第拾参話 もう一人の灰かぶり媛 ー杖豊衣
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琳瑶が後宮から出した手紙が、どこをどう渡って薔薇の手に届いたのか。
豊衣に委ねた琳瑶はもちろん、翠琅に取り上げられてしまった豊衣もその後を知らない。
だが結果として目的の薔薇に届いていた。
それはいいことである。
とてもいいことである。
薔薇もとても喜んでいた。
届いた時は驚いていたが……。
「珍しく双月がわたしの許を訪ねてきたかと思ったら、なぜか吾子の手紙を持っていて。
それはそれは驚きました。
昌子殿が吾子を、よりによって蘭花殿の侍女にして後宮に遣ったと聞いた時は、後宮に乗り込もうかと思ったほどでしたから」
しかもその後、琳瑶からは手紙の一通も届かず。
薔薇が泰家の屋敷で暮らしていた頃から、蘭花が異母妹の琳瑶を苛めていたことは薔薇も知っていたからそれはそれは気がかりだった。
だがなぜか長兄の黎東雲から手紙などを出してはいけないと言われ、こっそり使用人に遣いを申し付けようとしてもことごとく断られた。
東雲の指示が行き届いているからである。
だからといって直接後宮に押し掛けても入れるはずもなく、打つ手なしの状態で悶々としていたところ、甥の双月が、琳瑶から助けを求める手紙を届けてきたのである。
もちろん薔薇もすぐに返事を書こうとしたのだが、それは双月に止められてしまった。
代わりに例の作戦を聞かされたという。
そもそも薔薇が琳瑶に手紙を出すことは長兄の東雲に止められている。
だから作戦に乗らざるを得なかった。
しかもこの作戦は東雲も公認というか、一枚噛んでいるというから勝算は高い。
勝率100%
東雲はもちろん、次兄の翔雲やその息子たちも参加しているというから間違いないだろう。
だがその作戦の中で薔薇が果たす役目は、まずはひたすらその日が来るのを待つことだった。
「それはそれは吾子が心配で、どれだけあの日が来ることを待ちわびたことか」
薔薇はその日々を思い出して嘆いたが、侍女たちの話によると、すでに琳瑶のための衣装や身の回りの品は十分ほど取り揃えていたから、「少し早いけれど」 なんて言いながら冬物の衣装はもちろん、正月の衣装の準備まで、それはうっきうっきな様子で始めたという。
そして今の今まで、薔薇は琳瑶が後宮から送った手紙をお守り代わりに懐に入れて大事にしていたという。
さぞかし薔薇の香りが染みついているに違いない……と思うと、琳瑶は喉から手が出そうになる。
垂涎
「琳瑶様、失礼いたします」
実際に涎が垂れていたらしい。
控えていた侍女が、微笑ましげな笑みを浮かべながらも、懐から出した手ぬぐいで琳瑶の口元を拭う。
薔薇と豊衣に恥ずかしいところを見られて立場のない琳瑶だが、二人も微笑ましげに見ているだけ。
だがこれはこれでやっぱり恥ずかしかった。
「……あの、お母様」
「琳瑶や、これは母の宝物なのであげられません」
機先を制された琳瑶は悔しさで唇を噛むが、そんな表情すら可愛いと言って薔薇は侍女たちと一緒に微笑む。
そしてその笑みを豊衣に向ける。
「というわけで、そなたが気にすることはありません。
終わりよければ全て良しと申しますからね」
預かった責任を果たせず手紙を見失った豊衣は、手紙が見つかってもやはり申し訳ないのだろう。
安堵の様子を見せない豊衣に琳瑶は尋ねる。
「そういえば豊衣様は翠琅様の正体をご存じなのですか?」
「翠琅様、ですか?」
なぜか豊衣は少し意外そうな顔をする。
そして困惑した表情を浮かべ、ぽつり、ぽつり話しだす。
「その、実はわたしも詳しいことは存じ上げません。
ですが宮官長や高官たちの様子を見ていて、その、わたしが勝手に推測したのですが、やんごとなき御方の御子ではないかと……」
口に出すのも憚られる 「やんごとなき御方」 の子どもだが、公には出来ない。
そのため宦官として後宮勤めをしている……と聞けば子どもの琳瑶でもなんとなく想像がつく。
あとで薔薇に聞いたところ、皇帝が侍女や女官などに手を付けて産ませた子を公にせず、宦官として後宮勤めをさせるというのはよくある話だという。
今上にそういう子があるという話は聞かないが……とも話していたが、聞かないだけでいないとは限らないとも言っていた。
おそらく翠琅は今上の……と考えて納得する。
つまり翠琅は皇族で、背後に皇后がいたのも納得が出来たのである。
だが薔薇自身は翠琅については一切言及せず。
それこそ翠琅を知っているとも知らないとも口にしなかったのである。
ただ琳瑶に訊かれたことにのみ答えた。
「ところで豊衣殿、今頃は茶家も大変なのでは?
こんなところにいてもよろしいのですか」
琳瑶の気を手紙から逸らせるためなのか?
手紙を懐に戻しながら尋ねる薔薇に、豊衣はなにかを思い出したように表情を翳らせる。
気がついた琳瑶もなにかあったのかと心配になる。
「よい……いえ、よくはないのでしょうが、わたしはもう……」
少しうつむき加減の豊衣は、ポツリ、ポツリと呟くように答える。
薔薇の指摘どおり、まだまだ茶家も大変な状況のはず。
だが慶事ならともかく、よろしくない内情については外部に漏らしたくないもの。
デリケートな話題を堂々と切り出す薔薇も薔薇だが、豊衣も触れられて困っているのかと思ったらどうやら違うらしい。
「伝え聞いたところでは、艶麗殿が昌子殿と離縁して戻られたとか」
「はい」
豊衣が後宮を辞して茶家の本屋敷に戻った時にはすでに艶麗が戻っていた。
これは豊衣が、いち早く泰嬪こと蘭花のやらかしを茶家に報告していたからである。
蘭花が身代わりを立てて後宮から逃げだそうとしていること。
それをもって豊衣も後宮を出て屋敷に戻ることを報告しているが、琳瑶が身代わりにされたことは書かなかった。
蘭花を筆頭に、泰家からついてきた侍女たちのあいだでは、なにかあれば琳瑶を利用するということが既定路線だったらしく、相談などが行なわれている様子はなかった。
だから豊衣も彼女たちの口から琳瑶の名は聞かなかったが、なんとなくそうするだろうと思い、後宮を辞去する前に翠琅に伝えたのである。
ひょっとしたら琳瑶は冷宮にいるかもしれない、と。
そうして辞去して戻った茶家の本屋敷にはすでに艶麗が出戻っていたという。
「艶麗殿お一人で?」
「はい。
わたくしが直接伺ったわけではありませんが、最初は艶麗様も蘭花様を連れて戻ろうとなさったようですが、どうやら旦那様が許さなかったようです」
その当時はまだ後宮にいた豊衣が知らないのは当然だが、戻ってから蘭花がいないことを不思議に思って使用人仲間に聞いてみたという。
現在の茶家の当主は茶江流だが、屋敷内では大旦那様と呼ばれている。
つまり反対した 「旦那様」 は息子の文刀。
艶麗の弟に当たる人物だが、どうやら茶家内ではすでに息子の文刀が権力を握りつつあるらしい。
艶麗が蘭花を連れて茶家に戻れば、事態が明るみになった時に蘭花の身柄を押さえるため兵が茶家に押し寄せるだろう。
そうなれば艶麗も、蘭花を匿った罪に問われるだろう。
艶麗が罪に問われれば茶家も巻き込まれるのは必至である。
それは絶対に避けなければならないと文刀は主張し、父の江流を説き伏せたという。
薔薇が、一見関係のないような話から茶家の内情を探っていることに気づいているのか、いないのか。
あるいは探られてもいいと思っているのか。
豊衣は訥々と話す。
「これも漏れ聞いたところではございますが、すでに蘭花様は身柄を押さえられ、泰大人も屋敷にて謹慎しておられるとのことです」
「お父様……」
二度と泰家の屋敷には戻らないと決めた琳瑶だったが、やはり父親の身は案じられるもの。
不安な声を漏らすと、隣にすわる薔薇が言う。
「心配は要りません。
兄上たちが上手くやってくれるでしょう」
おそらく泰昌子は家長の座を失うだろう。
代わって弟の泰昌美が家長となる。
もともと昌子には後継の男子がいないため、昌美の息子泰晶春が家を継ぐことになっていたから、それが少し早まっただけのことである。
ただ二人いる娘のどちらかと晶春を結婚させることで婿養子という形にし、自身の立場を維持しようとした計画は頓挫するが命には代えられない。
むしろその程度で済ませてもらえるのだから、家長の座を失うくらい安いものである。
おそらく黎家にとって、今は丹家や蘇家、その両家に関わる政敵を追い落とし排除する絶好の機会である。
泰家のような小物を見逃すくらい全く惜しくないのだろう。
「琳瑶様は、父君にあまりよい扱いを受けていなかったと聞いております。
それでもやはり父君の身を案じられるのですね。
お優しい方だ」
少しだけ顔を上げた豊衣は淋しげな笑みを琳瑶に向ける。
「豊衣様?」
「わたしは……」
「そういえばそなた、吾子に別れの挨拶をしに来たと」
「はい」
再び視線を落とす豊衣に、薔薇は一呼吸ほど間を置いて続ける。
「どういうことですか?」
「茶家を出て行こうと思いまして」
「一人で?」
「はい」
「行く宛てはあるのですか?」
「いえ……ですが、わたし一人ならどうとでもなるかと思いまして」
うつむいたまま顔を上げない豊衣に、薔薇はまた、今度はゆっくりふた呼吸ほどの間を置いて話し掛ける。
「ご両親はなんと?」
「父にはなにも。
母は……亡くなりました」
豊衣はとうに成人している。
だから独り立ちしてもおかしくはないのだが、わざわざ琳瑶に別れの挨拶をする必要はない。
それでも挨拶に来たのはどこか遠くに行くからだろう。
だが豊衣は茶家の一員である。
家が大事のこの時に、あえてその家を出る理由が気になったらしい。
豊衣の母親が亡くなったと聞いて薔薇は眉をひそめる。
「それは辛いことでしたね、お悔やみを申し上げる」
「ありがとうございます。
実は、もうあまり長くはないとわかっていましたから……」
だから江流から宦官の振りをして後宮に潜り込むよう言われた時、豊衣は迷った。
けれど逆らうという選択肢はなかった。
皮肉な話だが、豊衣は母親のそばにいてやりたいと思って茶家を出られずにいたのだが、そのために母親のそばを離れなければならなくなったのである。
蘭花が後宮を出て役目が終わると、早々に茶家の屋敷に戻ったのはもちろん母親が気がかりだったからである。
母親も豊衣が戻るのを待っていたのかもしれない。
なんとか生きている内に再会を果たすことは出来たけれど、豊衣が茶家に戻った数日後にひっそりと息を引き取ったという。
豊衣と、最後まで面倒をみてくれたたった一人の侍女に看取られて……。
「ひょっとしたら父も祖父も、今も母が亡くなったことに気づいていないかもしれません。
わたしが屋敷を出たことにも。
祖父はともかく、父にとっては、わたしも母もその程度の存在に過ぎなかったのです。
もっともわたしも、この大事の時に屋敷を出てしまえるほど薄情なのですが……」
それでも豊衣にとって、母親のいない茶家に未練はないのだろう。
ひっそりと執り行われた母親の葬儀が終わると、わずかな荷物だけを持って屋敷をあとにしたという。
「お母様……」
翠琅から豊衣の身の上は聞いて知っていた琳瑶だが、まさか母親が亡くなっているとは思わず。
あまりにも悲しい結末に涙が溢れてくる。
「吾子や」
「お母様、どうにか出来ませんか?」
鼻をすすりながら豊衣のことを頼んでみるが、薔薇は少し困ったような顔をして豊衣を見る。
そして思案げに、独り言のように呟く。
「……仕事の世話をするにも、宦官では……」
豊衣が家を捨てても宦官である事実は変わらない。
それこそまた後宮で働けるように手配してやるのがせいぜいだろう……という薔薇に、琳瑶はハッとする。
「お母様、豊衣様は女の人です」




