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田中くん

 長大な谷底を抜けると、街道は高原の稜線伝いにスブルまで伸びていく。

 遥か遠方まで見渡せるほど、どこまでも視界が開けている。


 走るバイクの上から眺めても、視界に入る景色は大して変わらないまま流れていく。


 森に囲まれ、バイクを走らせれば半日で海まで行けるキゼトから、来たニグルとエルは、変化の無い景色が珍しく、飽きもせずに周囲を眺め続けていた。



 二人が口を開けたまま延々と続く変化の無い景色を眺め続けていると、開けた視界の端で人が倒れている事に気付いた。


「エルー、人が倒れているようだねー」


 自分の背中にしがみついているエルに、ニグルは風切り音に負けない程度の声で告げた。


「助けなきゃ!」


 エルは瞬時に反応しつつ、砦の兵士に向けたニグルの凶悪な目を思い出し、ニグルに他人への優しさが存在するのか少し心配になった。


「・・・ニグルさん、助けるよね?」


 エルは思わず確認してしまった。


「見て見ぬ振りは出来ないよねー。運悪いわー」


 危険を顧みず身を挺して悪魔からエルを守ったニグル。今の、このニグル。

 二人のニグルが同一人物であることに確信を持てず、エルは混乱した。




「もしもしもしもーし。生きてる?手遅れ?手遅れだよエル。残念だ」


 ニグルは、道端で倒れている男の顔を覗き込んだ。

 服装から察するに、これは異世界人だと思った。


「息してるから!ヒール!」


 エルが魔法で回復させると、倒れている男が目を覚ました。


「どこ・・・ここ・・・」


 やはり転移したてなのであろう、男はただただ、茫然自失としていた。



「あ、田中くん」


 目を開いたその顔を見て、ニグルは思わず声を掛けた。


「あ、加藤さんお疲れ様です」


 田中くんは我に返った。


「カトウさん?ニグルさん、前の世界ではカトウさんだったの?」


 エルの顔を見た田中くんは、あまりの美少女ぶりに、見慣れない景色に戸惑っていた自分を忘れ、目を見開いた。


「可愛い・・・いや綺麗?」

「あ、田中くん、ダメだよ。この子は俺の彼女だから」

「いや若すぎるからそういう目では・・・加藤さん、ロリコンだったんですか?意外・・・」

「間違ってるよ田中くん。この子こう見えて三十歳」

「え・・・て言うかここどこですか?」

「今までお前がいた世界とは違う世界だよ。信じられないだろうけど」

「・・・」


 田中は再び茫然とし、黙りこくった。


「しかしとんでもない確率というか、奇跡だよなきっと。そう滅多に転移なんてするもんじゃないだろうに、同じ会社で近い時期に二人転移って」

「この人は誰なのカトウさん」

「いやエルは加藤さんって言うな。ニグルさんて呼べ」

「ニグル・・・?なんで亀の甲羅かぶってるんですかニグルさん」

「田中くんはニグルって言うな。順応早いな」


 加藤はこの世界のこと、田中くんがこの世界に転移したこと、自分がこの世界に来て数ヶ月間どのように過ごしてきたかを説明した。


「ニグルさん・・・厨二病ですか?」

「ニグルって言うな田中。仕方ないだろ」

「変な鎧着てるし」

「この世界で生きていくために必要な事をしてきたまでだ」

「タナカくんとはどういう関係だったの?カトウさん」

「いい加減にしろエル。田中くんは前の世界で同じ会社にいた人だよ」

「会社って何?」

「あー、店とかパーティーとかそんな感じでいいや。もしくはギルド?」

「ニグルさんには色々教えてもらったんですよ。人との接し方とか、仕事の押し付け方とか、怒ってる振りの仕方とか、怒った振りした後のフォローの仕方とか」


 エルのお陰と言えるであろう。

 田中くんは加藤とエルとの会話を通して落ち着きを取り戻した。


「田中くんに悪いお知らせでーす。俺たちは異世界人に寛大なセノベという国から、異世界人差別があるらしいスブルという国に移動中でーす。俺は嫌な思いせずに今日まで生きてこれたけど、君はいきなり奴隷にされる可能性がありまーす」

「奴隷にされる可能性があるのはカトウさんも同じでーす。安心していいのはこの世界で生まれた私だけでーす」


 ニグルは、深刻な現実から深刻さを差し引いて田中くんに伝えた。


「ニグルさんならなんとかしてくれるんですよね?どうせ僕一人じゃ何も出来ないし、一緒に行きますよ」


 田中くんは、同じ会社で働いていた頃と変わらないニグルに、安心感を覚えた。


「俺をそこまで信用する理由がわからない。あと田中くんはニグルって呼ぶなって」

「僕にはわかるんですよ。加藤さんは、間違えたニグルさんは信用していい人だって」

「わかってないからそう思うんだよ」


 そうは言っても、加藤は田中くんを見捨てるつもりなどさらさら無い。

 小柄なエルをガソリンタンクとシートの境に座らせ、田中くんをシートの後部に座らせ、改めてスブルを目指して出発した。


「エル、振動で気持ち良くなっちゃダメだよ」


 加藤はエルに耳打ちした。


「手遅れ・・・」


 空っぽのガソリンタンクを通して、単気筒の小気味の良い振動がエルの体に伝わる。

 エルは身じろぎせず、体の一部をタンクに押し付けながら、顔を紅潮させている。


 恥ずかしがっているわけではない。

 いや、恥ずかしがっているのかも知れない。

 むしろ、恥ずかしさに酔い痴れている可能性すらある。

 そう思わざるを得ないほど、エルは物憂げな表情のまま顔を紅潮させ、加藤の視線を求めている。


 しかし、田中くんがすぐ後ろにいる。

 エルの痴態を他人に楽しませるなんてもったいない。


 加藤は慌ててバイクを停め、自分の着替えが入った袋を座布団にして、エルへの甘いダメージを軽減させた。

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