《第二十五節》本物と偽物
執務室を後にした後、僕とルイ、それからサンは、とある場所へ繋がる長い廊下をひたすら真っ直ぐ進んでいた。
「はあ…」
思わず、ため息が漏れた。
バレずに行動するには、どうしたらいいのだろうか。
隠密に動く、と心の中で意気込んではみたものの、僕が王宮内で一人になる時間は限られている。
ルリ・サピロスの首領とはいえ、それ以前に一国の王子である以上、ここで好き勝手に動くことはできない。
王都へ視察に向かう、など適当な理由をつけて外出することは可能だが、それだと複数の騎士団員も同行しなければならなくなるため、そのまま森へ向かうことはできない。
今回はなんとしてでも〝一人〟で行かなければならないのだ。
(困ったな…)
「大きなため息っすねぇ。どうしたんすか?」
考えながら歩いていると、ルイが顔を覗き込んできた。
「ああいや、僕は何をすればいいんだろうって思って」
「うーん…そうっすねぇ…」
とりあえず、被害が出る前に複製体をどうにかするべきだろうか。
サンとフィン以外にも偽物が紛れ込んでいる可能性もあるし、他の目撃情報も確かめなければならない。
それに、瘴気の存在が秘匿されている以上、スターリー祭の準備も止めるわけにはいかない。
今日はまた、忙しい一日になりそうだな…。
「そういえば、今日はリヴ殿下の姿が見えませんね」
サンが唐突に口を開いた。
彼の発言に、ルイもすぐに反応する。
「確かに! 飾り付けの担当場所にもいなかったよね」
「え、そうなの?」
リヴの担当は、確か大階段だ。
僕が作業をしていた正門へ向かう時も、一度だけ下りた記憶がある。
その時は偶然その場にいないだけだと思っていたが……
「はい。いたら分かると思うので、間違いないと思いますよ」
「そっか…」
俯いて考えていると、ルイがキョトンと首を傾げた。
「もしかして、殿下も見てないんすか?」
「…うん」
僕は朝がとても弱い。
体の上に飛び乗られても、耳元で叫ばれても、暗殺者が転がり込んできても起きられない。
これは誇張ではなく、本当に数年前、マーフィー家の使者が窓から侵入してきた時、心臓を突かれる寸前まで気がつかなかったことがある。
けれど、王族である僕に、だらだらと寝ている暇はない。
そのため、毎日リヴや従者のラグに必死に叩き起こしてもらっている。
不思議と彼らに起こされると起きられるもので、おかげで今まで公務に遅れたことは一度もない。
だが今日は珍しく、目を覚ますと起床時間である午前五時を大幅に遅れてしまっていた。
ラグがとてつもない剣幕で隣に立っていたのは、多分一生忘れられない。
リヴの姿がなかったため、どこにいるのかと聞いてみたが、今はそれどころではないと逆に怒られてしまった。
結局その後、朝食の時間になってもリヴは現れなかったため、今日は姿どころか影すら見ていないというわけだ。
そのことを二人に伝えると、彼らは少し前のめりになった。
「ええ⁈ そうなんすか⁈」
「おい、なぜそれを早く言わない…んですか!」
「サンくん、混じってる混じってる」
準備には参加していると思っていたのだが、それも違うとなると、リヴは一体どこで何をしているのだろう。
リヴは年に数回、こうして朝から姿を見せないことがある。
定期的にというわけではなく、あくまで気まぐれに、どこかへ消えてしまう。
大抵夜には会えるのだが、事情を聞いても上手くはぐらかされてしまうため、数年経った今も、なぜいなくなるのかは分からないままだ。
今回もおそらく同じ事情なのだろうが、始まりの森の脅威が迫る今、リヴの姿が見えないのは不安だ。
多少強引にでも探すべきなのだろうか。
「サン、ルイ。お願いが───」
二人に捜索を頼もうとしたその時。
突然背後から、聞き慣れた無邪気な声が迫ってきた。
「にーいーさーん!」
「うわあっ⁈」
後ろから飛びついてきたのは、リヴ──ではなかった。
彼の姿を見た瞬間、それが〝複製体だ〟と認識させられた。
僕自身が、瘴気で複製された人間だからなのだろうか。
頭ではリヴだと思っていても、僕の中の何かが、それが同類であることを訴えていた。
リヴ本人ではなかったが、噂をすれば…とは、こういうことを言うのだろう。
それにしても、とんでもない技術だ。
どう見てもリヴにしか見えない。声や行動、本人の癖すら忠実に再現されていた。
だが、複製されているということは……
「リヴ殿下⁈ 今、ちょうど殿下の話をしてたんすよ!」
ルイが少し興奮気味に言った。
「え、そうなの? なになに何の話?」
「………」
彼の問いに、僕は首を横に振った。
心の奥底にある何かが、彼の質問に答えることを拒んでいた。
「お前の話はしていないよ」
サンの眉がぴくりと動いたような気がした。
ルイが僕に耳打ちをした。
「で、殿下…あの、瘴気のこと、リヴ殿下にも相談しなくていいんすか?」
確かに、今回のような非常時は、第二王子であるリヴにも意見を仰ぐべきだ。
その方が解決に近づく可能性が高くなるし、僕にはない知識を持つリヴは、どんな時でも必ず力になるだろう。
……それが本当に、僕の実弟リヴ・ジョーカーなら。
でも、彼は違う。
心まで完璧に模倣されているとはいえ、所詮は偽物だ。
本物のリヴには、遠く及ばない。
「必要ない。サンは…分かった?」
唐突な質問に、サンはすぐに答えてくれた。
「ええ。全くもって必要ありません」
やはりサンも、彼が偽物だと気がついていたようだ。
さすがに直接見破れはしなかっただろうが、僕の反応から推測することはできたらしい。
……複製体の存在は伝えていないはずなんだけど。
「え? それってどういう…」
サンの発言に、ルイは頭を悩ませた。
ルイが分からないのは当然だ。
これほど巧妙な作品。一目で見破れるのは、瘴気耐性者である僕しかいないはずだ。
その僕ですら、頭ではリヴだと思い込んでしまっているのだから。
サンのように僕の反応から推測しない限り、偽物だと分かる者はまずいないだろう。
ルイの反応は正しい。
「兄さん、どうかした? なんか反応冷たくない?」
「………」
「…ごめん、失礼なこと聞いたね」
本当に、痛いところを突いてくる。
このまま上手くいけば、瘴気の餌になってしまうかもしれない。
けれど、僕にはもう真っ当な心なんてない。
あるのはただ、何度も模倣された心臓という名の収納庫と、そこから溢れ出す罪と償いの意思だけ。
だからきっと、負の感情を引き出されるような羽目にはならない。
だって現に僕は今、目の前の偽物にどうしようもないほど強い感情を抱いている。
そこにいるのがリヴなら、こんな感情になることは絶対にない。
善と悪の区別くらい、サンでなくともできるのだ。
「ねえ、この仕事を頼んでもいい?」
僕は少し考えた後、手に持っていた紙をリヴの複製体に手渡した。
「え…いいけど、どうして今?」
「陛下から頼まれたんだ。見つけ次第、お前に渡してくれって」
「ふうん…って、うげぇ…最悪だ」
内容は見ていないが、陛下からも難しい仕事だと聞いている。
この反応を見るに、やはり相当気合いのいる仕事なのだろう。
やはり、事前にいくつか仕事を貰っておいて正解だった。
───おかげで、注意をそらすことができる。
頭を抱えながら文句を言う彼の横顔を眺めているうちに、僕はあることを思いついた。
思いついたというよりも、元から考えていた作戦を思い出した、と言った方が正しいだろうか。
早速、僕は隠し持っていたナイフで、自身の指を僅かに切りつけた。
傷口からは、すぐに新鮮な血が流れ出る。
「え、え…殿下? 何してるんすか…?」
ルイは僕の行動に、分かりやすく目を細めた。
こういう時、彼の反応は想像通りで面白い。
僕の周りは察しのいい人が多いせいで、ルイのような反応をしてくれる人はほとんどいない。
そのため、ルイの存在は僕にとってものすごく貴重だ。
僕がすることに一喜一憂する姿は、見ているだけで面白い。
「ふふ、ルイのそういうところ好きだよ」
「え、何言ってるんすか」
「まあまあ、少し実験をするだけだから。ね、サン?」
「………」
サンは何も言わないが、呆れているオーラだけは伝わってくる。
おそらく、僕がこれからしようとしていることは、もうすでに分かっているのだろう。
本当に、本当に面白くない。
「あっ…」
そんなことを思っていたせいで、気がつけば再び刃先を指に食い込ませていた。
先ほどよりも多い血が、人差し指を赤く染めている。
「…殿下?」
「少しやりすぎたけど…まあいいか」
「まあいいか、じゃないっすよ! 実験って…もっと他にやり方があるんじゃないすか⁈」
「あはは、ごめんごめん」
ルイの顔が鬼の面に見えるのは気のせいだろうか。
そういえば、ポリュイの大火災の後、町から旅館に戻った時も、フィンが似たような顔をしていた。
あの時の矛先はサンだったけれど、まさか自分に向けられることになるとは。
「そもそも、殿下は───」
「ごめんルイ、少し黙ってて」
僕は何かを言いかけたルイの口を、持っていた布で塞いだ。
「もがっ⁈ もごご! もごごごご!」
必死に抵抗しようとする彼に、僕は真剣な顔で頭を下げる。
「乱暴にしてごめんね。後でいくらでも聞くから。今は黙ってて、お願い」
「もご…」
ルイには申し訳ないけれど、今は説教を聞く時間はない。
僕のせいだから自業自得なのだが、この複製体をどうにかしないと、それこそ二度と説教を聞くことができなくなってしまう。
僕はサンを呼び寄せると、彼に耳打ちをした。
「サン、ルイの口を塞いでおいてくれる?」
「かしこまりました」
僕は深く息を吐くと、手早くナイフをしまった。
血まみれになってしまった人差し指を、持っていた紙の端に擦り付ける。
それから僕は、偽物のリヴに聞こえるくらいの声で「痛っ!」と声を上げた。
すると、彼はすぐに僕の方を見た──が、次の瞬間にはまた難しい顔で考え込んでしまった。
(…何も言わないなんて、珍しいね)
別に心配してほしかったわけではないけれど、なんだか肩透かしを食らった気分で、僕はすごすごと彼の斜め後ろへ回り込んだ。
軽く服の裾をつまんで引っ張ると、今度はちゃんと振り向いてくれた。
母上によく似た優しい笑顔に、僕の心に少しだけ影が差す。
(大丈夫、これはリヴじゃない。大丈夫、僕は…大丈夫)
頭の中で必死に自分を奮い立たせると、僕は裾を掴んでいない方の手を握りしめた。
彼はそんな僕の様子に気づいたのか、心配そうに顔を覗き込む。
「どうしたの、兄さ───」
〝兄さん〟
その三文字を言われるよりも早く、僕の片手は彼の首を強く掴んだ。
「……っ⁈」
抵抗できず息を詰まらせる彼の体を、僕はそのまま地面へ叩きつける。
裾を掴んでいたもう片方の手は、もう既にナイフのハンドルを握っていた。
何も考えられぬまま、徐に刃先を彼の方へ向ける。
そして───。
「…にい、さ……なん…で…」
じわじわと液体が流れ出し、地面に赤い水たまりをつくる。
僕が手にしたナイフは、微かに上下する彼の胸元を真っ直ぐに突き刺していた。
彼は苦しそうに顔を歪め、息も絶え絶えに僕を見上げる。
震える指が、縋るように僕へと伸びていた。
「……ごめんね」
僕はそっと彼の手を取ると、勢いよく瘴気を放出した。
瘴気は彼の体を覆い尽くし、そこに真っ黒な靄を作る。
彼の体が完全に消えたことを確認すると、僕はそのまま瘴気を体内に取り込んだ。
「もがっ! もごごご!」
彼の姿が跡形もなく消え去ると、ルイが口を塞がれたまま何かを訴えた。
予想通り、困惑の表情を浮かべている。
僕に対して聞きたいことが山ほどあるのだろう。
僕は瘴気を完全に吸収し終えると、すぐにサンに合図を送った。
「…サン。もういいよ、離してあげて」
サンが口に巻いていた布を外すと、ルイは一目散に僕に飛びついてきた。
「殿下っ! 説明してください! 一体、何がどうなってるんすか⁈」
頭に響くような大声に加え、体を激しく揺さぶられたせいで、危うく吐きそうになる。
「ルイ…いったん、一旦離して…」
必死に声を上げると、ルイはすぐに気がついて手を止めてくれた。
「あっ、申し訳ございません! 大丈夫っすか⁈」
「うん…」
大丈夫ではあるけれど、揺さぶられる感覚が残っていて気持ち悪い。……とはさすがに言えなかった。
ルイからすれば、目の前でリヴが消されたのだから、こうなるのは仕方がない。
説明する時間がなかったとはいえ、何も知らないルイに対しては、僕ももう少し配慮するべきだった。
けれど、完全に取り乱していない様子を見るに、ルイも薄々勘付いているように思う。
まあ、僕がリヴを殺すわけがないし、消されたと信じる方が難しいのかもしれない。
「殿下…」
ルイが気まずそうに僕を見た。
先程は勢い余って突撃してきたが、改めて冷静になると、事情を聞いていいのか分からなくなってしまったらしい。
気にしなくても、きちんと説明するつもりだというのに。
「大丈夫、説明するよ」
「……! ありがとうございます!」
ルイは分かりやすく喜ぶと、餌を待つ犬のように姿勢よく床に座った。
どうやらこのまま聞く気らしい。
「えっと…期待してもらっているところ申し訳ないけど、まずはどこかの部屋に移動しようか」
「あっ、そうっすよね! 移動しましょう!」
僕たちは立ち上がると、再び部屋へ向かって歩き始めた。




