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イフォックの苦悩

 ニグルは民族衣装を着た少女に一目惚れをした事がある。

 ニグルが周りから加藤と呼ばれていた元の世界で、青臭い少年だった頃の事である。


 他人を差別する習慣を持たない両親に育てられたニグルは、差別問題が現実のものであるという認識を持っていなかった。


 学校の授業で教えられていたから、その民族衣装が時に差別の対象とされるという知識は持っていた。

 しかしそんな事実は、加藤少年の衝動の前では、何の価値もない薄っぺらいものでしかなかった。


 ニグルはふと、そんな事を思い出した。




「異世界人差別、あったねー」


 腕組みをし、カフェの椅子にもたれかかりながら、ニグルは抑揚無く呟いた。

 語尾を伸ばしたのは、エルと田中に気を遣わせないよう配慮した精一杯。

 しかし、太くて低いニグルの声は、抑揚が無いと不機嫌そうにしか聞こえない。


 差別心も差別された経験も持たないニグルは、人の世に出自による差別が生まれる仕組みを知ってはいても、理解は出来ていなかった。


 いざ差別される立場になっても、まだ怒りや恨みは生まれていない。

 ただ、差別する人々の心理を差別される身として想像するという、今までに無かった体験に集中していた。



 不機嫌そうなニグルと目を合わせると身が縮む。

 エルと田中が俯きながら眉間に皺を寄せたその時、他の席からストレスを帯びた大声が聞こえた。


「なんで異世界人なんかに給仕させているんだこの店は!」


 怒鳴る若い男の横で、見たところ粗相をしたわけでも無さそうな男が立ち尽くしている。


「店主を呼んで来い!無能な異世界人のお前でもそれくらい出来るだろ!」

「兄さん、その店員は異世界人なの?」


 怒鳴る若い客に向かって、静かな顔で、ニグルが声を掛けた。


 目を見開いていないから、熱くなっているわけではない。

 半笑いじゃないから、悪意を持っているわけでもない。

 ただただその心が冷めきっているだけだと、元いた世界でニグルの様々な感情を目の当たりにしてきた田中は思った。



「そうです」


 怒鳴っていた若い客は、先ほどまでとは打って変わって、落ち着いた様子で返事をした。


「何で異世界人ってわかるんだ?」

「手首に刺青があります」


 確かに、店員の手首には読めない文字の刺青がある。

 そこで見分けられるようになっているのだ。


「俺も異世界人なんだけど、そんな刺青無いよ」

「こいつも異世界人か」


 ニグルが異世界人であると知って、若い客は眉間に皺を寄せながら小声で呟いた。



「良かったな。王都防衛司令部長様に有益と認められたんだ。刺青を入れられるのは無益な異世界人だけだ」

「イフォックか・・・」

「でも無益だろうと有益だろうと、異世界人は異世界人だ。もう俺に話しかけるな」


 ニグルは静かな顔で、若い客の目を凝視し続けた。

 差別された事に対する怒りではない。偉そうな言葉使いに苛立っただけである。


「確実に声を掛けずに済む方法は一つだけだ。お前をころ・・・」

「ひっ」


 ニグルが言い切る前に、ニグルが醸し出す不穏な空気に腰が引けた若者が小さく悲鳴を上げた。



「お客様、うちの店員が何かご迷惑をお掛けしましたか?」


 ニグルの口を塞ぐかのように、ニグルと若者の間に店主が割り込んだ。


「な、なんで異世界人なんて雇っているんだ?異世界人が触ったカップに口を付けるとか有り得ないだろ!」


 店主の登場で気を取り直したのか、若い客は店主を睨み付けた。


「・・・・・何かご迷惑をお掛けしたのですか?」


 店主が重ねて尋ねた。


「存在自体が迷惑だろ。異世界人奴隷なんて」

「確かに彼は奴隷です。しかし私は、彼が素晴らしい接客術を持っていることを知りました。だから手伝わせています」

「異世界人が職に就くなんて認められていないはずだ!」

「給料を与えていないから職に就いていることにはならないと思いますが」

「だったら店頭に出すな!俺の目に触れさすな!クソがっ!」


 若い客は悪態をついて店を出ていった。




「お客様、不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした」


 ニグル一行に向かって、店主が深々と頭を下げた。


「あなたに不快な思いをさせられた訳ではないです」


 答えるニグルの顔は、今なお静かなままだ。



「この男は」


 店主は、眉間に皺を寄せ暗く押し黙っている店員の肩を抱き寄せた。


「異世界人奴隷です。私が抽選で当てたんです」

「抽選か。人権の欠片もねぇな」


 ニグルの顔が静か過ぎて、エルは閉じた唇を開けられない。


「本当にお恥ずかしい話なのですが、それがこの国の、異世界人奴隷の扱い方なのです」


 店主は心底申し訳なさそうに言った。


 イフォックに有益な存在と認められなかった異世界人は、手首に刺青を入れられ、奴隷にされる。

 奴隷にされた異世界人は、徹底的に無益な存在として扱われ、売買すらされない。金銭で存在価値を表す事すら認められない。


「彼は非常に礼儀正しく、立ち居振る舞いに品があるので、私は一人前の男として扱いたくて店を手伝ってもらっています。許されるなら賃金を支払いたいところなのですが、この国の法がそれを許しません」


 店主の良心に触れ、ニグルの顔は、静かな表情からいつもの仏頂面に戻った。

 と、いつものニグルを知るエルと田中は思ったが、店主の目には、今も不機嫌な顔にしか見えない。


「なんで異世界人を嫌ってんですか?この国は」


 ニグルは店主に、素朴な疑問を投げかけた。


「わかりません。私は移住者なのです。キゼト出身なのですよ。ちなみに父は異世界人二世です」

「なるほどね」


 それはそれで、ニグルは色々と腑に落ちた。


「まあ、王国ってんだから王様が権力持ってんだろうし、イフォックの推薦状持って王宮に潜り込んでそいつ殺すか。そうすりゃ何か変わるかも知れないし」


 そう言いながら、ニグルは田中の顔を見た。田中は顔ごと目を逸らした。

 逸らした視線の先にあったエルの顔は、大通りに向けられていた。


「イフォックさんがこっちに向かって歩いてくる。すっごく笑顔」


 エルが苦虫をつぶした様な顔で言うと、ニグルは顔を引き攣らせた。



「やーニグルくん。やっぱり耐えられなかったみたいだね。異世界人に脅されたって、若い男が司令部に駆け込んで来たよ」


 イフォックは、親しげな態度でニグルの肩に手を掛けた。


「耐えたから脅しただけで済んでんだろ。いやそもそも脅してもいないぞ。ここの店主が機転を利かしてくれたから未遂で済んだ」

「まあいいさ。怪我させたり殺したりしない限り、私が全て何とかしてあげるからね」


 イフォックは、笑顔のまま真っ直ぐにニグルを目を見た。


「でも怪我させたり殺したりしたら、職務上、君を殺さなくてはならなくなる。異世界人によるスブル国民への暴行は即死刑なのさ。私の手でね。私も雇われの身だからね。そうせざるを得ない。悪魔討伐歴のある異世界人冒険者を何人殺してしまった事か。君は私にそんな事させないでくれよ」


 イフォックの顔から笑みが消えた。

 脅されている。ニグルはそう思った。


 しかし、抵抗する気には全くならない。

 初心者に毛が生えかけた程度の冒険者であるニグルにも、彼我の戦闘力の差はわかっている。


「私だって心を痛めている。だから私は、私の知名度と実力で今の立場を手に入れたんだ」


 イフォックは沈痛な面持ちで、独り告白し始めた。


「スキル持ちじゃなくても面白い奴なら文書を偽造して自由と機会を与えている。面白くなくても、兵士としての任務に耐えられそうな屈強な者達はまとめて砦に詰めさせて日常的な差別から遠ざけている。これでも、可能な限り異世界人の尊厳を守ろうとしているんだ、私は」


「他の国に逃してやれないのか」


 急に良い案が思い浮かぶ訳もなく、取り敢えずで、ニグルは言ってみた。


「スキルも知識もない、転移したての非力な異世界人がどうやって旅をするんだい?旅立ったその日のうちに魔獣に食われて終いさ。だったら、どうだろう、本当にそれが正しいのか未だにわからないが、いつか奇跡が起きると信じて、奴隷として命を繋ぐ方がマシなのではないだろうか」


「あんたが殺した悪魔討伐歴のある異世界人冒険者達ってのは、他の国に転移して冒険者として経験を積んでからここに来た連中?」


 頭の整理がつかないまま気不味さを感じたニグルは、話をすり替えようとした。


「もちろんだ。いくら優秀なスキル持ちだって、この国に転移してすぐ、私の審査を受ける前に悪魔討伐なんて出来るわけないだろう?少しは考えてから質問したまえよ」


「質問じゃなくて確認だ」


 ニグルは、イフォックの方を向かずに強がった。


「彼らを殺したのだって、仕方のない事だったのさ。この国で戸惑いながら生きているその他大勢の異世界人の立場が更に悪くならないように、ね」


 イフォックは思いの外思慮深い。

 ニグルはそう思った。

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