狂戦士と戸惑う人達と人喰う魔獣
そのボタンは、強化スキルを発動させた女戦士の身体の至る所に顕現する。
首筋だろうと脇だろうと背中だろうと、ハムストリングだろうと。
強化スキルの特性上、それは止むを得ない。
何か間違いが起こったとしたら、それはボタンを押した者の責任である。
大抵の場合、間違いは起こる。
目に見えないそのボタンが全身隈無く顕現しているのだから、致し方無いであろう。
問題を起こした誰もが、無自覚にボタンを押している。
責任は無自覚な周囲の人々にあるとは思わず、目撃した誰もが、間違いが起こるのは女戦士の昂った劣情に依るものと考え、間違いが起きている時の女戦士のことを「狂戦士」と呼ぶ。
「ねぇエルちゃん。私、すっごく汗かいちゃったの。褌、替えた方がいいよね?」
ハムストリングのボタンを押された狂戦士が、顔を上気させながらエルに誘いをかけた。
「風邪ひくといけないから、替えた方がいいと思う」
エルは素直な女だ。
何の疑いも持たずに答えた。
「エルちゃん、手伝ってくれる?」
狂戦士は、足を肩幅に開いた。
「いいよ」
エルはいつもと変わらぬ表情でしゃがみ込み、ルルの臍の下にある結び目を解いた。
汗で臀部に張り付いた褌は、結び目から解放された前部の布だけが垂れ下がった。
エルは垂れ下がった布の先端を掴み、少し強引に手前に引いた。
引き剥がされたルルの褌は、絞れそうなほど濡れていた。
汗だけでこれほど濡れるのだろうかと訝しみながら、エルはルルの褌を凝視した。
自身(二十代)の褌を愛おしい妹分(三十歳)が怪訝な表情で凝視している。
羞恥心が最高潮に達した狂戦士は、褌から視線を外そうとしないエルをとんでもない顔で見ながら、鼻息を荒くした。
「新しい褌つける前に、汗、拭いて欲しいの・・・ねぇ、拭いて・・・」
狂戦士は息を激しく弾ませながら、股間をエルの眼前に突き出した。
「エルー。モリが魔獣を解体し終わったから戦利品を馬車に積み込むの手伝ってくれないかなー」
ニグルが馬車のそばから叫んだ。
「わかったー!」
ソエルから淫婦の血を受け継いでいるとは言え、根が真面目なエルである。
優先すべきは、ルルの誘惑より戦闘後の後始末で迷いが無い。
「ごめんねお姉ちゃん。積み込み手伝ってくる」
エルは立ち上がり、濡れた褌をルルに返し、馬車の方へと駆けて行った。
「へっ。褌くらい自分で替えろってんだ」
ニグルは嘲笑いながらルルを一瞥し呟いた。
もちろんニグルは、ルルの邪魔する為にエルを呼び付けたのだ。
思考が止まっているのか、ルルは顔を真っ赤にして息を弾ませたまま、呆然と立っていた。
「おーいルル。エルの代わりに俺が汗拭いて褌つけてやろうか?へっ」
ニグルは殊更にルルを煽った。
「うん!お願い!」
脇目も振らず、狂戦士が絶叫した。
「変態は放っておいて仕事仕事」
流石のニグルも、この状況でなりふり構わず欲求を満たそうとするルルに呆れている。
「変態はニグルさんの方でしょ。って言いたかったけど流石に・・・」
ルル(二十代)をお姉ちゃんと慕うエル(三十歳)も、流石に呆れている。
「エルだって変態じゃないか」
ニグルは、エルと過ごした幾夜もの事と王国ホテルのカップル専用個室浴場での事を思い浮かべた。
「それはニグルさんのせいでしょ」
エルは、ニグルと過ごした幾夜もの事と王国ホテルのカップル専用個室浴場での事を思い浮かべて赤面した。
赤面しながら、眉間に皺を寄せて怒気を発した。
「いや、ソエルのせいじゃない?」
スブル出立前の気不味い空気を無かった事に出来た今、こんな些細な事で言い合いを続けてエルの機嫌を損ねたくない。
ニグルはそう思い、この場にいないソエルに責任をなすりつけようとした。
元いた世界でもたまに使った、これは世渡りスキルである。
「僕以外は三人とも変態って事ですね!」
絵に描いたようなオタク青年であるモリだが、デリカシーは欠如しているものの、このパーティーの中では唯一の非変態と言える。
「意外とそうかもね。なんかムカつくな」
ニグルの反応に気を良くし、モリの顔はより多くの言葉を期待していた。
それを察したニグルは、話題を変える事にした。
「ルルもリトルヨシワラにいた頃はあんなじゃなかったのになー」
確かにルルは、リトルヨシワラの「その名もフジヤマ」に在籍していた頃は、至って普通の感性の女であった。
「だいたい俺は!ルルがパーティーに加わると知った時!これからはエルとルルを取っ替え引っ替えだと期待していたのに!実際に取っ替え引っ替えの権利を得たのはエルなんだもんな!」
ニグルは目を見開き悔しがった。
「痴情のもつれでパーティー崩壊とかならないでしょうねぇ?」
モリが何故か勝ち誇った顔をした。
「そうですね・・・ちょっと考えないといけない気がしてます・・・」
エルは素直な女だ。
自分を奪い合うニグルとルルとの三角関係によってパーティーが崩壊したとしたら、それはルルを覚醒させた自分のせいだと思っている。
「はいはいはい。早く戦利品積んで出発するよ。時間は有限だよ。無駄には出来ないよ。とっとと悪魔討伐してとっととキゼトに戻って、とっととエルを一日中可愛がりたいんだ!誰にも邪魔されずにな!」
エルは素直な女だ。
ニグルの思いを聞き、嬉しいと思った。
「私は別に、一日中とか、何回もとか、ちょっと変わった事をとか、そういうのはどうでもいいんだけど、困っている人がいる以上、早く悪魔を討伐して助けてあげなきゃいけないって思うから、時間を無駄に出来ないっていうのは同意かな!」
エルは素直な女だ。
口角が上がりヒクヒクしている。
そんなエルを見ながら、ニグルはニヤついた。
「ちょろいな」
つい口からこぼれたが、他の誰の耳にも、ニグルの呟きは届かなかった。
馬車に揺られながら、濡れた褌を握ったまま、ルルは無言でいた。
(さっきまでの自分はなんだったのだろう)
今のルルは、客観的に自分自身を見つめられる程度には落ち着いている。
(覚醒した影響なのは間違いない)
ルルは、女戦士としての強化スキルが発動した時点で、急激な筋力強化に伴い、一時的に男性ホルモンの分泌量が激増し、思春期の少年の如く盛ってしまう。
これが、女戦士として覚醒した代償である。
感覚的にだが、ルルはその事に気付いていた。
冒険者として一人前になりたいと願ってはいたが、一人前の冒険者としての力を手に入れた今の自分を容認するのは、難しいと思った。
「結局汗拭いていないのですね!ルルさん汗臭いです!」
ルルの感傷など、モリは斟酌しない。
ルルは恥ずかしさに顔を赤らめたが、今は口を開く気にならない。
「モリ。お前が汗臭いと思ってるその匂いはいい匂いなんだぞ。ちょっと汗臭いくらいが丁度いいんだ。汗臭さは女の色香だ」
繰り返される汗臭いという言葉で、ルルの眉間に皺が寄った。
ニグルのフォローは時に、フォローされた側を不快にさせる。
「エルはどんだけ汗かいても汗臭くならないから、そこだけが少し不満だな。でもな、汗の匂いはしないんだけどな、体から発せられる湿度がな、なんて言うか、生命の香りを伝えてくれるんだ。エロい匂いだ」
実は察しのいいニグルは、気不味さを誤魔化そうと余計な事を言った。
ニグルにしがみついてバイクに揺られるエルが、ニグルの腹の肉をつねった。
気の抜けた穏やかな時など長くは続かない。
何故なら、ここはそういう世界なのだから。
西へと続く道を進む内に、眺めの良い景色とは不釣り合いな禍々しい大きな背中が視界に入った。
黒い毛に覆われた大きな背中だ。
「キゼト周辺って魔獣多発地帯って言われてんだよね?どう考えてもスブルの方が多い気がすんだけど」
ニグルがぼやいた。
「キゼト周辺と違って隠れる場所も餌も少ないから、必然的に人を襲いがちなんじゃないかな。あの魔獣もほら、人を食べてる」
エルは表情も変えずに言う。
実際に見た経験はなくても、その光景が珍しいものではないという認識は持っている。
何故なら、エルはそういう世界で生まれ育ったのだから。
行手を阻む魔獣がいて、それが人を襲い喰らう魔獣であれば、討伐しないわけにはいかないではないか。
この世界に転移して数ヶ月、冒険者登録して数ヶ月。
生まれたてとは言えど悪魔を討伐した。
魔獣の群れのボスも討伐した。
各地で賞賛された。
ニグルに冒険者としての自覚と義務感が芽生えていても、それはごく自然な話であろう。
「モリは戦闘に巻き込まれない距離を保って待機な。他の魔獣や冒険者から横槍が入ったら馬車守ってな。あのサイズが相手だから、防衛は一人でやってもらうぞ」
このパーティーには、他に仕切れる者がいない。
仕方なく、ニグルは仕切り始めた。
仕方なくと本人は思っているが、ニグルは元々仕切りたがりな性格をしている。
「・・・了解です!」
戦闘に一切の自信も実績もないモリは、一人で馬車の防衛をするよう指示され、憂鬱な気分になった。
「モリ、横槍が入っても勝とうとしなくていいよ。俺らが応援に行く前に死ななきゃそれでいい」
「はい!」
モリの憂鬱を知ってか知らずか、ニグルは求めるハードルの低さを明示した。
「ルルは馬車を降りて徒歩で近付いて。俺とエルで先手を打つ。あいつの注意が俺らに向けられたと思ったら奇襲して。自分で判断すればいいし、遅いと思えば俺が指示を出す」
「了解!」
ルルは握っていた褌を馬車の荷台に投げ捨て、勢い良く飛び降りた。
ニグルはバイクを加速させながら、エルと打ち合わせを行おうとした。
「エル、しっかり魔力集めれば一撃で倒せそう?」
「え、無理。大き過ぎる」
「え?炎の壁のやつを攻撃に転用出来たりしないの?あれならあのサイズでもカバー出来そうじゃない?」
「あれは攻撃力無い。実際、異世界人冒険者が普通に通り抜けたでしょ」
「こけおどしだったのか」
「動物は本能的に火を恐れるから」
「なんか他に広範囲でドカンとやれる魔法ないの?」
「広範囲だと威力が下がるの。あんな大きい魔獣に広範囲魔法は効果無いと思う。威力を上げようと思ったら面より点」
「圧縮か。ホースで水出す時と一緒か。じゃあ弱点狙って一点集中攻撃だな」
「あいつの弱点なんて知らないけど」
「どうしよう?」
「モリさんとお姉ちゃんに的確な指示を出していたから、作戦考えてあるのかと思っていた」
「考えてるわけないじゃん。俺まだ初心者冒険者だよ?あれは的確な指示じゃなくて落ち着かせるためのハッタリ。指示は的確、簡潔、迷わずって職長教育で習った事あるからさ」
「何の教育かよくわからないけど少しだけ役に立ったね」
「鹿の王様より小さいし、何とかなるよね?」
スブル入り直前にニグルがたまたま討伐した鹿の王の例を引き合いに出し、エルは安心感を得ようとした。
「そりゃ鹿の王様よりは小さいけどさ、あの時はミラー越しに見て普通の鹿サイズって勘違いしてたから挑めたんだよ。今見えてるあの背中、明らかにでかいって分かるし筋骨隆々よ。やばいよ」
そう言いながらも、ニグルは高を括っていた。
明らかに強そうな背中。あの背中の持ち主なら、きっと恐い顔をしているだろう。
その恐い顔を見たら、きっと俺はびびってスキルを発動させられるだろう。
そう思っていた。




