんと!・・・ニグルはマグス様の娘と付き合っているのか」
カモは改めて驚いた。
「なんだその趣味の悪い喋る杖は」
マグスが少し驚いた。
「これ、俺らが倒した悪魔」
「悪魔を飼い慣らしたのか!それは成長だ!ニグルに悪魔使いの素質があったとはなぁ」
マグスは大いに驚き、何かを勘違いし、喜んだ。
「モリも成長したようだな。覚醒したと見える。頑張ったのだな」
マグスは優しく微笑みながら、モリを褒めた。
「したの?」
モリが頑張ったという記憶を持たないニグルが、モリに尋ねた。
「さあ?」
自分が頑張ったという記憶を持たないモリが、不思議そうな顔で答えた。
「している。私にはわかる」
マグスが断言した。
「ほぼほぼ戦ってないよな」
「宙に浮かんで、その後でエルさんに燃やされたくらいですかねぇ」
「何故それで覚醒できたのだ」
ニグルとモリのやりとりを聞いている内に、マグスの表情が剣呑になった。
「自分が覚醒したかどうかもわかっていない僕に聞かれても困るのですけど・・・」
モリは戸惑った。
「ふむ。ではエルとやったのだな。淫婦の血で覚醒した割にはインパク値が低いが・・・」
「インパク値!?異世界語か?」
子供の頃に見たテレビ番組で聞いたことのある言葉に、ニグルが思わず食いついた。
「ふむ。以前所属していたパーティーにいた異世界出身の勇者に教えてもらったのだ」
「ボキャブラ世代の勇者か・・・って、この世界に勇者いるんだな」
「一世代に一人いるかどうか、らしいがな」
「今もどこかにいるの?」
ニグルは、コントロールし切れてはいないものの、自分のスキルがずば抜けたものであると自覚している。
今の時点で勇者がいなければ、ひょっとして・・・があるなと思い胸をときめかせた。
「いる。その勇者が遥か東の大陸にいるはずだ。冒険者としては引退しているがな。しかし勇者は生涯勇者だから他に勇者はいない」
「そーですかー」
ニグルは、一瞬でも期待した自分を照れ臭く感じた。
「そんなことより!私はモリさんとやってない!ニグルさんなんで聞き流してるのよ!否定しなさいよ!」
母ソエルから淫婦の血を受け継いでいるとは言えど、その素行はソエルと違って節操がある。
それを矜持とするエルは、モリと関係を持ったと実父に決めつけられた事と、操を捧げた相手がそれを否定しなかった事に、憤慨していた。




