亀の甲羅と膝枕
美しい海、賑やかな貿易港、舶来の名品珍品が並ぶ商店街、新鮮な海産物が並ぶ市場、沿岸に並ぶ海の幸を提供する飲食店の数々、豪奢ながら景観に溶け込んだ大商人達の本宅や別宅。
華やかにして落ち着きのある街並みと、港に隣接する活気に溢れた商業地区こそ、港町クタの観光資源である。
「観光地って割りにはそそる町並みもないし、昨日酷い目にあったから食べ歩きに期待する気にもならないし、エルと二人で、二人で、二人きりでツーリング行ってくるよ」
モリの部屋を訪れ、ニグルは一方的に告げた。取りも直さず、それは、モリをクタに置き去りにする事を意味している。
「え」
「モリお前いつも壁に耳つけて、こっちの部屋の様子伺ってるだろ」
「気付いていたのですか!」
「ガサガサ壁擦ってるから聞こえるんだよ。下手くそ。お陰でエルが警戒しちまって、クタに来てから全くさせてもらえてねーんだぞ」
「だからいつも静かだったのですか!」
「そうだ!だからツーリングがてらどっか他のとこで泊まってじっくり楽しんでくる!お前は一人で適当に時間潰しとけ!」
「冷たい人ですね・・・」
「うるさい!自業自得だ!土産は期待していい」
ニグルは少しだけ優しい男だ。
ツーリングに行く上で、念の為にヘルメットが欲しいと、ニグルはマラに相談した。
ニグルの相談を受け、マラは亀の甲羅で作られたヘルメットを二個、倉庫から持ち出して来た。
「丈夫な上に軽いから、これがちょうど良いのではないか。内側には海綿のスポンジを貼り付けてあるから被り心地は悪くないと思う。これも謝礼に加えよう。遠慮なく受け取って欲しい」
亀の甲羅を受け取ったニグルは、一旦部屋に戻り、エルと一緒に亀ヘルメットを被って鏡の前に立った。
(前の世界の固定概念を捨てろ。この世界の価値観を受け入れろ)
亀の甲羅を頭に乗せたペアルック姿は滑稽極まりないと思ったが、その感覚は元の世界の価値観に則ったものであり、それは元の世界の固定概念に縛られているだけなのだと、ニグルは必死に自分に言い聞かせた。
(これが既製品として存在しているこの世界の住人であるエルはきっと気にしていないだろう)
そう思いながら、ニグルは、隣で亀ヘルメットを試着している外見美少女に顔を向けた。
「本当にこんな変なの被るの?クタに来る時は何も被らずに来たんだから、無理に被る必要無いんじゃないかしら・・・」
亀ヘルメットを被った珍奇な自分の姿に、エルは全く納得していなかった。
しかし、亀の甲羅を頭に乗せて戸惑うエルもまた可愛い。ニグルは今日もエルに見惚れる。
「何も被らないと、バイクで転んだ時に頭打って死んじゃうかもしれないから、我慢しよ?」
亀の甲羅を頭に乗せて戸惑うエルの可愛さに冷静さを失ったニグルは、亀の甲羅を頭に乗せた自分自身の珍奇さを忘れ、エルの説得にかかった。
「それに、エルは顔ちっさいし可愛いから、亀ヘルメット被っててもやっぱり可愛いよ」
ニグルはだらしのないニヤけ顔になりながら、エルを抱きしめ、エルの唇に自分の唇を重ねた。
「じゃあ、被ってもいいかな。私が死んじゃったらニグルさん寂しいだろうし。ニグルさんの為に被ってあげる!」
接吻から解放された後も抱きしめられたまま、顔を鏡に向け、亀の甲羅を頭に乗せた自分の姿を見る。
鏡に映る、亀の甲羅を頭に乗せたエルの口角は、エルが思っている以上に上がっていた。
クタの住民達にとっても、当然の事ながらバイクは見た事の無い乗り物であり、マラ邸の前でエンジンをかけている間に、ニグルとエルの周囲に人集りが出来ていた。
人集りの視線は、見た事の無い乗り物と、二人の頭に乗せられた亀の甲羅の間を行き来している。
「お母さん、あの人達はなんで亀の甲羅なんて被ってるの?」
「しっ」
マラの工房の近隣住民の目にも、亀ヘルメットは珍奇に映るらしい。
ニグルは確信した。この世界において、亀ヘルメットは普通じゃない。
それでも恥という言葉に鈍いニグルは平然としたものだが、エルは余りの恥ずかしさに思わず俯いた。
「クタを出て西に進むと、海に面した丘陵の麓にバンゴという村がある。海に向かって段々畑が広がる、美しい村だ。行ってみるといい。村の住人なら誰でもいいから、私の名を告げなさい。悪い扱いは受けないはずだ。バンゴは私の故郷なのだ」
見送りに来たマラが行き先を決めた。この世界に来たばかりのニグルと、外の世界に戻ったばかりのエルにとっては、渡に船と言える。
リアキャリアに最低限の荷物を積み、お揃いの亀ヘルメットを被ったニグルとエルはバイク上の人となった。
亀ヘルメットに集まる好奇の目から逃げるように、ニグルはスロットルレバーを捻る。
好奇の目に晒される恥ずかしさに耐えかね、エルはニグルの腹肉を掴む。
「何も決めてないから、いつ戻ってくるかわからないけど、行ってきまーす」
モリとマラは、バイクに乗って走り去るニグルとエルの後ろ姿を二人並んで見送った。
「モリ、まさか本当にあんな物を被って行くとは思わなかったぞ」
小さくなっていくニグルとエルの後ろ姿を眺めながら、マラがモリに言った。
「え。マラさんに勧められたって聞きましたけど」
「冗談のつもりだったのだ」
マラはいつも通りの仏頂面で呟いた。
いつも通りの仏頂面のままで冗談はダメだ。
モリは心の中でそうつっこみながらも、ニグルとエルの間抜けさを思い、愉快な気分になった。
モリがいない為、馬車のペースに合わせて延々と徐行運転をする必要も無い。
この世界の人達が変な荷車と呼ぶ愛車を軽快に操り、ニグルは気分良く街道をひた走る。
風と土埃と日差しを浴びながら、爽やかな初夏の空気を全身で受け止める。
初夏のツーリングこそ至高だと、でさにかは思う。
クタを出てしばらく走り続けると、海岸線近くに山が見える。
海沿いに整備された街道は、その山の麓の森の中に入って行く。
街道はそのまま、頂上まで樹木に埋もれた山を避け半円を描くように、山の向こうへと続いている。
森の中の道は、明るい木漏れ日に恵まれ、とても心地が良い。
大きな木の根元の、小さな日向で居眠りをする旅人がいる光景も、絵画の世界の様に感じられた。
「ニグルさん!森の匂いって、とても良い匂いなんだね!爽やかでちょっと鼻について、たまにほんのり甘い!」
ニグルの背後から、エルが精一杯顔を出して大きな声で話しかけた。
「モリはくせーけど森は良い匂いだね!」
「ニグルさんもたまに臭いよ!」
ニグルは、そうか、と呟く事しか出来なかった。
森を抜けた後、街道は再び開けた海沿いの道になり、海を見渡す事が出来る丘の頂上に繋がっている。
丘の頂上近くから海に向かって段々畑が広がり、その麓に小さな入江があり、入江に沿って赤茶色の屋根が並ぶ小集落がある。
マラの故郷、バンゴ村だ。
集落の向こう側には入江に沿って白い砂浜があり、砂浜の向こうには真っ青な海が広がり、真っ青な海にはいくつかの小島が浮かんでいる。
初夏の新緑、赤茶色の屋根、白い砂浜、真っ青な海そして空、アクセントになる小島。
コントラストやグラデーションが忙しく連る初夏のバンゴ村の景色は、街道を利用する旅人達が必ず足を止めるほど美しい。
クタを出発して二時間ほどで、変な荷車は丘の頂上に着いた。
街道沿いに変な荷車を停め、ニグルとエルは丘の頂上に立ち、眼下の美しい景色に目を見張った。
「エルが外に出れるようになった日に見に行った海も綺麗だったけど、ここには負けちゃうねー」
「単純に美しさで比べたらそうかも知れないけど、私はあの日にニグルさんと一緒に見たあの海の方が好き」
美しい景色の中に、美しい容姿と心を持つ亀ヘルメットを被ったエルが溶け込んでいる。
自分の視界の中の景色がより美しさとシュールさを増した事に、ニグルは大きく満足した。
「ちょっと休んでいこう。運転疲れたから横になりたい」
街道と畑の間には、短く刈り込まれた草原があり、ニグルはそこに寝そべった。
「膝枕・・・する?」
エルは照れ臭そうに俯きながら、膝枕を勧めた。
もちろんする。ニグルはその為に疲れてもいないのに疲れたと言っている。
元の世界では、女は親密な関係の男に膝枕をする事で親愛の情を示すのだと、ニグルはエルに嘘を教えた事がある。
その日以来、ニグルが横になりたいと言う度に、エルは膝枕をしようとする。
エルは察しがいい。ニグルの下心を見抜くのは不得手ではない。膝枕で親愛の情を示すという話も疑っている。
しかしエルは、太ももに感じるニグルの頭の重みと体温と、髭の刺激と顔面の皮脂の生々しさに満たされる自分の心を拒絶出来ない。
それに、仮に嘘だとしても、その嘘に騙されたふりをしておけば、ニグルの求める形で親愛の情を示す事が出来る。
嘘だろうと疑い拒むより、その方が満たされると、エルはそう考えていた。
「エルゥ、スカートが邪魔だよぅ」
平均より凶悪な顔をした中年が、外見美少女の膝枕の上で、甘えた声を出した。
普通ならただの気持ち悪い中年だが、アバタもエクボとはよく言ったもので、甘えるニグルを可愛いと感じてしまう自分の心に、エルは抗えない。
「いつ人が来るかわからないのに、こんなとこでスカート捲れるわけないでしょ」
「えー。エルの綺麗な太ももが布一枚隔ててすぐそばにあるのに我慢しなきゃいけないの?そんなの嫌だ!エルの意地悪・・・」
平均より凶悪な顔が膨れっ面になった。
「もおっ。可愛く言うのずるい!」
エルにとっては可愛いらしいニグルの甘えた態度に負け、エルはスカートをまくり太ももを露わにした。
エルの太ももは、程よく細くしなやかな様に見えて、幼く見える外見や過去の経歴とは裏腹に、少しだけ筋肉質である。
引きこもり時代、運動不足に陥る事を懸念して、重力魔法で筋肉に負荷をかけて生活していたらしい。
「程よく締りがあって、程よい弾力があって、太ももはスベスベで膝はツルツルで・・・はぁ、気持ちいい・・・」
凶悪面の気持ち悪い中年は何度も、外見美少女の太ももを撫で回し、匂いを嗅ぎ、キスをした。
こんな事をしていても疲れが取れるわけがないのだが、疲れたというのは嘘だから、なんら問題は無い。
「エルの匂いがする」
「え!あ、汗臭い?」
「汗臭いくないよ。エルの命の匂いがするんだ」
興奮を抑えきれず、ニグルの顔が火照る。
自分の顔が汗ばみ始め、エルの太ももを湿らせているのではかいかと、ニグルは思った。
屋外で太ももを露わにする自分と、愛する男が自分の太ももを愛撫する姿に、エルは強く興奮した。
興奮すればするほどエルの身体が火照る。
自分の太ももが汗ばみ始め、ニグルの顔を湿らせているのではないかと、エルは思った。
恥じらいを知らない中年は、臆面も無くエルの太ももを湿らせ続けていたが、恥じらいを知るエルは、興奮した自分の汗でニグルの顔を湿らせているかも知れないと心配した。
心配すればする程、羞恥心が疼き、エルは更に興奮した。
ニグルは突然、エルの太ももを軽くひと舐めした。
「あぁっ!」
強い興奮状態にあり体の端々まで敏感になっているエルは、思わず声を漏らしながら、体をビクッと反応させた。
「しょっぱい」
耽美なものを愛でるかの様な表情で、ニグルが呟いた。
エルは自分の汗でしょっぱくなっているのだと思い、更に羞恥心が疼いた。
羞恥心が疼けば疼くほど、この状況を変えたくないという気持ちが高まる。
しかし、ニグルの一言で羞恥心が限界を超えたエルは、このままでは自分の欲求を抑える事が出来ないと思い、ニグルの顔を突き飛ばした。
「ぬお!」
「ダメ!もう終わり!もう疲れ取れたでしょ!」
エルは心と顔を火照らせながら、叫ぶ様に言った。
エルの太ももの一部は、ニグルの皮脂でテカテカヌルヌルしている。
スカートが擦れて、太ももに付着したニグルの皮脂を拭い取ってしまう事が無いようにと、エルは丁寧にスカートを戻した。
「じゃあ海の近くに行ってみるかー」
ニグルは気だるそうに立ち上がりながら言った。
「うん!」
太ももにニグルの皮脂が着いている。
その事実によって心の火照りを継続させているエルは、火照ったままの顔を勢い良く上下に振った。




