魔の森
ヴィルアークは三つの瞳で少女を――ヒナを見つめた。
“あの日”から十三年。たったそれだけの年月で、ヒナは大きく成長した。
いや、人間と魔物の時間間隔は大きく異なる。人間にとっての十年は魔物にとって百年程のものだと認識を改める。
齢十三歳は人間でいうとまだ子供だ。日々の鍛錬で筋肉質な身体に成長してはいるが、まだ守護られるべき存在である。
「力をつけたな、ヒナ」
ヴィルアークは力試しとばかりに彼の片足に組み付き必死に力を込めるヒナを見下ろしながら言った。
「でぇへへへ」
ヒナが顔を上げて頬を緩める。
「だが、私に追いつくにはまだまだだな」
「…………ふんぬっ!」
ヴィルアークの言に小さく片眉を上げたヒナは、彼の膝を本来の向きとは反対方向へ曲げようと力を込めた。
「ヒナ、関節を極めようとするな」
やっぱり無理だってことで今度はヴィルアークの肌を指でおもっきし捻った。
「ヒナ、つねるな」
「くっそー、ちょっとは痛がらせられると思ったのに……なっ!」
言いながら、ヒナはヴィルアークの足をおもっきし踏んづけた。例によってヴィルは涼しい顔。
「お、おいコラッ! ヴィルアーク様になんてことを……!」
様子を見守っていたウォルターが我慢できずに声を荒げた。彼は人狼という種の魔族で、青い毛に身を包み、二本足で立つ狼に似た魔物だ。この森では比較的ヒナと歳が近い一五六歳ということもあって、ヴィルアークが森を空けている間は彼女を気にかけるように任されていた。が、勝ち気で奔放ではねっ返りなヒナの面倒を見るのはウォルターには荷が重すぎる。
「いいんだ、ウォルター。私とこの子の仲だ」
「し、しかし……」
「それに、いくらやられても痛くも痒くもないからな」
「なにをー! このヤロー!」
ヴィルアークの足にガジガジと噛みつくヒナ。当のヴィルアークは気づいてもいないような虚無顔。虫が留まったとしてももう少し反応があるってもんだ。
いくら親子のような関係とはいえ、天下の魔星卿に対してあまりにもあんまりな態度に、ウォルターは冷や汗が止まらなかった。
魔星卿とは、魔物の一族――魔族の中で“王”を除けば最高位の魔物であり、最強の力を持つ者達。太古には世界に七十二体存在したとされるが、その数は時代と共に大幅に減っていった。
しかし、その存在力は健在……いや、むしろ増している。文字通り一騎当千の力を誇り、森羅万象を捻じ曲げる魔力を誇る魔星卿は、魔物達から圧倒的な敬意と畏怖を抱かれていた。魔族の総数は人間に対して圧倒的に少ないが、彼らが希望を失わずにいれるのは魔星卿がいればこそだ。
「ぬおお~! くたばりやがれこのトーヘンボクがー!」
そんな偉大な存在であるヴィルアークに対し、身体によじ登って殴る蹴る噛みつく引っ掻くなどの蛮行を繰り返すヒナ。敬意とは?
「はあーっ、はあー、くそっ、今はまだ無理だけど、いつかヴィルを泣かせてやるかんな!」
「それは楽しみだ」
ヴィルアークはヒナの頭を小さく撫でた。小さい子供の戯言を軽く流す物言いに、ヒナがまた癇癪を起こして暴れるんじゃないかとウォルターは身構えた。
「でぇへへへ」
あれ? 今のはいいのか。どういう判定基準なのかわからない。
「それよりさ、せっかくヴィルが❘お仕事終わって帰ってきたんだから、みんなでお祝いしようよ! お〜ぅい! みんなぁ〜! ヴィルが帰ってきたよ〜! ご帰還だよ〜! ただいま戻りましたよ〜!」
ヒナが森の奧に向かって大声で呼び掛けた。数秒間を置いた後、森の奧から住人達が続々と集まってきた。
「ヴィルさん!」
「おかえりヴィルアークさん!」
「お疲れ様でございます!」
「お土産は!? ねえ、お土産は!?」
魔物といっても姿かたちは様々だ。小鬼や樹人、熊のような魔物や大型のトカゲのような魔物もいるし、巨大な蜘蛛型の魔物もいる。
この森は、東の大陸の人間が生息圏を広げるに連れて住処を追われた魔物が流れ着く最後の地だ。故に力の弱い魔物や幼い魔物が多く集まっているが、魔星卿をはじめ、強力な魔物も少なからず存在している。人間はこの森を魔物が巣くう地――“魔の森”と呼び恐れ、近づこうとしなかった。よほど勇敢な者か、無知な者以外は。
「ねーヴィルさん、遠征どうだった? 人間どもブッ殺したの?」
「えっ」
幼い石人形に問われ、ヴィルアークは言葉に困った。
ヒナを見やる。期待の眼差しでヴィルアークを見上げている。
「…………ああ、ブッ殺してやったよ」
「「「おおぉぉぉ〜〜〜!」」」
森の魔物達が同時に声を上げた。
横目でヒナを見やるヴィルアーク。口角をあげて鼻の下を指でこすっている。なぜ彼女が得意げなのかはわからないが、とにかく上機嫌だ。
「ヴィルさんヴィルさん、どうやって人間をブッ殺したの?」
「目玉くり抜いて? 首引っこ抜いて? 心臓抉り出して?」
半人半鳥の姉妹が綺麗な声色で問うた。
「……魔法で灰にしてやった」
「「「おおぉぉぉ~~~!」」」
再び魔物達が同時に声を上げた。
「ヤバイねーヒナ。ヴィルさんってやっぱ強いんだね」
「いいなー。私もヴィルさんみたいなパパがよかったー」
半人半鳥の双子に左右から持たれかかられたヒナは得意げっ! とばかりに胸を張った。
「ふっふーん、そうだろそうだろ。まっ、ヴィルはわたしだけのもんじゃなくて、森のみんなのもんだから。アヤもマヤも、ヴィルのことお父さんみたいに慕ってもいーよ」
「あー、出た出た。嫉妬の火花も散らない余裕っぷり。ヒナって大人メンタルだよね~」
「まー、そりゃそーか。ヴィルさんみたいな立派な魔物になるのがヒナちゃんの夢だもんねー。魔星卿を目指すなら器も大きくなくっちゃだもんね」
魔物である半人半鳥に褒められ、人間であるヒナは満足げに頬を緩めていた。
“魔の森”に住む魔物達は、人間であるヒナのことを同じ魔族の仲間として接している。
ある日突然、ヴィルアークが人間の赤子を連れ帰った時は誰もが驚いたものだった。なぜ、どういう経緯でそうなったのか、魔物たちは山ほど疑問を抱いたが、ヴィルアークがそうと決めたのなら相応の理由があるのだろうと、彼の決定に異を唱える者はいなかった。
まだ幼い魔物の中には、彼女のことを本当に魔族の一員だと信じている者もいる。ヒナ自身がそうであるように。
そして、魔物達はヒナが「自分は魔物ではなく人間である」という事実に気付かないように細心の注意を払っていた。これは、ヴィルアークが唯一魔物達に課した、厳重なルールであった。
(……危なかったな〜、さっき)
ウォルターはちょっと短気なのでついカッとなるとヒナに本当のことを言っちゃいそうになることが多々あった。ヴィルアークが現れてなかったら全部台無しになるところだった。
「警告! 警報! 緊急連絡注意喚起の赤信号!」
ヴィルアークと魔物達が談笑していると、鳥の身体に蛇の尾と蝙蝠の羽を持つ魔物――コカトリスが甲高い声を上げながら飛翔してきた。一同が一斉に彼を見やる。
「南西の第七ブロックにて敵勢種族――“人間”が森に侵入! 周囲を散策しながら北北東に進行中!」
コカトリスの報告に魔物達がどよめき立った。当然だ。かれこれ五十年以上“魔の森”に人間が足を踏み入れることなどなかった。
「わー! 敵襲だ敵襲だー!」 「人間がこの森に!?」
「怖いよ食べられちゃうよー!」 「おへそ隠して逃げなきゃ〜!」
「不謹慎だけどちょっとワクワクしてきたカモ!」
慌てふためき、右往左往する魔物達。予測していなかった突然の事態に“魔の森”はパニックとなった。
「みんな、落ち着きたまいーっ!」
ヒナの大きな声がアタフタする魔物達を我に帰した。
「だいじょーぶ! このわたしことヒナ・ヴァンホーテンがチャチャイっと追い返してみせるよ! この森はわたしたちの家だもん、逃げる必要なんかないよ」
ヒナの言に魔物達が「「「おお〜〜〜っ」」」と感嘆の声を上げた。
「がんばれヒナちゃ〜ん!」
「見事追い返したら猪肉の丸焼きをおごるぜ!」
「ヨッ、未来の魔星卿っ!」
飛び交う賛辞の声にヒナは身が震えるほどの愉悦を感じた。
「ふっふっふーん! 任せろ任せろこのヒナちゃんに! よっしゃ、一緒に行くよヴィル! あとウォルターもついてきて」
「えっ」
突然の白羽の矢にウォルターは間の抜けた声をもらした。
「ヴィルにはわたしの修行の成果を見せたいし、ウォルターはわたしのことナメてるからちょっと腕前見せてビビらせたい」
「ふふ、ご指名とあれば断れないな。君も異論ないだろう? ウォルター」
「えっ」
ヴィルアークに肩を叩かれたウォルターはまたしても間の抜けた声を漏らした。
「それで、わたしたちの森にズケズケと入り込んできた人間ってのはどんなヤツなの?」
ヒナが尋ねると、コカトリスは再び翼をばたつかせて甲高い声を上げた。
「数は四! 剣士が一、格闘家が一、魔法使いが二!」
魔物達が再びどよめいた。先ほどよりも大きなどよめきだった。
コカトリスの報は抽象的で、ヒナをはじめ幼い魔物達には何のことかイマイチわからなかった。
だが、ほとんどの魔物は理解していた。
それは、魔物達が恐怖し、身がすくむほど危険で恐ろしい存在。
魔族の天敵――“勇者”だ。




