錯乱した魔獣 倒錯した冒険者達
冒険者という生業は、完全なる自由業である。
収入は安定していないし、命の保障も無いし、連休明けの憂鬱も無い。
バイクを走らせながらの打ち合わせでは何も決まらなかった。
それでもニグルとエルは、黒い毛に覆われた筋骨隆々の背中を持つ魔獣との距離を徐々に詰めていく。
事ここに至ってしまえば、腹を括るしかない。
エルはニグルの腰に足を巻き付け仰向けになり、柏手を打つように手を合わせ、母親にして師匠であるソエルから譲られた杖を両手で挟み、魔力を集中させ始めた。
魔獣への恐怖によるスキル発動を信じて疑わないニグルは、高を括ってバイクを加速させた。
「エル!まずは目を狙おうか!弱点じゃなくても視界を奪えば主導権はこっちのもん、かもね!」
「そうかもね!」
「よし!じゃあ任せた!」
「任された!」
ニグルは安全運転で草原の中を走り抜け、魔獣の前方に回り込んだ。
素早く回り込めた訳ではないが、食事に夢中になっている魔獣は気にも留めなかった。
眼前に新しい食事が現れて初めて、食事の手を止めた。
とにかく目を潰したい。
そう思い、ニグルとエルは魔獣の顔に注視した。
ニグルに限っては、食い散らかされた人間の死体を視界に入れたくないという思惑もあった。
魔獣の顔を見て、キングコングのような顔を想像していたニグルは、愕然とした。
魔獣のその目はぱっちりとして可愛らしく、口は小さくて可愛いらしい。
総じて、顔が可愛いらしい。
「巨大なゴリラの体にピグミーマモセットの顔・・・」
事前の目論見に反し、魔獣の顔を見ても、ニグルの眉間はピリピリしなかった。
「エル!駄目だ!顔が可愛らしくてスキルが発動しない!」
「え!?じゃあ目潰しやめる!?」
「あ、それは既定路線通りでお願いします」
「渦巻く劣情の烈火!」
エルの両手に挟まれた杖の先端、ソエルの体液が染み付いた丸みを帯びた箇所から、魔獣の目に向けて細い火柱が二本、矢の様な速さで放たれた。
劣情という言葉に耳が慣れたニグルは、その魔法名に違和感を感じなくなっていた。
「しかし語呂が悪い」
かつて幼き天才と謳われたエルの魔力は強大である。
その強大な魔力を、ソエルの杖が助長させ更に強大にする。
しかし、エルが放った二本の火の矢は、予定通り魔獣の両目を焼き潰しただけであった。
両目を潰された魔獣は痛みと怒りで暴れ始めた。
地団駄踏みながら、太く長い両腕を闇雲に振り回している。
このままでは、いつ弾き飛ばされても不思議ではない。
振り回される腕を避けようと、ニグルとエルはその場にしゃがみ込んだ。
二人の視界に、食い散らされた人間の遺体が入った。
「オェッ」
食い散らかされた遺体のおぞましい様を目の当たりにし、ニグルは気分が悪くなった。
しかしそれでも尚、眉間はピリピリしない。
ルルは、クラウチングスタートの構えで、機会を待ち待機していた。
魔獣が暴れ回っているためタイミングを掴めず、そもそもこの巨体のどこに短槍を突き刺せばいいのか見当もつかず、大臀筋と大腿筋、腓腹筋を隆起させたまま、ただただ動きを止めていた。
「指示もないし・・・このままじゃ埒が明かないな」
ルルは、強化スキルによって得た猛烈な脚力を活かし、暴れる魔獣に戸惑いしゃがみ込むニグルとエルに、素早く合流した。
「その素早さを無駄遣いして何しに来た!」
ニグルがルルに怒鳴った。
「どうすれば良いのか分かんなかったんだもん」
ルルは憮然として答えた。
「この状況を見ればわかると思うけど、俺もどうすればいいかわかんねぇんだよ」
ニグルにはまだ、リーダーとしてのプライドが芽生えていない。
ルルに負けずに憮然とした。
「じゃあ適当にどこか刺してくる」
ルルは、ニグルの目の前でクラウチングスタートの構えをとった。
褌を履き忘れ隠すものが何も無いルルの臀部は、しゃがみ込んでいるニグルの目の高さにあり、まさに目と鼻の先で、色々と剥き出しになっていた。
剥き出しになった色々と、隆起した大臀筋と大腿筋と腓腹筋を見せつけられ、ニグルは現状を忘れ、まじまじと見入った。
ニグルの視線をヒシヒシと感じ取り、ルルは湯気が出そうなほど顔を上気させた。
「おぉ、素晴らしい・・・」
はしたなく剥き出しになった色々、逞しい大臀筋と大腿筋と腓腹筋、上気したルルの美しい顔。
三つの要素が重なり合った、ニグルにとっての素敵なハーモニー。
クラウチングスタートの構えのまま、ルルは固まった。
まるで、ニグルに何かを期待するかの様に。
釣られる様に、ニグルは思わず、ルルの大臀筋を鷲掴みにした。
「おおおおおおおおおお!これはたまらん!」
ニグルは両手の親指を開き、ルルの臀部の谷に力強く押し付け、力強く戻した。
「はぁっ・・・」
押し広げられ、ルルは顔を上気させたまま眉間に皺を寄せ、声を漏らした。
「ねぇ、二人とも、こんな時に何やってるの?」
地獄の底を思わせる様な低い声を出しながら、無表情のエルが、ニグルの手首にソエルの杖を打ち付けた。
「勢いをつける為に押すぞルル!行って来い!」
今更誤魔化せるとも思わないが、ニグルは取り敢えずで言ってみた。
「おう!」
何とか誤魔化そうと思い、美しい顔とは不釣り合いな太く力強い声で、ルルが応えた。
ニグルとエルに見送られながら、あっという間に、逞しくなった筋肉達がルルを魔獣の懐まで運んだ。
「オラァ!」
力強い気合と共に、ルルは短槍を魔獣の腹に突き立てた。
魔獣は、更なる痛みと怒りで、より激しく暴れた。
振り回される魔獣の腕の先、大岩の様な拳が、ニグルとエルに向かって飛んできた、かの様にニグルには見えた。
「エル!」
ニグルはエルを庇おうと、魔獣に背中を向け、エルの小さな身体を抱き寄せた。
背中に魔獣の大きな拳を受け、ニグルはエルを抱きかかえたまま、気を失いながら跳ね飛ばされた。
ニグルに抱きかかえられたエルは、地面に打ちつけられはしたものの、怪我もなく正気を保ったままであった。
魔獣の咆哮が聞こえてくる方角を見ると、ルルが必死になって魔獣の拳を躱す姿が見えた。
早くルルを助けなければならない。しかしその前に、ニグルを回復させなければならない。
ニグルが着用している鎧は、モリが作り上げた、剣道の防具の胴の様な鎧である。つまり、背中が無防備である。
下手をすると、背骨を粉々にされ、既に死んでいるかも知れないとエルは思った。
エルは恐る恐るニグルの身体の状態を確認した。
意外な事に、背中を含め、損傷らしい損傷は見当たらなかった。
ニグルは、バイクの運転中に、脇道から飛び出してきた大型クロスカントリー車に衝突された事がある。
当然、元いた世界での話である。
衝突の衝撃で空中に跳ね上げられ何回転もし、地面に打ちつけられた。
目撃者の誰もが、駄目だ、死んだ、と思ったそうだが、ニグルは左膝を打撲しただけであった。
「あなたが被害者なの?なんで立って世間話してるの?現場見た瞬間に被害者亡くなってるかもって思ったんだけど」
現場検証に来た警察官達も、大破した大型クロスカントリー車のフロント周りと、同じく大破したニグルのバイクと、目撃者達と立って談笑しているニグルを見て、驚き呆れ果てた。
後日談になるが、この事故を機に、ニグルは腰痛持ちになった。
やたらと頑丈な身体を持つニグルは、この世界に転移した際に、外的ダメージを受けた場合に発動する、打たれ強くなるスキルを得ていた。
スキルは、転移前の特徴に紐付きがちらしい。
このスキルのお陰で、ニグルの身体は著しい損傷を受けずに済んだ。
とは言えど、著しい損傷が無いというだけの話であり、ダメージがない訳ではない。
実際、ニグルは失神している。
ニグルを回復させなければならない。
しかし、ニグルの体表は魔法無効化スキルで覆われている。
そんなニグルを魔法で治癒する方法をエルは把握している。
エルはニグルのズボンをずり下げ、褌を外し、膝を曲げさせ、尻を剥き出しにした。
「えいっ・・・んふっ、んふふ・・・ヒール」
唾で濡らした指を突き刺しながら笑顔になったエルが、治癒魔法を発動した。
エルの魔法はそこからニグルの全身に行き渡り、ニグルの身体を癒した。
「エルちゃん!こんな時に何してんの!早くニグルさんを回復させなきゃ!」
エルの行動を理解出来ていないルルは、暴れる魔獣の拳を素早く避けながら、エルの元へ駆け寄り叫んだ。
「ニグルさん魔法効かないから、こうするしかないの」
エルは短く説明しながら、ニグルから抜いた指をルルの鼻先に突きつけた。
「ちょっと!汚い!」
女戦士としての強化スキルが継続しているルルは、エルの指を素早く避けながら、後方に跳び下がった。
ニグルを回復させるに当たり、エルは全快しない程度を狙っていた。
痛みを残せば、ニグルの怒りを引き出せるかも知れないと考えたからだ。
エルはニグルの褌を元に戻し、ピシャリと尻を叩いた。
尻を叩かれ、ニグルは目を開いた。
「すんごい痛いんですけど。全身が」
意識を取り戻して開口一番、ニグルはぼやいた。
かつて幼き天才と歌われたエルは、見事に狙い通りの回復具合に調整出来ていた。
しかしニグルの表情に、怒りの色は露程も無かった。
「一旦逃げてさ、違う道探そうよ」
意識を取り戻したニグルは、全身に残る痛みで、すっかり戦意喪失していた。
「そもそもさ、襲われたけでもないのにさ、食事中のあいつに手を出した俺らの方が悪いと思うんだよね」
逃走を正当化させようとするニグルに、エルとルルは、危機的状況に置かれている事を忘れ、蔑みの視線を向けた。
「いやほら、食事中に喧嘩売られたら腹立つでしょ?それは人間も魔獣も同じだと思うし、それはどう考えても喧嘩売った方が悪いと思うんだ。相手が人間か魔獣かは関係ない。生き物としての基本ルールだと思うんだよね」
ざぶざぶ泳ぐニグルの目を見て、エルとルルの目に浮かぶ蔑みの色が、より濃くなった。
この場からの逃走を是としないものが、エルとルル以外にもいる。
それは怒りに身を震わす、ピグミーマーモセットの様な顔をした、巨大なゴリラのような魔獣である。
落ち着きを取り戻した魔獣は、見えなくなった目の代わりに嗅覚に依って、食事の邪魔をした不届き者達を探した。
こんな時、先の戦闘でかいた汗を拭かず、周りの人間に汗臭いと思われる程の体臭を漂わせているルルは、格好のターゲットである。
さっきまで闇雲に暴れていた魔獣が、明確な意図を持って、ニグル達がいる方向に向かって歩き始めた。
何歩か歩いたところで、方向だけでなく距離も把握したのか、走り始めた。
「ピグミーキングコングすげー怒ってんじゃん・・・もう痛いの嫌なんだけど」
走る魔獣の姿を見て、ニグルは心底うんざりした。




