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ニグルとエル 新しい関係性

 いい女とタンデムツーリング。健全なバイク男子にとっての至高。

 異世界で初めてのタンデムツーリングの相手がエル。至高どころか、いきなり上限突破。

 転移初日にモリを乗せてキゼトまでバイクを走らせた事実は、もちろん無かった事にする。



 リアシートにちょこんと座るエルも、背中でエルの胸を探す俺も、ヘルメットは被らない。

 エルのヘルメットは無いし、自分だけヘルメットを被るのは気が引ける。

 ノーヘルは落ち着かないが、その分ゆっくり走る。エルは初めてのバイクな訳だし、ちょうど良いだろう。

 とにかくエルが怖がらない様に、慎重にゆっくりスタートする。



「速い怖い速い怖い速い怖い落ちるー!」


 約二十年もの間引きこもり、その間、自分の足で走った事すら無いであろうエルに、俺の気遣いは通用しなかった様だ。


「ちゃんと俺に掴まってれば大丈夫だよ!」

「私腕短いしニグルさん思ったよりお腹出てるから手が回らない!」

「うるさい!肉掴んどけ!」

「結構分厚いから私の小さい手では無理!」

「じゃあベルト掴んどけ!んで俺の背中に顔押し付けな!」

「はいー!」

「もう怖くないでしょ?」

「そうでもないー!」


 面倒だから聞こえないふりをして、海に向かって走った。自由になったその日の内に、どうしてもエルにあの海と空を見せたかった。



 今日も水平線は、空の紺碧と海の紺碧に挟まれている。ついでに、指でギュッと挟んでも潰れなさそうな、はっきりとした白い雲が浮かんでいる。


「綺麗・・・これからは、いつでもこの美しい景色を見に来れるんですね・・・」

「そうだよ。俺がいつでも連れて来てあげる。こんな景色、初めてでしょ」

「はい。こんな美しい景色が存在するなんて、想像した事も無かったです」

「エルさんも、この景色に負けないくらい綺麗だよ」

「比較対象が妥当ではないですよ」


 デレようとして失敗した。

 その矢先に、またあの大猿が現れた。


「あ、魔獣!私の魔法見せてあげますね」


 言うや宙空に向けた掌から大きな炎をほとばしらせて大猿を瞬殺し、エルはにっこりと微笑みながらこちらを振り返った。

 モリが以前言っていた。大猿魔獣を一人で倒せるのはマグス以外に数人しか居ないと。

 じゃあエルは、数人しかいない強い人ではないか。


「今日は死体持って帰れないから、置いて帰ろうか」

「歯と爪だけ回収しましょう」


 エルはささっと余計な部分を燃やし、歯と爪を肩掛け鞄に入れて、リアシートに腰掛けた。

 冒険者として、魔獣を解体出来ない俺より遥かに有能ではないか。



 エルの存在を愛車と共に噛み締めながら、ゆっくりとバイクを走らせて帰る。

 エルは早くもバイクに慣れたのか、来る時と違って随分静かだ。


「ニグルさーん!ニグルさんさえ良ければ、自由にしてくれたお礼に夜ご飯をご馳走したいのですけど、いかがですかー?」


 エルが、俺の背中の向こうから精一杯の大きな声で誘ってくれた。


「喜んでー!好き嫌いはないけど、好きな食べ物をあえて言うなら、それはエルさんの手料理かなー!」

「まだ食べたことないじゃないですかー!」

「そうですねー!」

「ニグルさんって、適当ですねー!」


 俺の考え無しの適当発言に、エルは機嫌良く、明るく答えてくれた。

 小柄なエルはすっかり俺の体に隠れていて、ミラー越しでは頭が辛うじて見える程度だけど、俺にはわかる。エルは今、絶対可愛い顔してる。


 会話が途切れた後、エルは俺の背中に顔を押し付けた。背中に感じるエルの体温に、俺は幸せを感じた。

 ただ、残念ながら、背中に胸を感じる事は出来なかった。



 街に戻ると、ご近所はちょっとした騒ぎになっていた。


「本当にエルが外に出ているぞ」

「ニグルさんが連れ出したのか。よくわからんが凄い人だな」


 バイクを我が家に置いて、二人でエルの家に向かう。

 ご近所さん達の会話が、聞く気も無いのに耳に入ってくる。


「あの二人、いつの間にか出来てたのか?」

「あのエルを口説き落とす男が現れるとはなぁ」


 ご近所が好き勝手言う中、エルはいつもの無表情で黙って歩いた。

 俺も少しうんざりして、黙って歩き、エルの家に入った。


「ふん!」


 家に入るや否や、エルが掌を宙空に向け、短く気合を入れた。外がまた騒がしくなった。


「弾かれた!エルが結界張ったぞ!今から何するんだ!」


 エルは怒り顔でドアを開け、


「何もしません!」


 と、一喝した。怒った顔も可愛い。これからはたまに怒らせよう。



 ため息をついてから俺に顔を向け微笑んで、エルは小さな台所で煮物を作り始めた。


「煮物なら、時間はかかるけど忙しくないので、お話ししながら作れますから」


 エルは少しハニカミながら小声で言った。照れながら言われると、色々なところがムズムズしてしまう。

 しかしここで焦ってはいけない。ムズムズしている自分を抑えるために、ソファでリラックスしよう。



・・・・・・


 過去の私をよく知る人ほど、呪いをかけられた日以降の私を訝しんだ。

 過去の私を知らない人、特に転移者の男ほど、馴れ馴れしく話しかけてきた。


 過去の私をよく知り、今の私を訝しむ人達は、必要に迫られて私の店を訪れる。だから魔道具を買ったらすぐ帰る。

 過去の私を知らない男達、特に転移者の男達は、何も買わないくせに店を訪れ、頼んでもいないのに私の容姿を褒め称え、面白くもない自慢話をダラダラ続けてからようやく帰る人ばかり。


 世界の滅びを連想させるような事を言われないか、人と話す時は常に冷や冷やしたものだ。だから、人との会話は最低限で済ませていた。

 そんな私にとって、無駄話の多い若い男達と転移者の男達の存在は、苦痛でしかなかった。


「じゃあ結界を張れば良いのよ。エルは凄く可愛いから、だから男達が寄ってくるのよ。そういう男達は、大抵興奮して脇汗かいてるだろうから、脇汗に反応する結界を張ればいいのよ。簡単だからママが教えてあげるわよ」


 ママは偉大だ。私の悩みに対して、常に答えを出してくれる。

 実際に、ママに教わった脇汗に反応する結界を張ってから、男達は寄り付かなくなった。


「ちょっとエル!何でママまで入れなくなったのよ!」


 ママも結界に引っかかったのは誤算だった。でも、ママに教えられた通りにやっただけだから、文句を言われても困る。


 優しくて楽しくて頼もしいママのことは愛している。偉大な魔法使いであるママのことは尊敬している。

 でも、たまに、隙をついていやらしい悪戯をしてくるママのことを思い出すと、流石に鳥肌が立つ。

 きっと、結界に引っかかった時のママは、ああいう時のママだったのだろう。



 男達が寄り付かなくなってしばらくしてから、太った若い男が結界の外から話しかけてくるようになった。

 その男はモリと名乗った。

 全身全霊で迷惑がっている空気を出していたつもりだったのだけれど、モリは全く気づいてくれなかった。


 モリが話しかけてくるようになってから一年ほど経った頃、モリは恐い顔をした男を連れてきた。

 その男は平然と結界の中に入ってきた。その男の後ろをモリもついてきた。その男はただ歩くだけで、結界を消滅させてしまったのだ。

 私はその男に興味を持った。この男こそ、堕天使の呪縛の檻から私を助け出してくれる存在なのではないかと、期待した。



 モリがニグルを連れて来たその日、ニグルのスキルや魔力を鑑定させられた私は、ニグルの深淵を覗いてしまった。そして嘔吐した。

 私を騙した堕天使の顔が、ニグルの瞳の奥底に見えたのだ。

 ニグルはあの堕天使の生まれ変わりで、また私に呪いをかけに来たのでは無いかと恐怖した。そのストレスで、私は嘔吐した。


 嘔吐した私を見て戸惑い、無防備に口をポカンと開けるニグルからは、堕天使のあの嫌な雰囲気は感じられなかった。

 だから、見間違いかも知れないと考え直した。そう考えたかった。私を呪縛から助け出してくれる存在であると、期待したかった。



 実際に、ニグルは期待通りの男だった。

 堕天使の呪縛は結局のところ、堕天使の口から発せられた言葉に縛られていたというだけの事でしかなかったのだけれど、それでもその呪縛から解放してくれて、私を外の世界に連れ戻してくれたのはニグルだ。


 自由に導いてくれた時の力強さ、戸惑い乱れた心を受け止めてくれた包容力、苦しみから救い出してくれた時の安心感、その全てに明るさを伴わせる陽気な人柄。


 好きになったって、それは仕方のない事じゃないか。


・・・・・・・


「料理が出来ましたよ。足りなかったらおかわりして下さいね」


 野菜だらけで肉が入っていないのに、ちゃんと美味しい。


「エルさん料理上手なんだね。すんごい美味しいよ」


 エルが毎日の食事の世話をしてくれたら、血中脂肪も肝機能も腎機能も、数値が下がるのではないだろうか。


「また、いつでも作ってあげます・・・」


 エルは頬を赤く染めながら、嬉しそうに言った。

 それを見て、俺の腹の奥底から幸福なムズムズが這い上がってきて、内側から胸の辺りをグイグイ押す。

 なんて瑞々しい幸福感だろう。こんな気持ち、いつ以来なのだろう。俺の中にもまだ残っていたんだな。



 食事を終え口数が減った二人は、ソファに不自然に並んで座った。

 エルの横顔を見ようと横を向いたら、そこに見えたのは、エルの顔の正面だった。


「ニグルさん、何で私を救ってくれたのですか?」

「いい女が苦しんでいたら助けてあげたいと思うのは、男として当然のことだよ」

「他の女の人でも、同じように苦しんでいたら助けてあげるのですか?」

「他に誰も助けなかったらそうするかもね」

「そうですか・・・」

「でもエルさんの事は、他の誰でもなく、俺が助けてあげられて良かったなって思うよ」

「私だから?」

「エルさんだから」

「大切に思ってくれていますか?」

「大切に思ってるよ」

「今日だけですか?」

「違うよ。これからずっと」


 人差し指と中指と薬指でエルの顎の左端に触れ、親指で頬をさすると、エルは目を閉じた。

 もう次の行動に余計な選択肢など無い。


 こんなに美しい、十代半ばか後半の少女にしか見えない女の唇に、ただの穢れた中年である自分の唇を重ねる事に、少しだけ躊躇してしまった。

 しかし、求められているのだから仕方ない。仕方ない。合意の上だ。そもそも、相手はこう見えて三十歳の成人女性なのだから問題無い。問題無い。倫理的に問題無い。


 エルの可愛い顔を見る時間を少しも減らしたくないと思い、目をしっかりと見開きながら、エルの唇に自分の唇を重ねて、すぐに離した。

 そして、顔を紅潮させながら眉間に皺を寄せ、期待外れだと文句を言いたげなエルの口を再び塞いだ。

 舌先の愛撫を求めて、エルは目を閉じ小さく口を開いた。

 恥ずかしさと興奮に歪むその表情は、この世の者とは思えないほど美しく、そして淫靡なものだった。


 舌先の長い愛撫の後、エルの間違った自己愛の呪いが解けていないことを確認した。

 確認を求める俺に対して、エルは言葉で嫌がりつつも、態度は従順だった。

 堕天使の本当の呪いは、羞恥心が高まれば高まるほど、それに比例して高まる興奮と感度なのではないかと思えた。


 何度も何度も確認したその後で、羞恥心に依存しない、想いの交わりに依存する、新しい呪いをかけた。

 事が済んだ後のエルの顔は、俺の呪いで心を満たしてやれたと自信を持って自惚れることが出来るほど、幸せそうに見えた。


 この歳になって俺史上最高にいい女を更新できるとは思っていなかった。

 しかも俺史上なんて枠にはめてはいけないレベルのいい女だ。

 絶対に逃してはいけない。

 強く、そう思った。

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