第六章
「黒蝶はいるか?」
「はい。ここにいます」
「仕事だ。早くしろ」
ボスは音もなく表わした夏樹に、驚いた様子もなく読んでいた資料を投げた。
散らかった資料には、四〇代と思われる男性の写真が添付させてある。
「山口順二? 山口コーポレーションの社長でしたよね?」
確か、契約をしている会社の一つだった。
契約破棄して、我々を脅してきた。
「交渉決裂ですか?」
「ついでに、子会社も片付ける。できるな?」
「お任せください」
「随分、甘いセキュリティーだな」
夏樹は手慣れた手つきで、ロックを解除していった。
開いた扉から、中に入る。
警報音に気が付いた警備員たちが、駆けつけてきた。
「動くな――動いたら、撃つ」
警備員たちの足元に、銃弾が弾けた。
コンクリートの床を、抉っていく。
夏樹は冷笑を浮かべて、警備員たちを倒していく。
増幅の警備員たちも睡眠ガスで、眠っていることだろう。
「何事か?」
「ようかく、本命の登場か」
「お前は誰だ?」
山口の手には、銃を持っているが無様に震えていた。
「黒蝶と名乗れば、わかりますか?」
伝説の殺し屋。
自分が会うことになろうとは、思っていなかった。
命を狙われるとは、考えていなかった。
彼の手にかかり、生き伸びた者はいない。
「貴様――あいつの部下か!?」
「こちらの要求を、聞いておくべきでしたね」
そうすれば、生きられたのに。
助かったのに。
「ひ……助けてくれ」
「いい歳をした男が、情けがない」
金は払う。
だから、助けてくれと――。
「その台詞は聞きあきました」
さようなら。
いい夢を。
夜の闇に赤い――紅い、華が咲いた。
2
「夏樹」
「上層部から僕の暗殺命令でもでた?」
それでも、殺しにきたと?
「僕が夏樹と話したかったたけだよ」
突然、車のドアが開き助手席に引きずり込まれた。
乗っていた人物が、ドアを閉じる。
香月は顔を隠すために、かけていたサングラスを取った。
初めてあった時よりも、成長した知り合いが見つめてきた。
神出鬼没の香月に、頭が痛くなった。
今は誰にも会いたくなかった。
血に染まり、汚れきった姿で再会したくなかった。
例え幼馴染だとしても。
心を許した親友だとしても。
「余計なことはするな」
「僕は親友を見捨てるほど、薄情じゃないよ」
「帰れないよ」
帰る場所などないと。
「僕も最初はそうだった」
素直になれなくて。
何回も差しのべられた手を、振り払って。
裏切って。
人の優しさを知ろうとはしなかった。
信じようとはしなかった。
夏樹の表情に、香月は息をのんだ。
ここまで、自分の感情を押し殺してしまうような人間だったのだろうか?
一瞬――アンドロイド戦争中の自分と重なってしまう。
「人はどうして戦うのかな?」
「守りたいものがあるからだろう?」
「守る方法が、間違っていたとしても?」
「間違いに気が付けば、変わっていけるさ」
人の思いを知れば、歪みはなくなると。
すれ違いはなくなると。
「難しいな。何と戦うべきなのか――何と戦わないといけないのか」
「夏樹は何か、やりたいことある?」
「まだ、わからない」
何も決まっていないと。
自分がその権利を手にしていいか、あやふやで。
考えられない。
「見つかるといいな」
「見つかるのかな?」
「僕には答えられない」
自分で見つけだすべきだと。
答えをだすべきだと。
「話せてよかった――ありがとう」
これ以上、話すことはないと判断したのか夏樹は車から降りる。
「夏樹」
香月は咄嗟に、夏樹を呼び止めた。
夏樹が怪訝そうな表情で、振り返った。
青灰色と濃紺色の瞳が、交錯する。
「死ぬなよ」
勝気な瞳。
揺らぐことのない信頼。
数多の戦場を駆け抜けてきた者の強い眼差し。
生きろと。
死ぬことは許さないと。
「香月も」
車が走りだした方向とは逆に、夏樹は歩き始めた。
生きろ、と。
逃げるなと。
重い一言。
夏樹はベッドに身体を、投げ出した。
上質とはいえないスプリングが、全身を受け止める。
疲れきっている身体が、悲鳴をあげた。
気分が悪い。
食事をとる気にはなれない。
いつの間にか、台所に立つことはなくなっていた。
ペットボトルの水で、睡眠薬を流しこむ。
悪夢を見なくてもいいのなら。
嫌なことを忘れられるなら。
少しの時間だけで、忘れることができるなら。
見えない未来の先に何が見えるだろうか?
扉の向こうに何が見えるだろうか?
まだ、キャンパスは真っ白なままで。
描かれていない。
描ききれていない。
周囲はすでに、描き始めているというのに。
色を染めつつあるというのに。
おいていかれている気持ちになった。
距離が開いてしまったような気がした。
夏樹はゆっくりと瞳を閉じた。
深い――深い暗闇の底へ。
夏樹は意識を手放した。




