《第十九節》許される罪(2)
沈黙が残る王の執務室。
机の上の資料には手をつけず、天井を見上げてため息をつくのは、この部屋の主であるガルシア王国国王〝ビースト・ガルシア〟。
ガルシアは国王の称号であり、本名はビースト・ジョーカーだ。
彼はゼロとリヴが部屋を去ってから、仕事の手を止めて考え事をしていた。
それは、ゼロのこと。
謹慎を解くと伝えた後の彼の表情が、ビーストの脳裏にこびりついていたのだ。
(ゼロは頑固だからな…)
直接聞いたとしても、教えてくれないことは明白だ。
だが、ゼロが罰を望んでいたことくらいは、ビーストも分かっていた。
それでもゼロを許したのは、ビーストなりの〝ゼロへの罰〟だ。
ゼロは〝死ぬこと〟が一番の償いだと思っている。
自分はこの世界に存在してはいけない、邪魔な存在だと考えているからだ。
けれど、彼はどうしても死ぬことができない。
だからこそゼロには、死ぬこと以外の〝償い方〟を知ってほしいと、ビーストは考えている。
もっとも、ビースト自身は、もうとっくにゼロのことを許しているのだが。
「考え方を変えるのは難しいか…」
そう呟きながら、ビーストは八年前のあの日を思い出していた。
あの日、血だらけになって泣いていた、ゼロのことを。
──────八年前。
慌てて帰ってきた騎士団からの報告を聞いて、ビーストは執務室を飛び出した。
報告の内容は、彼の弟〝レオ・ジョーカー〟と、その妻〝ソフィア・ジョーカー〟が、ゼロの瘴気によって亡くなってしまったというものだった。
突然の訃報に、ビーストも宰相も状況を掴みきれないまま、王宮から比較的離れた場所にある塔へと急いだ。
この頃のゼロは瘴気を入れられた直後だったため、危険性を考慮して、誰もいない塔に一人で暮らしていたのだ。
レオやソフィアは、息子の様子を見るためにその塔へ向かったのだろう。
そこで、瘴気が暴走してしまったのだ。
塔へと歩みを進めるビーストを、騎士団の者が後ろから呼び止めた。
「陛下、今行くのは危険すぎます! おやめください!」
「そう心配せずとも問題はない。それよりもゼロが心配だ。あの子は今どうしている?」
「その場にいた者はすぐに避難しましたので、存じ上げませんが…」
「そうか、分かった」
「陛下⁈」
ビーストと宰相は塔に辿り着くと、扉を開け、階段を駆け上がった。
あたりは血の匂いが染みつき、重苦しい空気が充満している。
三階に行くと、ゼロの部屋の扉は開いており、二人はそっと中へ足を踏み入れた。
部屋に入った瞬間、ビーストの目に飛び込んできたのは、血に染まった壁と床、体の半分が消えた男女、そして血だらけになってうずくまるゼロの姿だった。
ゼロは全身を血に染めたまま、震える声で何かを話している。
「ごめ…なさ…っ、私が…しっかり…っ」
ビーストは駆け寄りたい衝動に駆られながらも、一歩も踏み出すことができなかった。
真っ黒な瘴気がゼロの周囲に渦巻き、近づけば呑み込まれると本能が告げていたからだ。
王としての冷静さが、叔父としての想いを無理やり押しとどめた。
ゼロはビーストと宰相に気づくことなく、血に濡れた床に手を伸ばし、消えた両親を必死に掴もうとしていた。
「戻せる、はず…っ、私が…ちゃんとすれば…っ!」
幼い声はひどくかすれ、震えながらも何度も繰り返される。
だが、瘴気は荒れ狂い、形を成すより早く黒い靄となって消えていく。
ビーストは歯を食いしばった。
目の前で崩れ落ちるこの少年を、今すぐ抱きしめてあげたい。
王としてではなく、ただの一人の叔父として。
けれど黒く渦巻く瘴気が、それを許さなかった。
一歩踏み出すたびに本能が警鐘を鳴らし、〝近づけば命を奪われる〟と告げている。
その時、ゼロの肩が小さく震え、その大きな瞳から静かに涙がこぼれ落ちた。
「…僕が…殺したんだ……」
まだ九歳の少年には、重すぎる罪。
この子はこれから、それを抱えて生きていかなければならない。
ビーストの心に、激しい痛みが走った。
王としては、冷静に判断しなければならない。
だが、叔父としては声を張り上げて泣き叫びたい。
その狭間で引き裂かれながら、彼はただ拳を握りしめることしかできなかった。
「あれからもう八年、か……」
ビーストはそう呟くと、再び深いため息をついた。
(あんなことがあって、自分を許すのは難しいだろうな…)
お前のことはもうとっくに許している、罰を与える気はない、とビーストは普段から何度もゼロに伝えている。
けれど、その言葉がゼロの心に届いたことは一度もない。
あの子の本当の笑顔を、ビーストはもう何年も見ていない。
〝いつも通り〟とは名ばかりの、偽りの笑顔を浮かべたゼロは、あの日からずっと罪の重荷に苛まれ続けている。
たまに苦しそうな顔をしているのを、ビーストは見逃してはいない。
そして、それはおそらくリヴもだ。
ゼロがそういう顔をする時、リヴは必ず悔しそうな顔をする。
自分では彼を救うことができないと、己の無力さに絶望するかのように。
だからこそ二人は、ゼロが心の底から笑えるようになるまで、彼のことを支え続けたいと思っている。
この気持ちがいつか、ゼロに届くことを祈って。
「さ、そろそろ仕事でもするか…」
ビーストはそう言うと、徐に資料に視線を落とした。




