第四章: 塔の試練 第一話
第四章 塔の試練
第一話「リゼの試練」――過去(月の扉)
階段を上る。
しばらく進んだ先で、三人は白一色の広い部屋へと出た。
部屋の中央には、一つの石碑が立っている。
三人はゆっくりと石碑へ近づく。
その石碑には、月の紋章が刻まれていた。
その下には――
―― 月の守り手 リゼ ――
汝は過去を知り、克服せよ。
「……え?」
リゼが目を見開く。
「な……なんで私の名前が……」
タケとクレアも、刻まれた文字を見つめる。
初めて訪れたはずのこの塔に、なぜリゼの名前が刻まれているのか。
しかも――
「月の守り手……」
クレアが、その言葉を小さく呟く。
部屋には、他に何もない。
上へ続く階段も、別の扉も見当たらない。
クレアが二人を見る。
「二人も、大体予想はついていると思うけど……」
そして石碑へ視線を戻す。
「これは、リゼへの試練と考えていいわよね」
タケが頷く。
「ああ」
そして、石碑を見ながら続ける。
「多分、その試練を終えて……何かが起こると思っていいんじゃないか」
「私の……過去……」
リゼは、刻まれた自分の名前を見つめる。
しばらく黙っていたが――
やがて、二人に向き直った。
「私が……遺跡にいた本当の理由も分かるなら」
リゼの声は、少し震えていた。
それでも、その目は逃げなかった。
「私は……自分の過去を知りたいです」
その表情には、確かな決意が浮かんでいた。
初めて会った頃のおどおどした姿は、もうそこにはなかった。
「ええとっ……」
リゼは石碑を見上げる。
「石碑に触れればいいんですかね?」
恐る恐る石碑に手を触れた。
その瞬間――
石碑に刻まれた文字が、淡い光を放つ。
「……!」
光が石碑から広がり、正面の壁へ走っていく。
やがて――
ゴォン……
低い音とともに、白い壁に一つの扉が浮かび上がった。
扉には、月の紋章が刻まれている。
クレアが呟く。
「……月の扉」
リゼは、その扉の前で息を呑む。
しばらく扉を見つめたあと、二人へ振り返る。
「い、行ってきます」
リゼは小さく息を吸い込む。
ふんっと両手を握り、胸の前で気合を入れる。
「……よしっ」
リゼは扉へ向き直る。
そして――
ゆっくりと、その扉を開いた。
視界が、白く染まる――。
リゼはゆっくりと目を開く。
「……ここは……?」
ふと、青白い光が目に入った。
「……記憶晶……」
その瞬間、リゼの中に一つの記憶が浮かぶ。
「そうか――」
ここは、月見の遺跡。
そして私は――
「ここを……守っている」
けれど、なぜここを守っているのかは、思い出せない。
何か……長い夢を見ていた気がする。
けれど、その内容も思い出せなかった。
リゼは小さく呟く。
「寝ちゃってたのかな……」
目を擦り、改めて遺跡を見渡す。
いつもと変わらない。
静かで、誰もいない遺跡。
「……」
私は、いつまでここにいるのかな。
誰を待っているんだろう。
そんな疑問が、ふと頭をよぎる。
「……寂しいな……」
思わず、口から言葉がこぼれた。
そのとき――
コツ……。
コツ……。
遺跡の入口の方から、足音が聞こえた。
「……!」
リゼの身体がびくっと跳ねる。
誰かが……こちらへ近づいてくる。
『え、え……誰かな』
『ずっと話してないから……どうしよう』
『こんばんは? はじめまして?』
頭の中で必死に考える。
けれど、そんなことを考えている間にも――
コツ……コツ……。
足音は、どんどん近づいてくる。
そして――
遺跡の奥へ、一人の人影が姿を現した。
リゼの前に現れたのは、一人の女性だった。
年は、三十代くらいだろうか。
黒に紫が混じったショートボブ。
真っ赤な唇。
目尻の上がったその顔つきからは、気の強そうな印象を受ける。
細く引き締まった身体には、身体の線を美しく際立たせる黒いワンピースを纏っていた。
リゼは、その女性を見て一瞬たじろぐ。
すると女性は、そんなリゼの様子を見て――
ふっと、優しく微笑んだ。
「こんばんはぁ」
その柔らかな声に、リゼは少しだけホッとする。
「こ、こんばんは……」
女性はゆっくりとリゼへ近づいてくる。
そして、少し首を傾けながら尋ねた。
「お嬢ちゃんはぁ……」
「ここで、何してるのぉ?」
リゼは、おそるおそる答える。
「わ、私は……リゼと言います……」
「ここを……守ってるんです……」
少し迷ったあと、今度は自分から尋ねる。
「あ、あの……お姉さんは?」
女性は、にっこりと微笑んだ。
「私はラミアよぉ」
「よろしくね、リゼちゃん」
「ラ、ラミアさん……」
リゼが小さく頷く。
ラミアはそんなリゼを見つめ、優しく微笑んだ。
「そうなのぉ……」
「リゼちゃんは偉いのねぇ」
「い、いえ……」
リゼは少し照れながら答える。
「これが……私の役目ですから」
すると、ラミアは何かを取り出し、リゼへ差し出した。
「そんなリゼちゃんにはぁ……」
「ご褒美をあげましょう」
「ご、ご褒美……?」
リゼは差し出されたものを見る。
「これは……?」
「キャンディっていうの」
ラミアは楽しそうに微笑む。
「とおっても甘いんだからぁ」
「キャンディ……」
リゼは興味深そうにそれを受け取る。
恐る恐る一口舐めた。
「……甘い」
その瞬間――
ふと、頭の中を何かがよぎった。
誰かが、優しく微笑んでいる。
そして――
誰かが、自分の頭を撫でている。
「……?」
リゼは思わず、自分の頭に手を伸ばした。
自分で、そっと撫でてみる。
ラミアは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたのぉ?」
「い、いえ……」
リゼはキャンディをもう一度舐める。
「とっても甘いです」
そう答えたものの――
リゼは少しだけ首を傾げた。
『……美味しいのかな?』
ラミアは、キャンディを舐めるリゼを、微笑ましそうに見つめている。
「外にはねぇ」
「他にも甘い物が、いーっぱいあるのよぉ」
「そうなんですか!?」
リゼの瞳が、ぱっと輝く。
ラミアは嬉しそうに微笑んだ。
「そうよぉ」
「それにねぇ、魔法具とかもあるのよぉ」
「魔法具……?」
「ええ。見たこともないような道具が、たーくさんあるの」
「他にも、いろんな町があってぇ」
「美味しい食べ物もあってぇ」
「綺麗な景色もあってぇ……」
ラミアは、外の世界のことを次々と語っていく。
リゼは、そんな話を聞いたことがなかった。
だから――
「……すごい」
いつの間にか、夢中になっていた。
「外の世界って……そんなにいろんなものがあるんですね」
「そうよぉ」
ラミアは優しく笑う。
「外の世界は、こんなに楽しいのに……」
少しだけ悲しそうな顔をして、
「あなたを、ここに置いている人は……」
「……きっと、あなたのことを考えてくれていないのねぇ」
「……え?」
リゼの手が止まる。
ラミアはすぐに笑顔に戻った。
「ごめんなさいねぇ」
「変なこと言っちゃったわぁ」
「でも……」
「リゼちゃんが、もっといろんなものを見られたらいいのになぁって」
その言葉が、リゼの胸に小さく残った。
「いろんなもの……」
リゼが小さく呟く。
すると、また頭の中に何かがよぎった。
町に並ぶ、色とりどりの食べ物や見たことのない商品。
それを嬉しそうに眺めながら、町の中を走り回る自分の姿。
そして――
そんなリゼを、優しい目で見守る二人の姿。
『リゼ、前見て歩かないとぶつかるわよ』
『俺より楽しんでないか?』
二人の声。
今度は、先ほどよりもはっきりと映った。
「……あれ?」
リゼはラミアを見る。
ラミアは、リゼを憐れむような目で見つめていた。
「きっとぉ……」
ラミアは、ゆっくりと口を開く。
「あなたをここに置いていった人は、酷い人に違いないわぁ」
そう言って、ラミアはリゼの髪をそっと撫でた。
その瞬間。
リゼの胸に、違和感が走る。
『……違う』
『この手じゃない』
ラミアは続ける。
「あなたはぁ、縛り付けられているの」
そう言うと、何かを取り出した。
黒紫色に輝くペンダント。
それを見た瞬間――
リゼの瞳が大きく見開かれた。
ペンダントを首に掛けられた自分。
意識を奪われ、操られていた自分。
タケとクレアと戦ったこと。
二人が、そのペンダントを壊してくれたこと。
そして――
自分の手を取ってくれたこと。
記憶が一気に繋がっていく。
今度は、はっきりと見えた。
タケの顔。
クレアの顔。
その二人の姿が、リゼの記憶の中に鮮明に浮かび上がる。
「……」
ラミアは、何も知らないように微笑んだ。
黒紫色のペンダントをゆっくりとリゼの首へ掛けようとする。
「違う!」
リゼが叫んだ。
その瞬間――
ザンッ!!
一体の月影が、ラミアの身体を斬り裂いた。
「――っ!」
ラミアの身体が霧のように崩れ、消えていく。
あとには、静寂だけが残った。
リゼは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
そして――
「……そっか」
リゼは小さく呟いた。
「私は……操られたんだった」
胸に、そっと手を当てる。
「……寂しくて」
「……優しくされて」
それが嬉しくて――
その優しさを、信じてしまった。
けれど――
「……もう、大丈夫」
リゼは、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
『心の弱さに付け込まれても』
『もう、誰かに惑わされたりしない』
『今度は、一人じゃない……』
ゆっくりと顔を上げる。
そして、周囲を見渡した。
「……ここは、試練で来てたんだ」
そう呟いてから、少しだけ前を向く。
「この先は……」
そのときだった。
――淡い光が、視界の端を照らした。
「……?」
リゼが振り向く。
そこには、先ほど見た記憶晶があった。
けれど――
先ほどとは違う。
記憶晶が、淡い光を放ち始めている。
どこか懐かしい光。
それが、ゆっくりと強くなっていく。
リゼは息を呑んだ。
「……記憶晶……?」
一歩。
リゼが、記憶晶へ近づく。
すると――
記憶晶の中に、何かの影が浮かび始めた。
燃え盛る炎。
その中で、何人もの人たちが戦っている。
剣士や魔法使い。
そして――
「月影さん……」
リゼが呟く。
戦いに身を投じる人たちの中には、月影を使役する者の姿もあった。
その中に――
「……私?」
リゼの目に映ったのは、戦う人たちの中にいる、まさしく自分自身の姿だった。
リゼたちが立ち向かう先には、黒紫色の――
まるで、闇そのもののような存在が立ちはだかっている。
やがて、大きな扉が開かれる。
闇は抵抗しながらも、その中へと吸い込まれていく。
そして――
扉が閉じられた。
残された者たちは、一瞬だけ安堵の表情を見せる。
しかし――
映像が変わる。
誰かが話している。
「また必ず、扉は開かれる」
ザザッ――。
映像にノイズが走る。
「……信じるしかない」
「……その時まで」
途切れ途切れの声が、記憶晶から聞こえてくる。
「誰かが……繋がなければならない……」
リゼには、何のことなのかよく理解できなかった。
『何を……?』
また、映像が変わる。
誰かが叫んでいる。
「何で! 何でこの子が!」
その人は、泣いていた。
「何で……この子なの……」
「本当に来るかも……わからないのに……」
リゼは、その人の姿を見つめる。
そして――
ふと口にした。
「……お母さん……」
記憶晶の中のリゼが、誰かに話している。
「私が……繋ぎます」
けれど、その身体は震えていた。
今にも泣き出しそうな顔。
それでも、無理に笑顔を作っている。
そして、続ける。
「でも……私は甘えん坊だから……」
「寂しくて……」
「挫けてしまうかもしれないから……」
「だから……」
少しだけ間を置いて――
「私の記憶を……」
記憶晶の中のリゼと、目の前のリゼの声が重なる。
「消してください」『消してください』
女性が、リゼを強く抱きしめる。
記憶晶の中のリゼは、その背中にそっと手を添えた。
そして、なだめるように――
「大丈夫だよ」
女性は、リゼを抱きしめたまま呟く。
「リゼ……愛してる」
「あなたが、この言葉を忘れてしまうとしても……」
「それでも……どうか忘れないで」
「私は……」
声が震える。
「あなたを愛してる」
そこで――
映像が途切れた。
「あ……あああぁ……」
リゼは、その場に泣き崩れた。
私は――
置いていかれたんじゃない。
自らの意思で――
ここに残ったんだ。
しばらく、リゼはその場から動けなかった。
どれくらい泣いたのかは、わからない。
やがて――
リゼは、ゆっくりと顔を上げた。
涙を拭いながら、考える。
私は、この遺跡を守るだけじゃない。
繋がなければならない――。
そうする理由が、あった。
それが――
「……タケさん……?」
まだ、わからないことはたくさんある。
やらなければいけないことも。
それでも――今は。
前を向ける。
リゼは記憶晶に手を添え、そっと額をつけた。
「私も……愛してるよ……」
「だから……もう少し、見守って……」
ゆっくりと記憶晶から離れる。
そして、振り返り――
記憶晶を見つめる。
「行ってきます」
その瞬間。
――ゴゴゴゴゴ……。
目の前に、扉が開かれた。
リゼは、その扉へ向かって歩き出す。
その途中――
頭の中に、ラミアの姿が一瞬だけよぎった。
リゼは足を止める。
そして、前を見据えた。
「次は……負けない」
その瞳には、強い意志が宿っていた。
リゼはそう呟き、扉をくぐった。
タケとクレアのいる部屋に――
再び、扉が現れた。
ゆっくりと扉が開く。
その向こうから、リゼが戻ってきた。
「リゼ!」
タケが声を上げる。
二人は、すぐにリゼのもとへ駆け寄った。
リゼはそんな二人を見つめると――
深く頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え?」
タケとクレアは顔を見合わせる。
何があったのか分からず、二人とも首を傾げた。
「一体、何があったの?」
クレアが尋ねる。
リゼは頭を下げたまま、答えた。
「あの時……遺跡で、私が二人にケガをさせてしまいました」
どうやら、扉の中で――
自分が操られていたときのことを、思い出したらしい。
リゼは、まだ頭を上げない。
するとクレアは、ふぅ……と小さく息を吐いた。
そして――
ポンッ。
リゼの頭に、そっと手を置いた。
「……」
リゼの身体が、ほんの少しだけ固まる。
『この手だ……』
月の扉の中で感じた、あの記憶が蘇る。
ラミアに触れられたときとは違う。
この手は――
あのとき、自分を救ってくれた手。
胸の奥が、じんわりと暖かくなる。
そして、安心する。
クレアは、そのままリゼの頭を優しく撫でた。
「あなたが無事なら、それでいいのよ」
「……」
リゼはしばらく黙っていた。
やがて――
「えへへへ……」
少し照れたように笑う。
自分の頭を撫でる手の感触を、確かめるように噛みしめていた。
タケは、そんなリゼの姿を見つめる。
すると一瞬――
リゼの頭に、ぴょこんと犬の耳が生えたように見えた。
その後ろには、尻尾まで揺れている気がする。
『……褒められた犬みたいだな』
そう思ったが――
口に出すのは野暮だ。
タケは何も言わず、その光景を見守ることにした。
ゴゴゴゴゴ……。
三人のいる部屋に、上へと続く階段が現れた。
タケがリゼに尋ねる。
「扉の向こうで、何があったんだ?」
「……えっとですね」
リゼは頭の中で少し整理すると、二人に話し始めた。
まず――
ラミアと名乗る女性が、自分にペンダントを渡したこと。
そして、そのペンダントによって意識を奪われ、二人と戦ったこと。
「ラミアが、なぜ私とお二人を戦わせたのか……」
リゼは少し考える。
「その理由は、分かりませんでした」
リゼは少しだけ肩を落とし、俯いた。
「……でもっ」
顔を上げる。
「次は、負けません!」
胸の前で、ふんっと小さく腕を曲げる。
その瞳には――
強い意志が宿っていた。
タケはそんなリゼを見て、微笑む。
「頼りにしてるよ、大魔法使い」
「……!」
リゼは、また俯いた。
「ふぇええ……」
そして、ふぅっと息を整えると、話を続ける。
「それから……」
多くの人たちが、何かと戦っていたこと。
その戦いの中には、月影を使役する者もいたこと。
「何と戦っていたのかは、分かりません」
リゼは少し間を置く。
「でも……その中に、私もいました」
「リゼが……」
タケとクレアは、その言葉に驚き、目を見開く。
クレアは考える。
もし、あの時代に月影を使役していた者たちが月の民だったのなら――
リゼも、月の民ということになるのではないか。
だとすれば――
リゼが見せた魔力にも、説明がつく。
「他にも、何か見たの?」
クレアが尋ねる。
「……はい」
リゼが答える。
「断片的で、よく分からなかったんですが……」
「いずれ、扉が開かれる……と」
「そして私は……何かを繋ぐために、遺跡に残ったんです」
クレアは再び考える。
扉……?
繋ぐ……?
一体、何を?
すると――
「でもですね」
リゼの表情が、少し明るくなる。
「私は……私が決めて、遺跡に残ったんです」
リゼは何かを思い出すように、胸に手を当てる。
ゆっくりと目を閉じた。
「一人じゃ……なかったんです」
タケも、リゼの言葉を聞いて考える。
自分がこの世界に来たことで――
そして、リゼと出会ったことで――
この世界に、何か変化が起きたのだろうか。
リゼが言う「繋ぐ」という言葉。
それは、自分がこの世界に来たこととも関係しているのか。
ラミアは――
自分とリゼとの繋がりを、妨害しようとしていたのだろうか。
「だとすれば……」
タケは、ぽつりと呟く。
ラミアは、三百年前に戦っていた何かと関係があるのか。
「そうすれば……」
考えが少しずつ繋がっていく。
気づけば、タケは考えていることを、そのまま口にしていた。
「タケさん……?」
リゼが心配そうに、タケを見つめる。
その視線に気づき、タケははっとした。
「あ……ごめん、ごめん」
タケは笑って答える。
『何にせよ……』
『先に進まないと、答えは見つからないか』
そう考え、クレアの方を見る。
クレアもまた、タケを見ていた。
ほんの一瞬――
二人は目を合わせた。
そして、互いに小さく頷いた。
「行きましょう」
クレアが言う。
タケは静かに頷いた。
三人は、上へと続く階段へ向かって歩き始めた。




