第陸話 もう一人の灰かぶり媛 ー再会
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広い内廷の一画にある離れの一つを囲む庭院は塀が巡らされ、一つしかない洞門には扉が取り付けられている。
少し前に一度開かれた頑丈な門扉も今は再び固く閉じられ、両側には厳めしい顔をした衛士が槍を手に持って立ち塞がっている。
そして塀の周囲を、やはり槍を手にした衛士が二人一組で定期的に巡回するという厳戒態勢が取られるこの離れには、囚われの身の三人が暮らしている。
今回の騒動の主犯ともいえる誠豊元皇太子の実母で、元貴妃の丹真玉。
そして誠豊の同母兄弟である姉の秀真公主と妹の玉英公主の三人である。
公には三人も、皇太子妃や誠豊のお手つきとなった侍女たちと同じく後宮で隔離されていることになっているが、実際の身柄は内廷に移されていた。
後宮の三大権力者の一人であった丹真玉が貴妃の地位を失い、さらには尹宮官長も辞任という名の更迭。
これにより勢力図が大きく変わることになった。
特に長を失った西側の建物群に部屋を置く側室たちのあいだでトラブルが続出。
この騒動から三人を引き離すために取られた処置である。
もちろん内々に。
だから公には、今も三人は後宮にいることになっている。
そんな三人の一人、秀真公主の許を訪れる者があった。
もちろん本来なら許されないことである。
しかも出入り口は一つしかないから、裏口からひっそりと……ということも出来ず。
それでも可能な限り人目を忍び、護衛を兼ねたお付きを二人だけ連れて秀真公主を訪ねた者があった。
罪人として扱われているとはいえ、本来ならば事前にお伺いが必要なところ。
だがそんなことをすればどこからか話が外部に漏れてしまう恐れがあり、あえて非礼を承知で突然の訪問を敢行した碧霞は、取り次ぎのあいだ、待たされた部屋から見える庭院を眺めて小さく息を吐く。
「すでに牢獄だな」
「太子、お慎みを」
部屋の隅に控える大男の恵彫ではなく、そばに控える双月が囁く。
今日も弟の彩月とともに出仕した双子の兄弟は、どちらが蒼月とも橙月とも名乗らず。
ただ双月とだけ呼ばれる。
今この時も宮中にいる片割れは、弟の彩月とともに、ひっそりと抜け出した碧霞の不在を誤魔化すべく執務室に詰めていた。
「大丈夫だ。
そなたも知っているだろう?
わたしと公主はそういった間柄ではない。
かしこまったところで今更だ」
「むしろこれまでとは事情が違うのです。
ご配慮を」
厳しい態度を崩さない双月に碧霞が 「やれやれ」 と肩をすくめたところで、侍女が先触れに現われる。
「公主のお支度が調いましてございます」
侍女の声を聞くと双月は口を閉じて下がり、恵彫と並んで立つ。
そこにすぐ、二人の女性が現われる。
一人は先触れの侍女と同じ衣装を着ているから言わずもがな。
そうなるともう一人の女性が秀真公主となるが、ひどく質素な衣装に髪型も控えめで、ともすれば女官と間違われかねない。
いや、ひょっとしたら女官のほうがいい衣装を着ているかもしれない。
そのくらい質素な風貌の女性は部屋に入るなり明るく声を上げる。
「待たせたな、碧霞」
そう言うと、部屋の片隅で立礼をしている碧霞の護衛二人を一瞥……いや、おそらく双月を見たのだろう。
だがなにも言わず部屋を進み、卓を挟んで向かいの椅子に掛ける。
秀真公主は弟の誠豊より一歳年上で、年が明ければ24歳になる。
碧霞の同母の兄である朱麗前皇太子が存命であれば同い年だが、彼女のほうが先に生まれているため、現皇帝の長子に当たる。
よく見ると顔立ちなどは聡明に整っており、立ち居振る舞いは女性より男性らしく堂々としている。
ひょっとするとあえて男性らしく振る舞っているのかもしれない。
もちろん理由は彼女の実母である丹真玉だろう。
もし秀真が公主ではなく太子であれば、立后したのは范紅緋ではなく丹真玉だったかもしれない。
そんな 「たられば」 に恨み辛みを募らせ、皇帝の第一子としての栄誉も公主としてのきらぎらしい生活をも奪うのは丹真玉の心得違いも甚だしい。
だが誰もそれを正すことが出来ず、冷遇された秀真公主は、ともすれば女官よりも質素な生活を送ってきた。
そして今回の誠豊の騒動である。
以前よりもさらに質素になった身支度は侍女と変わらない。
公主自身が身を慎むためにそうしているのならともかく、おそらくそうではないのだろう。
「かまいませんよ、公主。
突然訪ねたのはわたしのほうですから」
それこそ女性の身支度には時間がかかるもの。
半時から一時くらい待たされるのが常であり、それを待つのが男の務めだと碧霞は笑う。
「突然って……そなたが来ることはわかっていたよ。
変なところで律儀な性格だからな」
「そうでしょうか?」
「誠豊ほど自由になれとは言わないが、もう少し肩の力を抜いてもいい」
言い慣れた言葉のように彼女は誠豊を猿と呼ぶ。
ひょっとしたらひょっとするが、碧霞が誠豊を 「猿」 と呼ぶのは秀真公主にならっているのかもしれない。
「そう言えば、誠豊殿とは?」
「最後に会ったのがいつだったか思い出せないな。
もう会うこともないだろうが、会ったところで仕方あるまい。
恨み言も、言ったところで馬耳東風……いや、猿耳東風か。
ならば全てが無駄というものだ」
実にサバサバとした物言いである。
もちろん本心から言っているとは限らないが、そう思わなければやっていられないのかもしれない。
「丹貴……いえ、真玉殿や玉英殿は?」
「どちらもひどい悪足掻きをしているらしい」
そういう公主は、母親の丹真玉とは会っていないが、妹の玉英とは、今回の処分の申し渡しの時に一緒だったという。
誠豊が起こした騒動のことはあの夜のうちに後宮中に広まっていたし、翌日には秀真公主の部屋にも宦官が来て、自室で謹慎しているようにという宮廷からの通達を持ってきた。
そして先日、やはり宦官に呼ばれて後宮の一室に足を運ぶと、遅れてやってきた玉英とともに今回の処分を聞かされることになったのである。
処分を申し伝える官吏の前に、ただ一緒に並んで聞いていただけ……ならよかったのだが、玉英は自分の処分も秀真が受けるなどという謎理論を展開して官吏を困らせたという。
ただの伝言係に過ぎない官吏に処分の変更など出来るはずもないのに、母親に会わせろとか、皇帝に会わせろなどといったさらなる難題を吹っ掛け、丹家当主に取り次げと困らせに困らせまくった挙げ句、最後は成立したばかりだった婚約者を呼べときた。
とにかく使える伝手は全て使ってでも処分から逃れようとしたのである。
もちろんどれも伝言係にはどうしようもないことばかりで、とりあえずお話は一時お預かりして戻ってから上司に相談します……ともいかない無理難題。
なんとか自分だけは処分を免れようと足掻く玉英公主に困り果てた官吏は、よりによって同席する秀真公主に助けを求めようとしたというから呆れたもの。
これを秀真公主は気づかない振りをして華麗にスルーしたという。
「いったいわたしになにが出来るというのだ?
馬鹿も休み休み言えって話じゃないか」
「確かに。
そもそも玉英殿の婚約はすでに破談になったはずでは?」
碧霞の指摘に秀真は 「それな」 と言い、ははは……と声を上げて陽気に笑う。
そもそもその縁談は元々秀真公主に持ち込まれたものだったのだが、相手にとっては秀真でも玉英でも、結局公主であればよかったのだろう。
ならば誠豊のとばっちりを受けて形ばかりの 「公主」 となった玉英に用はない。
縁談の相手は、誠豊が起こした騒動を知ってすぐ、仲介人を通して破談を申し入れてきたという。
本来なら皇族を相手に、臣下である貴族側から破談を申し入れるなど出来ないが、下手をすれば仲介人にも累が及びかねない。
縁談の相手側は騒動を知ってすぐ仲介人とともに東奔西走し、多少は皇帝の不興を買う覚悟で、なんとかお咎めなく破談に持ち込んだらしい。
「玉英も、早々に切り捨てられた相手に追いすがろうなんて馬鹿なことを考えるものだ。
だが……まぁ乗り気だったらしいから、落ち込んではいた。
玉英自身がやらかしたわけではないことを考えると可哀相だと思う」
「あなたもお優しい」
それこそ元はあなたの縁談だったのに……と漏らす碧霞に、秀真は苦笑いを浮かべる。
「そうでもない。
母と妹がいる限り……少なくとも妹がいる限り、わたしに縁談が回ってくることはない。
だったら先に片付いてもらったほうがいいと思って譲っただけのこと。
快くな」
それこそ 「快く」 というのは皮肉だろう。
秀真の年齢を考えれば、そもそももう縁談など来なくてもおかしくはない。
それでも来た縁談となれば裏があって然り。
さしずめ 「公主の降嫁」 だけが狙いだったに違いない。
そう考えれば価値がなくなったとたん破談になるのも当然のことである。
ここまでを話して、秀真がふと思い出したように言い出す。
「そういえば、茶も出せなくて申し訳ないな」
後宮を出てこの離れに移ってから、質素ながら食事は三食出るが、菓子や茶といったものは用意されないという。
「突然押し掛けてきたのはわたしのほうですから」
「そなたが来るのはわかっていた。
さっきもそう言っただろう?
だったら用意しておくべきだったが、申し訳ない」
ここに秀真の自由はない。
おそらく王宮を出ても自由はないだろう。
だが秀真がもてなしのことを思い出したように、碧霞も思い出すことがあった。
「ですから謝らなくて結構ですよ。
わたしもうっかり忘れておりましたが……」
言い掛けた碧霞は、部屋の隅に控えている恵彫を振り返る。
目が合った彼に大きく頷いてみせると、恵彫は懐から包みを取り出して恭しく碧霞に差し出す。
だが碧霞は受け取らず、秀真を見て言う。
「多分そうだろうと思って持参してきたのです。
茶器ぐらいはあるでしょう?」
問われた秀真は控えていた侍女と視線を交わすと、碧霞を向き直って答える。
「ありがたい。
早速淹れさせていただこう」
恵彫から包みを受け取った侍女は一度退出すると、ほどなく茶の支度を整えて戻ってくる。
そこに茶菓子まで付いているのを見て、秀真は悪戯っぽい笑みを浮かべて碧霞に尋ねる。
「そういえば、地獄への道連れを見つけたんだって?」
なぜ彼女がそんなことを言い出したのかと言えば……。




