エルの母
久し振りのキゼトは、クタやバンゴと比べると、随分と騒々しい。
日常には色々な義務や責務がある。キゼトの騒々しさの中にはその日常がある。
前の世界と違ってストレスフリーな世界なのではないかとニグルは期待していたが、案外そうでもない。
義務や責務に紐付いたストレスとは、人間が生きていくために必要な糧なのだろうか。
キゼトに戻って早々に、ニグルはエルの家のソファの上でダラダラしていた。
その隣では、ニグルにもたれ掛かかりながら、エルもダラダラしていた。
バンゴ村での出来事を経験する前、エルがニグルに対して持っていたのは、情に絆された青い恋情でしかなかった。
言ってしまえば、エルは、初めて異性と関係を持って舞い上がっていただけに過ぎない。
ニグルは、久し振りに出来た恋人が外見美少女である事に満足していたし、欲望のままに求めても拒絶されない都合の良さにも満足していた。それだけだった。
しかし、バンゴ村での出来事は、二人の心の距離を変えた。
ニグルは、この女はこれからも自分が守らなければならないのだと、男としての使命を感じるようになっていた。
そう感じてしまえば男の感情など単純明快であろう。少なくともニグルの感情は単純明快だ。
ニグルにとってエルは、「一番大切にしなければならない相手」となった。
悪魔に殺されそうになった自分を、関係を持った男が身を挺して守ってくれた。
そこまでさせる程、この男にとって大切な存在なのだと、エルは自分の事を評価した。
そして、その男が、独力で悪魔を討伐する程の頼もしい男である事に、女として高揚した。
エルにとってニグルは、「自分を最も大切にしてくれる存在」であり、「誰よりも大切にされたいと思える存在」となっていた。
「エルー。いるー?」
ニグルとエルがソファでダラダラ寛いでいると、ドアを開ける音とエルを呼ぶ女性の声が同時に聞こえた。
「ママぁ?」
エルは怠惰な声で反応した。
「ママ!?」
ニグルは慌てて玄関を見た。
ママと呼ばれた女は、既にソファの横に移動しており、ニヤニヤしながら二人を見下ろしていた。
「昼間から男とベタベタしちゃって。エルってそんな子だったかしら」
ママと呼ばれた女は、咎めもせず、嬉しそうに見下ろし続けている。
「ママ!?」
エルの方に向き直り、ニグルは同じ言葉をもう一度口にした。
「お姉さんじゃなくてママ?」
「あらやだ、噂のニグルさんてお上手な方なのね」
エルの母親は機嫌よくニグルの隣に座った。
その容姿は、三十歳前後にしか見えない。つまり、人族の四十歳のニグルの目には、十分「若い女」に見えた。
「ママはもう六十五歳だよ。人族のニグルさんの目には若く見えるんだろうけど」
「エルフの血と魔族の血が入ってますからね。そんな私から見ると、人族であるニグルさんは四十歳の割に老けて見えるわね。エルはもっと若くていい男を捕まえると思っていたわ」
「ママ。ニグルさんに失礼よ」
「いやいやいいよ気にしない。気にしない…」
否定的な発言の割に、エルママは少しずつにじり寄り、いつの間にかニグルに密着し、明らかに女としてニグルに好奇心を示していた。
エルより発育の良いその体に、ニグルの本能は抗えない。エルが見ている、体を離さなければならないと忠告する理性には従えない。
「何してるのママ。何で避けないのニグルさん。二人とも何考えてるの?」
エルは立ち上がって二人を責めた。
「私ね、老け顔が好きなのよ」
エルママはそう言いながらニグルの膝に手を置いた。
ニグルの理性は、その手に自分の手を重ねるべきか、それとも肩を抱くべきか、どちらが男としてスマートかを考える役割に変わっていた。
「お母さん、肌、お綺麗ですね・・・」
ニグルはエルママの手に自分の手を重ねながら言った。
肩を抱くという選択をしなかったニグルの理性は、既に手遅れながら、少しだけ守りに入っていた。
「お母さんなんて呼ばないで。私の名前はソエルよ。ソエルって呼んで。ほら、早く」
「ソエル・・・さん・・・」
「私、まだ二人の仲を認めていないわよ。つまり私には、ニグルさんを口説く権利が残されているって事」
ソエルは妖艶な視線でニグルの目を押さえ付けた。
「な・・・るほど」
ニグルは呼吸を荒くしながら、精一杯の相槌を打った。
ニグルが相槌を打ったその時、ニグルとソエルの座るソファが宙に浮いた。
「ママ良い加減にして。ニグルさんもエロい顔しないで」
エルは目に涙を浮かべながら、掌からソファの下に魔力を流し込んでいた。
「ちょっとふざけただけじゃない。そんなすぐに怒らないでエル」
「悪ふざけが過ぎるわ」
「エル、安心しろ。俺、本当は貧乳好きなんだぞ!」
ニグルは慌てて取り繕おうとしたが、それは失敗に終わった。
「死ね!」
「きゃっ!」
「うおお!」
エルはソファをひっくり返した。
「もーニグルさん、エルを煽らないでよー」
「ごめんなさい。エルもごめんなさい」
ニグルはソファを戻しながら謝った。
「さてと。改めまして、いつも娘がお世話になっています。エルの母です」
「こちらこそ、娘さんにはいつもお世話になっています。ニグルです」
二人は挨拶を交わしてから、ソファに座り直した。
「夜のお世話もお盛んなの?」
「ママ」
冷静になったニグルは、いかにも腑に落ちないという顔をした。
転移したての頃、エルフ族は性欲が薄いとモリから聞かされた事があるが、エルの母親のこの感じはどうした事か。変異種なのだろうか。
「ママのこと、エルフらしくないって思ったでしょ?ママはエルフと魔族のハーフなの。魔族は欲望に忠実って聞くから、きっと魔族の血がより濃く影響しているんだと思うわ」
エルは察しがいい。ニグルの怪訝な表情から疑念を読み取り説明した。
「それパパが言ってたやつでしょ。ソースは私よ。でもそんな私の血を引いているんだから、エルも結構・・・なんでしょう?ニグルさん」
「まあ、そうですね。俺が元いた世界ではむっつりスケベと言われるタイプですね」
「その言葉は知っているわ。本当はエロいくせして、普段はエロくないフリしている人の事でしょ?転移者が持ち込んでこの世界にも浸透している言葉よ」
ソエルはニヤニヤしながらエルの目を見た。
エルは立ったまま、赤面しながら目を逸らした。
「そっかー。エルはむっつりなんだー。へー」
「・・・」
母親にからかわれ、エルは居た堪れず俯いた。
「もう、本当に可愛い子ね。実の娘じゃなかったらイタズラしちゃうのに」
「した事あるじゃない・・・何度も」
「そういえばそうだったわね」
ニグルには分かる。きっと誰にでも分かる。エルの母親はとんでもない女だ。




