第玖話 灰かぶり媛のかぐや譚 ー宋英成の挽回・後
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「琳瑶媛に、茶家に嫁いでいただきたい」
寝耳に水の琳瑶は思わず 「は?」 と声を出してしまったが、宋英成は、少しばかり表情を硬くしたもののそれ以上は反応せず。
同じ卓を囲んで座る客人を、観察するように見ている。
男を通して茶家の企みを推し量っているのか、それとも男自身の正体を探っているのか。
わからないが、無言で男をじっと見ている。
杖豊衣を名乗るこの客人が本物の豊衣でないことは、英成も事前に聞いて知っている。
西の離れの侍女が、家人を何人か貸して欲しいと母屋にやってきた時、偶然そこに居合わせた英成は、ただの力仕事に男手が必要になったにしては侍女の様子がおかしかったから念のために付いてきたのだが、事情を聞いてみれば不審な男が琳瑶を訪ねてきているというではないか。
しかも琳瑶は会おうとしているのである。
彩月から泰晶春が起こした騒ぎを聞いて知っていた英成は、叔父の東雲や従兄弟の三兄弟が不在であることも知っていたから、琳瑶を説き伏せて、最初は会うのをやめさせようとしたが、結局同席することにしたのである。
この時に、男が杖豊衣を名乗っているだけの偽物だということも聞いたのである。
ついでに杖豊衣というのが茶家の人間で、琳瑶の異母姉に当たる泰蘭花の従姉妹であることも聞いた。
その茶家当主の命令で、宦官として後宮に忍び込んでいたことも、そこで琳瑶と面識があることも。
そして本物の豊衣が今どこにいるのかも。
この事実には英成も心底呆れたが、呆れてばかりもいられない現実が目の前にある。
なにが目的なのか?
いや、目的はわかった。
琳瑶を茶家に嫁がせたいのである。
少なくともその遣いを務めているということは、この男は茶家の人間で間違いない。
だが黎家の媛として黎家本屋敷で暮らす琳瑶を、こんな形で嫁にもらい受けることなんて出来るはずもない。
まして男は正体を偽り、約束もなく唐突に訪問してきたのである。
普通なら追い返されるのが関の山。
それをわかっていながらもこんな形で訪問してきたことに、英成も不審を抱いたのである。
男だって断られることはわかっているはず。
だがそれでもこうやって用件を切り出してきたということは……そこまでを考えて英成は嫌な予感を強める。
(ぬかりはないはずだ)
そう思いながら、英成はゆっくりと口を開く。
「そのような話を当家が受けると思っているのですか?」
「まぁ断られますよね、普通は」
やはりなにか考えがあるらしい。
男は落ち込んだり焦ったりすることなく返す。
「でーも、そもそも英成殿に決められることではないでしょう」
「確かに。
では茶家からそのような申し入れがあったことを叔父上に伝えておきましょう。
今日のところはこれでお引き取りを」
琳瑶には 「英成様?」 と、当初の予定とは違うのではないかと視線や表情で問われたが、英成は少しばかり手を上げて琳瑶を制する。
この男の正体を探ることは琳瑶と英成のあいだで事前に打ち合わせていたが、ここで下手に話を引き延ばしたりする必要はない。
むしろこちら側が話の引き延ばしなんてすれば、却って足下を見られるかもしれない。
だから通常の対応をして相手の出方を見ようというのである。
わざわざ引き延ばしなんてしなくても、男のほうから食い下がってくるだろうと思っていたのである。
案の定、男は英成の思惑に引っ掛かった。
だがそうとは気づいていないため、ふざけた態度のままである。
「そんなこと言っていいんですか?」
「と言いますと?」
「実はわたし、知ってるんですよ」
「なにをでしょう?」
焦りなどを見せることなく返す英成に、男はなにかに気づいた様子。
もっともこれは男の勘違いなのだが……。
「ああ、あなたはご存じないんですね。
折角黎家ご出身の母君をお持ちなのに、宋家の方ですからね」
確かに黎家と比べれば宋家は劣るが、茶家と比べれば遥か上流の家柄である。
それをわかっているはずなのに男は謎の優越感に浸っている。
おそらく英成の知らないことを自分は知っている、そういう優越感だろう。
だが実際のところ、英成も男の言わんとしていることには気がついていた。
わかっていて、あえてすっとぼけているのである。
もちろんただすっとぼけているだけではない。
おそらくこれは、英成にとって最初で最後の挽回のチャンス。
そう考えて慎重になっている本心を隠し、上辺ですっとぼけてみせているのである。
「これをあなたに話していいものか、正直わたしは悩むのですが」
「先に申し上げておきますが、わたしに席を外せというのはなしです。
そういうご要望であれば、やはり今日のところはお引き取りを」
やけに勿体ぶる男だが、英成も負けてはいない。
男の目的はわかったが正体は不明のままだから当然だろう。
そうでなくても、まだ内々の話とはいえ嫁入りの決まった媛を男と二人きりになど出来るはずもない。
万が一にもここで琳瑶と男を二人きりにすれば、挽回どころの話ではない。
それこそ英成は、叱責を受けるくらいでは済まされないだろう。
「よろしいのですかぁ~?
知れば黎家から疎まれかねませんよ?」
「かまいません」
「いえ、間違いなく疎まれますよ」
「勿体ぶる必要はありません。
いったいなにを知っているというのですか?」
「もちろん琳瑶媛の秘密……ですよ」
それはそれは意味深に言って、男はチラリと琳瑶を見る。
「わたしの秘密ですか?」
この時琳瑶が思い当たったのは碧霞との縁談である。
次の正月に、黎東雲の養女になることと同時に発表されることになっているが、破談にしたい琳瑶にとっては、先に噂が広がることで外堀が埋まることは絶対に避けたい事態である。
だから自分から口を滑らすことは絶対にしない。
「そう、媛の秘密です」
やはり勿体ぶる男の様子からは、実は本当は秘密なんて握っていなくて、琳瑶から口を滑らすのを待っているようにも見える。
だが本当になにかしらの弱味を握っている可能性もあり、英成は慎重な態度を崩さない。
「媛の秘密ですか、なるほど」
一度言葉を切った英成は、少しばかり口調を改めて続ける。
「もしそれが本当なら、あなたのほうが黎家に疎まれるのでは?」
「黎大人はわたしたちに黙っていることを望むでしょう。
その対価として琳瑶媛を茶家がもらい受けたい、ということです」
「あなたたちが知っている秘密とやらにそれほどの価値があるとでも?」
「もちろんあります」
言った男はわざとらしく大きな溜息を吐いてみせる。
「怖いもの知らずな方ですねぇ、あなたも。
いいでしょう、話して聞かせて差し上げます」
男が……いや、茶家がどんな秘密を知っているのかと思えば、琳瑶が、実父である泰昌子によって後宮に、それも下女として入れられたこと。
年季奉公の三年が始まったばかりなのはもちろん、姉蘭花の身代わりに泰嬪として冷宮に入れられたはずなのに、どうして今、黎家本屋敷にいるのか? ……という、英成が予想していたとおりのことであった。
「後宮からの逃亡は重罪です。
このことが王宮に知られれば、琳瑶媛はもちろん、黎家も無事には済まされません。
どうです?
十分すぎるほどの秘密でしょう?」
それこそ王宮に黙っている代わりに、琳瑶を茶家に嫁がせるのに十分すぎるほどの秘密だと男は言う。
英成にしてみれば、男が本当に茶家の人間ならば……いや、本当に茶家の人間だろう。
杖豊衣を知っている人間がほぼ茶家に限られているから、おそらくこれは間違いない。
その豊衣の叔母に当たる茶艶麗は、夫の泰昌子が琳瑶を下女として後宮に入れたことを知っている。
そして今回の騒動が明るみになった早々に、昌子と離縁して実家である茶家に戻っている。
茶家当主である艶麗の父茶江流、あるいは艶麗の弟の茶文刀がこの話を聞き、男を送り込んできた。
まぁそんなところだろう。
おおよそ英成の予想通り。
ならばここからが名誉挽回である。
通常、後宮下女が年季が明けるのを待たずに外に出る方法は二つ。
一つは両親の死去。
兄弟や祖父母では駄目だが、両親の死去に限っては喪に服するための帰郷が許される。
そしてもう一つの方法が、仕事が出来ないほどの病にかかった時である。
だが琳瑶の場合、そのどちらにも当たらない。
なにしろ琳瑶の父は泰昌子であり、母は黎薔薇。
健在なのは誰もが知るところである。
そして病によって帰郷するという方法だと、そもそも琳瑶が後宮にいた記録が残ってしまう。
今回、碧霞と双月は、こういった事態を防ぐためにも、琳瑶が後宮にいたという記録そのものを抹消することにしたのである。
だからここからが英成の、最初で最後の名誉挽回のチャンスなのである。
「十分と申しますか、不十分と申しますか……」
英成は少し困ったように言い淀む。
もちろんわざとである。
対して男は不満そうに語気を強める。
「十分でしょう」
「その、そもそも媛は後宮には入っていませんから」
「だから、あなたは知らないのです!」
「なぜ黎家の媛が後宮で年季奉公など……おかしなことをおっしゃる」
「ですから泰大人がっ!」
まるで話の通じない振りをしている英成に、ペースを乱された男はどんどん語気を強めてゆく。
挙げ句には腰を浮かしそうになり、控えていた家人の険しい視線に気づき、慌ててすわり直して、ようやく少しばかり落ち着きを取り戻す。
「……いったいいつ、媛は後宮に入ったのでしょう?」
「蘭花が入宮した日ですよ、もちろん。
一緒に連れて行ったのです」
相変わらず 「なにを言っているのかさっぱりわからない」 と言わんばかりの振りをしている英成に、男は少しばつが悪そうに返す。
「おかしいですね。
それは媛がこちらの屋敷にいらした日ですよ」
「そんなはずはない!
一足先に侍女たちと一緒に後宮に向かったと」
「いいえ、間違いありません。
なにしろお迎えに上がったのはわたしですから」
あの日、蘭花の出立に合わせてこっそりと屋敷を出る予定だった琳瑶は、蘭花の侍女たちに捕まり無理矢理後宮に連れて行かれた。
その途中で英成と出会ったのだが、彼はとっさの判断ミスで琳瑶を奪還し損ねたのである。
もちろんその事実は取り消せない。
けれどそれをなかったことにしてこの場を乗り切り、あの時の判断ミスを挽回しようというのである。
「媛は一人でいらっしゃると言い張っておられたのですが、さすがにそういうわけには参りませんからね。
かといってこちらからの迎えが蘭花殿の出立の邪魔をしてはいけませんから、彩月があとから荷物の引き取りに行くことにして、わたしは一足先に媛をお迎えに。
運良く裏門から出てこられたところでお会い出来ました」
「そんなはずは……!」
泰家の紹介で年季奉公に上がるはずだった下女が到着しなければ、後宮から泰家に問い合わせが行くはず。
だがそれがなかったのだから間違いなく琳瑶は後宮に連れて行かれたはずだと男は主張するが、英成はわざとらしく呆れてみせる。
「ですから、そんなはずはないのです」
ひょっとしたら蘭花の侍女たちは怒られるのが怖くて、一足先に家を出て行ってしまった琳瑶の身代わりに、町のどこかで似たような背格好の子どもを攫っていったのかもしれない……などとすっとぼけてみせる英成に、男は顔色を失う。
「まさか、そんな……」
「あなたが信じるも信じないも自由ですが、少なくとも黎家にその脅しは通用しませんよ。
実際、媛が後宮で年季奉公をしていた事実はないのですから。
それより……」
ここが潮時だと判断した英成は、おもむろに切り返す。
「あなたは何者でしょう?」
「わたしは……杖豊衣です。
そう名乗ったはずです」
一瞬本名を名乗りかけたのかもしれない。
だが気を取り直した男は不敵に切り返す。
それどころか切り込んでくる。
「そうか!
やはり媛は後宮に入った。
そこで豊衣に会ったのでしょう!」
癪に障るほど勘のいい男である。
英成は切り返し方を間違えたと内心で苦虫を噛み潰したが、意外なことにここで琳瑶が口を開いたのである。
「以前に一度だけ、泰家の屋敷で艶麗様を訪ねてきた豊衣様をお見掛けしたことがあります。
ちゃんとしたお顔は覚えていませんが、もっとお綺麗な方だったはずです」
男は決して不細工というわけではないが、綺麗というにはほど遠い造形である。
それこそ間違いなく豊衣ではないと断言する琳瑶に男は言葉を失う。
代わって英成が口を開く。
「……茶文刀殿にはご子息がおられたはずですが」
「おっしゃるとおり。
わたしは茶文刀の息子で、茶武長と申します」
「あなたが何を考えて他人の名を名乗ったのかは存じませんが、我々に興味はありません。
ですが御用はお済みでしょう。
どうぞ、お引き取りください」
今度こそ英成は、タイミングを間違うことなく幕引きを決めた。




