英雄
――夜。
ヒナの家は“魔の森”の奧に設けられた木製の家屋だ。
魔物は種によって異なる住処を設けるものだが、ヒナの家は人間の住居を調べたヴィルアークが建てた、簡素な造りなものだ。ワンルームの内装はヒナの手によって賑やかで明るいものになっている。
「でーん、めしあがれヴィル。ウサギの丸焼きソテーと白身魚のムニエルだよ。今日はフンパツしたかんね」
ヒナが木製のテーブルに手作りの料理を並べた。大柄なヴィルが小さい椅子に座り、体格と不釣り合いな机に向かいながら料理を見つめた。
「久しぶりだな、ヒナの手料理は。以前食べた時は時間を巻き戻す魔法を欲したものだが」
「あー、せっかく作ったのにそういうこと言うんだ。ウサギも魚もさっき取ってきたばっかりなんだよ」
ヴィルアークは小さく笑い、料理に手をかざした。ウサギの丸焼きと白身魚のムニエルが黒い粒子に変換され、手の平に吸い込まれた。
「ほう、武術だけでなく料理の腕も鍛錬していたんだな」
「でぇへへへ」
「しかし、変わった味付けだな。このドロっとした液体はなんなんだ?」
「もうヴィルったら古いんだあ。それは濃厚ソースって言って、最近の流行りなんだよ。森の魔物みんながハマってる」
「……若い世代はどんどん新しいものを取り入れていくな。この前までカエルの卵ジュースが流行ってたのに」
ヴィルアークが一年前の思い出にふけっていると、玄関を叩く音がした。
ヒナが「どうぞー。鍵は開いてるよー」と言うと、銀髪の女性が扉を開けて入ってきた。
「うえへ。この家、来るたびに目がチカチカするようになってくわ~」
彼女の姿はヒナと同じく人間そのものだった。ヴィルアークほどではないが背が高く、細身ではあるが筋肉質。銀の髪は無造作に伸び、その合間から覗く瞳は黄色く輝いて見えた。長い背筋はやや前に折れており、肩はだらんと撫で落ちている。
「ジゼル、オッス!」
ヒナが片手を上げて言うと、銀髪の女性――ジゼル・メル・ゴーンドラゴンも片手を小さく上げた。
「おっすおっす。人間と戦ったんだって? やるじゃ~ん」
ジゼルが言うと、ヒナはとくいげっ! ってな具合に胸を張った。
「へっへっへ、ボコボコにしてやったよ。一方的に。こっちはノーダメージ。パーフェクト勝利」
ジゼルは魔族の中でも強力な種である“ゴーンドラゴン”と呼ばれる種の魔物だ。本来の姿は湖よりも巨大な竜だが、魔法によって自ら人間に似せた姿に変身している。齢二四八歳。ヴィルアークの弟子にして、ヒナの兄弟子……いや、姉弟子か?
談笑しながら小突き合うヒナとジゼルを眺め、ヴィルアークは小さく頷くと、椅子から腰を上げた。
「ヒナ、私は少し出かける。留守の間、ジゼルがお前に着いてくれるから、稽古をつけてもらうといい」
「えっ」
「えっ」
ヒナとジゼルは間の抜けた声を漏らした。
「今日帰ったばっかりなのに、ウィルもうどっか行っちゃうの?」
ヒナの上目遣いがヴィルアークに突き刺さった。
「北の大陸に、古い馴染みを訪ねに行く。少し……相談したいことができてな」
「ちょっとお師さん、そんなのウチ聞ーてないんだけど。呼ばれたから来ただけだよ」
ジゼルがジトっとした目でヴィルアークを睨んだ。
「何か予定でもあったのか?」
「そ~ゆ~問題じゃなくて、勝手に決めないでって言ってんだけど」
「あー、北の大陸に行くついでにゴーンドラゴンの谷にも寄ろうかな。キミの親御さんに久々に挨拶――」
「任せてお師さん。一カ月でも二カ月でもチビ助の面倒見ててやるよ」
ジゼルは曲がった背筋を伸ばして言った。
「チビ助って呼ばないで」
ヒナはジゼルをジトっと睨みつけて言った。
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“魔の森”にて敗走した勇者テトの一行は、ウェスクア王国へ帰還した。
東の大陸一の大国であるウェスクアは“勇者”の活動支援に積極的であり、負傷した旅人を快く受け入れたり、魔物退治に際しての装備や道具も豊富に取り揃えている(無論、無償というワケではない)。
テトはまず教会へ向かった。
彼は身体ではなく精神に大きなダメージを受けていたので、心のケアが必要だった。人間が生きたまま、意識を保ったまま『まな板の上の鯉』を経験すればマトモではいられないものだ。
リム、バズ、タロナの三人は王立図書館へと向かった。
タロナが「あのヒナとかいう紅髪の子、なんか引っ掛かる」と言い出したので、東の大陸一を誇る蔵書の中から三人がかりで情報を探すことにしたのだ。
タロナの勘は当たっていた。ヒナが魔物の下に居るのは、東の大陸で起きた惨劇が関係していた。それを知ってしまった以上、もはや見て見ぬフリはできなくなった。
リム達は国王に謁見し、とある人物への紹介状を手配してもらった。
一枚の便せんを手に、一行は王都から離れた山々の合間へと向かう。
「な~、どこに行くんだよ~。こんな人気のないとこ、絶対モンスター出てくるって~。遭遇したらどうすんだよ俺まだ立ち直ってないんだぞ~」
最後尾を着いて行くテトが言った。もはや“勇者”としてあるまじき物言いだ。
「あの魔星卿は放置できない。だからアイツを倒し得る人に助っ人を頼むんだよ」
歩きながらリムが言った。その後もテトがぶつくさ弱音を吐いていたが、リムもバズもタロナも聞き流しながら歩を進めた。
細い岩肌の壁を潜り抜けた先に、小さな入江が開けていた。砂浜が岩の岸壁に囲まれる形で、その隙間から海水が流れこんでいた。
波打ち際で木製のローチェアに背を預けている人影があった。花柄シャツにベージュのショートパンツ姿。顔の上に乗せられた雑誌がゆっくりと上下している。寝ているらしい。
「なんだあのオッサン。こんなとこで一人寂しくバカンスかよ」
テトの言に、リムが「黙ってろ」と言わんばかりにジトっとした目を向けた。
「あ、あの~……ちょっとお話しいいですかぁ」
腰を低く曲げながらバズが言った。
反応はなく、顔の上に乗った雑誌が変わらず上下に動いていた。
「勇者ラムセス、貴方に頼みがあって来た」
リムが言うと、雑誌の動きが止まった。
「……何用だ」
低く、響くような声だった。
リムが口にした名に、テトは耳を疑った。
「ら、らっ、ラムセス!? 勇者ラムセス!? こ、この人が!? かつて魔星卿を二体倒したという伝説の“勇者”! 『歴代で一番❘つおい《強い》“勇者”はだ~れだ選手権』を開催したら間違いなく名前が上がる、一騎当千のあのラムセス!?」
やや早口に言うテトにバズはちょっと引いていた。
「あなたに魔物の討伐を依頼したい。ウェスクア国王からの紹介状もある」
リムが言うと、バズが慌てて懐から便せんを取り出して突き出した。
が、ローチェアの男――ラムセスは雑誌を顔に乗せたままそっぽを向いた。
「俺はもう引退した身だ。六十近い老兵に命を懸けてモンスターと戦えと?」
「そ~だぞお前ら! 勇者ラムセスは多大な功績を残した偉大なるお方! 今は余生を満喫しておられるんだから邪魔をするな邪魔を! ……勇者ラムセス、仲間の無礼をお許しください。俺、あなたの大ファンなんです。サインもらえます? 『勇者テトくんへ』って書いてもらえるとありがたいんですが。あとなんか粋な一言も添えてもらえると……」
鞘に収まった剣を差し出してペコペコするテト。もはや恥も外聞もない。
「お、お願いしますよラムセスさん! あの魔物はとんでもなく……強すぎるんです。貴方以外にマトモに戦える人なんて――」
「復讐か?」
バズの言にラムセスが返した。
「へ?」
「たまによく、時々頻繁に来る。大切な人を殺されたから仇を討ってほしいという依頼者が。その皆に俺はこう告げている。人生とは、いかにして軌跡を残すか。いかに詩人に己の偉業を詠わせるかだ。後世に残る詩をな。復讐など成し遂げたところで、空しい詩にしかならない。足を止めて後ろばかり見ていないで、前を見て歩け。それが年長者からのアドバイスだ」
ラムセスが「わかったらさっさと帰れ」と言わんばかりに、手でシッシッと追い払う仕草をした。
「いや、別に❘復讐って《そういう》ワケじゃないんですけど……」
「魔物の名はヴィルアーク。魔星卿のヴァールデーモン。十三年前、人間の村を襲って、子供を攫った」
タロナが言った。
ラムセスがピクリと反応した。
「私達、“魔の森”で人間の女の子と出会った。紅い髪と銀の瞳の。変身系のモンスターだと思ったけど、違った。図書館で調べたら、ゼノリスっていう村に住む一族の特徴らしい。その村は、十三年前にヴィルアークに滅ぼされた。あの女の子は、ヴィルアークが戦利品として持ち帰った赤ん坊。十三年かけて、❘魔物の子として育てたみたい」
「この話を聞いても、まだバカンス気分で寝っ転がってられる?」
タロナの言にリムが煽りを付け加えた。
ラムセスが顔の上に乗せた雑誌をどけた。真っ白い髪をオールバックに固めた壮齢の男だ。六十手前にしてはやけに白髪だが、それも幾多の苦労の末か。引退したと言いながら花柄シャツの下には現役さながら鋼のような肉体が維持されている。
テトは思わず両手を口元に当てた。ラムセスの鍛え上げられた佇まいは“勇者”として理想的なものだった。
「……今の話は本当か? モンスターが人間の赤ん坊を攫って、洗脳教育を施していたと? 俺の良心に訴える為の作り話でなく?」
ラムセスが訊くと、タロナは小さく頷いた。
ローチェアーから腰を上げたラムセスは砂浜を足早に歩き始めた。とある地点で屈み、砂をかき分けると鋼鉄の扉が顔を出した。重い扉を持ち上げると、中には剣、弓、斧と言った様々な武器が格納されていた。
「デカい武器が要るな」
大剣を手に取りながらラムセスが言った。
テトは身震いしながら歓喜の声を必死に堪えた。




