衝突
痩せた悪魔の姿をバックミラーで確認しようともしない。
ニグルはただただ、白い土煙を巻き上げ、一心不乱にバイクを走らせた。
転んだら捕まる。
捕まれば殺される。
どうやって。知らない。想像もしたくない。
とにかく転んだら捕まって、何かしらの手段で殺されそうな気がする。
ひょっとしたらすぐ後ろにいるかも知れない。
だからなんだ。
ミラーを見るのが恐い。
見ても何も解決しない。
じゃあ見る必要が無い。
今はとにかく、逃げる以外の選択肢が無い。
直感に負け、何も知ろうとしないから、恐怖する。
それだけの事だが、冷静さが欠如していると、それに気付くことが出来ない。
野営地に逃げ戻るなり、バイクを飛び降りた。
飛び降りてようやく、後ろを振り返った。
何者も追いかけて来てはいない。
少しホッとした。
何も知らずに呑気に食事の準備をしているモリとルルをの顔を見て、冷静さを取り戻した。
エル以外にも、この二人の命を預かっている。
そのことを思い知れば、自身の感情をコントロールし、冷静にならざるを得ない。
「二人とも、今すぐ馬車に乗って」
ニグルは、努めて穏やかに指示した。
「どうしたと言うのですか!もうすぐ魔獣ステーキ焼けますよ!」
ピグミーキングコングの切り身を火にかざしながら、モリが首だけ動かした。
「やっぱり俺達にランク8の討伐依頼なんて無理だったんだ。死にたくないから逃げる」
「え、悪魔と遭遇したんですか?」
「そうだ。追われはしなかったから大丈夫だと思うけど、追われるかも知れないから今すぐ逃げる。エル、一旦降りようか」
ニグルはエルの手を取り、バイクから降りるよう促した。
エルはニグルの手を取り、震えながらバイクを降りた。
バイクを降りた後も、目を見開き膝を震わせたままでいた。
「挑戦もせずに逃げるの?冒険者なのに?」
ルルが、ニグルの指示に異を唱えた。
「この世界に転移した時点で、元いた世界で積み重ねてきた経験も、思い出も、家族や友達との絆も、全部失った。死んだも同然だと思った。死んだも同然だと思っていたのに、惨めな思いをしながら、自分を殺しながら、生き永らえてきた」
ルルはいつになく真剣な顔をしていた。
その目には涙がみなぎり、美しさが溢れていた。
「私はもう死を恐れたくない!もう自分を殺してまで生き永らえたくない!だから戦う!」
ルルの目から、涙が溢れた。
怯えている訳でも、自分の運命を儚んでいる訳でもない。
この世界に転移してすぐに、異世界人冒険者の男におだてられて冒険者になった。
パーティーのメンバー達から色物扱いされ、死地で見捨てられ、泣き喚きながら半裸で逃げ惑った。
キゼトに逃げ帰り冒険者をやめた後は、リトルヨシワラで春をひさいで食い繋いできた。
そんな過去を精算し、何も見えない未来に一歩踏み出そうとする決意。
その強い決意が、涙の一粒一粒に込められていた。
「俺は死を恐れる。エルとの生活を手放したくないし、明日もお前らと一緒に飯を食いたい」
「私も。ニグルさんと少しでも長く一緒にいたい」
痩せた悪魔の恐怖を肌で感じた二人は、ルルの涙から目を逸らした。
「じゃあ私一人で戦う!あなた達は惨めな思いをしながら、後悔しながら醜く生きていけばいい!」
ルルは力強く歩き始めた。
「ニグルさん!いいんですか!」
モリが見たこともない真面目な顔で叫んだ。
「お前らはあの恐怖を感じていないからそんなに能天気でいられるんだ」
「そうかも知れないけど、仲間が一人で立ち向かおうとしているのに、放っておいていいんですか!」
「・・・・・」
「追いかけましょうよ!」
「その必要は無いわ。向こうから来てくれた」
ルルはニヤリと笑ったつもりであったが、顔が引き攣り、口角が上がったのは右側だけであった。
ルルの視線の先に、痩せた悪魔が、白土の細い道を塞ぐように立っている。
またしても、いつの間にそこに居たのかわからない。
そもそも、移動時間の辻褄が合わない。
「・・・・・」
モリは、痩せた悪魔が全身から滲ませる恐怖感に言葉を失った。
歯を食いしばりながらゆっくりと歩き、ルルが痩せた悪魔の前に立ちはだかった。
「汗臭いな」
痩せた悪魔が呟いた。
「うるさい。汗の匂いは命の匂いよ。あんたみたいに青白い顔して不健康そうにしてるよりマシよ」
ルルは精一杯強がったが、空気を伝う恐怖感には抗えない。
最初から最後まで、声が震えていた。
「そうか」
強がるルルに興味を示さず、痩せた悪魔はしゃがみ込み、地面に両手をつき、詠唱を始めた。
「この世の生きとし生けるもの全てのものの父なる大地よ、我が意に従え。父に仇なす不埒な者どもに災いを。その諸腕に不埒な者どもを抱き地の底を泳がせよ。バサロ」
痩せた悪魔が短い詠唱を終わらせるや否や、突如として大地が波打ち始め、ニグル達の周囲の至る所で地が裂けた。
ニグルは咄嗟に、エルを抱きかかえ持ち上げた。
エルを抱きかかえるニグルの周りだけは、大地が波打ちもしない。
魔法無効化の恩恵である。
「エル!モリとルルを浮かせろ!」
「はい!」
エルは慌てて、杖の先から魔法を発動させた。
地の裂け目に取り込まれそうになりながらも、間一髪、モリとルルは宙に浮いて難を逃れた。
しかし、エルが慌てて発動させた魔法は決して正しく発動されず、宙に浮いたモリとルルは激しく衝突し、熱烈に絡み合った。
それは、モリにとって、母親以外では初めて触れる女の肌であった。
ルルの胸当てのすぐ下で、引き締まった腹部に顔が押し付けられている。
自身の鎧の胸部には、ルルの股間が押し付けられている。
草摺の隙間から見えるかも知れない。
少しでも離れて肝心のものを見ようとするが、エルの魔力に負けて微動だに出来ない。
鼻腔には汗臭いルルの体臭が吸い込まれていく。
「ああ、これが、ニグルさんが言っていた、女の色香なのかぁ」
普段ならそうは思わないのであろうが、初めて密着した女の素肌、それも人並み以上に美しいルルの素肌に密着し、モリの感覚は狂っていた。
物事は最初が肝心という。
不幸にも、モリは肝心の最初で変な癖をつけてしまった。
美しい女の肌と生々しい体臭に、モリの若さが反応した。
モリはたまらず、ルルのしょっぱい腹部を舐め、興奮が頂点に至り、勝手に果てた。
果てた直後、モリの血潮が激しく沸いた。
モリが、覚醒した。
「エル、火の壁であいつの視界を遮ろう」
「二人を浮かせてるから無理・・・」
「じゃあ取り敢えず二人を俺の足元に置いて」
「うん」
モリとルルが、ニグルの足元に打ち付けられた。
「もっと優しく置けよ!」
ニグルが慌てて言った。
「ちゃんと手順踏んでないからコントロール出来なかったの」
「じゃあ仕方ないか」
「仕方なくないわよ。死ぬかと思った」
ルルが起き上がりながら言った。
「無傷そうだな」
「モリさんが下敷きになってくれたから」
「え、モリ!」
「はい!」
「無事、なのか?」
「はい!僕が作った鎧の出来が良いようです!」
モリが胸を張った。
「モリ!貴様!そんなとこにまでテント張って!あれ?テント既に濡れてない?」
「エルさんのしっとり潤った肌と、ちょうどいい匂いにやられました!」
ルルは、汚物を見るような目でモリを見たが、モリはそれに気付かない。
「この世の生きとし生けるもの全てのものの父なる大地よ、我が意に従え。父に仇なす不埒な者どもを侮辱せよ。ムジカロック」
ニグルと向き合うモリの背中目掛けて、痩せた悪魔が岩を飛ばした。
「モリ!」
モリは痩せた悪魔の方を振り返り、飛んでくる岩に気付くや否や、顔から表情を消し去り、ガードの構えをとった。
岩はモリに直撃し、砕け散った。
「やっぱり出来が良いですね!僕の鎧!」
モリは再び胸を張った。
しかし、岩が直撃したのは、モリの鎧ではなく、腕である。
「痛っ」
砕けて小さくなった岩の欠片が、エルを抱きかかえて防御姿勢を取れなかったニグルの顔に当たった。
「魔法なのになんで当たったんだろ」
「魔法の力で飛んできた実物の岩だからじゃない?」
「なるほど・・・」
「何くっちゃべってるのよ!戦いはまだ始まってもいないわよ!」
怒鳴り声が聞こえた方向に目をやると、ルルがクラウチングスタートの構えを取り、大臀筋と大腿筋と腓腹筋をパンプアップさせ、反撃しようとしていた。
流石のニグルも、緊迫感を求められるこの状況では、ルルの下半身に欲情しない。
ルルはルルで、スキル発動に集中し切っており、ニグルに何も求めない。
ルルは、痩せた悪魔めがけて勢い良く駆け出し、駆けながら短槍を構えた。
「大地に恵む」
痩せた悪魔が地に手をつきながら短く呟くと、ルルの足元がぬかるみ始めた。
ぬかるみに足を取られつつも、ルルは構わず進む。
ぬかるみを突き抜け、痩せた悪魔の間近まで迫り、ルルは槍を突き付けた。
「予想通りだ。ドイ」
単調な槍攻撃が来る事を予想していた痩せた悪魔は、咄嗟に土壁を作り出した。
ルルの短槍は土壁に突き刺さった。
「上手く行くかも知れない。そう思ったか?」
常に無表情だった痩せた悪魔が、目を剥き出した。
ルルは短槍を手放し、土壁の上に飛び乗った。
「これで終わりだと、そう思ったの?」
ルルは土壁の上から跳躍し、痩せた悪魔を蟹挟みで転倒させ、硬く膨張した太腿で顔を挟んだ。
何の技でもない、ただただ力任せに挟んだ。
加勢しようと駆け寄ったニグル一行は、ルルの頼もしい姿を目の当たりにし、意気が上がった。
「ルルすげー!そのまま顔潰せ!」
痩せた悪魔に感じていた恐怖は、ルルの勢いで掻き消えた。
自分達の仲間がどうやら対等に戦っている。
勝てない相手ではないと知ったのだ。
「とっととトドメ!」
ルルは歯を食いしばりながら、太腿に込める力を最大級に維持している。
しかし、痩せた悪魔の顔が潰れる気配など微塵も無い。
「俺はスキル発動しそうにないし、モリは、まあ仕方ないし・・・ルル!魔法!」
「お姉ちゃんを巻き添えにしちゃう・・・」
「んんん、モリ!何でも良いから冒険者倒した時の戦利品の武器持って来い!」
「マグスさんに没収されましたけど!」
「じゃあどうすんのさ」
ニグルは自問自答した。
「よし。モリはエルを守って。エルは特大の炎魔法を準備。エルの準備が終わったら俺がルルに抱き付いてエルの魔法から守る」
「わかりました!」「わかった!」
モリは表情を消しガードの構えをとり、エルは柏手を打つように掌を合わせソエルの杖を挟み魔力を集中させた。
いつもより少し長い時間をかけて、魔力を集めた。
「ニグルさん!いいよ!」
「よし!任せた!」
「任された!」
エルの相槌を合図に、ニグルが駆け出した。
「考えが甘いのだ。バサロ」
痩せた悪魔は、ルルが横たわる地を裂けさせた。
ルルが徐々に、地面に飲み込まれていく。
「ドイ」
更には、エルの魔法に備えて土壁を作った。
「お前も甘い!」
ニグルが土壁に飛び付いた。
ニグルが飛びつくと同時に、魔力で固められた土壁は、砂塵と化した。
土壁を崩すや否や、ニグルはルルに飛び付いた。
ニグルがルルに覆い被さった事で、ルルに纏わりついていた土が崩れた。
「渦巻く劣情の豪炎」
モリの背後から痩せた悪魔を目掛けて、エルは大きな火柱を放った。
ソエルの杖から放たれた大きな火柱は、痩せた悪魔がいたあたり一面を焼いた。
炎が消滅した後のその場所には、痩せた悪魔の姿は無かった。
「どうだ!あ!ルルの足が大火傷!エル!治癒!」
ニグルの覆い被さり方が悪く、魔法無効化の範囲外に、ルルの足がはみ出していた。
「モリさんが全身大火傷してる!瀕死!」
かつて幼き天才と謳われたエルの魔力は、強大だ。
痩せた悪魔とエルの間でガードの構えをとっていたモリは、エルの魔法の巻き添えを喰い、ものの見事に焼かれた。
「残念だったな。私は瞬間移動が出来るのだ」
肝心の痩せた悪魔は、どこかに瞬間移動して難を避け、元いた場所に戻って来た。
痩せた悪魔のストロングポイントは瞬間移動と地面を利用した魔法だ。
反面、身体能力は高くない。
ニグルは、痩せた悪魔を羽交締めにすればいいと考えた。
そすれば瞬間移動を封じる事が出来る。
ニグルは自身の冷静な判断に満足した。
しかしニグルは、ニグルが思っているほど冷静ではない。
早く痩せた悪魔を倒そうと、何とかエルの魔法を喰らわせようと、焦っていた。
痩せた悪魔を羽交締めする為に、ニグルは痩せた悪魔の背後に回り込んだ。
しかし、ニグルの動きは遅い。
「ドイ」
ニグルの動きに気付いた痩せた悪魔は、ニグルの目の前に土壁を作った。
しかし、魔法でこねた土壁など、ニグルの魔法無効化スキルの前には紙切れ一枚より無力だ。
ニグルが触れた瞬間に、またしても土壁は砂塵と化した。
「ドイ。ドイ。ドイ」
痩せた悪魔も焦っていた。
痩せた悪魔の魔法は強大である。
しかし、魔法以外に戦う術が無い。
その魔法が、ニグルの前ではまるで役に立たない。
痩せた悪魔は、何度も土壁を作った。
その都度、ニグルは土壁を崩した。
単調な繰り返しに、飽き性のニグルはストレスを感じた。
ニグルの眉間がピリピリした。
しかし、焦りと苛立ちから、ニグルはそれに気付かない。
いい加減、壁を崩す作業の連続に嫌気が差したニグルは、土壁に視界を奪われたまま、闇雲に手を伸ばした。
土壁を崩したその手は、そのまま、痩せた悪魔の両肩を掴んだ。
ニグルが掴んだ瞬間に、その両肩は消滅した。
「やばい!肩が無いから羽交締め出来ない!」
やばくない。
大魔法使いマグスが認めた強力なスキルが発動しているのだから。
しかし、焦るニグルは、とにかくエルの魔法でトドメを刺す以外に方法が無いと思い込んでいる。
「エル!何とか捕まえるから、また魔法頼む!」
ニグルはそう言いながら、痩せた悪魔を捕まえようと脇腹を掴み、掴んだ分だけ消滅させた。
「しまった!またやっちまった!エルごめん!」
「え?え?」
治癒魔法でモリを蘇生させながら見ているエルには、ニグルが四苦八苦しながら、痩せた悪魔を捕まえようともがいている様には見えない。
無惨に、痩せた悪魔を嬲っているとしか思えない。
何とか捕まえようともがく内に、ニグルは次々に痩せた悪魔の肉体を破壊してしまい、残るは首から上だけになってしまった。
痩せた悪魔も無抵抗だった訳ではない。
何度も瞬間移動しようとした。
しかし、ニグルが触れている以上、魔法無効化スキルの餌食になる。
瞬間移動は、一度として発動されなかった。
「あ、結果オーライ。だよね」
ニグルは、独り言のつもりで呟いた。
「その様だな」
首から上だけになった痩せた悪魔が、ニグルの独り言に答えた。




