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第六章: 禁じられた魔法

第六章 禁じられた魔法

三人は階段を上り、再び塔の頂上へと出た。

「ここから、どう行くんだ?」

タケが辺りを見渡しながら言う。

「日の当たらない……地下」

クレアが答える。

「……だと思う」

「じゃあ、一度下まで降りましょう」

リゼはそう言って、下へと続く階段へ向かった。

星の試練。

太陽の試練。

そして――月の試練。

三人がそれぞれ試練を受けた部屋を、順番に通り過ぎていく。

その間、三人は何も話さなかった。

お互いに、これから挑む戦いに緊張している。

それが、言葉にせずとも伝わっていた。

やがて、三人は塔の一階まで降りてくる。

クレアが、おもむろに中央へ歩いていく。

「ここ……」

足を止め、辺りを見渡す。

「かすかに魔力を感じるわ」

クレアは目を閉じ、静かに魔力を放出した。

すると、身体の周囲の空気が、わずかに揺らぎ始めた。

次の瞬間。

クレアの足元に、魔法陣が浮かび上がる。

ゴゴゴゴゴ……

低い音が塔の中に響く。

そして――

床がゆっくりとずれていく。

その下から、地下へと続く階段が姿を現した。

階段から、冷気が伝わってくる。

いつから灯っていたのか。

誰が灯したのか。

両側の壁には、等間隔に蝋燭が灯っている。

その先は、まるで――

ここから別の世界なのだと、そう感じさせるような空気に包まれていた。

タケは息を呑み、階段の先を見つめる。

「……魔力が」

リゼが、タケの裾を掴む。

震える声で呟いた。

「先から流れてくる魔力が……重いです」

「重い?」

タケも意識を集中させる。

確かに、階段の先から、何ともいえないプレッシャーのようなものを感じる。

「これから会う相手は……」

クレアが静かに口を開く。

「漏れ出る魔力だけで、圧力を感じさせるということよ」

クレアもまた、鋭い目つきで階段の先を見据えていた。

タケはリゼの頭をポンと軽く叩く。

「大丈夫か?」

リゼはタケの目を見て、一度大きく息を吸い込んだ。

「すぅー……はぁー……」

ゆっくりと息を吐く。

それから、タケの裾から手を離した。

「はい」

リゼの瞳には、もう迷いはなかった。

タケはクレアの顔を見る。

クレアもその視線に気づき、黙って頷いた。

タケも頷き返す。

そして、再び階段の先へ目を向ける。

「行こう」

三人は、静かに階段を降りていった。

長い廊下が続いている。

蝋燭の灯りだけを頼りに、三人は静かに進んでいく。

足音だけが、長い廊下に響いていた。

やがて――

廊下の先が開ける。

三人は、広い部屋へと出た。

天井も高く、これまでの塔とは明らかに違う空間だった。

タケが、奥の壁へ目を向ける。

そこには――

翼の生えた男が、祈るような姿で佇む彫刻が刻まれていた。

「あれは……」

リゼが何かに気づいたように呟く。

その視線の先――

部屋の中央には、大きな魔法陣が描かれていた。

「アストロの魔法陣……」

クレアが呟く。

「私は……今の私は、初めて来る場所だけど」

そう言って、クレアは胸に手を当てる。

「身体が覚えてる……のかな」

胸に当てた手が、わずかに震えている。

「あの魔法陣に立った者が、願う者になる」

タケとリゼは何も言わず、クレアを見つめていた。

クレアは胸に手を残したまま、目を閉じ、自分自身に語りかける。

『今よりずっと幼かった、あの時の私は――』

『たった一人で、あの場所に立ったのね』

『怖かったでしょう?』

『でも、それでも……守りたいものがあったんでしょう?』

『あなたが守りたかったものを――』

『あなたの想いを――』

「――私が受け止める」

静かに言葉にすると、クレアはゆっくりと目を開いた。

一度だけ振り返る。

そこには、タケとリゼがいた。

二人は、クレアの視線に黙って頷く。

クレアも、小さく頷き返す。

そして、魔法陣へ向き直った。

一歩。

また一歩。

クレアは前へと踏み出し――

その足で、魔法陣を踏んだ。

魔法陣に、黒く不気味な光がなぞられていく。

その光は、魔法陣の線を一つ、また一つと塗り潰すように広がっていく。

魔法陣が完全に黒い光になぞられた瞬間。

空気が震えた。

ビリッ――

肌を刺すような魔力が、部屋中へと広がる。

そして――

クレアの目の前に、何かが現れた。

額から伸びる、二本の角。

下へ向かって大きく曲がったその角は、異様な存在感を放っている。

妖しく光る、緑色の瞳。

その身体は闇そのもののように暗く染まり、背後には巨大な翼が大きく広がっていた。

人の姿に近い。

だが――

そこにあるのは、人間とは明らかに異なる存在感だった。

その姿を見た瞬間、タケは無意識に息を呑む。

リゼもまた、言葉を失っていた。

クレアだけが――

目の前に現れた存在を、真っ直ぐに見据えていた。

アストロは、クレアに語りかける。

「お前に――」

低く、地の底から響くような声。

「願いがあるのならば、叶えよう」

その存在は、一度だけ大きく翼を広げた。

バサァッ――。

黒い羽が、辺りへと舞い散る。

「ただし――」

アストロは、ゆっくりと人差し指を立てる。

「お前が最も大切なものを――」

一拍。

「一つ――」

アストロは、ゆっくりと指を立てた。

「差し出せ」

クレアはもう一度、自分に言い聞かせる。

『大丈夫……私たちは、私たちで答えを見つける』

「ん?お前は……」

ふいに、アストロが口を開く。

腕を組み、しばらく考えるような仕草を見せる。

「ハァーッハッハッハァ!」

突然、高らかな笑い声を響かせた。

その笑い声が、塔の中へと不気味に反響する。

「あの時の娘ではないか」

不敵な笑みを浮かべる。

「また裏切るのか」

「強欲な魔女め」

クレアはその言葉を聞いて、驚いたように目を見開く。

試練の時と、まったく同じ台詞。

その変わらない言葉に、クレアは思わず小さく笑みをこぼした。

「……何がおかしい?」

その顔を見て、アストロが少し不機嫌そうに尋ねる。

「あなたは、神でも悪魔でもない」

「改めて、そう思っただけよ」

クレアは答えた。

「ほう?」

「我への認識を変えて、何が変わるのだ?」

アストロも、少し笑って尋ねる。

クレアは目を閉じ、下を向く。

肩の力を抜き、ふぅーっと息を整える。

そして――

ゆっくりと顔を上げ、アストロを見据える。

「私は――」

腰の剣を抜く。

「私の記憶を、あなたから取り戻しに来た」

剣を構え、切っ先をアストロへ向ける。

「これは願いじゃない」

「代償は――」

一瞬の沈黙。

「あなたの敗北よ」

アストロはその言葉を聞き、ゆっくりと下を向く。

「……」

「長らく……」

「長らく待ったぞ……」

下を向いたまま、何かを思い返すように呟く。

やがて――

ゆっくりと顔を上げる。

「ああ……どうか……」

「人はそうではないと、また心に刻ませてくれ」

上げた顔をまっすぐに向け、クレアを見据える。

バサァッ――

再び翼を広げる。

その瞬間――

ズズッ……

アストロの横に、異空間へと繋がる穴が現れる。

アストロはその異空間へ腕を入れる。

そして、再び引き抜いたその手には――

黒光りする、無骨な大剣が握られていた。

「我に挑まんとする、勇気ある者よ」

アストロは手にした大剣を、軽く振る。

ブォンッ――

刀身が空気を切り裂き、グワァンと重い低音が鳴り響く。

「……っ!」

三人は、その振り抜いた風圧だけで目を細める。

「どうか、絶望してくれるな」

「どうか、我を跪かせてくれ」

ガォン!

大剣を地面へ突き刺す。

「身命をとして参れ」

その言葉と同時に――

三人は一斉に構え、戦闘態勢に入った。

クレアは身体に風を纏わせる。

踏み出したその足は、突風の如く――

一瞬でアストロとの距離を詰める。

その勢いのまま、真っすぐ剣を突き出す。

ガキィン!

アストロは――

クレアの突きを、右腕で受け止めた。

「ふむ、いい初手だ」

『腕で止めるの!?』

クレアが驚いた、その瞬間。

アストロは、止めた右腕をそのまま振り抜く。

「……っ!」

凄まじい力で弾き飛ばされ、クレアの身体が宙を舞う。

だが――

空中で身体を捻り、

ザッ!

クレアは地面へ着地した。

「一撃がダメなら……」

クレアは再び剣に風を纏わせる。

「手数で押す!」

アストロを鋭い目で睨み、地面を蹴る。

ギギギィン!

数多の斬撃を繰り出す。

その剣筋を追うように、クレアの周囲で突風が巻き起こった。

「悪くはない……が、それだけでは我には届かぬぞ」

アストロは、片手でクレアの斬撃を次々と受け止めていく。

タケは、斬り込むタイミングを伺う。

アストロとクレアの闘いを見て、感じる。

『俺は、まだクレアの強さには届かない』

『なら、温存なんて言ってられない』

短刀を強く握り直す。

『今ある力をもって、最初から全力で行く』

『いいね……』

――突如。

タケの中に、声が響く。

「……!」

ラグナとの闘いの中で聞こえた、あの声。

『強者に立ち向かう姿は、そうあるべきだ』

タケの身体に、稲妻が走る

『さあ、共に闘おう』

クレアは一旦、アストロと距離を取る。

「タケ!」

タケに向かって手を伸ばし、僅かに詠唱する。

「……え?」

だが――

クレアの手の先に、タケの姿はなかった。

代わりに見えるのは――

アストロへ向かって伸びる、一筋の雷光。

ギィン!

アストロは、タケの斬撃を右手で防ごうとする。

だが――

その手より一瞬速く。

タケの短刀が、アストロの肩を捉えた。

「……む!」

「固いっ!」

確かに斬撃は入った。

だが――

アストロの身体は、斬れてはいなかった。

「ほう……お前は精霊を従えるか」

アストロはニヤリと笑う。

「今の一撃は悪くない」

タケに向かい、両腕を広げる。

「さぁ、見せてみろ」

「こんなものではないだろう?」

「……っ!」

タケは再び踏み込み、アストロへ斬りかかる。

その最中――

タケの視線が、一瞬だけリゼへ向く。

「……!」

リゼは、その意図を察したかのように詠唱を始めた。

「月影さん……」

リゼの言葉に呼応して、その両隣に二つの光が現れる。

淡い光は徐々に形を成し――

二体の月影が、その姿を現した。

リゼは胸元で手を組み、祈るように詠唱を続ける。

その足元に、淡い光を放つ魔法陣が浮かび上がる。

二体の月影もまた、リゼの動きをなぞるように、ゆっくりと胸元で手を組んだ。

祈るような姿勢。

そして――

二体の月影自身も、静かに詠唱を始める。

その足元には、二つの魔法陣が浮かび上がった。

一方――

アストロは、タケとの闘いを楽しむように笑う。

「フハハハッ!」

バサァッ!

黒い翼を大きく広げる。

翼から、無数の黒い羽根がタケへ向かって放たれた。

「……っ!」

ギギギィンッ!

タケは、その羽根を短刀で斬り払い続ける。

『重いっ……!』

『一つ一つが、俺の短刀みたいだ……!』

すべての羽根を払い終えた――その瞬間。

いつの間にか、タケの目の前にアストロが迫っていた。

「……なっ!?」

すかさず短刀を構える。

ドンッ!

アストロは構わず、タケの腕の上から蹴りを叩き込む。

「ぐっ……!」

タケは蹴りの衝撃に合わせ、咄嗟に後ろへ飛ぶ。

そして――

ギリギリのところで、なんとか着地した。

「っ……ごほっ」

しかし、そのダメージは大きい。

「受けても……コレか……」

タケは自分の手足が動くことを確かめる。

そして――

再び、短刀を構えた。

アストロは、ゆっくりとタケに向かって歩き始める。

そのアストロの横から――

数多の氷の刃が向かう。

「……」

その刃を、アストロはジロッと横目で確かめる。

右手を振り上げ――

薙ぎ払った。

放った先に、クレアの姿が映る。

「お前は……そこが限界か?」

アストロは、少し落胆したような目をクレアへ向ける。

一方――

リゼは詠唱を続けながら、考える。

果たして、この魔法がアストロに通じるのか――

月影と魔力を練り合わせ、放つ魔力弾。

以前、森で襲われた魔物には通じた。

だが今回は――

明らかに、その格上の存在だ。

「今より一歩……先に行かなきゃ」

そう呟く。

『月の民は、月の魔力を使い、常人には発現できない魔法を行使する――』

セレナの、その言葉が脳裏に浮かぶ。

「……!」

リゼは、はっとする。

『私も月の民なら――』

リゼは自分の魔力を練り上げながら、もう一つの魔素を探す。

そして――

「ルナス」

詠唱に、その言葉を乗せる。

淡い光を放っていた魔法陣が――

黄金色へと塗り替わる。

ゴゴゴゴ……

部屋全体が、激しく上下に揺れる。

その揺れに、アストロの足がわずかに止まった。

「む……!」

何かを感じ取ったように、アストロがリゼへと顔を向ける。

その視線の先で――

リゼは静かに目を開く。

淡い光が、彼女の瞳を照らしていた。

「……いきます!」

瞬間――

リゼから、激しい光が放たれる。

直後――

ドォォォオ゙ンッ!!

遅れて、凄まじい音が響き渡った。

クレアとタケには、ただ光が見えた。

何が起きたのか、理解する暇もない。

気づいたときには――

アストロが大剣を構え、その身に迫る巨大な魔力の塊を受け止めていた。

「お……おおおぉっ!」

初めて――

アストロの顔に、焦りの表情が浮かんだ。

受け止めた腕が焼け、アストロの身体が押し返される。

咄嗟に、アストロは大剣を両手で握り直した。

「っがぁあああ!」

アストロの前で、再び眩い光が弾けた。

一瞬、部屋が白く染まる。

直後――

ドォォォオ゙ンッ!!

轟音とともに、周囲に煙が舞い上がった。

少しして――

煙が晴れる。

「……」

三人は、アストロを見る。

煙の向こうに立っていたのは――

仁王立ちするアストロだった。

だが、その両腕は激しく焼けている。

ピシ……

アストロの大剣に、亀裂が入る。

バキィンッ!

剣が、折れた。

アストロは自分の両腕を見る。

「……」

激しく焼け、衝撃によって手が震えている。

それでも――

アストロは立っていた。

クレアとリゼは、その姿に驚き、呆然と立ち尽くす。

『今しかない』

この瞬間――

タケだけが、まだ闘争心を燃やしていた。

『オレに力を貸している何か……』

タケは心の中で呼び掛ける。

『……僕のことかい?』

答えが返ってくる。

『ああ。次の一撃に、全てを掛けたい』

『……』

タケは続ける。

『悔しいけど、俺じゃまだ無理なんだ』

『……じゃあ、僕の名前を呼びなよ』

「名前?」

意外な返答に、タケは次の言葉に詰まる。

『君が決めるんだ。それをもって、契約としよう』

「急に名前と言われても……」

タケの中の何かが、笑う。

『ふふ……これまでの僕を見て、君が素直に思った名前でいいさ』

「……雷閃」

タケは、そう呟いた。

その瞬間――

パッ、と淡い光が弾けた。

タケの目の前に、小さな存在が現れる。

白く、柔らかな毛並み。

小さな四肢に、しなやかな身体。

その姿は、獣のようでもあり、どこか神秘的でもあった。

澄んだ青い瞳が、まっすぐにタケを見つめる。

額には、一本の角。

その角の先端で、青白い火花が小さく弾けた。

「……」

タケは目を見開き、その存在を見つめる。

「僕の名は、雷閃」

雷閃は、アストロを見る。

「改めて、君と契約しよう」

そして――

「どちらにしろ、今の君じゃ次の一撃が最後だ」

「……わかった」

タケも、アストロを見据える。

「いくよ」

雷閃の意図が、タケの脳裏に流れ込んだ。

タケは勢いよく、片足を踏み出す。

バヂィッ!

一筋の閃光がアストロへ向かい、その身体を囲む。

「ぬっ……!」

アストロは、その閃光に身構える。

バヂヂヂッ!

閃光はアストロを中心に、渦を巻くように昇っていく。

「……ぬ、ぐっ!」

雷の渦がアストロの身体を駆け巡り、その動きを封じる。

その瞬間――

タケは雷の勢いに乗るように跳び上がり、アストロの頭上へと舞う。

短剣を逆手に持ち替える。

アストロは攻撃に備え、両腕を上げようとする。

だが――

「腕が……!」

リゼの魔法によるダメージ。

焼けた腕は、思うように動かない。

タケは短剣を振り下ろす。

その刃がアストロを捉えた瞬間――

ドォォォオ゙ンッ!!

凄まじい雷鳴と共に、一本の雷がアストロへ落ちた。

「はっ……はっ……!」

力の代償からか、地面へ着地したタケは、上手く呼吸ができない。

肩で息をする。

「アストロは……」

かろうじて、顔だけをアストロへ向ける。

ポタッ――

アストロの肩から腹にかけて、斬撃が刻まれている。

そこから、血が流れ落ちる。

それでも――

アストロは立っていた。

足の力が抜け、タケは膝から崩れ落ちる。

「……ふむ」

アストロは呟き、何かを考えるように俯く。

やがて顔を上げると、傷口へ手を触れた。

その手先が僅かに光を放つ。

すると、流れていた血がゆっくりと止まっていく。

「ダメ……か」

タケは、アストロの姿を見て呟き、肩を落とす。

ガシャ……

アストロは折れた剣を再び手に取る。

そして、タケへ尋ねた。

「お前の名前を聞こう」

タケはその言葉に、顔を上げる。

「……タケ」

「そうか……」

アストロは少し間を置く。

「お前の、父の名は何と言う?」

「……?」

なぜ、ここで父の名を聞かれるのか。

タケには理解できなかった。

「ラグナ……そう聞いている」

タケがその名を口にした瞬間――

アストロの表情が、一瞬だけ変わったように見えた。

「そうか……」

アストロは、リゼの方へ向き直る。

「お前の名も聞いておこう」

「……」

リゼからの返事はない。

タケと同じように、膝から崩れ落ちている。

「リゼ……?」

タケは、リゼの様子がおかしいことに気づく。

顔は青ざめ、目も虚ろだ。

そして――

「ヒュー……ヒュー……」

かすかに、苦しそうな呼吸を繰り返している。

「まだまだ……これからなのだな」

アストロはそう呟き、指を一本立てる。

その指先を、リゼへ向ける。

淡い光が、僅かに灯った。

「……!?」

「……っ、はぁ……はぁ……」

リゼの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。

虚ろだった目にも、徐々に生気が戻る。

「お前の名を聞こう」

改めて、アストロはリゼに尋ねる。

「……リゼ……です」

「そうか……」

クレアはその光景を見て、驚くように目を見開いていた。

「今のは……」

そう呟き、頭の中で考える。

『魔力が枯渇したリゼに、アストロが魔力を与えていた……』

『アストロは……私たちを殺す気がないの?』

タケがアストロに尋ねる。

「……なんで、俺の父さんの名前を聞いた?」

アストロは答えない。

ただ、タケをじっと見つめる。

「……」

「何か知ってるのか?」

「今のお前には、まだ必要のないことだ」

「……なんだよ、それ」

「いずれ分かる」

アストロはそう言って、リゼへ視線を移す。

「お前もだ」

「……私ですか?」

「悪くない魔法だった」

リゼは少し驚いたように目を開く。

「だが、まだ力を扱いきれてはいない」

「……はい」

アストロは、そう言ってクレアの方を向く。

「……だが」

「お前は――」

クレアは剣を構え直す。

その剣に、再び風が巻き起こる。

「っかぁっ!」

瞬間――

アストロはクレアに向かって、雄叫びを上げた。

「……っ!」

その声だけで、部屋が揺れる。

そして――

叫びに込められた威圧だけで、クレアの剣に纏っていた風が、かき消された。

「……そんなっ」

クレアは、自分の剣を見つめる。

「お前が、最も中途半端だ」

アストロは、どこか冷めた目で口を開く。

クレアの眉が、わずかに動く。

「状況を読み、先を考え、余力を残す。それ自体は間違いではない」

アストロは、クレアを真っ直ぐに見据える。

「だが――」

「格下を相手にする時と、己を超える強者を相手にする時とでは、話が違う」

「……何が言いたいの?」

「強大な敵を前にしても、お前はまだ同じ戦い方を続けるつもりか?」

アストロの声が、わずかに低くなる。

「その間に、仲間が死んだらどうする」

クレアは答えない。

「仲間を守るために戦っているのだろう」

アストロは、一歩クレアへ近づく。

「ならば、なぜ己の力を出し惜しむ?」

「私は、出し惜しみなど――」

「取り繕うな」

アストロの言葉が、クレアを遮った。

一瞬の沈黙。

「それとも――」

アストロが、静かに口を開く。

「一人くらい、死なんとわからんか?」

アストロは、タケとリゼを見る。

二人とも、必死に立ち上がろうとしている。

けれど――

力が入らず、途中で崩れ落ちる。

「クレアッ……」

タケが、弱々しく叫ぶ。

クレアが反応する。

タケはクレアを見据え――

自分の胸を、トンッと軽く叩く。

そして、頷いた。

「……!」

クレアは動かない。

「……」

俯き、目を閉じる。

そして、考える。

――いつからだろう。

今の闘い方をするようになったのは。

皆を守りたい。

だから、常に最悪を考えた。

魔力を残して、相手の動きを読んで……

誰かが傷つかないように。

誰も、失わないように。

アストロの言う通り、それは決して間違いではないのだろう。

けれど――

それで、本当に守れていたの?

クレアは、ゆっくりと目を開く。

タケも、リゼも、もう立てない。

それでも二人は、戦おうとしていた。

頭の中では、もうわかっていた。

私は、守ることばかり考えて……

自分自身の力を、信じ切れていなかった。

そして――

今のままでは、この先の……

私たちの旅を、越えられないことも。

――ふと、脳裏に蘇る。

記憶晶の中で、泣きながらも、必死に誰かを守るために、魔法陣に立った少女の姿。

『あの時のあなたのままなら、もうちょっと早くわかってたかな』

そう思うと――

クレアの口元に、少しだけ笑みがこぼれた。

『私は今より一歩……先を行く』

「見ていて、母さん……」

そう呟き、ポケットにしまった封筒へ、そっと触れる。

アストロは、動く気配のないクレアを見る。

「心が……折れたか」

クレアに向かって、一歩踏み出す。

「む……」

しかし――

アストロは、その足を止めた。

クレアは動いていない。

俯き、力なく立っている。

だが……

――魔力の質が、変わる。

クレアに宛てられた手紙。

『クレアへ』

クレアは目を閉じ、静かに詠唱を始める。

『私はね、小さい頃、好きだった絵本があるの』

クレアの足元に、ひとつの円が浮かび上がる。

そこには文字がない。

ただ、その円は月の光に晒されるように、静かに澄み渡る。

氷のような、蒼い光。

『地上には、どうしても勝てない悪者がいて』

『人々は、天に願う』

クレアの詠唱に呼応するように――

頭上から、新たな円が描かれる。

足元の円と重なり、二つの光が重なる。

『すると、空から美しい女神様が舞い降りてきて』

『人々を救う、そんなどこにでもあるお話』

クレアは、詠唱を続ける。

『でも、私はその女神の姿に一目惚れしたの』

クレアの額から、汗が伝う。

さらに――

次々と円が重なっていく。

その一つ一つに、魔法式が刻まれていく。

『あなたに託すのは、そんな魔法』

『こんなことしか残せなくて、ごめんね』

『愛してるよ』

『どうか、幸せになって』

『母セレナより――』

「ありがとう……お母さん」

クレアは、静かに呟く。

そして――

ゆっくりと、目を開く。

「……氷月の女神(ルナス・キオラ)」

その言葉と同時に――

何本もの巨大な氷筍が、クレアを包み込む。

ピシッ……

氷筍に亀裂が入る。

バキィン!

氷筍が、砕け散った。

そこに立っていたのは――

氷で形作られた、一人の女性。

純白の身体。

透き通るような氷の翼。

その姿から放たれる魔力は、冷気となって周囲を支配していた。

美しい。

だが、それ以上に――

畏れを抱かせる。

まるで、月夜から現れた女神そのものだった。

アストロはその存在に、目を見開く。

「魔力のみで……上位精霊に並ぶ存在と化すとは……」

凍てつく魔力の奔流が、アストロへ圧力をかける。

「……ぬっ!」

そして――

アストロは気づく。

「我が……」

自分でも気づかないうちに――

一歩、後ろへ退いていた。

氷の女神が、片腕を上げる。

「……っ!」

アストロが身構える。

しかし――

ピシッ……

氷の女神の身体に、亀裂が走る。

「……!」

バキィン!

突如――

氷の女神は、砕け散った。

元の姿に戻ったクレアは、膝から崩れ落ちる。

両手を地面につき、荒い呼吸を繰り返す。

「はぁっ……はぁっ……」

『これ以上、魔力を維持できない……』

一瞬、アストロは驚いた表情を浮かべる。

だが、クレアの姿を見て悟る。

「今は……ここまでが限界のようだな」

アストロは、改めて三人を見渡す。

誰もが満身創痍だった。

それでも――

闘う意思は、誰一人として失われていなかった。

「……ふむ」

腕を組み、何やら考え込む。

やがて――

「ハァーッハッハッハッハ!」

上を向き、大きな声で笑った。

「よかろう! 認めてやろう!」

三人は、状況が呑み込めず唖然とする。

「我に届かずとも、お前らの中に確かな強さの片鱗を見た!」

アストロは気にせず続ける。

「強さとは!」

大きく翼を広げる。

「己の力を疑おうとも、他者のためなら迷わず立ち向かう不屈の精神!」

「力が足りぬと知りつつも、死中に活を求める勇気!」

そして――

「己の弱さを知ることだ……」

その声は、先ほどまでの戦いの時とは違っていた。

「見事だった……」

アストロは、クレアへ向き直る。

「我なら、お前が失った記憶を戻すことはできる」

クレアの表情が変わる。

「だがな」

「お前はもう、自らの力で取り戻しつつある」

クレアは黙ってアストロを見る。

「これから旅を続けるのであれば――」

「残された記憶へと繋がる者と、いずれ向き合うことになるだろう」

その言葉に、クレアの脳裏に一人の男がよぎる。

――曲刀の男。

「今のお前が知り……」

アストロは、静かに続ける。

「自ら答えを出せ」

クレアは目を閉じ、少し考える。

ふぅーっと大きく息を吐き出し、顔を上げる。

「ええ、わかったわ」

少し笑って――

「なんだか、勝ち逃げされたみたいで癪ではあるけどね」

「ぬかせ」

アストロも、少し笑う。

「さて……我はもう行く」

そう言って、アストロは折れた剣を持つ。

パキィンッ――

剣を振る。

すると、いとも簡単に部屋の魔法陣が砕け散った。

「え?」

タケは、その光景に唖然とし、思わず口を開ける。

アストロは、タケの視線に気づく。

「こんな脆弱な陣で、我を封印できるわけがなかろう」

「じゃあ……なんで?」

「……」

タケの問いには答えず、アストロはリゼへ視線を落とす。

「昔、お前のために我の力を使った者がいる」

「……?」

リゼには、アストロが言っていることが理解できない。

「お前は、三百年前からの存在なのだろう?」

「……!」

その言葉に、リゼははっと気づく。

「私が生きている理由と……アストロさんに、関係が?」

「……アストロでいい」

そう言って、アストロは少し考えてから口を開く。

「お前にとって、それを知ることが、決して良いこととは言えんが――」

「知りたいですっ」

リゼは、被せるように答えた。

「たとえそれが悲しいことでも……知らないと、私は前を向けない」

アストロは、リゼの瞳に宿る強い意思を感じ取った。

「そうか……」

「ごめんなさい、ちょっと待ってください」

リゼは、クレアとタケを見る。

二人は何も言わず、リゼの意図を察して、その傍へと寄った。

リゼは、二人の手を取る。

――記憶の共有。

ただ、それだけではない。

こうして二人と繋がっていることで、リゼは安心することができた。

少しだけ微笑んで――

「これで、大丈夫です」

アストロは黙って頷き、リゼへ手を差し伸べる。

――視界が、白く染まる。

赤ん坊が泣き喚き、手足をばたつかせている。

「あらあら……」

女性が赤ん坊に近づき、そっと抱き上げる。

「リゼは元気ねぇ」

「あんまり泣くと、可愛い顔が台無しになるわよ」

優しい声。

抱かれた赤ん坊は、すぐに泣き止んだ。

ザザッ……

映像が変わる。

辺り一面の草原。

「お母さんっ」

黒く長い髪。

紫色の瞳をした少女が、元気いっぱいに走り回る。

「待ってリゼ、お母さん、そんなに走れないの」

息を切らせながら、それでも楽しそうに少女を追いかける。

ザザッ……

少し成長した少女の姿。

「見てっ、お母さん」

少女の手のひらに、炎が灯る。

「すごいっ。リゼは魔法の才能があるわ」

母は嬉しそうに答える。

ザザッ……

年老いた白髪の老人の姿が映る。

「リゼは、この年で既に月の民の誰よりも高い魔力を宿しておる」

「いずれは国の――いや、世界の導き手として、名を残すであろう」

「……そうですか」

嬉しいような。

寂しいような。

どちらとも言えない声で、母が応える。

ザザッ……

燃え盛る炎。

戦っているのだろうか。

遠くでは、人の叫ぶ声。

爆発音のような音も聞こえる。

先ほどの白髪の老人が映る。

その老人の胸ぐらを、母が震える両手で掴んでいる。

「何で!? 何であの子なの!?」

母が必死に訴える。

老人は俯き、応える。

「戦える者は、今、戦地に出ておる……」

「そして、皆わかっているのだ……」

その声は震えている。

「ここへは戻ってこれないと……」

「……っ!」

母は言葉に詰まる。

その時――

母の手に、誰かの小さな手が重なる。

「お母さん、大丈夫だよ」

母が、声の方へ向く。

今のリゼが、笑っている。

その笑顔が、無理に作った笑顔なのだと、クレアとタケにはすぐにわかった。

ザザッ……

どこかの地面が映る。

「何で……この子なの……」

「本当に来るかも……わからないのに……」

映った地面に、一つ、二つと水滴が落ちる。

「私が……繋ぎます」

少し遠くで、リゼの声が聞こえる。

「でも……私は甘えん坊だから……」

「寂しくて……」

「挫けてしまうかもしれないから……」

「だから……」

声が震えているのがわかる。

「私の記憶を……消してください」

「……っ!」

母が、リゼを強く抱きしめる。

「大丈夫だよ」

なだめるような、リゼの優しい声。

母は、リゼを抱きしめたまま呟く。

「リゼ……愛してる」

「あなたが、この言葉を忘れてしまうとしても……」

「それでも……どうか忘れないで」

「私は……あなたを愛してる」

ザザッ……

目の前にあるのは、記憶晶だった。

記憶晶に、女性の姿が映る。

黒く長い髪を一つにまとめ、紫色の瞳をした、綺麗な女性。

その瞼は、うっすらと赤く腫れていた。

「あ、名前から言わないとか」

「えー……コホン」

わざとらしく咳き込む。

「リゼ、あなたの母のセリアです」

「いつかあなたが役目を終えて、外の世界に旅立った時のために、これを残します」

セリアは指を一本立てる。

「その一、あなたは好奇心旺盛で、周りがすぐに見えなくなるから」

「できれば落ち着いて、信頼できる人と外に出て欲しいかな」

二本目を立てる。

「その二、家では明るくて、元気が良すぎるくらいだけど、案外人見知りなあなた」

「これから、いろんな人と出会うだろうけど、もじもじせず、ハキハキと話すこと」

三本目を立てる。

「最後に……いろんなものを見て、いろんなことを知って」

「世界はとても広くて、楽しい所だと思ってくれたら嬉しいです」

セリアの顔は笑っている。

けれど――

頬には一筋の涙が伝う。

「そうして、あなたは……誰かに恋をしたりするのかもしれないわね……」

伝う涙を、一度拭う。

「できれば……そんな相談を、私が……隣で……」 

言葉が途切れる。

セリアは両手で顔を覆った。

「いつか……あなたの……」

「花嫁姿を見たかった……」

ザザッ……

見覚えのある廊下。

いや――

つい先ほど、目にした場所だ。

コツ……コツ……

その足音は、廊下の奥へと向かっていく。

その先にあるのは、広い部屋。

中央には、魔法陣が描かれている。

コツ……

足音が、魔法陣の前で止まる。

「ダメ……」

リゼが、記憶に向かって口に出す。

コツ。

その足が、魔法陣を踏んだ。

「やめてぇっ――!!」

リゼの叫びが、広間に響く。

足元の魔法陣が、光を帯びる。

「お前に、願いがあるなら叶えよう」

目線の先には、アストロの姿が映る。

「ただし――」

「お前の最も大切なものを一つ、差し出せ」

映る手のひらは、震えている。

その手は力強く握り込まれ――

やがて、セリアはアストロを見据える。

「願うのは……娘の命」

「……」

アストロは、何かを考える。

「お前の娘は、生きているぞ」

「ええ……」

一度、視線が足元へ落ちる。

少し間を置き、再び顔を上げる。

「娘の時を……止めてください」

「時を? 永遠にか?」

アストロが尋ねる。

「いえ……」

「娘は、誰かを待っています」

「その誰かは、来るかどうかもわかりません」

視界が滲む。

「それまで……」

「役目を遂げて、自分の意思で、今いる場所を離れるまで」

声が震える。

「娘の時を、止めてください」

涙の膜の向こうに、アストロの姿が滲んでいく。

「そのために、お前は何を差し出す」

「私の命です」

「……」

アストロは少し考え、口を開いた。

「その娘に、業を背負わせることになってもか」

「……」

今度はセリアが黙る。

やがて――

クスッと笑う。

「意外と優しいんですね、ここの悪魔さんは」

「お前らが、勝手にそう呼んでいるだけだ」

セリアは、ふぅーっと大きく息を吐く。

そして、静かにアストロを見る。

「娘は、世界を救うために動いている」

「じゃあ――」

セリアは、涙を拭う。

「娘を救うために、誰が動くの?」

「……」

アストロは黙って聞いている。

セリアは、まっすぐにアストロを見据える。

「母親しか、いないでしょう?」

「……」

アストロの手が、セリアに向かって伸びる。

『私に、あなたみたいな力がなくて、ごめんなさい』

『あなたに、いろんなものを背負わせてごめんなさい』

セリアは指先を絡ませ、胸に押し当てる。

『でもね、それでも私は――』

『あなたが前を向いて、世界を見る姿を想像したいの』

『リゼ……世界一、愛してる』

視界が、白く染まる――

音が消える。

そして――

「……」

三人は、ゆっくりと目を開けた。

そこにあったのは、見慣れた元の部屋。

「あ……」

リゼは、言葉にならない声を漏らした。

上を向いたその顔から、涙が伝う。

クレアとタケは、リゼの手を強く握った。

二人も俯き、その目から、一筋の涙が伝う。

ぽた……

落ちた涙が地面を濡らす。

そして――

リゼの声だけが、静かな部屋に響いた。

二人は、何も言わない。

ただ、リゼの手を強く握ったまま、そばにいる。

しばらくして――

リゼの声が、少しずつ小さくなっていった。

三人は、何も言わなかった。

ただ、繋いだ手だけは離さなかった。

静かな時間が、流れていく。

「あ……あの」

リゼが口を開き、二人を見る。

「……」

二人は、リゼの顔を見る。

けれど、言葉が出てこない。

「心配させて、ごめんなさい」

「……っ」

クレアは、その言葉に思わずリゼを抱きしめる。

「バカね……謝らなくていいの」

「いつも言ってるじゃない」

リゼは、クレアの胸の温もりを深く味わうように、目を閉じる。

「まだ……受け止めたと言ったら、嘘になりますけど」

「お母さんが、前を向けと言うなら、私は……」

言葉を切り、クレアの胸に顔を埋める。

「お二人がいてくれるなら、前を向きます」

そう言って、リゼは横目でタケをチラリと見る。

タケはその姿を見て、ふっと笑う。

「赤ちゃんから始めるのかな?」

からかうように言って、リゼの頬を指でツンツンした。

「へへ……」

リゼの瞳は、涙で赤く腫れていた。

頬には、まだ涙の跡が残っている。

それでも――

その顔には、ほんの少しだけ、いつものリゼの笑顔が戻っていた。

「うむ……」

アストロは、何かを納得するように頷いた。

「この戦いで――今のお前らに何が足りぬのか、よくわかったであろう?」

「……」

三人は、黙ってアストロを見据える。

「だが、足りぬものは互いに補えるものだ」

「任せるのではなく、頼れるよう強くなれ」

その言葉に、三人は顔を見合わせ、頷く。

それぞれの目には、強い意思が宿っていた。

アストロは三人の表情を確認し、

「さあ、もう行け」

「去り際くらいは見届けてやろう」

三人は互いに支え合い、出口へ向かう。

ふと、タケが振り返る。

「この世界に師匠がいるのなら、アンタなのかもな」

アストロは一瞬、驚いたように目を見開く。

「……いらん話はするな」

「はは」

タケは振り返り、歩き始める。

「アンタ、よくそんなこと言えるわね……」

「もう少し、優しい師匠がいいです……」

三人の声が遠ざかっていく。

アストロは、去っていくタケの背中を見つめる。

そして――

その姿を、ある男と重ねた。

静かに目を閉じる。

――エルドリアの谷。

『お前の言う通り、この力は、人々の役に立てるよう使おう』

男が答える。

『ああ。まぁ、調子に乗らせないように、助けてやってくれ』

『だが、我はお前に負けたのだ』

『我の力を欲さないのであれば、我はお前に何ができるのだ!?』

男は、面倒くさそうに答える。

『えぇ~、だから等価交換の話だけで充分だって』

『それでは我が納得がいかぬ』

『アンタも中々頑固だな……』

少し考えて、男は話す。

『じゃぁ、まぁ、オレが将来結婚して、ガキでもできたときには、そいつの力になってやってくれ』

話しながら、ふと思いつく。

『力を貸せってのはアレだぞ。アストロの力を貸せって意味じゃないぞ』

『では、何を?』

『もし、オレのガキが弱っちい姿でアンタの前に現れたんなら――アンタが鍛えてやってくれ』

『……!』

『わかった、約束しよう』

男は、少し笑う。

『まぁ、あんま期待しないで、待っててくれ』

『待て』

『ん?』

『お前の名を聞いていない』

『あー……ラグナだ』

――目を開ける。

アストロは、天井を見上げる。

そして、ほんの少しだけ笑った。

「……これで、果たしたぞ」

「お前の息子は――」

一拍。

「確かに、お前の息子だったわ」

アストロの姿が、淡い光に包まれていく。

「……さらばだ」

その輪郭が、ゆっくりと薄れていく。

やがて――

そこには、誰もいなくなった。

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