第漆話 もう一人の灰かぶり媛 ー長楽萬年
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「茶も出せなくて申し訳ない」
切っ掛けは秀真公主のそんな一言だった。
もともと衣装も身の回りの物も質素な物ばかり。
それも必要最小限しか持っていなかった秀真公主だったが、この離れに移る時、いつでも出立出来るように支度をしてきたのだろうか。
さらに質素な出で立ちで、身の回りの世話をする侍女も二人だけ。
寺へ連れて行ける侍女は二人だけとすでに決められていたから、おそらく彼女はこの二人を連れて行くのだろう。
碧霞が弟の紺斐太子から聞いた話では、秀真公主は宮移りを言い渡された時、寺まで一緒に付いてくる侍女を年配の者から募ったという。
若い侍女を永蟄居の道連れにするのは忍びないという配慮だったが、弟の誠豊元皇太子や妹の玉英公主に比べて人望があり、老若を問わずお付きの侍女は皆、彼女とともに寺に入ることを望んだという。
それでも秀真公主は年配の者からお付きを選び、残る侍女たちの身の振りを范皇后と柳貴妃に委ねた。
その時に身の回りの品を侍女たちに分け与え、身辺の整理をしたという。
同じように宮移りをさせられた母親の丹真玉や妹の玉英公主は、持てるだけの物を持ち、連れてこられるだけの侍女を連れて移ってきたというから大違いである。
それこそ全てを持ってくるつもりだったようだが、後宮で彼女たちが使っていた部屋と比べて離れは遥かに狭く、断念せざるを得なかったという。
しかも悪足掻きよろしく、後宮に残ったお付きの侍女たちに残してきた物の番をさせているらしい。
いつか再び王宮に戻ってくるつもりでいるのか、あるいは丹真玉の実家である丹家に引き上げるつもりでいるのか。
あるいは必要な時に、後宮に残したお付きの侍女に持ってこさせるつもりでいたのかもしれないが、あいにくとこの離れは立ち入り禁止である。
せいぜい一日に三回、食事を運んでくる女官ぐらいしか出入りを許されていない。
そのため湯を沸かすくらいのことは出来るが、最初に持ち込んだ茶葉がなくなればそれきりだという。
だから寺に入る前に碧霞が会いに来ることを予測していた秀真公主だが、茶の用意が出来なかったのである。
そしてそれを予測していた碧霞は茶葉と茶菓子を持参してきたのだが、茶葉をありがたく受け取った秀真公主は茶菓子を見て笑みを浮かべる。
「珍しい物を持ってきたな」
「母上もあなたも召し上がらないのですっかり忘れておりましたが、つい最近、女性は甘い物がお好きだということを思い出しまして」
からかうような秀真公主に碧霞は楽しそうに答える。
「そういえば、地獄への道連れを見つけたんだって?」
「人聞きの悪いことをおっしゃる」
「だってそうだろう?」
そう返した秀真公主だが 「まぁいい」 と言って口調を改めて続ける。
「噂では黎家の媛とか」
その目がチラリと見るのは、碧霞の護衛武官である恵彫と一緒に控えている双月である。
「ご存じでしたか」
「どんな媛だ?」
「可愛らしい方ですよ。
まだまだ子どもで少々困ったところはありますが、まぁそんなところも可愛いですね」
「ほうほう」
「まだ12ですから入宮は2年後の予定ですが、これがとんだマザコンで」
「男のマザコンはよく聞くが、女のマザコンか」
「面白がらないでくださいよ」
少し不機嫌そうに言った碧霞は湯気の上がる茶器に手を伸ばし、軽く茶で唇を湿してから続ける。
「母親と一緒に入宮することになりまして」
「姑付きとはこれまた珍しい」
面白がる秀真公主に、碧霞は 「前代未聞ですよ」 と言ってから事の次第を話して聞かせる。
秀真公主は、それを終始面白そうな面持ちで聞いていた。
「黎家というからどんな賢しい媛かと思ったら、ずいぶん愛嬌のある媛ではないか」
「まぁ退屈はしませんね」
「そんなことを言って、ずいぶん気に入っているのだろう?
照れるな」
「照れていませんよ。
プロポーズは落ちる時は一緒に、です」
「地獄への道連れとは、そなたらしい。
あまり黎家に偏るのもどうかと思うが、そなたが気に入っているのならそれが一番だろう。
安心したよ」
そう言って、今度は秀真公主が茶で喉を潤す。
「いまさら母上や誠豊のことなどどうでもいいが……」
「玉英ですか?
放っておきなさい。
同じ母を持ちながら、姉のあなたがどんな扱いを受けているか知っていたくせに、どこまでも自分のことしか考えていなかった。
同情の余地などありません」
厳しい碧霞の言葉に、秀真公主は力のない苦笑を浮かべる。
「そう言うな。
あれにも色々あるのだ」
「小耳に挟んだのですが、丹家はいずれ玉英公主を還俗させることを考えているようです」
それこそ一年ほど寺に入れてほとぼりを冷まし、こっそりと皇帝に玉英公主の還俗を願うつもりらしい。
皇帝が還俗を許したとなれば、それは玉英公主が許されたことを意味する。
そうなれば、大々的には難しいが、こっそりとどこかに嫁がせることが出来る。
「叔父上ならば考えそうなことだ」
「なにを呑気に……」
秀真公主自身は二度と寺から出られないことを覚悟しているのだろう。
そのあきらめにも似た様子に、不満な碧霞は口をへの字に結ぶ。
「寺での生活に多少の不自由はあるでしょうが、必要な物は手配いたしますのでご安心を」
「そなたには面倒を掛ける」
秀真公主と玉英公主は、出家という形で寺に入っても皇族として最低限の生活は保障されるが、貴妃の位を失った丹真玉は丹家の娘に戻るため、その生活は丹家が支えることになる。
だが王宮からの、いつ途絶えるともしれない 「最低限の生活保障」 は心許なく、おそらく丹家はいずれ還俗を考える玉英公主の生活も支えるだろう。
だが同じ寺にいる姉の秀真公主にその手が差し伸べられることはない。
碧霞や范皇后がそんな秀真公主の生活を支えるというのだが、もちろんこの二人が表立って動くことは出来ない。
もちろん黎家も。
おそらく黎家が手配して、宋家よりもっともっと遠い親戚が届けるという形になるだろう。
「だが安物でいいぞ。
高価な物など、持っていても見せびらかす相手もいないのだからな」
代わりに侍女の物も頼みたいという秀真に、碧霞は小さく息を吐く。
「あなたという方はどこまでも人の好い。
では、せめて茶くらいはいい物を手配させていただきます」
「いやいや、茶も安い物でよい」
「公主」
「こうやって飲むだけで心を落ち着けることが出来るのだ、差し入れてもらえるだけでもありがたい。
こうやって心を落ち着けて……そうだな、いずれくるそなたの御代の長楽萬年を祈念しよう。
丁度よい、これで寺に行く目的が出来たではないか」
そう話す秀真公主の表情は晴れ晴れとしていた。
だが一方の碧霞は表情を曇らせる。
「どうした?
そんな顔をするな」
「……申し訳ない、こんな形でしかあなたを解放して差し上げられなくて」
「なにを言う、これでわたしは楽になれるのだ。
そなたが謝ることではない。
だが……そうだな、一つだけ」
「なんでしょう?」
「もしわたしが男に生まれていたら、そなたはわたしを異母兄と呼んでくれただろうか?」
「それは……」
思ってもみなかった秀真の問いに碧霞は呆気にとられる。
「わたしが男に生まれていたら朱麗が死ぬことはなかったし、そなたは国を負うことなく自由でいられただろう」
「あなたが男に生まれていたら、母上があなたを手に掛けていたかもしれません」
「范皇后が……」
今度は秀真が、思ってもみなかった碧霞の答えに呆気にとられる。
だがすぐに、その指摘は十分にあり得ることだと納得したように大きく頷く。
「そうだな、確かに」
「しかも母上のことですから、きっと真玉殿よりうまくやってのけるでしょう」
「確かにそうだ」
「ですが……それらは全て繰り言です。
済んだことなのですよ、異母姉上」
そう言い切った碧霞だが、一呼吸ほどの間を置いて 「でも」 と言葉を継ぐ。
「あなたが男であろうと女であろうと、わたしにはよき兄弟です。
それは変わりません」
真っ直ぐに秀真を見て言う碧霞に、秀真はゆっくりと目を閉じる。
そしてゆっくりと答える。
「そうか」
ゆっくりと目を開いた秀真もまた、真っ直ぐに碧霞を見て言う。
「ありがとう、碧霞」
「どうかお元気で、異母姉上」
「そなたも。
もうお目に掛かることはないだろうが、御代の長楽萬年を祈念し申し上げる」




