ミッシェル
自分が置かれている状況を正しく把握するのは難しい。
しかし、自分が置かれている状況に疑問を持つことは容易いのではないだろうか。
自分が置かれている状況が気にならない状態というのは、よほど悪い状態であろう。
「タニさんは、転移してからトシに来るまで、相当なストレスに曝されながら生き抜いたんだね」
ニグルは、心から同情した。
「そうですね。全くの無力な人間が、訳のわからない獣に襲われて、助けてくれるかもしれないと思った人間に襲われて、どうして死なずににここまで辿り着けたのか不思議です」
そう言いながら、タニはニグルに顔を向けて、言葉を繋いだ。
「何故だかスキルを付与されて転移した人には、僕の苦労なんて分かりませんよ」
爽やかなタニの顔から、爽やかさが途切れた。
「そうだね。正直言って、わからない。そんな酷い目に遭ってる人がいることを想像したことすらなかった」
「ですよね」
「なんか、ごめん」
「カトウさんが悪い訳じゃないのに、謝るのはおかしいですよ。むしろ、余計な気を遣わせてしまってすみません」
やはりタニは爽やかだった。
そこが怪しいと、ニグルは思った。
タニに連れられ、ニグルとエルは、トシのリーダーの居宅を訪問した。
リーダーの居宅は、特別な建物ではない。
他の住人の居宅と同様の構えの、同様の大きさの家である。
「リーダー、こちらはカトウさんという転移者です。西の大陸に転移した冒険者です」
「あ、カトウです」
「こちらの女性はエルさん。ニグルさん同様、西の大陸に転移した冒険者です」
「あ、エルです」
どう挨拶すればいいのかよくわからないから、エルはニグルの真似をした。
真似をされたニグルにしても、礼儀作法をよく知らないまま中年になっているから、手本にはならない。
「ども。ミッシェルです。トシのリーダーです。なんちゃって。自分でリーダーって名乗ってる訳じゃないんですけどね。みんなが勝手にリーダー扱いしてるから仕方なくリーダーとして振る舞ってるだけですよ」
トシのリーダー、ミッシェル。
金髪に青い瞳に高い鼻。いかにもな西洋人顔の中年男。
しかし話す言葉は、紛れもなく日本語。
「ミッシェルリーダー」
ニグルは、ミッシェルに話しかけた。
「ミッシェルリーダーなんて呼び方されたの初めて!」
ミッシェルリーダーは声を弾ませた。
「ミッシェルリーダーはどこから転移されたんですか?」
「ブルターニュです」
「は?」
「フランスです」
「は?」
「フランスのブルターニュのレンヌです」
「え?」
「フランスのブルターニュ半島のレンヌです」
予想の斜め上の回答に、ニグルは戸惑った。
「レ・・・あー、ヌ生まれって意味?」
「レンヌ。確かに生まれはレンヌです」
「レ・・・ンヌ生まれで日本滞在経験があって、帰省中に転移したってことか?」
戸惑うニグルは、少し苛立っていた。
「レンヌ生まれのレンヌ育ちでニートだったから日本滞在経験は無いですよ」
ミッシェルリーダーはほくそ笑みながら答えた。
「意地悪はこれくらいにしましょうか。カトウさん、あなたは転移してからここに来るまでの間、日本人以外の転移者と会ったことはないのですか?」
ミッシェルリーダーは、穏やかな顔で尋ねた。
「無い。無いです。そんなことより、ミッシェルリーダーは何故日本語が堪能なのですか?」
「西の大陸にも、日本人以外の転移者はいるはずなんですけどね」
「転移者だと思いながら話しかけたのが日本人だけだったのかな。そんなことより何故日本語」
「私の耳には、カトウさんの堪能なフランス語が聞こえていますよ」
「は?」
ニグルの戸惑いが増した。
「カトウさん、カトウさんは、この世界の人達の言葉、どこで学んだんですか?」
「・・・」
ニグルはミッシェルリーダーの問いかけに、答えられない。
学ばなくても会話できた、と言えば済む話ではないと言うことくらい、察することが出来た。
「この世界の言葉も日本語だなんて、思っていたのですか?」
ミッシェルリーダーは、首を傾げながら微笑んだ。
「思ってた」
ニグルは、絞り出すように言った。
「それは正直に言って、不正解かどうか分かりません」
ミッシェルリーダーの言葉は、ニグルを更に戸惑わせた。
「ただ、私の耳には、この世界の人々はフランス語を話しているように聞こえる。ブルターニュ訛りのフランス語。それだけです」
「どういうことなのかさっぱりわからない」
「私もわかりません。誰にもわからない」
「転移時にほんやくコンニャク標準装備?」
「あ、あの漫画は私も読んだことありますよ。あれこそ日本の真髄、日本の心ですね。特に気に入っているのが・・・」
「それはいいや」
「そうですか」
考えても答えが出てくることはなさそうだし、答えが出ないもの同士で話していても徒労だ。
ニグルは、気にしても仕方ないことは気にしない性質の持ち主である。
ニグルはあっさりと、考えることを諦めた。
「言葉のこと、誰か研究している人いる?」
考えるのを諦めたから、教えてくれる人を探すことにした。
「少なくとも、トシにはいませんね。みんな町造りに必死ですから、そんな余裕は無いです。そういうのは、衣食満ち足りて暇になった人がやることです」
ミッシェルリーダーの回答が腑に落ちたから、ニグルは再び諦めた。
「なるほど。じゃあ、トシに暇人が生まれるまで待ちますよ」
「それがいいです。それまでトシの町造りに協力してもらえるとありがたいですね」
ミッシェルリーダーは、ニグルはそのつもりで来たものと思い込んでいる。
「俺はキゼトの住人です。トシに引っ越しに来たわけでもない」
「え、じゃあ何しに来たんですか?」
ニグルの回答に、今度はミッシェルリーダーが戸惑った。
「旅の途中で立ち寄った感じ?」
トシの状況や思惑がわからない以上、本当のことは言わないほうがいいと、ニグルは思った。
「カトウさん。カトウさんの来訪理由を私が聞いているのに、何故回答が疑問形なのですか?」
こんな細かいニュアンスまで、ブルターニュ訛りのフランス語としてミッシェルリーダーの耳に届いている。
「冒険の途中で何となく寄ったから、説明できるほどの理由が無いんですよ」
「ふーん。そうですかー。まあ、食糧を提供する余裕は無いですし、宿屋もない町ですけど、いつまでいて頂いて結構ですよ。・・・タニさんの家に泊まらせてあげることは可能ですか?」
ミッシェルリーダーはタニに尋ねた。
「構いませんよ」
タニは快諾した。
「いや、個人宅では夜の営みを遠慮してしまう。テントで寝る」
ニグルはタニの善意を拒絶した。
「え!カトウさんとエルさんは恋人同士なのですか!?やっぱり日本人はロリコン多いんだ・・・」
ミッシェルリーダーは驚いた。
「やっぱりて何だ!何なんだその偏見は!お前、日本のことアニメを通してしか知らないんだろ!このフレンチニート!」
「でも実際に、カトウさんはロリコンじゃないですか」
「違う!エルは三十歳だ!」
「え!うそ!すっごい童顔!」
「エルはクオー・・・リティ高いだろ合法ロリとして」
エルの出自を口にしかけて、ニグルは思い留まった。
エルは今、転移者ということになっている。
「おお、これが合法ロリ・・・トレビアン!」
トレビアンは、ニグルの耳にもトレビアンと聞こえた。
「トレビアンは、トレビアンなんだな」
ニグルは、特に意味なく感心した。
「エル、疲れたでしょ」
テントの中で、ニグルは胡座をかき、その上にエルを座らせた。
「疲れた」
エルは、眠そうな目で一言だけ答えた。
「異世界人の真似、しっかり出来てたね」
エルは、黙っていただけだ。
「演技するのって疲れる」
エルはただ、黙っていただけだ。
「ご苦労様、エルの演技は完璧だったよ」
ただ黙っていたことを完璧と称賛する。
ニグルはエルに甘い。
「ご褒美が欲しい」
エルはそう言って、唇を少しだけ尖らせた。
「わかったよ」
ニグルは微笑んで、唇をエルの顔に寄せた。
四十歳と三十歳。
数字で見ると、決して清々しい情事ではない。
年齢不詳の悪人面の中年男と十代半ばに見える外見美少女。
ビジュアル的にはより一層清々しくない情事だ。
「カトウさん、演技って何ですか?」
テント内の会話など外に筒抜けだ。
断片的に会話を耳にしたタニが、テントに無遠慮に顔を突っ込んだ。
清々しくない情事の完遂を、タニが未然に防いだ。
「演技ってことは、やはり本当に未成年なのですか?エルさん」
全てが聞こえていたわけではない。
タニには邪推することしか出来ない。
演技と言っても、エルは黙っていただけである。
タニのそれは、邪推というよりも願望であるのかも知れない。
「聞き耳立てるなんて、趣味が悪いよタニさん」
不都合な部分は聞こえていなかったことを把握し、安心して苦言を呈した。
「テントなんて、聞き耳立てなくても外に声まる聞こえですよ」
「だからってわざわざそばに来なくても」
「いやいやカトウさん、場所を考えて下さい。誰だって普通にテントのそばを歩きますよ」
町造りが始まったばかりのトシの町域は、まだまだ狭い。
その狭い町域内は、住人の手によってちょっとした建設ラッシュが起きている。
ニグルとエルの宿泊地は、建設ラッシュの邪魔にならないようにと、中央通りの真ん中に与えられた。
町造りへの協力を拒否されたことに対する、ミッシェルリーダーの嫌がらせだ。
「明から様だよねミッシェルリーダー。通りの真ん中にテント張れとか、ありえねぇよ。他に空き地あるでしょうよ」
ニグルは、タニに愚痴った。
「空き地は本当に少ないですよ。ある程度計画して造成したのですが、造成後にもどんどん人が増えたので土地が足りていないのです」
タニは申し訳なさそうな顔をした。
「そうは言ってもさ」
ニグルは不満げな顔をした。
「冒険者達が滞在する長屋があるのですけど、そちらならひょっとしたら一部屋くらい空いているかも知れません。そちらの方がいいですか?」
タニは、恐らくそれが精一杯であろう提案をした。
「浮かれた冒険者達?嫌だな」
ニグルは基本的に、他の冒険者が嫌いである。
相容れない連中だと思っている。
「ですよね?そして僕の家も嫌なんですよね?となると、致し方ないと思います」
「町造りに協力したら?」
「どこかの建設工事を止めて、そこでテント泊ですね」
「早くラブホ建ててくれ!」
「まだ住人の家も足りていないのに、無理ですよ」
「じゃあ、町の外で野営する」
後続する仲間と合流するためにも、それがいいだろうと思った。
「夜は門を閉めますし、比較的少ないとは思いますが、この辺りも魔物は出没しますよ?」
「タニさん、俺は一応、冒険者ですよ。慣れてます。それに東の大陸の魔物は昼行性ばっかでしょ?」
「そうですけど・・・その自信というか、そういうのがスキルを付与されて魔物と対等に闘ってきた人が持っている何かなんですね」
タニの表情が翳った。
「そうなのかもね。意識したことないからわからないけど」
東の大陸の魔物や魔獣のほとんどは昼行性なのであるから、寝込みを襲われるとしたら、それよほどのイレギュラーと言えるだろう。
だから夜明け前に目を覚ませばいい。それだけのことだと思った。
「トシとしては問題無いので、止めはしません。また明日お会い出来ると嬉しいです」
この日も最後まで、タニは爽やかだった。
いつの間にか、ニグルはその爽やかさに安心感を感じていた。




