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第三章: 白い塔 第三話

第三話「白い塔」

気がつけば、すっかり日も落ちていた。

三人はしばらく歩いたところで、森の中に岩穴を見つけた。

クレアが中を覗き込み、周囲を確認する。

「ここなら大丈夫そうね」

そして、タケとリゼに向かって言う。

「森を抜けるまで、まだ少しかかるわ」

「日も落ちたことだし、今日はここまでにしましょう」

その言葉を聞いた瞬間――

タケは、自分の身体にドッと疲れが押し寄せてくるのを感じた。

「確かに……今日は疲れたね」

そのとき――

「くぅ……」

静かな森に、可愛らしい音が響いた。

「……」

タケとクレアが、同時にリゼを見る。

リゼは顔を真っ赤にしながら、お腹を両手で押さえた。

「す、すみません……」

クレアは、優しく微笑む。

そして、リゼの頭をそっと撫でた。

「だから、謝らなくていいの」

「……はい」

リゼは少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに笑った。

三人は焚き火を囲み、食事を始めた。

料理は全てクレアが担当した。

タケは温かなスープを一口飲む。

「……うまいな」

温かいスープが、疲れた身体にゆっくりと染み渡っていく。

思わず息を吐くタケ。

そんな様子を見て、クレアは少し自慢げに微笑んだ。

「まぁね、これでも練習してるのよ」

「料理人でも目指してるの?」

「違うわよ」

即答だった。

「……」

タケは一瞬、クレアの顔を見る。

そして――

「あっ」

何かに気づいたような顔をする。

クレアもその表情を見て、わずかに頬を赤くした。

(……気づいた?)

そんな期待が、ほんの一瞬だけ胸をよぎる。

タケは口を開いた。

「やっぱり冒険者になりたかったんだろ?」

「……え?」

「冒険者に野宿は欠かせないもんな」

「…………」

クレアの表情が固まる。

「はぁ……」

深いため息をついた。

「もうそれでいいわよ……」

クレアは呆れたように視線を逸らす。

「……バカ」

「え?」

タケは意味が分からず、首を傾げる。

その横で、リゼは二人のやり取りを見ながら、思わず小さく笑っていた。

こうして三人は、焚き火を囲みながら食事を終えた。 

周囲は静かな夜。

少し離れた場所でリゼは眠っている。

タケがふと思い出す。

「……クレア」

「何?」

「前に聞きたかったことがある」

クレアがタケを見る。

「セレネアへの扉をくぐる前……俺に言ったよな」

「……ええ」

「『本当に来たのね』って」

クレアはすぐには答えなかった。

少しだけ間を置いてから、口を開く。

「……覚えていたのね」

「ああ」

「ずっと引っかかってた」

クレアはわずかに目を伏せた。

「……分からないの」

薪が小さく爆ぜる。

パチッ――。

「分からない?」

「ええ……」

クレアは少し考えるように間を置いてから、ゆっくりと言葉を続けた。

「あなたを見た瞬間……なぜか、そう言わなければならない気がしたの」

「……気がした?」

「ええ」

クレアは自分でも腑に落ちないのか、わずかに眉を寄せる。

「まるで……ずっと待っていた人が、ようやく目の前に現れたような……そんな感覚だった」

タケは黙ってクレアを見る。

「でも、私はあなたと会ったのはあの時が初めてだった。少なくとも……私の記憶では」

その言葉に、タケは少しだけ引っかかった。

「……俺も、なんとなく変な感じはしてた」

「あなたも?」

「ああ。クレアと初めて会ったはずなのに……どこかで会ったことがあるような気がする時がある」

クレアは一瞬、驚いたように目を見開いた。

だが、すぐに視線を逸らす。

「……そう」

その横顔は、どこか寂しそうだった。

「でも、不思議ね」

「何が?」

「あなたがこの世界に来る時……あの言葉が出てきたこと」

クレアは焚き火の向こうに揺れる炎を見つめる。

「『本当に来たのね』なんて……普通なら、初めて会った人に言う言葉じゃないもの」

「だよな」

「ええ」

「だから……私自身も、少し怖いの」

「怖い?」

クレアは小さく頷いた。

「自分の知らないところで、何かを知っているような気がするから」

しばらく二人の間に沈黙が流れる。

やがてクレアは、ほんの少しだけ笑った。

「……でも」

「ん?」

「あなたが来たことに、安心したのは本当よ」

タケがクレアを見る。

クレアはその視線に気づくと、少しだけ顔を逸らした。

「……理由は分からないけれどね」

焚き火の向こうで、クレアの銀色の髪が月明かりを受けて静かに揺れていた。

二人はそれ以上、何も話さなかった。

静かな時間が流れ――夜が明けた。

昨夜の焚き火はすっかり消え、薄い煙だけが静かに立ち上っていた。 

木々の隙間から差し込む朝の光を受けながら、三人は白い塔を目指して歩き始めた。

昨日の戦いが嘘だったかのように、森には静かな空気が流れている。

しばらく歩いたところで、タケがリゼに声をかけた。

「それにしても、リゼの魔法はすごかったな」

リゼは少し驚いたように振り返る。

「あ、ありがとうございます」

そう言って、照れくさそうに視線を逸らした。

「でも、張り切りすぎて……あの時は魔力を一気に使っちゃいました」

リゼは昨日の戦いを思い出すように、少しだけ俯く。

「……でも、そうですよね」

「今度は、魔力の配分を考えないと……」

そう呟くリゼの表情には、昨日までにはなかったものがあった。

少しだけ、自信がついたように見える。

その様子を見ていたクレアが、ふと尋ねた。

「あなたは、誰かから魔法を教えてもらったの?」

リゼはその質問に、少し黙り込んだ。

「えっとですね……」

しばらく考えてから、困ったように笑う。

「よく分かんないんです……」

「分からない?」

「はい」

リゼは歩きながら、ゆっくりと言葉を続ける。

「私の役目は、あの遺跡を守ること」

「あそこにいることが、私の役目なんだって……そう思っていたんです」

リゼは少しだけ俯いた。

「誰から言われたのかも、覚えていないんですけど……」

「でも……」

そして、静かに顔を上げた。

「私は、自分の役目を疑ったことはありませんでした」

クレアは、リゼの言葉を聞いて静かに頷いた。

「そう……」

それ以上、クレアは何も尋ねなかった。

リゼ自身にも分からないことを問い詰めても、答えは出ない。

そう判断したのだろう。 

森を抜けると、目の前に草原が広がっていた。

辺りには、何もない。

その先に、ただ一つ。

白い塔だけが、静かに佇んでいる。

三人は、その塔へ向けて足を踏み出した。

その時――

ゴォォオン……

重く響く鐘の音が、草原に広がった。

タケは足を止める。

「……町で聞いた鐘の音」

音の出どころを探すように、三人は塔を見つめる。

その鐘の音は――

白い塔の上から聞こえていた。

「誰かが鳴らしている……?」

タケが呟く。

だが、ここからでは塔の上の様子までは分からない。

クレアは塔を見上げたまま答える。

「どちらにしても……行ってみないことには分からないわね」

そう言って、クレアは歩みを進める。

タケとリゼも頷き、その後に続いた。

やがて、三人は塔の目の前まで辿り着いた。

近くで見ると、その塔がどれほど古いものなのか、改めて感じられる。

白い壁には長い年月を生きてきたように蔦が絡みつき、ところどころには風雨によって削られた跡が残っている。

それでもなお、その塔には不思議な気品があった。

まるで、長い歴史そのものを静かに抱えているようだった。

タケは思わず顔を上げる。

「はぁ……」

感心したように、塔を見上げる。

その時だった。

リゼが、隣にいるクレアの様子に気づいた。

「ク、クレアさん……?」

その声に、タケもクレアへ視線を向ける。

「……クレア?」

クレアは、そこに立ったまま動かなかった。

先ほどまでの表情が消えている。

顔からは血の気が引き、青ざめていた。

そして――

まるで、何かに怯えているかのように、俯いている。

「クレア……?」

タケがもう一度、声をかける。

クレアは答えなかった。

突然、クレアの脳裏に、見覚えのない光景が流れ込んできた。

――塔の上。

そこに、一人の少女が立っている。

銀白色の髪。

灰青色の瞳。

その瞳からは、涙が静かに流れていた。

少女は首に掛けていたペンダントを外す。

涙を流したまま――

無理に笑顔を作った。

「お願い……」

少女は、手の中のペンダントに向かって呟く。

「この世界を……忘れないで」

声が震える。

それでも、少女は続けた。

「私は……あなたを待っている」

そして少女は、そっと視線を落とした。

そこには、小さな光が浮かんでいた。

――これは……私?

クレアの胸が、大きく揺れる。

――何を待ってるの?

その瞬間、景色が切り替わった。

少女は、巨大な魔法陣の中心に立っていた。

魔法陣からは、禍々しい魔力が渦を巻くように立ち上っている。

空気そのものが震えていた。

そして――

少女の目の前に、何かが現れた。

姿は、はっきりとは見えない。

ただ、そこにいる。

見えるのは――

額から伸びる、二本の角。

下へ向かって曲がったその角は、異様な存在感を放っていた。

妖しく光る緑色の瞳。

闇そのもののように暗く染まり、背後へ大きく広がる翼。

悪魔が存在するのだとすれば――

まさに、そんな姿だった。

それは少女を見つめ、低く響く声で語りかける。

「願いを聞こう」

少女は黙って、その存在を見つめている。

「ただし――」

緑色の瞳が、妖しく輝く。

「一つ、お前の最も大切なものを差し出せ」

「……っ!」

その瞬間、クレアの身体から力が抜けた。

彼女は、その場に膝をつく。

「クレア!」

タケが駆け寄り、倒れそうになるクレアの身体を支えた。

クレアの息は乱れていた。

「はぁっ……はぁっ……」

「クレア、大丈夫か?」

クレアは答えず、荒い息を整えようとする。

「はぁっ…………ふぅ……」

『今のは……私の記憶なの?』

『あの光……あの魔法陣……』

『私は……何を忘れているの?』

クレアは、ゆっくりと顔を上げる。

自分を支えているタケを見た。

心配そうに自分を見つめるタケの姿に、クレアはほんの少しだけ目を伏せた。

そして、呟く。

「……知らなければいけない」

「え?」

「この先を……」

タケには、クレアの言葉の意味が理解できなかった。

クレアの額には、うっすらと汗がにじんでいる。

それでもクレアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

そして、タケに支えられながら立ち上がる。

「ごめんなさい……」

「もう大丈夫よ……」

クレアはそう言って、白い塔を見据える。

「塔を調べましょう」

タケは少し心配そうにクレアを見る。

「……わかった」

三人は、塔を周るように歩き始めた。 

しばらく進んだところで、タケが壁に何かが刻まれていることに気づく。

「何か……文字が掘ってあるな」

しかし、壁には蔦が絡みつき、よく見えない。

タケが手を伸ばし、その蔦を払う。

そこには――

月、太陽、星。

三つの紋章が刻まれていた。

リゼがそれを見つめる。

「おじいさんが聞いた噂通りですね」

そして、リゼは紋章の下に刻まれた文字に気づく。

「……えーっと……」

目を細めながら、ゆっくりと読み上げる。

「月の記憶が失われたとき……」

「異世界から、一人の人間が現れる」

「その者は、この世界の魔法を知らず……」

「この世界の歴史も知らず……」

「何者でもない」

タケが呟く。

「爺さんが話していた予言の言葉だな……」

「はい」

リゼは頷く。

だが、その視線はまだ文字から離れない。

「……まだ、続きがあります」

そして、さらに読み上げる。

「自らの意思で進む者に……」

「月、太陽、星の試練を与える」

「月は、その者に記憶を託す……」

リゼが読み終えた瞬間。

クレアの表情が、わずかに変わった。

「……記憶……」

無意識に、自分の胸元へ手を添える。

そこには、もう何もない。

「クレア?」

タケが声をかける。

「……なんでもないわ」

そう答えたものの、クレアはしばらくその文字から目を離せなかった。

タケは、刻まれた文字を見つめる。

「うーん……そう言われても」

少し考え込んでから、首を傾げる。

「試練って、何なんだ?」

そう言って、刻まれた文字に手を触れた。

その瞬間――

タケのペンダントに、淡い光が灯る。

「……!」

その光は一筋の光となり、刻まれた文字を照らしていく。

一つ。

また一つ。

やがて、すべての文字に光が灯った。

ゴ……ゴゴゴゴゴッ――

低く重い音が、塔全体に響き渡る。

すると、塔の壁だった部分がゆっくりと二つに分かれていく。

そして――

その奥に、塔の内部へと続く階段が現れた。

タケが目を見開く。

「これは……」

リゼが、タケの言葉に被せるように目を輝かせる。

「試練ですよね!」

タケは、先ほどのクレアの様子が気になり、クレアの方へ振り返る。

クレアはその視線に気づくと、静かに頷いた。

「……行きましょう」

そう言って、クレアは階段の前まで歩いていく。

だが――

一度、足を止めた。

「もし、私に何かあったら――」

その言葉に、タケとリゼがほぼ同時に声を重ねる。

「助ける!」「助けます!」

「……」

クレアは、二人の言葉に少し驚いたように瞬きをする。

そして――

二人を見つめ、優しく微笑んだ。

「……ありがとう」

そう言って、クレアはリゼの頬に軽くキスをする。

「……え?」

突然のことに、リゼは目を見開く。

「は、はわわわわわっ……!」

顔を真っ赤にして、両手を頬に当てる。

クレアはそんなリゼを見て、少しだけ微笑む。

それから――

今度はタケを見る。

「……」

タケは一瞬、ドキッとする。

そして、なぜか背筋をピンと伸ばした。

クレアはそんなタケの姿を見て――

ニヤッと、少し意地悪な笑みを浮かべる。

「……」

ドンッ!

クレアの拳が、タケの胸に軽く当たる。

「行くわよ」

「……はい」

タケは少しだけ肩を落とす。

その様子を見て、リゼが小さく笑う。

そして三人は、白い塔の内部へと続く階段を昇っていった。

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