静かな顔
スブル王国王都防衛司令部長イフォック。
魔族とエルフの血を引く者であり、かつてはマグスとソエルと行動を共にする冒険者であった。
エルフらしいしなやかな体躯に、魔族らしい強靭な筋肉を隠し持っており、エルフ特有の素早さ、魔族らしい強い腕力、エルフと魔族に共通する大きな魔力のそれぞれを、各種族の平均を遥かに超えて持っている。
冒険者であった頃はその特性を活かして魔法剣士として名を馳せ、「交わり合った血の奇跡」と讃えられた天才である。
里では頭が悪いと評判であった。
冒険者になってからも、奇特な発言や行動の数々から、頭が悪いと評判であった。
特に、共に冒険した経験を持つマグスは、こんなに頭が悪い奴は他に居ないと断じていた。
しかし、人の目の動きを観察するのが好きなニグルは、その目の奥から油断ならない圧を感じ、密かに恐怖心を抱いた。
何しろ、全く視線がブレない。瞬きもしない。ずっと、相手の目を射抜くかのように見続ける。
太々しい印象を持たれがちなニグルではあるが、イフォックの目だけはいつまでも見続けていられない。
イフォックの圧迫感で疲れた精神は、一晩寝ただけでは癒すことが出来ず、ニグルの寝覚は悪かった。
「エルー。田中くーん。起きてる?」
自分よりしっかりしていそうな二人のことだから、既に起きて出かける準備をしているだろう。
まさかこの俺より遅く起きるなんてことはないだろう。
ニグルはそう信じながら、目を開ける前に声をかけた。
しかし、返事が無い。まだ睡眠中のようだ。
ニグルはやむを得ず体を起こし、室内を見渡した。
他の二つのベッドの上には、明らかに人が横たわっている。
「ちっ」
ニグルは不機嫌な顔で舌打ちをし、ベッドから降りてトイレに向かった。
ニグルが用を足してトイレから出てきても、エルと田中はまだ寝たままだ。
「エル。早く起きないとイタズラしちゃうぞ」
ニグルはエルの顔のすぐそばで声をかけた。
「んん・・・ニグルさん口臭い」
起きはしたものの、エルは目を開けようとしない。
「はぁー」
ニグルはエルの鼻先で息を吐いた。
「臭いってばー」
寝起きの口臭は大人の男の勲章である。
「起きるまでやる。はぁー」
「わかったから。もう起きたからやめて」
「まだ目が開いてない。はぁー」
「もー。やめてよー」
「はぁー」
「加藤さん。朝からご機嫌ですね」
いつの間に起きたのか、田中がニグルの背後から声をかけた。
ニグルは、恥辱と屈辱で固まった。
「田中!俺より遅く起きるとは良い度胸だ!」
「そんなに照れなくても」
「うるさい!」
ニグルは毅然とした態度で声を張った。
しかし、今更そんな態度をとっても何の意味も成さない。
現に田中は、ニヤニヤし通しであった。
差別の根源とは劣等感なのか優越感なのか。
それとも恐怖感なのか。
朝食を終えて、三人は街の散策に出た。
スブル王国の王都だけあって、スブルの街は賑やかなものである。
三人が特別目立つということもなく、ニグルと田中が異世界人であると気付き悪態をつく者がいるわけでもない。
本当に異世界人差別があるのかと疑問に思えるほど、何でもない時間が過ぎていく。
出店の店番に声をかけても普通の対応。街行く人に声をかけて道を尋ねても普通の対応。
異世界人であると触れて回っている訳ではないが、王都防衛司令部長の推薦状を掲げて歩いている訳でもない。
この国の国民は、どうやって異世界人を選別し、差別しているのか。
スブルの街の中心部まで来ると、雑踏という言葉がよく似合う光景を見ることが出来る。
そこには大きな市場があり、食料や日用品、衣類や家具まで、住民の生活に必要なものが全て揃っているようである。
「活気のある市場ですね。築地に行った事があるんですけど、雰囲気似てるなって思いました」
田中は既視感に安心したのか、落ち着いた表情に笑みを浮かべた。
「異世界にも市場があるのですね。世界が違っていても、日々の営みに大きな差なんてないのでしょうね」
エルは何の気無しに、田中に釣られるように微笑みながら呟いた。
その迂闊な呟きは、たまたますれ違った中年の女の耳に届いていた。
「あなた達、異世界人なの?嫌だわぁ。そう言えば変な服を着ているわねぇ」
中年の女はそう言い捨てて、足早に去っていった。
「なんであんなこと言うのかしら」
この世界の住人のエルでも、中年の女が異世界人をあからさまに嫌う理由がわからない。
「自分達と違うからってだけだろ」
珍しく黙りこくって街の様子を観察していたニグルが口を開いて言い捨てた。
「自分達と違うから不気味だと思う。不気味だと思うから不安になる。不安になるから恐怖を感じる。恐怖を感じるから自尊心を傷付けられる。自尊心を傷付けられるから反発心が働いて根拠も無く相手を見下す。それを集団でやる。連帯感に安心する。それを国家権力が後押しする。それが国家的正義になる。国家的正義という根拠を得て明から様に差別出来るようになる。差別が正義と誤解して優越感が満たされる。だから積極的に差別する。元いた世界の歴史を振り返るとそう思える」
珍しく真面目な声音で言葉を紡ぐニグルの顔を、エルと田中は黙って見つめた。
「自分達の知らないとこから来て、自分達の知らない習慣や価値観を持ち込むんだから、異世界人を不気味に思うのは仕方ないんだろうけど、そんなのこの世界の中でも未知の国から来た初見の連中なら同じだと思うんだけどね。でも自分達にとって都合のいいことしか見ないようにしているから、そんな事にすら気付かないんだろな」
口を挟もうと身を乗り出したエルを抑えるように、ニグルは喋り続けた。
「目の位置も鼻の位置も口の位置も耳の位置も一緒。見てないけど、外観から察するに内臓や骨の構造もきっと一緒。つまり同じ人間。多少姿形が違ったって、個性が違うだけの同じ人間。習慣とか価値観とか、自分との違いを受け入れて、理解出来なくてもいいからとりあえず一旦相手の存在を受け入れれば、それに気付く事が出来ると思うんだけどね」
「宿に戻りますか?」
いつもと違うニグルの雰囲気を感じて、田中は気を遣った。
「いや、もうちょっと歩こうか」
エルと田中の顔を見ながら、ニグルが歩き始めた。
その静かとしか言いようがない表情を見ると、恐いと思えばいいのか、不気味と思えばいいのか、寂しいと思えばいいのか、愛おしいと思えばいいのか、エルは感情の整理が出来なくなる。
エルは戸惑い立ち止まったままでいた。
ニグルは、自分がエルを戸惑わせていることに気付いている。
「エル、行くよ」
ニグルは振り返り、精一杯の明るい顔で、左手をエルに向けて差し出した。
無理している、とエルは思った。
無理させた、とも思っている。
ニグルの気遣いに応えようと、エルは小さく走りながらニグルに追い付き、その左手に自分の右手を絡ませた。
凶悪な顔の中年と外見美少女の三十路クオーターエルフは、手を繋いだまま歩き出した。
ニグルが元いた世界なら、職務質問をされそうな光景である。
田中はその光景を微笑ましいと思った。




